第7話
そして菜子は今、己の居る場所に疑問符を浮かべていた。
――ええ~っと私確かこの前まで別館の掃除係りだった気がするんだけど?
菜子は自身が居る場所を見回しながら胸中で呟いた。
重厚なデザインの豪華な一室に菜子は居た。
部屋の雰囲気に合うように設えた調度品は、見るからに高そうな雰囲気がする。
誤って壊したらと思うと怖くて、入り口の扉の前から動けなかった。
「どうしたんだ、さっきからそんな所に立ってぼーっとして?」
部屋の奥の扉から出てきたのは、この国の第二王子のアルベルト殿下だった。
騎士服に身を包んだ彼は、呆然と立ち尽くす菜子に呆れたような視線を寄越している。
腰に手を当て立つ姿は凛々しく様になっている。
いつもバルコニーで会っていた彼は訓練の後に来ていたようで着ていた服も簡素なものが多かった為、見慣れない姿にどきどきしてしまう。
「そ、その……突然の事で混乱してしまって……。」
菜子は騎士服姿を見てときめいている事を悟られないように顔を俯かせながら答えた。
今朝、アルベルト殿下付きの侍女になるように言われた。
突然の事に驚いていると侍女長に強引に連れられてきたのがここだった。
そして目の前にはアルベルトがいる。
混乱するなという方が無理な話である。
菜子は平常心を取り戻すと少しだけ顔を上げてアルベルトに恐れながらと口を開いた。
「私のようなものが何故アルベルト様の世話係になったのでしょうか?」
不躾な質問だったかと不安になったが口から出てしまった後では仕方が無い。
菜子はアルベルトの返事を待った。
「別館の方が良かったか?しかしここの方がもっと楽だと思うぞ。」
アルベルトは自身の後頭部を擦りながら困ったように言ってきた。
その言葉に菜子は困惑する。
――使用人になんで楽させようとか考えてるんだろうかこの人は?
すっかり使用人根性が付いた菜子はそんな事を考えながら首を傾げる。
「それに、ここにいれば食べるのに困らないだろう?」
アルベルトはそう言って菜子を見た。
どうやら自分がいつもひもじい思いをしていると思われているらしい。
あのバルコニーでお腹が鳴ったのは一度きりであったはずなのに、アルベルトは事ある毎にお菓子やサンドイッチを差し入れしてくれてたっけ。
ここに移動になった理由はそんな事だったのかと脱力する。
てっきり別館でサボっていた事がバレてこき使われるために移動になったと思っていた菜子はようやくほっとする事が出来た。
しかしアルベルトの存在を思い出しまたピシッと姿勢を正す。
仮にも王子様である失礼があってはならない。
そんな菜子の様子にアルベルトは頭を掻くと苦笑しながら言ってきた。
「あ~そんなに畏まらなくていい、いつも通りにしていてくれ。」
そんな事を言われても無理に決まっている。
菜子は困ったような顔で「それは無理です」と言うと、アルベルトは溜息を吐いてこう付け足してきた。
「じゃあこうしよう、俺と二人っきりの時は気を使わなくていいってことでどうだ?」
そう言って菜子を見た。
菜子は暫く巡視した後、それくらいなら大丈夫だろうと頷いた。
菜子の返事にアルベルトはほっとしたような顔をする。
「じゃあ早速お茶にしようか。」
アルベルトはそう言うと、先程他の侍女が置いていったティーセットの乗っているワゴンへと近づいて行った。
徐に茶器にお湯を注ぎだす。
菜子は慌てて「私がします!」と飛びついた。
しかし彼はいつもの爽やかな笑顔で「いいからいいから」と言うと菜子の背中を押して近くのソファに座らせてしまった。
「こういうの、やってみたかったんだ。」
アルベルトは気さくな笑顔でそう言うと、慣れた手つきで紅茶を淹れはじめた。
節くれだった無骨な手が繊細な動作でお茶を淹れる姿は様になっていた。
菜子が大人しく待っていると二人分のティーカップとお菓子の乗った皿をトレーに載せて菜子の目の前に置いた。
そして自身も菜子の隣にどっかりと座り込む。
彼の重さで沈んだソファーの感覚にアルベルトをより身近に感じてしまい一瞬どきりとしてしまった。
圧倒的に男性に慣れていない菜子にとってはこんな些細な動作でもドギマギしてしまう。
しかも今は部屋に二人きりなのだ。
開放的なバルコニーで会っていたときとは訳が違う。
隣の息遣いに敏感に反応しながら、菜子は平常心平常心と心の中で唱えた。
「お、意外と美味いな。」
「そ、そうですね。」
「だろ?」
アルベルトは自分が淹れた紅茶の味に満足しながらにかりと笑う。
その眩しすぎる笑顔を直視できなくて菜子は俯き気味に前を見ていることしかできない。
そんな菜子を気にする風でもなくアルベルトは話を振ってきた。
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