第10話 悪役令嬢は全てを失う

 


 なるべく地味な衣装を着て、なるべく価値の高い宝石をちょろまかし、ランカはひっそりと王宮から離れていた。


 数日前から、街は噂で持ちきりだ。


 なんと、第三王子ケヴィン殿下の婚約者が呪いをかけられて、魔女の濡れ衣を着せられた上、当のケヴィン殿下に討伐命令が出されていたとか。

 しかも呪いをかけた黒幕は第一王子のユーゴーで、さらにはかけた呪いは禁呪指定のとても危険な代物だったとか。

 レティシアに呪いをかけた実行犯は、ケヴィンの幼馴染の侯爵令嬢フランチェスカで、動機は嫉妬だとか。

 法王猊下も事態を知ることとなり、中央教会から査察団が派遣されたとか。

 フランチェスカは雲隠れして逃走中だとか。

 何も知らなかったフランチェスカの父のユーリアス侯は娘を勘当したとか。

 ケヴィンも、ケヴィンの部下たちも無事で、もちろんレティシアも無事だったとか。


 聞くに堪えないゴシップから、きちんと取材が為された事実まで、さまざまな話を人づてに聞いた。


 噂の的のフランチェスカとは、ランカのことだ。


 ランカの正式な名前は、フランチェスカ・カサブランカ・エル・テッド・ユーリアスで、フランチェスカは父から送られた名だ。

 工作がしやすいよう、公式な場ではフランチェスカ(略称フラン)を、私的な場ではカサブランカ(略称ランカ)を、それぞれ使い分けていた。




 全てを失った。



 侯爵令嬢としての地位も、未来も、友達も、幼馴染の素敵な王子様も。



 これまでの己のしてきたことを思い返して、我ながらどうかしていると、ランカは苦笑した。


 損得だけで考えれば狂気の沙汰だろう。

 自分の告白を何度も断った幼馴染なんて見捨てればいいし、ずっと慕っていた男を横から掠め取った女が魔物に襲われて死ぬのだって放置すればいい。

 好きだったのに、ずっとずっと好きだったのに、ケヴィンは私のことを異性としては見られないと首を振った。


 だったら、優しくなんてして欲しくなかった。

 愛されているかもなんて、誤解をさせて欲しくなかった。


 ケヴィンはレティシアを選び、ついに婚約した。

 失恋の痛みに泣いているさなか、レティシアが呪われたという話をされた。


 第一王子のユーゴーが自慢げに語ったのだ。『お前を振った馬鹿な弟のことで、すっきりする話があるから聞いてくれ』と。


 聞けば、レティシアに魔物を呼び寄せる呪いをかけたという。

 永続的な呪いで、毎日、毎日、どれだけ魔物を撃退しても魔物が湧いてくる。

 しかも、呼び寄せられる魔物たちは少しずつ強くなっていく。


『だから、あのむかつくレティシアも近いうちに死ぬし、レティシアを救けようとしたケヴィンも手ひどい怪我を負った挙句に婚約者を失うことになるのさ』


 そう聞かされた。


 いいざまだ。

 人を振った罰だ。ずっと一途に慕っていたのに。

 幼馴染である私を差し置いて、ぽっと出のわけのわからない筋肉女が横から掠め取ったのだから。


 まあ、でも、全てを許して差し上げますわ。どうせ二人とも呪いによって死んでしまいますものね。せいぜい真実の愛とやらに目覚めた挙句にむごたらしい結末を迎えてくださいませ。

 わたくしは失恋の痛みなんて忘れて、勝手に幸せになりますわ。




 ……なんて、思えたらどんなに気楽だったろうか。




 いやまあ実を言えば、ちょっぴりそういうことを考えて悦に浸ったことがないわけではない。

 でも、ほんのちょっとだけの妄想だ。


 レティシアと一緒にいる時のケヴィンの顔は、これまで幼馴染としての自分に見せたどの表情とも違っていた。

 平たく言えば、浮かれていた。

 恋をしていた。

 異性として相手を認識していた。


 幸せそうだった。


 恋の敗北を悟るには、十分だった。


『ああ、あの人のあの顔は、私ではなくレティシアといる時にしか見せないんだ』と、思い知らされた。


 悔しくて悔しくて、でも嬉しくもあった。頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 失恋の痛みはしんどいけれども、ケヴィンには幸せになって欲しい気持ちはある。だって、ずっと一緒にいた幼馴染なんですもの。恋人にも婚約者にもなれなかったのはとても残念ですけれども。


 自分の好きな人が幸せをつかみ取ったのに、それを邪魔するのは無粋というものでしょう? 

 それとも何?

 私の好きは”条件付きの好き”だったのかしら?

 相手が自分を好きって時だけの好き?

 それって、ただのわがままじゃない?


 というわけで、何とかして助けなきゃ、と思った。


 ケヴィンは絶対にレティシアを見殺しにできない。そういう性格だ。

 レティシアが死ねばケヴィンも死ぬ。


 ペラペラと喋る第一王子に取り入って、スパイの真似事をすることにした。


 前々から感じていたが、ユーゴー殿下は私に対してかなりの好意、または性欲を抱いていることがわかった。


 手玉にとるのは簡単だった。


 ケヴィンとレティシアに失恋の恨みがあるふりをし、一方でユーゴー殿下へ気のあるそぶりを少し見せただけで、有頂天になってあれこれ喋ってくれた。


 少しおだて上げただけで、一番重要な解呪条件を教えてもらった。


『泣けば解ける。心配なのはそれだけだ』


 拍子抜けするほど、簡単な条件だと思った。


『泣く?』

『そう。呪われた奴が心の底から泣けば、あの呪いは解けちまう』

『そんなことでよろしいのですか? 泣くことと召喚魔法の効果が消えうせることとあまり結びつきませんけれども』

『そういうものだ。普通の占いでも天体の動きと何の関係もないはずの人間の幸不幸が影響しあうのだぞ? ならば人間の感情と魔物を呼びよせる力に因果があっても不思議ではあるまい』


 分かるような、分からないような、でもやっぱりよく分からない話だった。


 ともあれ、泣けばいいのなら簡単だ。

 早速ケヴィンに伝えよう。そう思ったら、クソのように性格の悪いユーゴーは自慢げにこう続けた。


『ただし、泣けば呪いが解けると知っている者が無理やり泣かせても効果はない。あくまでも自然な感情のままで泣かなければならない』


 どうしろというのか?


 演技ではなくて本気で泣かせろってこと?


 あのレティシアを?

 筋肉は決して裏切らない、筋肉で全てを解決するというのが信条で、ハイオークとあだ名を持つあのレティシアを?


 どうやって?


 途方に暮れた時、狂暴な飛竜の巣をわずか数時間で壊滅させたという女勇者の噂を聞いた。


 これだ、と思った。


 馬鹿な女のふりをして、藁にもすがるつもりで女勇者がいると噂の辺境伯の下へ行って、あることないことのたまって訳のわからない依頼をした。


『レティシアを泣かせて欲しい』と。


 頼まれた方の綺麗な女の人は、本当に訳の分からない依頼だと思ったことだろう。

 本当にやってくれるのかどうかは賭けだったが、他に頼れそうな人は思い当たらなかった。


 それからはとにかく、ケヴィンの支援をして時間を稼ぐことにした。


 手記を残した。


 ユーゴーから聞き出した情報の記録をあちこちへひそかにばらまいて、主犯が第一王子であるという動かぬ証拠を残した。全てが終わった後、彼が確実に破滅するように。


 危ない橋も渡った。


 横領。

 公文書偽造。

 租税として納められた魔法石の横流し。

 投資詐欺。


 第一王子の管轄する宝物庫の鍵を借りて、バレない程度に財産をちょろまかし、売り飛ばしてケヴィンが率いる騎士団への補給物資の原資にした。


 勘当を覚悟で実家の侯爵家の財産にも手を付けて、連日の戦いに疲弊するケヴィンたちを支援した。

 架空の事業を持ち掛けて空手形を商人に渡し、食料や薬、武器を運搬させたりもした。


 騎士団を維持し、食べさせるためのお金と物資を引っ張るため、いっぱい嘘をついた。


 代理人を何人も経由させ、自分がケヴィンのことを影ながら支援してきた証拠は、自らの手で特に丹念に潰してきた。万が一、ユーゴーに知られれば全てが終わっていたからだ。


『フランチェスカは騒乱に乗じて至福を肥やし、高価な宝石や服を買って贅沢三昧をしている』


 通り一遍のことを調べた者にはそう思われるように取り繕った。絶対に真意がばれないように。


 人間の習性として、他人の善行は疑うが悪評はすぐに信じ込む。それが身分の高い人間ならばなおさらだ。

 自爆前提の情報操作はさほど難しくはなかった。

 考え足らずの馬鹿として振舞っていれば良かった。



 そして、全てが終わった。



 ケヴィンもレティシアも無事で、数週間後には結婚式を行うという。



 巡礼者に変装し、ランカは王都を後にした。


 勘当をされた今、行く当てはない。どこかにメイドの仕事の口でもあればいいが、産まれてこの方働いたことは無いので勝手がよく分からない。


 とにかく今は、誰も知らない場所へひっそりと逃げるだけだ。生活を切り詰めて、ちょろまかした宝石を少しずつ売っていけば、何年かは食べていけるだろう。



 寂しかった。



 知り合いに見つかれば、罪人として捉えられるのが関の山だ。

 ユーゴーは破門されて処刑されるかどうかの瀬戸際だというし、その愛人と目されていた自分も同様の処罰を受けることだろう。


 全てを失ったけれど、さすがに死ぬのは怖い。

 もう一度、ケヴィンの顔を見たい。そんな想いを振り払って、ランカは前へ進んでいった。


「ケヴィン、お幸せに。愛していたわ」


 つぶやいた言葉は、誰に聞かれることもない。

 誰かに聞かせるわけでもない。ただの自己満足。


 身分も何もかもを犠牲にしての行動は、きっとこの先、死ぬほど後悔するだろうけれども、今は自分が誇らしかった。


 王都から出て小一時間も歩いてみれば、右も左も一面の小麦畑だった。その隙間を縫うようにして、多くの人々に踏み固められた行商路が続いている。

 脚が痛いなんて、わがままは言っていられない。

 今の自分は、ただの平民なのだ。



「あのね、お嬢さん。自己満足しているところ悪いけれども、ただ働きさせるなんてあんまりじゃないかしら?」

「…………」


 声がした。


 振り向くと、綺麗な女の人がいた。

 珊瑚朱色の髪に、トパーズのように綺麗な黄土色の瞳。エメラルドグリーンの豪奢なドレスに位負けしないほどの美貌と存在感を持った、女の人が。


「びっくりした」


 きっと、追っ手なのだろう。

 罪人の自分を捕らえて、王宮へ引き渡すつもりなのだ。そう思った。

 じたばたするつもりはなかった。

 覚悟は出来ている。捕まってしまうのならば、処刑されてもやむなしだと。


「ごめんなさい。ケーキの事を伝えるのを忘れていたわ。抽選に応募して当選したのはいいけれども、引き渡しは明後日で、私はお店へ行って受け取れるような状態じゃなくなってしまったの」

「あら嬉しい。きちんと約束を守ってくれるのね」

「いえ、その、あの……」


 どう説明したらいいものか。

 それとも、全てを分かった上でからかっているのか。

 女伯爵のアンヌに対して、自分は隠しごとをした上で無茶苦茶な難題を頼んでしまったのだ。さぞや気分を害されていることだろう。それに加えて、罪人となった自分の手配書も見ているはずだ。


「一つだけ質問をさせて。あなた、レティシアを泣かせることであの呪いが浄化されるって知っていたの?」


 事情を知らない者が聞けば、ちんぷんかんぷんな問いかけだろう。

 ああ、この人は全部知っているのだ、とランカは理解した。ちまたに流れている噂話だけではなく、表に漏れないはずの真相を知っているのだと。


「はい。ユーゴー殿下からそう聞き出しましたので」

「それならそうと、何故ケヴィン殿下やレティシア令嬢に伝えずにまどろっこしい手段をとったのかしら?」

「話せば長くなりますが」

「いいわ。話しなさい」


 話した。


 アンヌは、ランカが思わず舌を巻くほどの理解力で彼女の拙い説明を消化した。

 そして一言。


「馬鹿ね」


 しみじみと、そう言った。

 まったくその通りだと、自分でも思った。

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