第11話 その日、悪役令嬢は心の底から泣いた。
「あなた、頭も勘も働くし度胸もあるのに、肝心の自分のことになるとポンコツになるのね」
カチンときた。どうしろというのだ。
「今さら”私はケヴィンの味方でした”なんて言い出せっていうの? 王宮での自分の評判は知ってるわ。ユーゴーと一緒にいて、彼を油断させるためにケヴィンの陰口ばっかり叩いてた。王宮の決済書類も偽造したし家のお金にも手を付けて物資を横流しした盗人よ。今の私の風評は最悪、犯した法律は二桁以上。その罪を全部、ケヴィンに指示されて仕方なく……なんて言えっていうの? まっぴらだわ。立つ鳥くらい跡を濁すかどうか決める権利があるでしょう?」
「あらそうなの。残念ねえ。実は私、そのケヴィン殿下からこんな書類にサインを頂いたんだけど」
ドレスの裾の中に手をやって、アンヌは四つ折りにした紙を取り出した。
その紙を広げて見せられた。
『契約書』
と大きな字で書かれているのが目に飛び込む。
『私ケヴィン(以下、甲)は、幼馴染の侯爵令嬢フランチェスカへの罪状の取り消しと名誉回復をレヴァンティン女伯爵(以下、乙)へ依頼する。依頼が完全に遂行された暁には、甲は持てる換金可能な資産および所領の全ての権利を乙へ譲る』
「ナニコレ? は? ケヴィンが、全財産を、あなたに譲る……?」
わけが分からない。
何度も見返した。
サインの筆跡は確実にケヴィンのものだ。おまけに王子が公式文書で使うときの花押まで入っている。
「何でそういう流れになるのよ!? というか、こんなの見せられたら絶対に私は自分の名誉回復してくださいなんて言うわけないでしょばかなの!?」
「ええそうおっしゃる通りでございますわ。本当に。はずみというか、試すつもりだったというか、売り言葉に買い言葉だったんだけれどもねえ……」
アンヌはオーバーリアクションで肩をすくめた。
王子を騙して資産を巻き上げようとするような人間の態度ではない。普通、詐欺師というものは善人を装い、関係者全員を騙しきろうとするものではないのか。
「どういうこと?」
「教会直属の査問機関が今回の件を調べて、あなたも主犯の第一王子の共犯として扱われてる。そこまではいいわよね?」
うなずく。
だからこそ逃げ出したのだ。
王族すら処断される状況で勘当された元侯爵令嬢の地位など役に立たない。さすがに破門からの処刑のコンボは食らいたくない。
「となると当然、ケヴィンはあなたを擁護するわよね。そして彼の立場はとても悪くなってしまう。あなたのしてきたことや残した証拠を表面的になぞってみたら、第一王子とつるんで禁呪を使ってレティシアさんとケヴィン殿下を亡き者にしようとした上に、その混乱にかこつけて私腹を肥やしてきたわけだから」
それもわかる。自分がこれまで説明したとおりだ。
裁判に出席し、釈明するという選択肢はなかった。
たとえケヴィンに禁呪の被害を食い止めた功労があるにせよ、今の自分を擁護すれば彼の立場も教会への反駁とみなされかねない。そうすればケヴィンの立場も危うくなる。事はもう国内の政治だけで終わらせられる話ではない。
「で、そこへ救世主の私が現れました」
「脈絡が無いわね」
「いやはや全く持ってそうね。まあ、お聞きなさいな」
アンヌは、自分が世界各国の要人とのコネがあることをかいつまんで説明した。この国の大臣や諸国の王だけではない。法王や聖女、伝説の勇者も彼女の一声で動くという。
「荒唐無稽すぎるわ」
「おっしゃる通り。そしてケヴィン殿下は信じたわ。そこで彼に”教会の偉い人にコネがありますので、ランカの無罪と名誉回復を勝ち取りましょうか? お代はあなたの全財産で”って提案したら、王子の答えがその紙切れってわけ」
「…………」
「即答だったわ。本当にいいの?って私の方が不安になったくらい。そうしたらケヴィン殿下、なんて答えたと思う?」
わかるわけがない。
ドヤ顔でもったいつけるアンヌ伯爵にイラっとしつつ、続きを促した。
「なんて答えたの?」
「”ランカは、フランチェスカは、私の命よりも大切な人だから”ですって」
頭が真っ白になった。
ランカは表情を引きつらせて、アンヌの顔とケヴィンの筆跡でサインされた契約書とを交互にまじまじと見つめた。
やがて――
「ハッ。ははは……。うそでしょ。絶対に嘘」
乾いた笑いが口をついた。
ケヴィンはレティシアを選んだ。
自分は選ばれなかった。
それがすべてのはずだ。
そりゃ確かに、お友達として大切に思うことはあるだろうけれども、自分の命よりも大事なんてあるわけがない。
親しさの程度が度を過ぎている。
「婚約者でもないのに?」
「そうよ。婚約者でもないのに。ついでに言えば、あなたを見捨てた方がいろんな意味で断然お得なのに」
「なんで?」
全財産を投げうってまで助けようとするのか。
胸のあたりがざわつく。心臓が変なテンションで鼓動を打っている。
「ありえないわよ。ケヴィンには何度も告白したわ。でもそのたびに断られたのよ」
そういう目で、私のことを見られないと言われた。妹や家族のようにしか見えない。異性として抱くことなんてできはしないと、はっきりと。
あわよくば側妻に、なんて目も自分にはないのだ。初めから性的対象とはみなされていなかった。それでもケヴィンは優しかった。
ずっとずっと、優しくしてくれた。
「まだわからないの? 決まってるじゃない」
決まっている。そうなのだろうか。
何が決まっているというのか。
察してくれ、でわかるはずはない。きちんと口に出していってほしい。ケヴィンにとって、自分という女はどういう存在なのか。自分のことをどう思っているのか。
「ケヴィンがあなたを愛しているからよ」
「…………」
ずっと、言ってほしかった言葉だった。
ケヴィンの口からでなくてもいい。自分以外の誰かから言ってほしかった。たとえそれが、たわいない噂話やおためごかしだったとしても。
胸が苦しくて、声がうまく出ない。
「婚約者でもないのに……?」
ようやく絞り出した言葉はか細くて、乱れていて、震えていた。
「こだわるわね」
「こだわっておかしいの?」
「性に無関係の愛情は成り立つわよ」
「何それ?」
目元に痒みを感じた。
自分の頬を、溢れ出した涙がつたっていた。
「私だって何人かの戦友とは損得関係なしに命がけで助けたり助けられたりするもの。あなたはケヴィンに愛されている。それは間違いない。この紙切れがその証拠。言葉にするなら、親愛とか友愛とかそういう感情だけれども。とにかくあなたはケヴィンにとって、自分の命より大切な人なのよ。だって――」
人目をはばからず泣いてしまった私に目線を寄こし、アンヌは横を見るように促した。
「え……」
ケヴィンがいた。
彼だけではない。数名の人間が、二人の周りに居た。
法皇や枢機卿だけが着られるような白く立派な法服の老紳士と、同じく特別仕様の白い修道服をした老貴婦人。それに、レティシアと、目つきの鋭い独特の雰囲気を放つ三十がらみの男たち。
「インビジブルという魔法がございまして。一時的に相手から見えないようにするんだけれども。あなたの証言は全部、ここにいる全員が聞いたわ」
心臓が止まるかと思った。
「待って」
「そこにいらっしゃるご老体が、法王猊下のミシェル一世と生ける伝説の大聖女ティアージュ」
変な汗が、背中から吹き出るのを感じた。
「……待って」
止まりかけた鼓動が、今度は逆に激しく脈打ちはじめた。
「で、ご存じ、ケヴィン殿下と、その婚約者レティシアに、あとの人たちは教会から派遣された査問官のお偉いさまと、この国の貴族を対象とする上級裁判官のトップの人」
「だから、待って」
「このメンツ全員があなたの真意と行動を知ったから、無罪判決は確定でしょうし、迅速にあなたの名誉回復のための措置もとられるでしょうね。やらなかったら私が暴れちゃいますし」
「待ってったら! ケヴィン! あなた、全部失うのよ!! せっかくレティシアとの幸せな未来が待ってるのに一文無しになっていいわけないじゃない!!!」
殴り飛ばすくらいの勢いでケヴィンに駆け寄って、ランカは叫んだ。
無罪も名誉回復もありがたいけれども、その代償にケヴィンが落ちぶれるなんてこと、望んでない。
どうして余計なことをしたのか。
「いいんだ」
力強く言われた。
「君を見捨てるよりずっといい。レティシアも分かってくれる。レヴァンティン伯爵の言った通りだ。君のことを異性としてはみれないけれど、私は君を愛している。自分の命よりも大切に想っている」
抱きしめられた。衆人環視の中で。婚約者の、レティシアの見ている前で。
「……でよ……」
自分のためにすべてを投げうった人から、抱きしめられた。
ずっと欲しかったぬくもり。
ずっとずっと、こうして欲しかった。こうして、愛を囁いてほしかった。
分かっている。男が女に対する愛でないことは、よく分かっている。
これはアンヌが言ったように、親愛や友愛の念というものなのだろう。
それでも――
報われた、と、ランカは思った。
「泣かせること、言わないでよ……」
嗚咽が、か細く震える言葉に続く。
ケヴィンの胸の中、ランカは赤ん坊のように大声で泣き出した。
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