【水瀬茉莉(みなせまつり)】

 転校生が来た日から、一週間が経過していた。

 昼休みになると、僕と徹と高藤稔たかふじみのるの三人は、学校の屋上に集結していた。

 季節は八月の後半。まだまだ夏真っ盛り。頭の上に広がっているのは、雲ひとつない青空だ。燦々と降り注ぐ日光が、コンクリート製の床を容赦なく焼き焦がしていた。

 床の上に、顔を突き合わせて座っているのは僕と徹。二人の間に整然と並べられているのは、紙製のトレーディングカード。扇状に広げて持ったカードの隙間から対面の顔を睨み、頬を伝い落ちる汗を拭いつつ早くしろよと徹を促す。

 真横にいる稔が固唾を飲んで見守る中、ようやく徹が動く。こいつ長考しやがってくそ暑いんだよ。


「そういやさ。翔はドロクエどこまでいった?」


 カードを床に置きながら、徹がぼそっと呟いた。


「んー、まだラストダンジョン手前のセーブポイント。もっとレベル上げてから突入だ……って、それ、カウンターするね」


 ゲームの話で気を逸らそうとしても無駄なんだよ。今しがた徹が置いたカードを指差して宣言すると、「うふん」と奇妙な呻きを上げて、徹が首を傾げた。


「慎重派だもんな、翔は。俺みたいに、ダメもとで突っこんじゃえばいいのに」

「ヤダよ」

「で、稔は?」

「僕はシューティングしかやんないの。徹だって知ってるだろ」

「あーそうだっけか。お前やっぱ変わってるよ」


 気のない返事で稔の言葉を流すと、指先で顎のあたりくいっと擦り、徹は別のカードを床に置いた。


「……この手は通る?」

「どうぞ」と今度は了承しておいた。「それでターン終了? じゃあそのタイミングで、このスペルカードを使うね」


 いいながら、一枚のカードを出して見せる。


「くっそ……なんだよ。相変わらず嫌らしい」


 こんな感じに、天候の良い日の昼休みは、屋上でカードゲームに興じるのが僕ら三人のささやかな楽しみだった。

 僕たちがプレイしているのは、海外から入ってきたカードゲーム。二人のプレイヤーが交互に手番を実行することでゲームが進行し、モンスターカードによる攻撃か、呪文(スペル)カードを駆使して相手のライフを削っていく。そうして、相手のライフを先にゼロにしたプレイヤーが勝利する、というルールだった。

 徹が好んで使うのは、コストの軽いモンスターカードを複数展開し、速攻でライフを削り取るデッキ。一方で僕が使うのは、相手の行動を妨害しながら、じっくりと機をうかがうタイプのもの。長期戦に持ちこむことさえできれば、概ね僕の勝ちとなる。


「あ~あ、負けた負けた!」


 散々打つ手を妨害され手札が枯渇した徹は、諦めたように天を仰いだ。


「やっぱさ、翔のデッキとは相性良くないぜ!」


 納得できんと不貞腐れ、僕の視界から退場していく徹。彼と入れ違いで、稔が対面に胡坐あぐらをかいて座った。

 とたんに手持ち無沙汰になった徹が、捲し立てるように話し始める。


「水瀬茉莉。年齢は十一歳。誕生日は二月十三日。まあ、そんなわけで、今んところ俺の一個年下な」


 安っぽい優越感でも抱いたのか、ふふん、と徹が胸を張る。そっか、早生まれなら僕より下だ、と思いつつ「同級生なんだし、上も下もないと思うが」と突っこんでおいた。


「横からごちゃごちゃうるさいな、気が散るだろう。負けて不満なのもわかるが、茶々を入れてくるな」


 いささか過剰では、と思えるほど丹念にカードを切りながら、稔が不満をぶちまける。

 そんな稔の苦情もどこ吹く風。さらに徹が続けた。


「母親、まだ二十九歳なんだってよ。やべー若くね? うちのかーちゃんなんて、もうすぐ四十だぜ? 見た目老けてっから、むしろそれ以上に見えっけど」

「その話、あとでお前の母ちゃんにチクっとくわ」

「ごめんなさい。それだけは勘弁して殺される」


 そもそもの話。おめーのかーちゃんになんて興味ない。稔の攻め手を凝視しながら、適当に相槌をうっておく。


「かーちゃんに聞いた話だと、すんげー美人らしい。駅前のスーパーでアルバイト勤務してるとかで、この間見たんだって。水瀬んは学校から少し離れた場所にあるこーへーじゅーたく。でも、外車持ってるみたいだから、案外金持ちなのかも?」

「それを言うなら、公営住宅な」


 稔の冷静な突っ込みがはいる。


「そう、それそれ。こーへーじゅーたく」

「全然わかってねーじゃん……」

「徹、お前もしかして、水瀬のこと好きなの? ──あ、それダメ。カウンターするね」


 僕が目を逸らした隙をついた、稔の一手を妨害すると、ぐぬぬ、という呻きが聞こえてくる。


「はあッ!? ちげーし。でもさあ、相手はなんたって美少女転校生だかんな。一応調べておいて損はないだろ。俺の情報網を舐めるなよ?」

「ふーん。それなら僕に相談してくれればどうにかするのに」

「だから違うって言ってんだろ!」


 茶化すような稔の声を、顔を真っ赤にして徹が否定した。

 だが、徹の情報網は、実際バカにならない。可愛い女子生徒の情報をびっしり手帳に書き連ねるほど、熱心に調べ上げているのだから。そのくらい勉強も頑張ればいいのに、と手帳のページを捲っている徹を見ながら余計なことを思う。

 もっとも、僕にはよく理解できない感情だが。


「ま……それは冗談だけど。言うほど美人か? 水瀬って。なんとなーく表情が暗いっていうかさ。全然笑わないじゃんアイツ」


 敗色濃厚となり匙をなげた稔が、カードを片付けながら口を挟んできた。


「うん、確かにな」


 お前だって明るい方じゃないじゃん、という皮肉を飲み込んで同意しておいた。頭は切れるけれど、理屈屋で融通のきかない稔は、実際クラスでも目立たない方だ。


 無口で、ちょっと奇妙な美少女転校生、水瀬茉莉。誰もが息を呑むその整った容姿で、当初注目を集めた彼女だったが、ここまでのクラスでの評価は……おそらく最悪。

 最初は、みんな物珍しさから水瀬に声をかけていた。女子は嫉妬をはらんだ好奇心の目を向け。一方で男子は、ほんのりとした憧れやら好意を抱いて。

 しかし、水瀬の反応は一貫して薄かった。

 聞かれた内容に対して短文で答えるか、若しくは相槌を打つのが精々で、まったく会話が弾まない。男子の中でも、特に下心をあらわにしていた何人かが粘り強く話しかけていたが、ついぞ彼女が落とした視線をあげることはなかった。

 つまるところ、転校初日に水瀬が見せた違和感こそが、彼女の評価が地に落ちた理由の全て。


『話をしてもつまんない奴』


 そんな烙印を女子らの中心人物に押されると、水瀬がクラスで孤立するまで時間はかかんなかった。

 しかも、当の水瀬本人に、関係を修復しようという意思が見えないのだから、なんとも困りもの。それもやむなし、というそんな話。

 唯一顔が見える女の子であるよしみとして、同調してあげたいのもやまやまなのだが、そんな僕でも水瀬の行動を不快に思ったことがある。

 それは、教科書がまだ全て揃っていない水瀬のために、隣の席だった僕が机を寄せて授業を受けた日のこと。

 教科書のページを捲ろうとしたぼくの手と、水瀬の手が偶然こつんとぶつかった。それは、手の甲同士が軽く接触しただけの他愛もないものだったが、女の子の手に触ったことなんてない僕は、感触の柔らかさに驚いて手を引っ込めた。

 ところが水瀬は、僕以上に過剰なリアクションを示した。

 怯えたように素早く手を引くと、触れた手をもう一方の手で包み込んだ。それから、じっとこちらを横目で睨んだ。


『ごめん』と反射的に謝った。


 意図せず触れてしまったのは、僕だって悪いとそりゃあ思った。とはいえ、そこまで嫌がることはないんじゃないの?

 それはまるで、汚らしいものに触れた時のような反応で。女の子の塩対応に慣れている僕でも少々傷ついた。

 僕がなにかしたのかよ、と。

 水瀬茉莉は、学習態度こそ確かにマジメだ。だが一方で、授業中は物憂げな顔で黒板だけを見つめ、昼休みは一人で黙々と給食を食べて、誰とも会話することなく帰りのホームルームが終わると一人で下校する。――そんな感じの、美少女へんなやつだった。


 やれやれ、とこれ見よがしに肩をすくめてみせる。

 あるいは、余計なお節介かもしれない。けど、このままの状況が続くと、水瀬茉莉が陰湿な虐めのターゲットになるのは時間の問題。特に女子たちの視点で見れば、『美人である』という彼女の容姿は、むしろ妬み嫉みを集める要因でしかない。そんな感じの諸々が、ここ数日僕の頭を支配していた。

 僕と同じ苦労をして欲しくない、とでも思っているんだろうか。自分でもいまいちわからないが。


 おもむろに立ち上がり、高さ数メートルはある屋上の柵に背をもたれて空を見上げた。

 九州地方の夏はまだまだ厳しい。……じりじりと音まで聞こえてきそうなほど眩い太陽は、直視できないほどだ。


「お、あそこに居んの、水瀬じゃん」


 いつの間に隣にやって来たのか。徹が、柵越しに下を指さして叫んだ。

 声、大きいんだよ、と彼をいさめつつ視線の先を目で追うと、昇降口の脇に備えられた花壇に水遣りをする、女子生徒の姿が小さく見えた。

 清涼感漂う白いワンピース姿。艶のある波打った黒髪に、強い日射しが屈折して反射する。間違いない、あれは水瀬だ。


「やっぱり見える、アイツの顔。なんでだろう、な」

「なんか言ったか?」


 僕の呟きに、怪訝そうに稔が反応した。


「いや、別に」


 徹や稔のみならず、クラスメイトの親しい男子の一部は僕の事情を心得ている。彼らがサポートしてくれるからこそ、病を抱えつつもなんとか生活できているようなものだ。だが、水瀬の顔だけ見えるんだ、とまではカミングアウトしていないので、今はこう誤魔化しておいた。

 気がつくと、稔、徹、僕の順で三人は並び、眼下にある水瀬の姿を見下ろしていた。


 彼女が花壇の世話をしているところを目撃するのは、これが三度目になる。

 花壇に花を植えたのは、確か今年の四月ころ。黄色の花──マリーゴールドとかいったかな……をみんなで植えた。

 その時みんなで、『立派な花が咲きますように』なんて願い事をしたもんだ。だが、三ヶ月以上経過した夏休み明けにもなると、花壇は惨憺たる状況。葉の先端はしおれ、一面雑草だらけ。……とは言え、どこの学校もだいたいそんなもんだ。

 ところが、である。

 荒れ放題の花壇の世話を始めたのが水瀬だった。朝学校に着くと、花壇の傍らにしゃがみこんで、一人黙々と雑草をむしっていた。もちろん、誰かに頼まれたなんてこともないだろう。

 それでもまだ、花壇の状況は良好といえない。

 だがはたして、何人のクラスメイトが気づいているんだろう?

 始業のチャイムが鳴る寸前になってようやく水瀬が教室に入ってくる理由に。

 雑草の大半が取り除かれ、花壇の土が見え始めているという事実に。


「水瀬ってさ。花が好きなのかなあ」


 深い意味はなかった。なんとなく口をついて出た、という表現がしっくりくる。彼女の努力を誰一人労おうとしない。そんな理不尽さを、コイツらに伝えたかったのだろうか。

 さあな、と僕の呟きに稔が反応した。


「僕は花なんて興味ないしなあ。どうでもいいよ」


 徹を挟んでひとつ向こう側にいる稔は、水瀬の様子を無表情で見つめていた。どういう訳か知らないが、稔は人一倍水瀬のことを好いていない。彼は、普段からして余計なことを喋らないタイプで、積極的に友人を作ったり誰かに話し掛けたりするタイプでもない。そういった点では水瀬と近いと思うんだけど……同属嫌悪とかいう奴なんだろうか?

 一先ず稔の話は置いておくとして、花──か。

 花の話題をふれば、普段無口な水瀬でも、普通に喋ってくれるのかなあ。そんなことが、ふと気になった。

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