第3話 聞き込み調査
ランカの依頼を受けた翌日、アンヌは王都へ出向いていた。
依頼内容の真偽を確かめるためだ。
ないとは思うが、彼女の言い分が事実なら、辺境に出向いて魔女とやらを泣かせるくらいはやぶさかではない。
女とはいえ伯爵という身分なので、王城への出入りに紹介状は要らない。伯爵家の花押つきの手紙一つで事足りる。王宮で寝泊まりしている大臣にも幾人かの知り合いがいる。
夜更けであった。
月は細く、星には群雲がかかっている。
城壁を彩る松明の数はさして多くはない。要所となる櫓の上に幾つかある程度だ。
城内の要人は、ほとんどが寝静まっている。
城に続く出入り口には詰め所があり、門番がいるが、よほどの急用でもなければ取り次ぐことはない。
そして、アンヌは門番に取り次がれるつもりもない。
国で最も警戒が手厚いはずの王宮に、アンヌはこっそりと忍び込むつもりであった。
何故って、真正面から面会希望のお手紙を出したら、お目当ての相手は100%雲隠れしてしまうからだ。
とてもシャイな人なのである。
アンヌは軽々と空を飛ぶ。
高さ三十メートルはある城壁を超え、お目当ての部屋の前に軽々と着地した。
王国が誇る宮廷魔術師が四方八方にそなえつけた結界トラップをひと睨みの魔術で無力化し、はめ殺しのガラス窓を悠々とすり抜けて、部屋の中にするりと入る。
「アロー」
挨拶をした。
相手は起きていた。
「ヒェッ!?」
五十がらみの目つきの悪いその男は、机に向かって書類と格闘していたが、アンヌの姿を視界に捉えると流れるような動作でジャンピング土下座をした。
「た、たたたっ、助けてくれ、くださいっ、頼みますっ。もう反省しました何も悪いことはしていません敵対する意志もありませんこの通りです許してくださいっ」
ふかふかの絨毯に頭を深々とこすりつけ、言う。
額からは、だらだらと脂汗が流れていた。
深夜である。
女が忍んで男の部屋に訪れるということは、艶めいた色合いを帯びるのが普通であるが、その身なりのいい男の対応はまるで死神が来訪した時のようだ。
門番は仕事をしたのか、とか。
城内に無数にいるはずの衛兵の目をどうやって、とか。
鍵がかけられた部屋に音なく入ってこなかったか、とか。
ありとあらゆる常識も、防衛手段に対する信頼も、この女の前には無駄だった。そのことを、彼は知っていた。
アンヌは手近な椅子に座ると、両脚を組んで笑顔を作り、男を見下ろした。
「顔をお上げなさいな。まるで私が虐めにきたみたいじゃない。ちょっと知りたいことがあるから教えて欲しいだけよ」
「な、なんなりと」
初手で殺されることはないらしい、と安心し、男は顔を上げた。
男の頬には、大きな刀傷がある。
頭は白髪で、腹には無駄な贅肉がぽよんぽよんとついていた。
身長は160センチほど。外見は明らかに五十歳を超えており、顎は二重になってたゆんたゆんしている。小太りの男だった。
彼、オーゴール侯は王の姻戚であり、この国の財務大臣でもある。
二十数年前、当時将軍であったマルギス公と結託し、資産家でかつ寡婦の付け入り易そうな女伯爵――アンヌの事だ――の些細な租税処理のミスに難癖をつけ、税金未納への懲罰という名目で所領と財産を没収しようとして、返り討ちにあった。
『こちらにも多少の瑕疵はあるので情状酌量はしてあげますけれども、ちょっと調子に乗りすぎでは?』
アンヌはそう言っていた。
もしも瑕疵が無かったのなら、彼らは全員殺されていただろう。
アンヌの報復は筆舌に尽くしがたいものだったが、たった一人の女の手によって将軍を率いる精鋭が壊走したという事実もろともに世に伏せられた。
というよりも、喋ったところで信じられるはずもないのだ。
その理不尽な強さを実際に体験させられた彼にすら、わけが分からないのだから。
アンヌ・ジャルダン・ド・クロード・レヴァンティン女伯爵は魔女であった。
記憶どころか魂に刻まれた恐怖と共に、オーゴール候はそうだと確信していた。
美貌でか弱そうな、そして素手の女が、剣も魔法も弓も矢も弾き返し、国で最も強いと評判の騎士の斧の一撃を『もっと本気でやれ』と払いのけ、終いには『あまりに弱すぎてこの国の国防が心配になってきたから鍛え直してあげるわ』と、周囲に穴を掘って(城を囲う堀よりも深く広い巨大な穴を数秒で作った)誰も逃げられなくした後に過酷なブートキャンプを開始した。
キャンプ開始から一か月後。
アンヌから再教育を受けた元将軍子飼いの精鋭たちは、アンヌを“マスター”と呼び忠誠を誓うようになる始末。
アンヌは関係各位の詫びと共に、多額の迷惑料と、ついでに有名パティシエ謹製のスイーツをせしめたところでようやく納得して引き上げていった。
彼女が『初級編はギリ合格』という水準まで鍛えられた兵達の練度は、世界随一と評判されるほどに高められていた。
古い話だ。
今の若い連中は、古参兵がくぐらされた、思い出すだけで胃液の逆流しそうになる修羅場も、アンヌの事も全く知らない。
当然ながら、オーゴールも語らない。
口にするのも恐ろしかったからだ。
そういういきさつがあって、オーゴールは彼女には逆らえない。逆らわない。
万が一にでも勝てる相手ではないし、逆らったという風評が流れるだけでも、彼女に心酔し忠誠を誓う古参の精鋭たちが大挙して押しかけ、彼を刺し殺しかねない。
「ケヴィンという殿方を知っていらっしゃるかしら? この国の第三王子って聞いたけど」
「ぞ、存じております。何か無礼でも?」
土砂降りに見舞われた子犬のようにプルプルと震えあがる財務大臣を前に、アンヌはひらひらと手を振った。
「ちゃうちゃう。ただの好奇心。ケヴィン王子の人となりと人間関係を教えて。とりあえずは貴方の知っている範囲でいいわ。あと、ケヴィンについて詳しく知ってそうな人も教えて」
「かしこまりました」
アンヌはあえて、レティシアやランカといった名前は伏せて質問した。
その方がより公平な実態を知ることができると考えたからだった。
「ケヴィン殿下は身分の低い侍女に陛下が手を付けて産まれた方でしてな。御年は二十二歳。少し前にミルトン侯爵家令嬢のレティシアと、何を思ったか婚約を交わしました。ご存じないですか? 美男が野獣にプロポーズをしたという噂を」
「知らないわ。あいにく世情には疎いのよ。にしても野獣って、侯爵令嬢のこと?」
「ええ。野獣でなけりゃハイオークですわな。レティシア嬢は、私が言うのもなんですが化け物のようなひどいなりをしてましてね。とてもとても、ケヴィン王子に釣り合うような器量は持っていないと評判で……って、気を悪くしないでください」
この男が言うのだから、事実なのだろう。
下手な嘘や隠し事をすれば、アンヌに絞め殺されると本気で怯えている相手なのだ。
「ケヴィンはどういう男なの?」
「なかなかの美男で、有能な上に謙虚な男です。戦場指揮官としての能力は上のぼんくら王子二人には及びもつきませんが、善人すぎて玉座を任せるには毒が足りなすぎると陛下がこぼしておりました。社交センス抜群で、ご婦人方の人気は並々ならぬものがあります。ですが、意図的に女性を遠ざけていたようでした。レティシア嬢は例外でした」
「要するに、イケメン王子のケヴィン様は、貴族のご令嬢を選り取り見取りなのにブスの侯爵令嬢を選んだってこと?」
「もう少し言い方に手心を加えていただきたいですが、レティシア令嬢についてより正確に言いますと、ええと、何と表現すればいいのやら……」
オーゴールが首をひねり、しばし言葉を選んだ。
「顔立ちはお綺麗です。まあ、化粧をすればそこらの貴族と遜色はないかとは思います。ただ、でかいんです」
「でかい?」
「身長が190センチあります」
「モデル体型なのね」
衣類と下着のお披露目会としてのファッションショーが広まり、ファッションモデルという職業が現れたのはつい半世紀ほど昔のことだ。
アンヌの感想は素朴なものだったが、それを聞いたオーゴールはぷふぅと吹き出しかけた。
少し前までガクガクブルブルと震えていた彼にして、よほどツボに入ったらしい。
「まあ、そうかもしれませんが。その、レティシア令嬢は全身が筋肉に包まれておりまして」
「き……?」
アンヌが、彼女にしては珍しく虚を突かれたような顔になった。
何かを聞き間違えたような気がした。
全身が、何?
「筋肉?」
「そうです。日中はドレスを着ることはなく、軍人のような男装をして鍛錬に明け暮れていたそうで。あまりにごついなりで、ついたあだ名がハイオーク。あのなりじゃあ、幾らお顔が綺麗でも相手をしたいという殿方はいないはずです」
「ハイオークはさっきも言ってたわね。ブスより酷い言い方じゃないの」
そう言えば、ランカもレティシアのことをそう評していた。
「ですから、女性関係で相手探しに困るはずのないあのケヴィン王子と、あのハイオーク令嬢もといレティシア嬢とがくっついた本当の理由が未だに分かっておらんのです」
「ケヴィンが脅されてたとか、弱みを握られていたりした形跡はないの?」
「そういう噂はまことしやかにささやかれていましたが……。どうもお相手の両親、つまりミルトン侯爵夫妻の話によると、ご婚約の働きかけはケヴィン王子の方が積極的だったそうで」
「不思議ね」
『ケヴィンはおかしくなった。きっと魅了の魔術をかけられたんだ』というランカの言い分に、説得力がうまれてきた。
「そうなんですよ。さらに不思議なのはそこからでして、婚約を認められ、王室への面通しを準備をしていた最中にレティシアが失踪しました」
「理由は?」
「分かりません。親にあてた手紙には、“しばらく人の居ない場所へ行く”とだけ」
「攫われたとかじゃないの? 侯爵令嬢もそうだけど、王子の婚約者ともなれば身代金をたんまりせしめられるでしょうに」
「普通のご令嬢ならそうなんですが、レティシア令嬢に関してはそのう、強いんですよ。素手でも完全装備の騎士の一人や二人なんぞよりよっぽど強い。そこらの盗賊やごろつきが束になってかかっても敵いません。いやはや全くあれが女とはとても――」
滑らかに口を動かしていたオーゴールだが、喋っている相手もまた女、しかも騎士の一人や二人どころか一連隊が相手でも勝てる女であることを思い出し、顔を引きつらせた。
己の失言にようやく気付いたのだ。
アンヌは苦笑して続きを促した。
「無礼講でいいわ。私は事実を知りたいの。失踪したレティシアはその後行方不明のままなの?」
オーゴールはほっとした様子で質問に答える。
「ついこの前、国の外れにある無人の湿地帯にて見つかったそうで、それはいいんですが何やら魔物を呼びよせるための得体の知れない儀式をしている――とまあ、これはあくまで噂ですが」
魔物を呼びよせる儀式。
そういえば、ランカも言っていた。
魔物が大勢現れた場所にレティシアがいたと。
(まずいかもね)
アンヌは、うすら寒いものを感じた。
まさか自分の想像が当たるようなことはあるまいと思いつつ、“魔物を呼びよせる儀式”という言葉がどうもひっかかる。
「その噂は誰が流しているの?」
「王妃様と、それに王妃の長男の第一王子の一派です」
「即答するわね。裏はきちんと取っているって事でいいのかしら?」
確認の問いに、オーゴールは冷や汗をかきつつ、自分の白髪を撫でつけた。
アンヌが恐れられているのは、その圧倒的な力だけではない。
事実と感想とを冷静に仕分ける頭の良さと、自らが動いて納得するまで調べる行動力にもあった。
下手な嘘や誤魔化しが通用しないのだ。
「立場上、宮廷内の派閥やら、どこの勢力がどこの勢力を追い落とそうとしているかは把握しておかなければなりませんので。第一王子と王妃は、ケヴィン王子を追い落とすためかなり危険な真似をしているようでございます」
「ちなみに貴方はどこの派閥に肩入れしているのかしら?」
言外に、自分の派閥に有利な事を言ってはいないかと問うている。
「私は陛下直属です。三名の殿下とも王妃様とも距離をとっています」
「あら、どうして?」
「もしも誰かの派閥に肩入れして、たまたまその派閥にいる誰かが貴女の怒りを買うような不始末をしたらと思うと……恐ろしすぎて」
「納得したわ」
アンヌが頷くと、オーゴールは安堵し大きく息を吐いた。
「もう一つ教えて。王妃または第一王子の言うことを聞きそうな人で、魔法に精通した方はいるの?」
「魔法でございますか?」
「そう。さっきあなたが言っていた、魔物を呼びよせる術を知ってそうな人」
「申し訳ありません……私は専門外ですので、マルギス将軍に聞かれるとよろしいかと」
「将軍はどちらに?」
「ちょうど城内に詰めております」
隠しだてしたところで、アンヌには無駄である。
長年つるんできた同胞に内心謝りつつも、オーゴールは我が身が可愛いので平身低頭して情報を吐き出した。
アンヌの用事は殺したり痛めつけたりといったものではないので、友に対する罪悪感も薄い。
「分かった。聞いてみるわ」
静かに立ち去る死神が視界から消えるのを確認し、オーゴールはしばらく放心して呼吸以外の動作を忘れた。
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