あなたに恋した私の話

紗音。

まだ気づかない恋の話

 放課後、屋上へと続く階段に一組の男女がいた。男は少し緊張気味な顔で、女を見つめている。

 まるで青春ドラマのように、沈黙が続いていた。その沈黙を破ったのは、男の方だった。

「……別れよう」

 まるで女に何か言って欲しそうな顔で、のぞき込む。女は答えた。

「いいよ」

 そう言うと、女はさっさと階段を降りていった。男が待てと言う言葉すら聞かずに、教室へ戻った。


 私・荒巻あらまき一音かずねは教室に入ると、時計を確認した。

「やっばー!!間に合わなくなっちゃう!!」

 そう言うと、自席に置いてあったかばんを手に取り、教室を飛び出したのだ。

「あっ荒巻!!」

 私を呼び止める声に、苛立いらだちを感じつつ振り返る。先程別れたはずの元カレだ。私はため息をついて、元カレをにらみつけた。

「何??私、忙しいんだけど??」

 私の言葉に気圧けおされながらも、元カレは言葉を続けた。

「荒巻が俺のことをどう思ってるか気になって……試したんだ!!ごめん、俺……別れたくない!!」

「……試すような男、嫌いだから」

 そう言うと、私は元カレを後にして走り出した。


 全速力で自電車をぎながら、私は腕時計を見た。

「あーもう!!ギリギリ!!!!」

 夕日に照らされながら、私は弟の幼稚園へ急いで向かっている。いつもならもう少し早く着いているというのに、面倒なのにつかまったから遅れてしまったのだ。


「一音さん!!!!」

 しかるような大きな声が園内に鳴り響いた。到着してそうそう、園長先生に捕まったのだ。

「もーあなたは何回言えばわかるの!?もうこんなに大きくなったんだから、子ども達の見本となるよう安全運転しなさいって何回言えばわかるの!!??」

「すみません……」

 私はこの幼稚園の卒業生だ。さらに二番目の妹もここに通っていたので、園長先生は未だに私を忘れないし、子ども扱いをしてくる。周りの保護者に笑われてばかりで、恥ずかしいものだ。

「あーっ、いち姉!!えんちょーにおこられとるー!!」

 弟の完史かんじは担当の真由美先生にくっつきながらの登場だ。がきんちょのくせに、おませさんな可愛い弟だ。

「かぁんじぃ、いち姉怒られちゃったぉー。ぴえーん」

 私はしゃがみ込んで、完史を見ながら泣き真似をした。私の泣き真似にあわてた完史は、真由美先生から離れて私をなぐさめに来た。

 その瞬間、私は真由美先生に合図あいずを送り、真由美先生は奥に隠れた。なぜなら、完史は帰ろうとすると、真由美先生から離れたがらないからだ。だが、園長先生だけだと、何事も無かったように帰るから楽なのだ。


「すみません。遅くなりました」

 その声に、私はピクリと反応した。振り返ると、そこにはスーツ姿の男性がいるのだ。

「お仕事お疲れ様です。大丈夫ですよー。けいちゃん、呼んできますね」

 そう言うと、園長先生は奥の待合室へ入って行った。


「こんばんは!!」

「こんばんは」

 私は大きな声でけいちゃんのお父さんに挨拶した。けいちゃんのお父さんは、にこりと笑って返事してくれた。

 けいちゃんのお父さんとは、三ヶ月前に出会った。

 うっかり寝坊ねぼうしてしまい、完史を抱えて外に出るとまさかの土砂降りだった。完史にカッパを着せて全速力で幼稚園に行き、何とか間に合ったのだ。そして、学校へ行こうとしたときにけいちゃんのお父さんに声をかけられて、タオルと傘を貸してもらったのだ。

 それからは毎朝、帰りとけいちゃんのお父さんに会っては挨拶をするのが日課になっていた。


 優しくて素敵な旦那さんで、奥さんは幸せものだと近くにいた先生に話をしたことがあった。私もあんな素敵な旦那様が欲しいと言ったら、けいちゃんの両親は離婚寸前だと教えてくれた。

 育児についてめてから、夫婦仲は最悪となり、現在は別居中なのだという。

 あんな素敵な旦那さんがいるのに、何が不満なのだろうと私は思ってしまった。だが、夫婦にしかわからないことがあるので、外野がどうこう言うことではない。


「いち姉??早く帰んなくていいの??」

「へっ??」

 完史の声に我を取り戻した私は、スマホを確認した。針は十六時四十分を差していた。

「きゃー!!バイトに遅刻しちゃーう!!」

 私は完史をかついで、幼稚園の玄関を飛び出そうとした。直前で止まり、けいちゃんのお父さんへ振り返ったのだ。

「また明日!!」

「バイト頑張ってね。また明日」

 そう言うと、けいちゃんのお父さんは手を振ってくれた。私はお辞儀じぎをして、急いで自転車を漕ぎ完史を家の前に届けて、全速力でバイト先へ向かった。


「いやー、もう本当に素敵なんですよ」

 私のバイト先は焼き鳥屋だ。平日は客足が少なく、暇なことが多い。暇な時間は、片付けをしながら雑談をするのだ。そんなときはバイト先の先輩に、けいちゃんのお父さんのことを自慢じまんするのだ。

「はいはい。ってかまた彼氏と別れたの??」

「うげっ。もーその話は勘弁かんべんしてください。思いだすだけでダルい」


 私は高校に入ってから、モテるようになった。

 来る者拒こばまず、去る者追わず。そして、しがみつく者は振り払う。そんな自由気ままな高校生活を楽しんでいたら、学年の三分の一が元カレと言う状態なってしまった。

「荒巻??そんなんだといつか刺されるよ」

「えーん。だって、一緒にいれば好きになれるって思うじゃないっすか。でも、なんか違うんですよ」

 恋をするのって難しいものだ。しようと思ってもできないのだ。私はため息をつきながら片付けていた。


「いらっしゃいませー!!」

 お客様が来たようで、厨房から大きな声が聞こえてきた。私は案内をしようと、慌てて入り口まで走っていった。

「いらっしゃいませー……ってあれ??けいちゃんのお父さん??」

「あっ、……完史君の……お姉さんですよね??こんばんは」

 偶然にも、けいちゃんのお父さんがお店にやってきたのだ。いつものスーツ姿とは異なり、私服はラフで緩やかな格好をしていた。

「えっあっ、こんばんは!!今日はお一人で??」

「いや、持ち帰りをお願いしたいのですが」


「完史君のお姉さんは、焼き鳥屋さんで働いてたんですね」

「はい!!時給が良いんで」

 厨房で焼き鳥を焼いている店長が、私をジロリと睨んできた。別に求人貼ってるんだから、言ってもいいじゃないかと思う。


 それにしても、けいちゃんのお父さんは焼き鳥を焼く店長の姿をじっと見ている。

 焼き鳥を焼く姿が好きなのだろうか。それなら、私がたくさん焼き鳥を焼いてあげるというのに……そう言う話ではないのだろうか。

 けいちゃんのお父さんの横顔をじっと見つめながら、ふと気づいたことがあった。

「眼鏡……」

「えっ??」

 心の声のつもりが口に出していたようだ。

「やっ、いつも眼鏡をしてないから、新鮮だなーって!!」

「あぁっ。夜は眼鏡にしているんです」

 眼鏡に手をかけながら、笑うけいちゃんのお父さんを見ると、胸の奥がギュッと締められる感じがした。

「荒巻ー。今日はもう上がっていいよ」

 突然、後ろから先輩の声がした。振り返ると先輩がニヤニヤしながら口パクをしてきた。


 れ・い・の・お・と・こ・だ・ろ


 私は頭を縦に大きく振り、店長に挨拶をして更衣室へ向かった。急いで着替えてお店を出ると、ちょうど良いタイミングでけいちゃんのお父さんが出てきたのだ。

「あっ!!けいちゃんのお父さん!!途中まで一緒に帰りませんか??」

「はい。夜道は危険ですから、家の前まで送りますよ」

 そう言ってけいちゃんのお父さんは、にこりと笑った。こういう優しいところがとても素敵だ。


 いつからかこの笑顔にやされるようになった。見ていると、幸せな気持ちに包まれるのだ。


(ずっとこんな日が続けばいいのに)


 まだ名前のない想いがそうつぶやくのだった。

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あなたに恋した私の話 紗音。 @Shaon_Saboh

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