第3話 運命の出会い2

 男と女が別れた直後、男の耳にケモノの咆哮が聞こえて来た。


「不味いな。想定よりずっと速い。こっちは準備すらまともに出来て無いってのに。」


 男が愚痴を零す。男の想定では後5分は持つ筈だった。それでもやるべきことはやらなければと白いハンカチを広げ、爪先で何かを描くように指を滑らせる。


(…駄目だ、やはり時間が足りない。もう少し時間を稼ぐか?いやもう手持ちでは追い払うことは出来ない。せめて荷物さえあれば…)


 忙しなく指を動かし続けるが、布には円状の模様しか描かれていない。自分の荷物を取りに戻ることも考えたが、今からでは間に合わないと諦めるしか無かった。

 その時、男は背後に何者かの気配を感じた。


(さっきのケモノか?もしくは他の野生生物…)


 そんなふうに男が考えながら振り向くと、


「うぁん!!」


 小さな甲高い鳴き声を出した小さき者は、その口に咥えていた身体よりも大きな袋を地面に落とした。


「俺の荷物!持ってきてくれたのか!よく俺の場所が分かったな!」


 袋は男の物だったようだ。ありがとうと言いながらその小さな躰を撫でまわし始めた。


「これで準備は整った。後は…」



 ケモノは歩いていた。もう見えなくなった左眼から血の涙を滴らせながら。

 ケモノは歩いていた。毛皮を自らの血で赤く染めながら。

 ケモノは歩いていた。己を虚仮にしたあの人間を必ず食い千切るために。

 人への殺意を胸に抱き、ケモノは拓けた山道を抜けていくのだった。



「遅かったな。」


 森から出てきたケモノへ男は声を掛けた。ケモノはやっと見つけたとばかりに男に向かって大きく吠えた。


「そう大声出すなよ。そうだ。折角だから俺の得物、見せてやるよ。」


 そう言って男は荷物の中に手を突っ込んだ。ゆっくりと抜かれた手には何かが握られている。男は勢いよく袋を取り払った。その手に握られていたのは一本の刀だった。


「…さあ、やるか。」


 そう言って刀の先をケモノの方へ向けた。ケモノはそれを挑発と受け取ったのだろう。より思いを込めて、より高く吠えた。

 男がケモノに向かって駆けだした。愚直な突進。それに合わせてケモノが腕を振るう。しかし、その腕が男に当たることは無かった。男はケモノの腕をしゃがみ躱し、足元に滑り込み足の健を切り裂くと大きく距離を取った。余り深くは入らなかったが、ケモノが少しよろめく。

 今度はケモノから動き出した。男に向かって突進し始める。両腕のバランスが悪く、速度があまり出ていない。これでは男に当たる事は無いだろう。男は余裕を持って横へと飛び躱し、


「何!?」


 男が横に跳ねた瞬間、獣が勢いよく羽を広げる。ケモノの翼は男を射程に収めていた。


「ぐうぅ!!」


 飛び跳ね、地面に足が付いていなかった男は、避け切れずに硬い翼を腹に受けてしまう。


(不味い!掴まれた!)


 それを好機とばかりにケモノは片手で男の服を掴み、そのまま高度を上げていく。このままでは危険だと判断した男は、刀でケモノの羽と腕を刺し始めた。


「-------!!」


 翼膜は脆く、ケモノは苦しみの鳴き声を上げてバランスを崩して落ちてゆく。大きな体が地面に叩きつけられると苦悶の叫びがケモノの口から飛び出した。

 男は地面に落ちるときにケモノの体がクッションになるよう制御していた事で衝撃が多少軽減させることは出来たが、それでも男の身体に掛かった衝撃は大きかった。


(はぁ、はぁ、、、ダメージが、大きい。次で、決めないと本当に死ぬな。)


 男は立ち上がる。ケモノものそのそと起き上がり、男の方を向く。血で体が更に赤く染まっていた。

 男は右手に持っていた刀を構えると、先端が震えていた。腕の力が足りていないのだ。ケモノは男の様子からすでに脅威では無いと考えたのか男が動くのを待っているように見えた。


「はあああああ…」


 男が声を上げた。ケモノも少しだけ両腕を上げ、迎撃の体制をとる。男は持っていた刀でケモノに斬りかかる、


「やあああああ!!」


事は無く、持っていた刀をケモノに向かって投げつけた。ケモノもそれは想定外だったのだろう。反応が遅れ、右手で払おうとした時には右腕に刀が刺さっていた。

 ケモノの肉が厚く、深くは刺さらなかった。しかし、男の狙いは刀で攻撃することでは無かった。男はケモノが刀に気を取られている間に懐に潜り込んだ。左手には模様の付いた1枚のハンカチが握られている。

 男はケモノの胸に向かって左手を伸ばした。ハンカチがケモノに届く間近、男の腕がケモノの嘴で挟まれてしまった。

 身動きが取れない男をケモノは腕で殴り始める。しかし、力が余り入っていない。幸運なことに空中で斬られた箇所が腕の腱だった様で、男には然程効いていなかった。

 ケモノにもそれが分かっていたのだろう。嘴の力が急に強くなった。


(腕が、砕かれる!!)


 男は堪らず持っていたハンカチを落としてしまう。抜け出そうと顔を殴るが、男の腕力では全く効果が無かった。

 この状況では自分の魔法でも対処できないと男が諦めかけた時、突然ケモノの顔が燃え上がった。たった一秒にも満たない炎上だったが、ケモノの顔は焼け爛れ、大声を上げて苦しんでいる。その内に抜け出せた男は落としたハンカチを拾い、ケモノの腹に押し当てた。


「よしっ!!成こっ…!!」


 その時、男はケモノに吹き飛ばされ、近くの木に衝突した。火傷の痛みで半狂乱になったケモノが暴れだしたのだ。男が腹に押し当てていた無地のハンカチが地面に落ちた。

 男はもう起き上がれない程に傷ついており、木に寄りかかることしか出来なかった。

 そこに顔が焼け焦げたケモノがにじり寄って来る。自分の苦しみは目の前の人のせいだと解釈し、何としてでも息の根を止めようと近寄ってくる。


「…俺とお前の勝負はお前の勝ちだよ。俺はもう片手しか動かせない。…だけど生き残るのは俺達だ。」


 男が独り言の様に呟く。ケモノは男に向かって飛び掛かった。


「面白い事、体験させてやるよ。アル。」


 ケモノの爪が男の顔に届く瞬間、男はそう言って指を一本立てた。

 ケモノの体が空中で少し跳ねる。しかし、何事も無かったように地に足が付く。一瞬戸惑ったケモノは再び男を襲おうと腕を振り上げた。


「リア。」


 二本目の指を立てた。ケモノの胸が白く光り、先ほどよりも大きく上に跳んだ。そこそこの高さから地面に落ちたケモノだったが、苦しみ一つ無い様子。土煙の一つすら上がっていなかった。流石のケモノも不気味さを感じたのか、男と距離を取るように後ろを向いて逃げ始めた。


「…ドゥリ!」


 三本目の指を立てた。男がハンカチで触れた場所、ケモノの腹から強い光を発せられた。その瞬間、ケモノの体が上空に向かって吹き飛んだ。飛び去ったのではない。巨体が真上にそのまま移動した。

 ケモノはひどく混乱していた。今の一瞬で何があったのかと。ただ、これはチャンスだとも考えた。このまま飛んで逃げることも、あの人間に向かって突っ込むことも出来ると。そう考え、ケモノは翼を広げた。しかし、羽ばたいても羽ばたいても一向に前に進まない。そうしているうちにケモノの身体の上昇が止まった。その時だった。ケモノに向かって森から一人の鳥人が飛び立ったのは。



「…ねえアンタ、アイツを駆除するの手伝ってくれない?」

「…はあ!?何言ってんだ!?二人ともこんな傷ついた体でアイツに勝てるとでも?大体、俺はそんなことが出来るほど腕っぷしは強くない。」

「それは私がやるわ。アンタは協力するだけで良いの。」

「いやでも、」

「このままだと二人とも死ぬわよ。見たでしょアイツの飛行。」

「…分かったよ。何をしたら良い?」

「アイツを何かに拘束しておくだけで良いの。それだけで勝てるわ。」

「そんな簡単にいくか。アイツを抑え込めるほどの鎖なんか無いし、魔法だとこちらから手出し出来なくなる。」

「捕まえ方は何だって良いのよ。出来れば空がいいけど。」

「空って、アイツなら逃げるだろ。そもそも空に固定何て、、、いや、出来るかも。」

「ホントに!!ならそれでお願い。あたしはアイツが空に昇ったら…殺るから。」

「あ!おい!足引きずってるってのに何処行くんだ!まったく。…とりあえず準備しないとな。」



 男は空に向かう鳥人の女を見て数分前のやり取りを思い出していた。

 女が物凄い速さで空に昇っていく。男の魔法の上昇よりも倍近く速い。見上げた男も思わず見惚れてしまう美しい赤色の羽、髪、そして羽の先の手に持った二本の短剣。このどれもが目が痛くなる程の真紅であった。

 

「魔成素が集まって行く。それも莫大な量の!!」


 男は魔法のうねりを感じた。真紅の短剣から炎が噴き出す。炎よりも猛火ともいうべき其れは、瞬きする間もなく上空のケモノをあっさりと焼き切った。


「凄いな、、、」


 男はそれしか言えなかった。豪炎は一瞬で燃え広がると、ケモノの身体を灰と変え、数秒で燃え尽きた。

 双剣の炎が消えると、女の動きが止まってしまった。力尽きた女はそのまま地面に向かって落ちていく。このままでは女が落下死してしまうと考え、男は落ちるだろう場所に向かって這いずり進む。幸運なことに女は森には落ちず、道の上に落ちてきそうだ。男は女の元に自分の荷物を投げた。荷物は男の合図で膨らみはじめ、女を受け止めた後、萎み始めた。。


「…ありがと。」

「だいじょうぶか?」

「そっちこそ。」


 二人とも満身創痍で、弱った声で倒れたまま話した。


「…凄いな、あれ。」

「そうでしょ、もっと褒めなさい。」


 話しているうちに女があっと何か思い出したように、


「そうだ、あんたの名前教えなさいよ。」

「…ああ、俺はレ…イ、」


 そう言って男は意識を手放した。

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