第5話


別館の掃除係へと移動させられてから、意外と暮らしは快適だった。

別館には特に人は住んでおらず、時々来賓があった時だけ使われるため、そんなに仕事もない。

しかも、別館の掃除婦は本邸から比べると数人しかいないため気も楽だった。

以前より自由にできる時間が増えたので、菜子は暇を見つけては、運よく一緒に持ってこれていた本を読んだり、最近見つけた秘密の場所で休憩を取るようになった。


別館の二階の外れに、広いバルコニーがある。

辺りを塀で囲まれて外からは見えないそこは、ちょっとした死角になっていた。

しかも土が盛られ芝生があり、小さな庭みたいになっていて寝転ぶ事ができるのだ。

バルコニーには下へと降りる階段がついていて、外からも上がって来れるが、人通りの少ないここは、誰の目にも留まらず人目を避けるのには、丁度良い場所だった。

菜子は休み時間にそこへ赴くと、ふかふかの芝生の上に腰掛けて、のんびりするのが日課だった。

そして元の世界でよく聞いていた、大好きな歌を口ずさむ。

別館の近くには騎士の鍛錬場が近くにあるのか、時折金属のぶつかり合う音や掛け声が聞えてきていた。


――良い天気だな~。


菜子は歌い終わると、小さく伸びをして空を仰ぎ見た。

真っ青な雲ひとつ無い空に、小さな小鳥達が囀りながら飛んでいくのが見えた。


「よお。」


菜子がのんびりと寛いでいると、バルコニーの階段の方から、耳に心地よい低音が聞えてきた。

聞いたことのある声に、菜子は驚き振り返る。

そこには、あの召喚された時に、己を抱きとめてくれた赤髪の青年がいた。






「へえ、最近歌声が聞こえるっていうから来てみたら、癒しの歌姫の正体は、あんただったのか。」


赤髪の青年は階段を昇り終えると、面白そうに赤い瞳を細めながら菜子を見ていた。

じろじろと見られていることに、何となく居心地の悪さを覚え、身じろぎする。

そんな菜子の様子に気づいた青年は「おっと、驚かせて悪かったな。」と申し訳なさそうに言ってきた。


「い、いいえ大丈夫です。」


「そうか、隣に座ってもいいか?」


「え?ど、どうぞ」


赤髪の青年は菜子の許しを得ると、隣にどっかりと座った。

ガタイの良い青年の肩幅は思ったよりも広く、そんなに近くに座ったわけでもないのに圧迫感を感じてしまう。

隣の青年の体温を感じるようで、菜子は気恥ずかしくなり俯いてしまった。


「ここに、よく来るのか?」


「あ、は、はい。」


暫し沈黙が続く。

赤髪の青年は頬をぽりぽりと掻きながら、何か気の利いた話題はないかと思考を巡らす。

ふと、そういえば少女の名前を知らないことに気づいた。


「そういえば、あんた名前は何ていうんだ?聖女様がシズカサンと呼んでいたが、それが名前か?」


「え、えと……名前というかそれは苗字で……」


「ミョウジ?」


「あ、あの名前は菜子です。」


「へえ、ナコか可愛い名前だな。」


そう言って赤髪の青年は子供のように、にかりと笑った。

その笑顔が眩しすぎて、菜子は赤面し俯いてしまう。


「俺の名前はアルベルト。アルって呼んでもらって構わない。よろしくな。」


そう言ってアルベルトと名乗った青年は、菜子に握手を求めてきた。

大きな手を差し出され、まじまじと見つめた後、菜子は恐る恐るアルベルトの手の指先の方だけ握った。

そんな菜子に、アルベルトは苦笑すると、大きな手で菜子の手を包み込むように握り返す。

真っ赤になった菜子の顔を見て、アルベルトは可笑しそうに声を出して笑った。

一通り笑った後、アルベルトが話しかけてきた。


「そういえば、ナコはいつもここで歌を歌っているのか?」


「は、はい。」


「ふうん、最近その歌が聞えてくるようになってから、訓練場の奴らが怪我や疲れの治りが早くなったって言うんだよ。」


「え?」


「はは、面白い話だろ?でも本当らしい。たまに歌が聞えてこない時は、奴らいつもよりも疲れるし、怪我の治りも遅くなるって嘆いていたからな。かくいう俺も、歌が聞こえたときの方が調子が良い。」


アルベルトはそう言って、菜子にウインクをして見せた。

長身の、しかもイケメンの男性に覗き込まれるような形でウインクをされ、菜子はまた真っ赤になる。

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