【ずっと愛してる】
「え~……まず最初に、今日はみんなお疲れ様でした~。一番最後の演目まで、こんなに多くの人が残ってくれていることに、感謝感激です。歌に入らせてもらう前に、ちょっとだけ自分の話をさせてください。こんなことを言うと驚かれるかもしれませんが、実のところ俺は、自分の気持ちをストレートに表現するのが、ちょっと苦手」
徹が舌を出すと、小さく笑いが起きた。
「そこで、思いの丈を歌で表現しようと考えた結果、このステージに立ちました。気持ちを伝えたい相手、それは、同じクラスにいる友人二人です。そのうちの一人、彼女と最初に出会ったのは、丁度二年前のことでした。そいつの第一印象は、はっきり言って最悪。全然喋んないし、目も合わせてこないし、笑顔すら殆ど見たことなかった。たぶんクラスのみんなが、内心変な奴って思ってたんじゃないかな?」
水瀬が、ごくっと喉を鳴らす音が聞こえてくる。
「でもね、俺は知ってました。一見すると冷たい印象を周囲に与える彼女でしたが、性根はまっすぐで、心はとても暖かいんだってことを。まあ、俺は根性なんて全然ないんで、たまに悪口を言われて俯いている彼女を、遠巻きに見ているだけだったんですが。でも、彼女のことを信じて──ずっと手を差し伸べ続ける友人がいました。彼の気持ちは、ちょっとずつではあったけれど、彼女の心に届き始めました。学校祭の制作活動を通じて、みんなで作業を進めていくうちに、彼女は確実に変わり始めたんです。よく笑うようになりました。よく話すようになりました。二人の姿と変化を見ながら、真っすぐ気持ちを伝え続けることの大切さを、俺は学んだんです。これからも二人で手を取り合って、歩んでいって欲しいなと、俺は願っています。……おほん、ちょっと話が長くなりました。え~とそれでは、俺から友人二人に、この曲を贈りたいと思います」
隣の水瀬に目を向けると、もはや堪えきれず彼女は泣いていた。
「それでは聞いてください。一曲目、『ずっと君を愛している』」
『──夏の終わり 月が見えるあの夜の丘で、君と二人将来の夢を語り合ったね 十年後の夏も またこの場所で会おうと交わした二人だけの約束……』
それは、派手な身なりの徹とは対照的に、しっとりと歌い上げる有名なバラードの曲。
季節は夏の終わり。ひとつ季節が終わりを迎えるのと同時に、君と僕の物語も大きな区切りの時を迎えようとしていた。
今まで当たり前のように同じ通学路を通り、同じ教室で過ごし、同じ時間を共有してきた君。けれど、今から進む道は、君とは別の道だったのです。
将来の夢を話し合ったり、大きな夢を分かち合った君との別れ。寂しい気持ちを押し殺し、再会の日を夢見る。出会いから別れまでを綴る、そんな感じの曲だった。
会場がしっとりとした空気に包まれていく中、どこからともなく手拍子が始まる。
ありがとう、徹。
まさかこんなサプライズを用意してくれているとは思ってもいなかった。水瀬と一緒に歩んでいってほしい、なんて言いながら、切ない曲を選ぶあたりがちょっとズレてるお前らしいけど本当に嬉しいよ。本音をいえば僕だって、水瀬と一緒にこの先の道を歩いていきたい。
でも、ダメなんだ。
僕たち二人の間に存在している壁は、あまりにも高くて大きいんだ。
僅かに視界が滲み始める中、水瀬の頭がちょこんと僕の肩に載った。僅かな重みが左側に加わる。
「水瀬?」
「少しだけ、このままにしててもいい?」
「ああ、もちろん」
思えば、色んなことがあったね。
君が転校してきたあの日。隣の席同士になったというなんでもない──けれど、衝撃的な出会いから全ての物語が始まった。
親密になり始めた頃合に、僕たちを引き裂いた陰湿なイジメ。
クラスも、部活動も、バラバラになってしまった中学入学後の一年間。
揃ってクラスアート実行委員になり、距離が縮み始めた今年、突然君を襲った不幸。蘇った過去のトラウマ。
極めつけは、血縁の壁と、これから二人の間に立ちはだかるであろう距離。
宮崎から福岡まで約二百九十キロメートル。車で移動しても四時間弱も掛かる。
いまだ中学生でしかない僕らにしてみれば、それは数字以上に途方もない距離で。同時に、到底、埋めることなど叶わない距離で。
来週の土曜日。早朝の電車で水瀬は福岡に旅立つ。
亡くなった実の父親が残した遺産。二人目の父親から支払われた慰謝料。それらを食いつぶすことで、表向きそこまで困窮して見えてなかった水瀬家の生活だが、やはり相応に苦しくなっていたのだという。車を売却し、公営住宅も引き払い、母親の実家がある福岡に引っ越すことが突然決まったのだ。
今にして思えば、あの粗野な男が出入りしなくなったのも、後々予定されていた引っ越しのせいだったのかもしれない。けど、そんな理由ではなく、母親が水瀬としっかり向き合ってくれた結果だと僕は信じたい。僕たちが起こした奇跡によって、母親が涙を流してくれたことが後押しになってくれればと、それだけを願う。
水瀬が引っ越しをするという事実を知っているのは、今のところ学校と僕だけ。木下にすら、まだ伝えていないのだという。
仲間内で僕にだけ伝えてくれた事実を、いったいどう受け止めたらいい?
「……ねえ早坂君。お願いがあるの」
その時、囁くような水瀬の声が差し込まれる。
「うん」
「あたしのこと、幸せにして欲しい」
「え?」
突然のことに驚き訊ね返すと、水瀬は「ごめん」とひそめた声で言う。彼女の頭は相変わらず僕の肩の上にあり、どんな表情をしているのかも窺い知れない。
「本当はもう、十分に幸せなの。でも、あたしは我が儘だから、まだまだ望む。もっと、あたしを幸せにして欲しい」
次第に震え始める、水瀬の声音。
「福岡に行ってしまったら、きっともう早坂君には会えなくなる。だから本当のことを言うと、行きたくなんかない。でもそれは、決して許されないことだから」
「大丈夫」
それだけを、やっとの思いで口にした。
「水瀬のことは、必ず僕が幸せにする。この先何年掛かるか、今はまだ見当もつかないけれど、二人の出会いはきっと運命なんだから」
言いながら、自嘲しそうになる。
本当に、運命なんだ。僕らが切っても切れない絆で結ばれているであろうことも、彼女が母親の心に傷を負わせた男の娘であることも、それらは全て等しく運命なんだ。なんという、皮肉な運命の悪戯なんだろう。なあ──神様。あんた、本当に意地悪だよな。
運命に翻弄される二人。たとえ僕たちに選択の余地がなかったとしても、このまま離れ離れになるべきではないんだ。絶対に。
「ねえ、茉莉」
だから僕は、初めて彼女を下の名前で呼んだ。
「な、なに?」
動揺したのか僅かに身を震わせた後、水瀬がそっと顔を上げる。二人の瞳が正面からかち合った。
この段階に至っても、水瀬は自分の気持ちをはっきりと言葉で伝えてくれない。だから少しだけ、僕の方から意地悪をしてやろうと思った。
「キス、してもいいかな」
「今、ここで? ダメに決まってるじゃない! みんなが見てるのに恥ずかしいよ…………」
その言い方じゃ、二人きりならいいって聞こえるぞ。露骨にうろたえた水瀬の反応に、もう一押しだと確信した。
「見られてても構わない。だって、茉莉とキスしたいから」
追い撃ちとばかりにもう一度名前で呼ぶと、水瀬の顔はいよいよ耳たぶまで真っ赤になった。「ダメだよ」と口では否定するものの、彼女の瞳は逸らされない。澄んだ瞳のその奥に、僕の姿だけが映って見えた。
「ねえ……あたしのこと、からかってるんでしょ?」
「そうかもね。でも、今はキスしたい」
「意地悪なんだから……」
もう、しょうがないな……と観念したように水瀬は溜め息をつくと、軽く顎を上げて目を閉じた。
「ちょっとだけ、だからね……」
了承の声が聞こえてくるのと同時に唇を重ねた。ん~~~! という抗議の呻きが聞こえてきたが、それもやがて大人しくなった。
背中に回されてきた水瀬の指先が、ワイシャツの生地をぎゅっと握る。僕も彼女の背中に手を回すと、長い髪の毛を梳くように撫でた。指の隙間から、サラサラと髪の毛が抜けていく感触。
炎が爆ぜるパチパチという音。
交わされる談笑。
楽し気な歌い声。
様々な喧騒で満たされている中、弾んでいく彼女の吐息が、強くなる心音と一緒に伝わってくる。周囲の視線が集まっているのを背中で感じていたが、そんなことは、どうでも良かった。
ふっくらとした水瀬の唇が僕の舌先を優しく包みこむと、二人の呼吸が、交わし合う体温がごく自然に融合していくようだった。彼女の指先が僕の背中から腰の辺りまでを慈しむように撫でる。
まるで、母親に抱きしめられているような安心感。
暫くして唇を離すと、正面から水瀬と向き合った。
「大好き」
囁くような、水瀬の声が聞こえる。
それは、待ち望んでいたはずの甘い告白なのに、僕の心は先ほどから波立ったままだ。
君が本当に僕の妹であったとしても。
この先決して結ばれない運命であったとしても。
真実を隠したまま、君のことを好きでい続けてもいいだろうか?
だから、僕は今、決意とともに自分の想いを言葉に乗せる。
「君のことが、ずっと前から好きでした」──と。
次の瞬間、水瀬の瞳から堪えきれなくなった涙が一筋伝う。
『改札をくぐる僕と君 繋いだ手と手 笑って見送るつもりだったのに、それはあまりにも突然の転校で──』
彼女は、本当に弱くて困った奴だった。
ずっと僕を振り回し続けて、困らせてきた。きっとこれから先も、たとえ遠い空の下、離れ離れになったとしても。たびある毎に、僕の頭を悩まし続けるのだろう。
それでも、僕の心は晴々としていた。
なぜならそこに、笑顔を見せる君がいるから。
瞳を潤ませ、それでも必死に笑って見せる君がいるから。
だから僕は、最後にこれだけを胸の内で誓う。
例えこの先、どんな困難が僕たちの前に立ちはだかったとしても。途方もない人生と、漠然とした時間が横たわっていたとしても、それでも僕は、変わることなく――水瀬茉莉の事だけをずっと愛し続けると。
「茉莉、大好きだ」
もう一度僕が囁くと。
「これから、宜しくお願いします」
と泣きながら彼女が答える。
突然吹いた夜風が彼女の髪を優しく揺らす。
ようやく恋人同士になれたはずなのに──そのはずなのに、漂ってきたシャンプーの甘い香りに、ずっと堪えてきた感情がこみ上げてくる。
『ずっと愛している……。そんな二人だけの約束……』
曲の終わりと同時に声を張り上げた、徹のマイクパフォーマンスにどっと笑いが巻き起こる。
歓声に沸く校庭の中、僕と水瀬だけが泣いていた。
◇◇◇
日本国憲法第二十四条では『婚姻は、両性の合意のみに基いて成立』とあり、近親者間の性交、また、事実婚自体を法律上禁止しておらず阻害もされない。しかし、日本国憲法第二十四条に基づき制定される法令により、近親者間の婚姻──
近親者である事実を知らず婚姻関係が成立し、その後で認知等で近親者である事実が判明した場合、婚姻の無効原因となる。無効主張をすることができる者は各当事者・親族・検察官である。
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