第2話 運命の出会い

 風が緑を揺らす夏の日のこと、一人の男が道を歩いていた。


「今日は良い風が吹いているな。ん?何か良いことでもあるんじゃないかって?そうだと良いな。」


 大きな荷物を抱え、独り言を話す彼は、街と街を繋ぐ唯一の道を、轍に躓かないように下を見て歩いていた。

 この男、工房の町マトリエでいい買い物をしたと気分が上がり、こんな良い日は歩いて行こうと馬車にも乗らずに町を飛び出した事で、馬車で一日の旅路を三日も歩き続けている阿呆であった。

 ふと、地面を大きな影が通った。男が見上げると、遠くの方で大きな物体が二つ、争う様にしながら森の中に落ちていく。

 少しの好奇心はあったが、何かの事件が起こってしまうかもしれない、そう思うと彼の正義感が心の中で膨れ上がっていく。道の端に荷物を置き、何かが落ちた方向に向かった。

 枝を掻き分けながら森の中を進んで行くと、次第に何かがぶつかる様な鈍い音が聞こえてきた。

 落下地点と思われる場所に到着した男が見たのは、森の中とは思えないほどの拓けた空間だった。


「何だ?頑丈なエスト杉が無理矢理に折られている。魔法の跡は無さそうだな…と言う事は腕づくで?そんなことが出来るのはブルートベアーくらいだが、この辺りに生息していない筈。」


 その空間は森の一角。辺りの木が根こそぎ薙ぎ倒され、何者の大きな爪痕が残る木々が散乱していることで出来ているものだった。男は倒れている木を触れて確かめたが、腐って折れた様子ではなかった。


「ん?ここだけ焦げてる。」


 男は倒れた木々に焦げた跡を見つけた。木の一部分だけが炭と成り果てている。きっと強力な炎で焼かれたのだろう。


「燃え移っていないということは炎魔法なんだろうが、こんな火力は出せないだろう。」


 男が目の前の木を見てそんなことを呟いている内に、何時の間にか木が折れる音が聞こえ無くなっており、辺りに静寂が流れていた。

 男は倒木を避けながら音のしていた方向に近づいて行った。

 周りの倒木の焦げが薄くなった頃、


「なんだ、あれ。」


男は少し先に巨大なケモノを見た。

 ケモノは二足で立ち、しきりに顔を動かしている。男は近くの倒木に身を隠し、息を殺して相手の様子を窺った。


(かなり大きい。俺の3倍程はあるな。背中しか見えないが、ベアー種に似ている、が…あんな大きい腕を持った種が居ただろうか。)


 ケモノは硬い毛皮を巨大な体表に纏い、自分の身体程もある不釣り合いの両腕を持っていた。男は自分の持つ野生生物の知識を使って考えたが、眼前の生物が何かは分からなかった。それでは慎重に行動を決めなければならず、相手が動かない以上未だ動けないでいた。


(そう言えば、何故暴れるのをやめたんだ?もう一体居たはずだが何処に?)


 二つの影を見たことを思い出し、男は周りを見渡すがケモノの周りには何も居ない。奥には森が続くばかりだった。

 男が考え込んでいると、ケモノがついに動き出した。ケモノは目の前の木に向かってゆっくりと歩いていく。その時だった。


「来るなっ!」


 若い女の声がした。恐らく、男からは見えない木の足元に居たのだろう。

 それではケモノが女に襲い掛かるまで後数秒も無い筈だ。男の身体は考える前に近くに落ちていた木片を獣に向かって投げつけた。


「ッ------!」


 木片の当たったケモノは男の方に顔を向け、その巨体に見合わない程甲高い声を上げた。

 ケモノの顔は全身が毛に覆われた熊のような後ろ姿とは裏腹に大きく鋭い嘴が存在していた。顔だけ見れば鳥のようだったが、熊のような体と土竜のような巨大な腕を持つちぐはぐさが男に不安感をもたらした。

 ケモノは男に向き直った。腹には爬虫類のような甲殻も見える。ケモノは標的を変えたのか男に向かってゆっくりと歩きだした。


(良かった。俺を狙い始めたか。あの速度なら俺でも対処できるが、、、なんだあの見た目は。全身のパーツが不釣り合いだ。腕も嘴もあの体躯が持つにはあまりに大きすぎる。まるで誰かが無理矢理、、、)

「------!」


 男が思考を凝らそうとしたその時、ケモノの動きが勢いを増し、前方に向かって転がり込んだ。男は間一髪で横に避けたが、ケモノが飛ばした細かい木片が体に突き刺さった。

 ケモノは胴体が細かい傷だらけになり、毛皮が自らの血で塗れようとも何事も無かったかの様に起き上がり、再び男に向き直る。男が立ち上がり後ずさると、ケモノはゆっくりと前に進み始めた。


(頑丈さはベアー種か…せめて今の内に彼女が逃げてくれれば良いんだが…)


 男は倒れている女の方を見た。赤毛が目立つその女は木に体を預けて動かない。恐らく気絶しているようだ。ケモノを少しでも彼女から遠ざけようと男はその場を離れるように走り、大きく距離を取った。

 しかし、ケモノが男を無視し、女を喰らおうと再び振り返った。すると、背後から飛んできた木片がケモノの後頭部に当たって地面へと落ちる。ケモノが男の方を見ると、男は倒木の上に立っていた。


「おい、どこ見てんだよ。お前の相手は俺だろ?雑魚!」


 ニヤリと笑いながら男は手に持っていた木片を投げつけた。ケモノにとってその程度の攻撃は気にする必要も無かった。しかし、男の投げた木片はケモノの皮で弾かれた後、透明な光を放ちながら軌道を変えてケモノの右眼に突き刺さった。


「ッ------!!!」


 ケモノは堪らず吠えた。流石の巨体でも眼球への攻撃は堪えたようだ。ケモノは前方に倒れこみ、悶え苦しんでいる。ケモノが残った左目で男の方を見ると、先ほどより更に離れた位置でケモノの方を見ていた。


「お前、俺を無視しただろ。舐めんじゃねえよ!!」


 そう言いながら放たれた木片は、再度ケモノの皮によって弾かれた。先ほど同様光を放ち、軌道を変え左眼球に迫る木片を、ケモノはあっさりとその巨大な左手で握りつぶした。


「あ、あれ?」


 戸惑う男を他所に、ケモノはじわじわと立ち上がり始めていた。


「ず、随分と器用なんだな。」


 ケモノは立ち上がり、左目で男をじっと見つめていた。その目には明らかに怒気が宿っており、今すぐにでも食いちぎると言わんばかりの殺気を全身から発していた。


「やべ。」

 

 危機を感じた男は急いでその場を離れて森に入っていった。

 ケモノの追いかけてくる音が聞こえない。誘導に失敗したのかと男が思った時、背後から凄まじい勢いで硬いものを粉砕する音が聞こえてきた。


「--------!!!」


 ケモノの咆哮が鳴り響いた。誘導が成功したと悟り、走りながら背後を確認する男。


「はあ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。後ろにいるのは間違いなく先ほどのケモノなのだが、先ほどまでは絶対に存在していなかった筈の一対の翼が背中から姿を現していた。ケモノは空中を飛びながら体に刺さる木片をもろともせずに、男に向かって突っ込んで来るのだった。

 男は急いで横に避けようとしたが、思ったよりも距離が近づいてしまっており、ケモノの身体に掠り弾き飛ばされてしまった。


「ぐっ、うぅ!」


 近くの木に打ち付けられた男は這いずりながら逃げようとする。しかし、すぐ後方にはケモノが迫っていた。男は観念したようにケモノの方を向き、話し始めた。


「はあ、今のやつをあの娘にもやった訳か。早く助けに行ってやりたいんだ。見逃してくれないか?」


 ケモノがにじり寄って来る。


「駄目か。なら仕方ない。」


 自分に迫りくるケモノに向かって懐から取り出した物を突き付けた。それは小さなペンの様な物体だった。


「これは俺のとっておきの魔道具だ。こいつを使ってお前と刺し違えてもいいんだぞ?」


 ケモノは何か分からないものを向けられても臆せず距離を詰め始める。


「だよなぁ。そもそも話も通じて無いだろうしな。…でも警戒しないのは違うだろ?さっき言ったよな、舐めるなってよ!!」


 男が叫んだ瞬間、男の服の胸元が白い光を放った。それに反応し、ケモノが襲い掛かる。

 ケモノの爪が男の喉元に届こうとする瞬間、その場から男の姿が消え去った。もしもその場に他の人間が居たらそう言うしかない光景だっただろう。しかし、ケモノの左目は見ていた。男の身体が目にも止まらぬ速さで後ろに向かって吹き飛んだのを。

 男は森の中を飛んでいた。後ろ向きで突き進むその姿は余りに現実離れした光景だった。男の身体は速度が出て、且つ前方を確認していないとは思えない程、滑らかな動きで森の木を避けて行く。


「これと…これ。そっちにも。」


 男は速度が出たままペンの様な道具で幾つかの木にマーキングをしていった。道具が触れた木の肌に透明な模様が刻まれていく。

 二百メートル程進んだ頃だろうか。次第に男の速度が落ちていき、木にぶつかった。着地が上手く行かず地面に落ちる。


「はぁ、やっぱりこの魔法は上手くいかないか。とは言え、後はアイツを信じるだけだな。」


 持っていた道具をそこら辺に捨て、荒い息を整えながら男は何かを待ち始めた。そうして待つこと数秒、先程通ってきた森の方から鉄板を叩いたような揺れ響く音が鳴った。


「掛かった!」


 男は音が鳴った方向に向かって走りだした。

 森を進んでいくと、既に見慣れた巨体が空中で藻掻いていた。木に付いたマーキング跡からケモノを囲むように半透明の壁が伸びている。ケモノはその壁を壊そうと暴れるが、ただ硬い音が鳴るだけだった。


「お前みたいなバカなら簡単に引っかかると思ったよ。じゃあな、二時間程大人しくしてろよ。」


 そう吐き捨てて男は元々いた方向、拓けた空間へと走っていく。

 しかし、余裕のあった捨て台詞とは裏腹に男は内心焦っていた。


(思ったよりも檻の消耗が激しかった。あれじゃ三十分も持たないぞ。手は打ちたいが…まずは、)


 魔法の檻が壊されるまで時間が無い。それを察していた男は、ケモノが再び解き放たれる前に出来ることをするつもりだった。取り合えず男は女の救助を優先しようと意識の無い女の元へ辿り着いた。


「大丈夫か?…生きてはいるがまだ意識が無いな。ん?これは…羽?」


 女の意識を確認した男は、女の腕に羽の様な物体が付いていたのを見た。


「取り合えずアイツの所に連れて行った方がいいか。」


 男は女を背負い、元々自分が歩いていた馬車道の方に向かって進みだした。

 男は自分も手負いの状態で人一人抱えている為、進む速度はすこぶる遅かった。息を荒くさせながらも前に進もうとする男の背中から小さな声が聞こえた。


「…うぅ。」


 女が目覚めた。

 

「!大丈夫か!?」

「…さっきの奴は?近くには居ないの?」


 心配する男を他所に、女はケモノが近くに居ないか心配をしている。


「心配ない。少し遠くに捕まえてある。それより、君だけでも先に」

「…そう。…ねえアンタ………」

「はあ!?…いやでも……分かったよ。何をしたらいい?」


 戸惑いながらも、男は女と小声で話し合いながら森を抜けていった。

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