第二章:新しい季節

【新しい季節】

 空は雲ひとつない快晴だった。それでいて空の青はうっすらと陰り、まるで視認できない衣が、傘となって広がっているよう。柔らかい日の光は大気の中をちりの如く降り、ゆったりと僕の肩や頭に積もり熱となる。


 月日はあれから、瞬く間に一年流れた。

 温暖な気候である宮崎県では雪なんてまず降らない。ただ肌寒いだけの冬を乗り越え、今年もまた春を迎えていた。

 新しい季節の到来を告げる桜の花びらが静かに舞う中、僕が中学校の生徒用玄関に到着すると、玄関を入って奥側の壁に、新しいクラス表が貼り出されていた。

 ──二年B組か。

 自分のクラスを確認しながら、鬱々と考える。

 今日から僕も二年生。振り返ってみると、中学校に進学してからの一年は、本当に碌なことがなかった。


 徹や稔とも別々のクラスになった一年目。そうして始まった僕の中学校生活は、ただ自堕落に時間を浪費するだけの、平々凡々へいへいぼんぼんとした毎日だった。

 元々積極的な性格じゃない僕。女子との交流が限定的なのは当然として、男子でも新しい友だちはできてなかった。クラスには、事務的な会話を繰り返す、浅い付き合いの相手しかいなかった。

 接点を失えば、あっという間に疎遠になる。そんな感じの。

 部活動は、バドミントンを選択した。

 優雅な羽根つきをイメージし、軽い気持ちで入部した僕は、早々に音をあげる事になる。実のところバドミントンというのは案外ハードで、足腰に負担の大きいスポーツである。最初の半年間は、体力造りに専念するべく地道な練習メニューを黙々とこなした。

 おかげで、小学校時代より格段に体力はついたものの、自分にバドミントンの才能が乏しいことには間も無く気がつく。団体戦のメンバーに選ばれることなど勿論なくて、公式戦の戦績も二敗。内訳は、シングルスとダブルスで各々一敗ずつ。自分一人の責任で済むシングルスなら気も楽だが、ダブルスの方は連帯責任なのでやはりパートナーに申し訳ないという気持ちが残る。課題は正直山積だが、それでも辞めるつもりは今のところ無い。かといって上達する見込みも薄く、まさに、惰性で続けているという言葉がしっくりくる状況。

 やはりクラスが別になっていた水瀬茉莉みなせまつりは、美術部に所属していた。彼女に運動部というイメージは無かったので、別段驚きはなかった。

 ある日の放課後、同じ美術部に所属していた稔に、『最近の水瀬はどう?』と尋ねてみた。彼はやはり興味など微塵もなさそうに、『特に変わりない』と、だけ簡潔に答えた。

 だが、そんな稔いわく。

『ただし、絵はめちゃくちゃ上手い』

 らしい。

『へえ……』

 これには感嘆の声が漏れた。

 稔は普段からお世辞を言うタイプじゃない。だから、彼が素直に賛辞をのべたことに驚くと同時に、水瀬の実力は折り紙つきなのだろうな、と確信した。この段階では──彼女の絵を直接見たことが、なかったとしても。

 もしかすると稔は、水瀬の文化面での才能、というか努力家である一面を、いち早く見抜いていたのかもしれない。それが兼ねてより、彼の嫉妬や苛立ちに繋がっていた。なんていうのは、流石に妄想がすぎるだろうか。

 ふふ、と僕が含み笑いをすると、なんだよ、と稔が秒で反応した。

『いや、なんでも』


 クラスも違うし部活動も違う。たまにすれ違うのは廊下だけ。僕たちの関係がぎくしゃくし始めたあの日から一年以上を費やしてなお、水瀬との距離感はまったく縮まっていなかった。


「はあ……」


 意識が現実に戻って来たとたん、大きな溜め息が漏れた。唯一仲良くなれそうだと手ごたえを感じた女の子と疎遠になっている事実に、僕は存外にも傷ついているらしい。


「新学期早々、なーに溜め息なんかついてるんだ! 幸せが逃げちゃうだろーが」


 そう言って背中から抱きついてきたのは徹。


「突然抱きつくな、驚くだろ!」

「まったくです。縁起でもありません。これから三人は、嫌でも一年間一緒のクラスなんですから? 辛気臭いのは勘弁してほしいものですね」


 眼鏡の真ん中をくい上げしながら、続けて稔も姿を現す。


「お前、いつの間に眼鏡なんて……」


 僕が驚くのも無理はないだろう。稔が眼鏡を掛けている姿なんて、今日初めて見るのだから。

 目を丸くしていると、「僕は翔と違って、勉学に勤しんでいますからね」と、いつものように稔は皮肉で返してきた。


「相変わらずだな」


 変わることのない二人の姿に、思わず笑ってしまう。笑ってから、文脈に違和感を感じて気がついた。


「え、僕たちって、全員同じクラスなの?」

「翔。君が見上げているそれは、クラス表ではないのですか?」


 やれやれ、とばかりに稔が嘆息した。

 本当に? と思いながら二年B組のクラス表に再び目を戻すと、間違いなく『日高徹ひだかとおる』と『高藤稔たかふじみのる』の名前があった。


「本当だ」

「本気で今気づいたのか」


 呆れたような稔の声。


「誰か、クラスに可愛い女子いないかな~」


 そんな僕たちの会話を他所に、徹はクラス表に視線を走らせていた。彼いわく、女子生徒の名前を見ただけで、頭の中に女の子の顔とプロフィールがアウトプットされてくるらしい。いったい何を考えているのやら、口元を綻ばせたり眉をひそめたりと忙しない。相も変わらずよくモテる徹であったが、そのわりに、未だ彼女ができたことがない。果たしてどんな美少女だったら、彼のお眼鏡にかなうのだろうか。


「贅沢な奴だ」

「なんか言ったか?」

「お前にゃあ、一生理解できない悩み」

「そっか。じゃあ、考えないことにする」

「ところでさ、徹。お前の、その女の子をいやらしい目で見る癖、止めた方がいいと思うぞ」

「すまん」

「それから、その女の子の方に向けている労力を、ちっとは勉強の方にも向けたらいいのに」

「それは無理」


 無理なのか。ここまでくるといっそ清々しい。

 その時、視線を左右に走らせ続けていた徹の動きがピタっと止まる。クラス表の一点に視線を注いだまま、なあ、と誰に言うでもなく呟いた。


「なんだよ」


 徹に釣られてもう一度クラス表を見上げ、そこに見知った名前があるのを見つけて、彼と同じように息を呑んだ。


「みなせ、まつり」


 意識の外側から声が漏れた。

 こうして、僕と徹と稔と、そして、水瀬茉莉。小学六年生の時と同じメンバーが、約一年振りに顔を揃えることになる。


 ──波乱の、予感がしていた。

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