第2話 魔女の噂
国の端にクロンキグロンキという名の湿地帯があるが、そこへ悪辣な魔女が住み着いたという。
元々この湿地帯、やせた土地である上に塩を含むためにろくな作物が育たず、鉱物資源があるわけでもなく交通の要所でもない無価値な場所だった。
当然ながら人も住んでいない。
だから魔女が居座っても困る者はいなかった。
はじめのうちは。
魔女が住み着いた頃から、湿地帯に魔物が出没するようになった。
初めはゴブリンやオークといった弱い魔物ばかりで、数も少なかった。
ほとんど無人の地帯ということもあり、どうという被害もなかった。
ところが次第に魔物の数が増えていき、その生息域は湿地帯から広がっていき、食料を求めて近隣の村まで押し掛けるようになった。
こうなると捨ててはおけない。
村人は迷惑に思いつつも、自警団を結成して農具を武器代わりにし、猟に使う罠を使って追い払った。幸いにして、魔物の数も質も大したことはなかった。
この時も、ちょっと困った程度で済んでいた。
しばらくして、ゴブリンの上位種であるボブゴブリンや、オークの上位種にあたるハイオークが出るようになった。どちらも知能がそこそこあり、武器や鎧で武装している。厄介な相手だった。
数も増えた。
村人たちによる自警団では歯が立たない規模になった。
被害が無視できなくなった村人たちは、国に救援を要請した。
何度かの要請を受けて、遅まきながら軍が派遣された。
勇猛かつ堅実な指揮官として名が高い第三王子、ケヴィン・クロード・アル・ノワールの号令の下、多くの魔物が駆除された。
しかしながら魔物の数はあまりに多く、全体の三割ほどを減らしたところで騎士団の損傷も増え、疲弊が色濃くなっていた。
「そこにあのハイオーク女、もとい、呪われた魔女のレティシアが現れたのよ」
魔物たちがひしめく戦場の中、レティシアと出会ったケヴィンは何かを話し合った。
といっても、一言か二言くらいだったらしい。
それ以上の会話は、襲い来る魔物達が許さなかった。
配下の騎士に怪我人が出たこともあり、騎士団は戦場を離脱した。
「ケヴィンはそれからおかしくなった」
「おかしく?」
「何度も魔物討伐に出発するようになったの」
「うん?」
おかしくなったという言葉の意味が分からず、アンヌは小首をかしげた。
それは、当たり前のことではないのか。
軍が行うレベルの魔物討伐は、出没エリア全体を根絶やしにするのが基本だ。でないとすぐに魔物達が繁殖して元の木阿弥になる。
「それって普通のことなんじゃないの?」
「魔物を討伐するのが目的ならね。でも違うのよ。魔物を倒すのはついでで、取りつかれたようにレティシアを探して、出会ったら何時間もずっと一緒にいるらしいわ。部下を遠ざけて。それが毎日よ、毎日。おかしいでしょ。魔物討伐にかこつけていやらしいことをしているんだわ」
「逢引きねえ。魔物がたむろするような危険区域で?」
「初めの討伐でかなりの魔物を減らしたからね。後は安全な掃討戦よ」
「ふうん?」
「レティシアと再会してから、ケヴィンはたった一人でも会いに行くって聞かなったわ。今は副官が抑えてるけど、いつまで大人しくさせられることやら……」
「ふうん?」
アンヌは目をきらきらさせ、シャギーのかかったミディアムヘアをした金髪の悪役令嬢(仮)の話を聞いた。
なお、彼女の名前はカサブランカ、略称をランカと呼ぶらしい。侯爵令嬢というから相当に高い地位にある貴族だ。ケヴィン王子の婚約者であると自称したが、なるほど才覚と運次第では王の姻戚にもなれる身分ではある。
「ケヴィンは私と結婚するのよ!」
突然の大声だった。
ランカは赤銅色の瞳を怒りに輝かせ、鬼のように眉間に皺を寄せてぐちぐちと自分の主観的な見解をアンヌに向かって述べ立てた。
一方のアンヌは、かんしゃくを起こした侯爵令嬢を涼しい顔で見返している。
「私たちの仲を妬んだレティシアがケヴィンに魅了の魔法をかけたんだわ。あの子、身体はごつくて魔物みたいに醜いのに教師連中への外面が良くて善人ぶって被害者を装いながら裏でこっそりと悪どい真似をするのが得意な卑怯者だから。まったく嫌になっちゃう!」
「口ぶりからするに、レティシアさんと貴女、それにケヴィン殿下は知り合いなの?」
「レティシアは罪人よ。あんなのと知り合いだなんてうんざり。知ったこっちゃないわ」
「ふうん……?」
アンヌは温くなった紅茶をぐびりと飲み、チョコチップの入ったクッキーを一つまみ口に入れた。なお、本日メインのおやつであらせられるザッハトルテ様は別室のワイン蔵にて厳重に冷蔵されている。
糖分の補給を得て、アンヌの恋愛脳がぎゅんぎゅんと回転してゆく。
『“知り合いなの?”への返答が、“知り合いだなんてうんざり”』
『つまり不本意だけど知り合いだってこと』
『それも口ぶりからするに、一度や二度会った程度じゃない。知り合いだってことが否定できないくらいの頻度で見知った間柄』
『ランカさんは侯爵令嬢』
『そんな人とそれなりの頻度で会うような関係ってことは、使用人または同格以上の貴族、または家族か親族』
『たぶん同格か格上の貴族だわ。使用人相手だったら罵倒の言葉に身分への言及が入るはず。家族の線もないわね。それなら“知り合い”という表現に対してきっぱりと否定した方が自然ですもの』
『となると、レティシアさんもかなりの格式の貴族ということ』
『侯爵以上の身分なら、王子様との婚約者候補という可能性があるわ』
『本当のところは、ケヴィン王子の意中の人がレティシアさんで、このランカさんは横から王子を掠め取ろうとして、既成事実化を狙って婚約者って自称してるんじゃないかしら?』
『だってそうでもないと、“ケヴィンはわたし(ランカ)と結婚するの”ってすごい剣幕で叫ぶのは取り乱し過ぎじゃない?』
脳内にて、数秒でそこまで仮説の上に仮説を構築すると、アンヌは確認のためにカマをかけることにした。
「そのケヴィン殿下って、実はレティシアさんととても親しくなされていたとか? それこそ恋人関係みたいな?」
素っ気ない素振りでの言葉だったが、効果はてきめんだった。
ランカ侯爵令嬢は激昂して立ち上がり、豪奢な金髪を振り乱しながら茶菓子の乗せられたテーブルを叩いた。
「ないないないない! 絶対ない! だってアレ、めちゃくちゃ醜い子だもん! あんなのになびく男なんて居るわけがない!」
「……酷い言いようね」
たとえそれが事実であろうとも、他人の容姿をけなすような悪口をアンヌはあまり好きになれない。もちろん同調する気にもならない。
「実際に会ってみればわかるわよ。あの子がどれだけ凄いのか。普通の殿方だったら回れ右して逃げるわよ。もちろん女もね。怖すぎるわ。だから間違いなく、ケヴィンが豹変したのはあの子が魅了の魔法をかけたからよ!」
「魅了の魔法なんてこの世に存在するのかしら?」
「私は嘘なんかついてないわ」
「実際はそのケヴィン殿下がレティシアにぞっこんってことじゃあないの?」
「ない。絶対ない! あんな化け物に惚れるなんてありえない」
「化け物」
「化け物よ。見た目がハイオークだもの」
ひどい言われようだ。
そんな調子であれこれ聞いていくうちに、アンヌはレティシアという少女に大いに興を覚えた。
途中、どれだけレティシアが酷い女かを何度も説明され、ついでに自分がケヴィン王子とくっつくためにどれだけのことをしてきたかを涙ながらに訴えかけてきたが、それはどうでもいいので割愛する。
かなりの時間が経過し、おやつに置いていた茶菓子セットもお茶もほとんどが無くなっていた。
あとはメインのザッハトルテさんだが、こんな面倒くさいヒステリー女に振る舞うのは勿体ないので冷蔵魔法のかかった小さな石蔵に保管されたままだ。
「それで、私にどうしろと?」
「そう。そうよ。言い忘れてたわ。それよ」
ずずい、と、ランカ侯爵令嬢は、毎日お高い化粧での入念なケアを欠かしていない眉目秀麗な顔をアンヌに近づけた。
彼女の赤銅色の瞳が、訴えかけるようにアンヌの黄土色の瞳に向けられている。
アンヌは内心うんざりしていた。
どうせ、殺して欲しいとか、脅迫してどこかに追放してほしいとか、そういう話だろう。
自分は殺し屋でも別れさせ屋でも、ついでに地上げ屋でもないのだが、この手のお貴族様は頼めば何でもしてくれると思っている連中ばかりだった。おまけに恋に盲目になった年頃の世間知らずのお嬢様となればなおさらで、他人を陥れる事は四六時中考えているのに、報復で自分が陥れられることは考えていないお花畑ばかりなのだ。
「レティシアを泣かせてほしいのよ」
「…………は?」
想定外の言葉だった。
アンヌは目を瞬かせて聞き返した。
「泣かせる? 殺すじゃなくて?」
「こ、ころすだなんてっ、そこまでしなくていいわ!」
目を見開き、起き上がりこぼしのようにぶんぶんと首を振るランカは明らかに動揺していた。
「じゃあ、男の人をたくさん用意して強姦するとか、そういう手段で自殺する手前まで追い詰めて欲しいの隠語としての“泣かせる”でもないの?」
「ごっ……! ば、馬鹿! そんな酷い事しなくていいわ!」
演技には見えない。ましてや、『真意は殺して欲しいのだけれども自分の口で直截的に言うのは憚られるから察してやってくれ』というクソ面倒くさい忖度貴族ムーブでもない。本当にそこまでやって欲しくないと思っているようだ。
あら可愛い、と、声にはせずに心の中でアンヌはつぶやいた。
ランカのお子様的な発想が微笑ましい。もちろん、うざったい女だとも思ってはいる。このお貴族様は、用心棒を雇って他人をいじめようとしているのだから。
「何を笑っているのよ?」
「ごめんなさい。婚約者を寝取られたのに殺そうとせずに泣かせて終わりでいいっておっしゃるランカさんが可愛くて。あなた、根っこのところは非情になりきれないのね」
同時に思った。
(運がよかったわね)と。
希代の悪女と後世で称されるアンヌ・ジャルダン・ド・クロード・レヴァンティン女伯爵の行動原理は、『因果応報』である。
これがもし、殺して欲しいという依頼だったのなら――
ランカを殺して、適当な場所に埋めていた。
「私はただ、あの身の程知らずに思い知らせて欲しいだけよ」
「でも、それじゃあ何の解決にもならなくない? ケヴィン殿下にかけられた魅了の魔法とやら(あればだけど)はそのままなんでしょう?」
「そこは私が地道に頑張るからいいわ」
「というと?」
「愛の力でこちらを振り向かせてみせる。どんな魔法がかかっていようが、愛情を持って接する私を絶対にケヴィンは選ぶわ。だって相手はあのレティシアよ。どれだけ正気を失う魔法を使ってようが、そのうち正気に戻ってまともな女性、つまり私を選ぶに決まっているわ。だって私とケヴィンは結婚するんですから」
キラキラキラキラ。
ランカの瞳は、真実の愛への陶酔で輝いていた。
「大した自信ね」
スイーツですわ。
マジモンのスイーツでございますわ、この娘。
アンヌは呆れると共に感心していた。
まあ、最終的な詰めは自分の魅力で決めるという姿勢は評価してやらんでもない。
愛さえあればどうにかなるなんて幻想が果てしなく間違っているところを自覚していただきたいのだが、貴族社会でぬくぬく甘ったるく育てられてきた恋愛スイーツには無理だろう。だいたい、ランカのは愛ではなく恋だ。相手の心情をろくすっぽ考えずに決めつけている。
というわけで、アンヌは彼女の味方をするつもりはさらさらない。
ただし、レティシアという女が本当に魅了の魔術を使っているのなら話は別だ。
「じゃあ何、泣かせたい理由は、本当にただ単にレティシアさんに嫌がらせして貴方個人が溜飲を下げたいだけ?」
「溜飲ではなく正義の鉄槌よ。やってくれるよう女勇者様に頼んでくれない?」
「……そういう設定だったわね」
ぼそりとアンヌは呟いた。
忘れていた。
「見返りは? それともただ働きさせるつもり?」
「…………」
ランカはちょっと考えて。
「前金と準備費合わせて金貨五十枚。成功報酬が百枚でどう?」
そう言った。
貴族付きの家庭教師の月収が金貨二枚ほどだ。金貨百枚あれば、有名パティスリーのとろけるシュークリームが三千個は買える。
隠れ住んだ女一人を泣かせるという依頼内容からすれば破格すぎるが、わざわざ魔物ひしめく辺境くんだりまで行って、という条件付きであることを考えればまあ、妥当というか、割のいい仕事に入るだろう。
はした金で使い走りをさせるつもりがないことが分かり、アンヌはちょっとだけやる気を出した。
「話を振っておいて悪いけど、あなたが期待している女勇者様はお金じゃ動かないのよ。傭兵でも便利屋でもないからね」
「は? 何それ?」
「だって金銭で依頼を受けるなんて噂が広まったら、世界中から似たような声がかかって面倒くさいことこの上ないでしょう?」
「じゃあどうすればいいのよ?」
金では動かないが、条件次第なら動かないわけではない。言外の仄めかしを、きちんと察してくれたらしい。
賢い娘は好きよ、とアンヌは内心でつぶやいた。
「一つ。私……じゃない、女勇者様に依頼したことを誰にも、肉親や親友、婚約者を含む誰にも話さない事。私が女勇者様を動かせるなんて噂を立てられても困るわ」
「いいわ。約束する。他には?」
「二つ。キューティ&クロアージュのパティシエールが限定販売している“とろり濃厚チーズケーキ”を一ホール、手配して。ちょっと前に食べ損ねたのよ。ああ、女勇者様がね」
こともなげに言うアンヌに、ランカは顔を顰めて抗議した。
「あそこ、お金でも権力でも絶対に優先順位を変えないってことで有名じゃない。難易度がちょっと高くないかしら!」
「そのくらいの誠意は見せていただかないと。何も今すぐとは言わないわ。そうね。三ヵ月待つわ。それなら一度くらいは抽選に当たるでしょう?」
「……分かったわ。どうにかする」
「商談成立」
「待って。こっちの頼んだことは三か月後じゃなくて出来るだけすぐにやってもらいたいの。一刻も早くレティシアを泣かせてくれないかしら」
嫌がらせの結果をすぐに見たいという動機にしては、いささか顔から見て取れる切迫感が過ぎている。
ちょっとした違和感を覚えつつ、アンヌは軽い口調で答えた。
「何を焦っているのかよくわからないけど、できる範囲で頑張るわ」
その後。
ランカを帰した後に食べたザッハトルテさんは、とても美味しかった。
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