第4話 婚約者を守れ[王子視点]
(誰が彼女にこんな仕打ちをしたのだ?)
ノワール王国の第三王子、ケヴィン・クロード・アル・ノワールは、怒りとともにそう思った。
『辺境にて魔物を従える魔女が現れたので討伐せよ』との指令を受けた。
それは良い。
自分は指揮官であり、国軍の一部を率いている。魔物が跋扈して民が困れば、要請を受けて軍を動かすのは当然のことだ。
ただ、指令を下したのが国王ではなく王妃マリグリート――王の正妻であり、妾腹のケヴィンにとは微妙な緊張関係にある――だったのには違和感を覚えた。
言うまでもないが、魔物討伐は辺境の領主と民に対して多大な恩を売れる。おまけに、伝え聞く魔物の規模も質からすれば、国軍を二連隊ほど招集すれば簡単に蹴散らせる程度の簡単な仕事だ。
人気取りのために手柄を立てさせるのならば、王妃が可愛がっている実子の第一王子か、第二王子のどちらかだろう。
王妃の立場からすれば、一方的に敵視している自分に塩を送る動機がない。
さりとて、王の花押の入った勅令状と共に命ぜられれば断れるわけもない。
ケヴィンは軍を編成し、十分な兵站を整えて魔物討伐のためにクロンキグロンキの湿地帯へと赴いた。
およそ三連隊、二百十騎の騎士と四百二十の歩兵を引き連れて湿地帯に到着してみれば、魔物の規模も質も事前に聞いた情報より大きなものだった。
とはいえ、戦力には余裕を持たせてある。装備の質も、兵卒のレベルも、魔物を蹴散らすのには十分に整っている。
地形を把握し、湿地帯の特性を考慮した上で陣を展開した後に、一気に攻め立てた。
「潰せ」
ケヴィンは、二十二歳という若さでありながら指揮官としての経験を着実に蓄積しており、部下からの信認も厚く、事実として有能だった。
中央突破にて魔物の群れを寸断し、教科書の理想のように各個撃破して魔物達を駆除していった。
攻撃開始からわずか二時間で大勢が決し、数名の負傷兵は出たものの死者を出すことなく掃討作戦に移行した。
そこで、彼は見た。
半年前に出会い、二か月前に結婚を前提に付き合ってほしいと告げ、一か月前に失踪した彼の婚約者の変わり果てた姿を。
見間違えるはずがない。
190センチの長身。
アマゾネスのようにたくましい肉体。
動きやすさをどこまでも重視した赤茶色のチュニックに革のベルト、男が着るような脚のラインをはっきりと形作るブレーパンツ。
長い黒髪を後頭部のあたりにシニオンまとめている。くっきりとした柳眉に肉厚な唇は、そこらの舞台俳優が逃げ出すほどの男前だ。
「レティ、ずっと探していたんだぞ!」
レティシア・サングヴィス・エル・ミルトン侯爵令嬢。
ケヴィンにとって、この世で最も大切な女性だ。
彼の周りにいる女性は“あんな化け物のどこがいいのか”としきりに聞いてくるが、そういう連中の方こそ美的感覚がおかしい。
レティは、美の具現だ。
筋骨隆々たる体躯。
身体のどこもかしこもが、狂暴なほどにうねる筋肉によっておおわれている。
悪魔のようだった。
彼を魅了せしめるためにこの世に遣わされた悪魔だ。
背が高い。185センチある自分よりも高い。
聞けば、190センチあるという。
初めて彼女の姿を一目見た時、ケヴィンは心臓が止まるかと思った。
汗の滴る大腿二頭筋の張りが、あまりに美しかったから。
屈伸運動をするたびに伸び縮みする大腿直筋、中間広筋、外側広筋、内側広筋のコラボレーションに見惚れ、無意識にため息をついた。
ケヴィンには想像がついた。この素晴らしい体幹を作るために、どれほどの鍛錬を重ねてきたのかを。
見た目重視の不自然な鍛え方ではない。インナーマッスルをこれでもかと鍛え上げていなければ、こうまで滑らかな体重移動などできはしない。
服の裾をめくれば、見事に割れた腹筋があらわれるだろう。
一目惚れだった。
そんな彼女と、一か月ぶりに再会をしている。
聞きたいことがあった。
何故、理由も告げずに自分の元を去ったのか。
今まで何をしていたのか。
どうしてこんなところに居るのか。
何故これほどまでに疲れ切った顔をしているのか。
「ケヴィン……?」
久しぶりに会った彼女は、ケヴィンの姿を視界に写して、夢でも見ているかのような呆けた顔をした。何でこんなところに、という顔だ。
「ああ、僕だ」
レティシアの姿はひどいものだった。
チュニックもブレーパンツにも魔物の返り血がべっとりとつき、しかも固まってこびりついている。今日や昨日に浴びた返り血ではない。
血なまぐさいという言葉では到底言い表せないほどの臭いがむわりと鼻につく。
付き合っていた頃は卒なく身だしなみを整えていた彼女の見る影もなく、化粧はおろか何週間も風呂に入っていないようだ。手入れが行き届いていた自慢の黒髪も赤黒い魔物の血でカピカピだ。
目の下にはクマがある。眠気のためだろう。足取りがふらふらとおぼつかないありさまだった。
「レティ。いろいろ話したいことがあるが、まずは休もう。近くに陣営がある。温かいスープを飲んで、身体を拭いてぐっすり眠るといい」
「助かる……ぜぇ……はぁ……うぷ……」
安心したせいだろう。レティシアはその場にうずくまり、胃液を吐いた。
「レティ……」
あまりに痛々しかった。
ケヴィンは馬から降りて、彼女の逞しい身体に肩を貸した。
魔物の血と、彼女自身の汗や垢による異臭が鼻をついたが、構いはしなかった。
遠慮することなく体重を預けられ、ケヴィンは内心で驚いた。体面を取り繕う余裕もないほどに追い込まれているらしい。逆境を鼻で笑って覆し、弱音を根性で退散させてきた普段のタフな彼女ならば考えられないことだったからだ。
周囲にいる魔物の掃討は順調に進んでいた。
指揮官であるケヴィンの指令がなくとも各自の判断で掃討している。だから、衰弱したレティシアと言葉を交わす余裕も、陣地に連れてくる余裕も十分にあった。
そして、事件が起こった。
王妃直属のお目付け役。公平中立な観点からケヴィンの戦いぶりを評定するという触れ込みで参加したツヴァイク侯令息マクシミリアンと、その弟サミュエルが、レティシアを見て色めき立った。
「殿下、そいつが魔女だ!」
「どいてください、討伐します!」
剣を向けられ、弓を向けられた。
「何を馬鹿なことを言っているんだ。彼女は私の婚約者だぞ」
ケヴィンは愕然とし、憤慨を理性で抑えつつお目付け役たちを睨みつけた。
「いいや、間違いない。血に汚れた黒髪に、ハイオークのようながっしりとした体格。それに殿下よりさらに高い身長。魔女レティシアだ」
「何が魔女だ! レティに謝れ!」
「…………」
極度の疲労の為だろう。ケヴィンに貸された肩へ体重を預けながら、レティシアはぼんやりと殺気立つ侯爵令息の兄弟を見ていた。
「二人とも武器を引け。誰に向けていると思っているんだ。謀反人になりたいのか?」
毅然とした態度でケヴィンは告げた。
妾腹とはいえ王族の端くれだ。たとえそれが王妃直属の者であれ、侯爵令息ごときが刃を向けていい相手ではない。産まれ持った権力の格が違う。
「魔女討伐は王命ですぞ!」
取り付く島もない。
ケヴィンが庇うように身体を支えていなければ、とっくに彼らはレティシアに弓を放ち、斬りつけていただろう。
周りの騎士たちは剣呑な様子に気付き、対峙するケヴィンと王妃直属の二人とを困惑のていで見守っていた。第三王子と、王妃子飼いの監視役。どちらに肩入れするにしてもリスクが高い。
「見ろ。彼女を。憔悴しきっている。どこが魔女に見えるというのだ。おまけに私が自分の婚約者を見間違えるとでも思っているのか?」
「その婚約自体が魔女によって仕組まれたものだとしたらどうされますか?」
マクシミリアンが諭すように言った。
「話にならん! レティを愛したのは私の意志だ」
一触即発の空気になった。
そこへ、上空から翼を持った魔物が強襲してきた。
指揮系統が混乱した中への魔物の奇襲によって、騎士団は大きな被害を受けた。
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