第5話 婚約者を守れ2[王子視点]
魔女討伐の命を受けてから三週間が経った。
ケヴィンは彼に忠実な騎士たちと共に沼地に駐留し、際限なく現れる魔物からレティシアと近隣住民とを守っている。
王妃直属のお目付け役二人は、乱心したとの名目で部隊から放逐した。
王都に戻って盛大にあることないことを報告しているそうだが、あのまま部隊に置いていては指揮系統が混乱し、押し寄せる魔物の前に崩壊してしまうだろう。
苦渋の決断だった。
(ハメられたな)
苦々しくも、そう思った。
(魔女の濡れ衣をかけられたレティを守るためには、僕がこの場で指揮を執り続ける必要がある。僕が不在になっている間、王都では王妃や第一、第二王子派の連中が僕に不利な状況を積み上げてくるだろう)
聡い男である。
行動力もあるし、周囲からの信望も厚い。
自分と自分の婚約者がどのように陥れられたのか。人脈、金、子飼いの諜報員、その他ありとあらゆる手段を駆使して、この件のおおまかなあらましを掴んでいた。
再会してからの三週間。
レティシアは食事と睡眠をとり、ついでに身体の汚れを落としてケヴィンが用意した服に袖を通して、かなり回復していた。
彼女の体調が良くなるにつれて会話をする余裕もでき、聞きたい事は聞き終えていた。
「レティの話と、こちらが得た情報をまとめると」
平静を保とうとするケヴィンの表情に、隠し切れぬ忌々しさが覗いている。
「私を陥れる為に、あなたは呪いをかけられた。魔物を際限なく呼び込む呪いだ」
魔物召喚の研究は、実に百年以上も昔に隆盛を極めた。
発想自体は単純なものだ。指定した場所へ自由自在に魔物を呼び寄せられれば、ほとんどコストを支払うことなく他国へ損害を与えられるという。
だが、その研究は禁止されることとなった。
かつては戦争に利用するために各国がこぞって研究していた。技術体系も確立され、実用化された。
そして、凄惨な結果を招いた。
わずか百日で、大陸にある五つの国が滅びたのだ。
その魔物召喚呪文は、呪いという形で発動する。
指定された相手、つまり呪われた相手を中心に、魔物を呼びこむのだ。
呪いをかけてから最初のうちは、簡単に討伐できるゴブリンやオークといった最下級の魔物が数匹呼び寄せられる程度で、大したことはない。
だが、呪術は日を追うごとに強力になる。
ゴブリンが数匹どころではない、わずか数日で、数十匹、数百匹と現れるようになる。
のみならず、さらに強力な魔物が現れ続ける。
一度発動させれば、制御は利かない。
過去、そのあまりの危険さを認識した各国と教皇とが連帯して条約を結び、禁呪として歴史から葬られた魔法であった。
「その呪いのために、貴女は王都を捨ててこんな辺境にまで逃げ出した」
「逃げたわけじゃないわ。人の居ない所へ行かないと迷惑をかけるからそうしただけ」
「失礼。そうでした」
『こんな時に負けず嫌いめ』と思ったが、ケヴィンは口には出さない。
王都を離れたレティシアは、近づいてくる魔物を鉄拳で蹴散らしながら人の居ない場所を探して移動し、国の果てにあるやせ細って農業に適さない湿地帯へとたどり着いた。
無人の地だ。
誰にも迷惑をかけない一方で、誰かの助けも望めない。
人がいない場所では、お金を出して食料や燃料を調達することは不可能だ。全てを自給自足で賄わなければならない。
およそ一か月間。
七百時間を超える長期にわたり、レティシアは、たった一人で近づく魔物を蹴散らし続けた。
鍛えに鍛えぬいた筋肉と、培ってきたサバイバル技術とが彼女の命を繋いだ。
睡眠をろくにとれない。食事は倒した魔物の血肉だし、トイレなんて気の利いたものはない。生理用品なんて望むべくもないし、水浴びする余裕があるのは湿地帯に着いてから二週間までだった。
それでも耐えた。
戦って、戦って、わずかな休息をとって、また戦った。
集まってきた魔物達を全滅させてからまた集まるまでの束の間、彼女は休息することができた。
日増しに、現れる魔物の質も量もグレードアップしてくる。
下級の魔物だけではない。ウェアウルフやマッドバイターといった厄介な中級の魔物が現れるようになると、レティシアは一気に苦戦に陥った。
さらに粘った。気力と体力を吐き出しつくし、死力を振り絞って、もうこれ以上は無理だろうと折れかけた寸前に、ケヴィンの率いる討伐隊が現れたのだった。
「レティに魔女としての濡れ衣をかけることに成功すると、王妃は頃合いを見計らって私を討伐に差し向けさせた。
当然、私は貴女を討伐なんてできない。
呪いに引き寄せられた魔物は、貴女を中心にして際限なく湧いてくる。
私の率いる騎士団は、貴女の周囲にいる魔物達を討伐しながらも、魔物を駆使している貴女には手を出さない――はた目からはそう見える」
「知らない人からしたら、何故、魔物を呼び寄せる魔女を殺して終わらせないのかといいたくなるでしょうね。実際は魔物を呼んでなんかいないのに」
「そういうことです」
たき火の炎に照らされたケヴィンの顔は、苦々しげだった。隣にいるレティシアに配慮し、苛立ちを必死に抑えている。
「真相を何も知らない者にとっては、私は魔女の一味であるか、そうでないとしたら貴女に操られているかのどちらかということになる」
苛立ちの理由は、自分の立場が悪くなることに対してではない。
最愛の人を守れず、部下にも負担を強いる己の不甲斐なさに対してだ。
ケヴィンはレティシアと肩を寄せ合っていた。
王妃子飼いの監視役を放逐したことで謀反人として処断される危険があるにも関わらず、百名を超す部下たちはケヴィンに付き従ってくれていた。
彼らは今、二人から少し離れた場所で警護をしてもらっている。
湿地帯の夜は気温が下がりやすく、土も空気も水気をはらんでいる。
用意できる燃料には限りがあるから、という名目だったが、レティシアと身を寄せているのはどうにかして彼女を励ましたいという配慮と、彼自身が彼女と触れあいたいという打算によるものだった。
「ケヴィン。婚約破棄を宣言して私を見捨てるのが一番てっとり早い解決法だと思うけど」
スープを啜りながらそう言ったレティシアの口調は、あっさりとしたものだった。
自分の命がかかっているのにも関わらず、『お食事をとる際には手を洗うのが当然だと思うけど』くらいの口ぶりで、気負いがない。
自暴自棄になっているわけではない。
現実逃避しているわけでもない。
この娘はいつもそうなのだ。
戦場にあっては徹底して、自分の命すらも部品とみなす。
それが合理的だとみなせば、ためらいなく倫理や世間体といった枷を外してくる。
「その対応も一応は検討はしましたが、逆効果です」
「よかった」
レティシアの顔は疲れを色濃く残しつつも、笑みを浮かべていた。
「よかった?」
「愛してるから見捨てられないだとかのたまわれてたら、ぶん殴ってた」
なるほど、とケヴィンは得心する。同時にわずかだが安心した。
身体の疲労はともあれ、気力の方は持ち直したらしい。
これでこそ彼女だ。心身ともに逞しく、強い。
彼が見初めた世界一の婚約者だ。
「話を続けても?」
「ごめん。続けて」
「この呪いが禁呪指定された理由ですが、解呪の条件を満たさない限り、呪いをかけられた者が死んだところで効果が消える事はないからです。それどころか、死んだ場合には半永久的に解呪できなくなる可能性すらある」
「半永久的に?」
「ええ。最終的には数十万の魔物が押し寄せてきて、呪いをかけられた側だけではなく、かけた側の国も巻き込まれて滅びたケースすらありました」
「…………」
レティシアは絶句した。
嫌がらせにしては限度が超えているし、政敵(今回の場合は第三王子であるケヴィン)を陥れるためという動機にしても、国が滅びては本末転倒ではないか。
「どうやって収めたのよそれ?」
「伝説の聖女様とその仲間が現れて、国を埋め尽くす魔物達を根絶やしにする勢いで駆逐し、大規模な破邪の結界を張って事無きを得たとか」
「やっぱり筋肉は裏切らないか……」
地面に敷いた簡素な敷物に座り、あごに手を当てるレティシアの二の腕に、大きな力こぶが出来ていた。
美しい……と嘆息しつつ、ケヴィンはつっこむ。
「筋肉ではなく破邪呪文です」
「似たようなものでしょう。今回のていたらくも、ケヴィンに迷惑をかけているのも、私が弱いのが悪いのよ」
「迷惑をかけているのは僕の方ですよ。貴女は巻き込まれただけの被害者だ」
「不毛な言い争いはよしましょう。必要なのはこれからの対策。増援を見込めないのならあと三週間もつかどうか怪しいとみてるけど、実際どうなの?」
「……厳しいですね」
ケヴィンは、状況を包み隠さずに語った。
三週間、という見立てにケヴィンも同意見だった。
この件で、本国からの増援は望めない。どころか、十分すぎる戦力を用意したのに何故さっさと終わらせないのかと突き上げられている状態なのだ。
軍を繰り出しての魔物討伐は感謝されることが多いが、それは短期間でカタがついた場合だ。長期間の軍隊の駐留は現地に多大な迷惑をかける。
仮に三連隊、五百名の手勢を引き連れるとして、何もせずとも毎日千五百食をの食糧が必要になり、それが一か月となれば五万食弱の食糧となるのだ。
煮炊きをするための燃料も要る。
戦いとなれば医薬品欠かせないし、汚物の処理と水の確保が出来なければ疫病の発生源となってしまう。
物資を現地で調達するにせよ近郊の街から補給するにせよ、長引けば長引くほどに費用はかさむし、作物の収穫を期待できぬやせた土地で集められる量には限度がある。
王宮からの補給は拒否された。
それどころか、何故魔女を討伐しないのかと、矢のような催促と糾弾が続いている。
押し寄せる魔物の質も量も増すばかりだ。
ケヴィンの率いた精鋭は士気も高く、今は交代制で休憩をとりつつ持ちこたえてられているが、時間が経てば経つほどに不利になる。
おまけに王宮では、ケヴィンが居ないことを幸いに彼の悪評がばら撒かれている。
「術者を特定して呪いを解くのが最もスマートなやり方ですが、かんばしくありません」
「犯人の当ては?」
「主犯は王妃マリグリートと第一王子のユーゴー。他にどれほどの人間が関わっているかは心当たりが多すぎてわかりません」
「どうしてその二人が主犯だと見極められたの?」
「私がここに来た後にランカが身を挺して調べてくれました。今回の陰謀について、ユーゴーが自慢げにペラペラしゃべってくれたそうです。彼女、ユーゴーから一方的に好かれていますので」
突然にケヴィンの口から出てきたランカという愛称だが、レティシアも彼女とは知己であった。
だから特別の説明は要らないはずだが、レティシアは訝しげに尋ねた。
「ランカが? 身を挺して? 調べた?」
「何を驚いているのですか?」
「ランカが誰の事を好きなのかは知ってたから。私がそのせいでものすごく嫌われていることも」
婉曲な物言いである。それだけに言わんとしていることは明白だった。
「彼女はいい人ですよ。本当に。大切な幼馴染です」
苦い顔をし、しみじみとケヴィンは息をついた。
「ランカが好きな人は、ランカとは別の人を愛しているのです」
キザったらしく聞こえる台詞。
幼少期から染み付いたケヴィンのですます調は、骨の髄まで浸透しており、婚約者相手でも抜けはしない。
付き合いたての頃は煩わしかったが、それが彼の個性だと気づき、やがて慣れた。
「それ、きちんとランカには伝えてるの? ランカが利用できるからって、期待感を持たせていいように使おうとしてない?」
「もちろんです。その上で彼女は我々の為に動いてくれています」
きっぱりと、ケヴィンは言い切った。
「そう」
それ以上、レティシアは問い詰めることをしなかった。
ケヴィンが信用しているのだ。
レティシアがランカを信用するのには、それだけで十分だった。
「どうしようかね、この状況」
休憩は終わり、とばかりに、食事を平らげたレティシアは立ち上がるとマッスルポーズをとって己の筋力に魔力を上乗せした。
間近で見る凶悪&狂暴化な筋肉にケヴィンは一瞬うっとりとしたが、すぐに気を引き締めた。
周囲では、必死に部下たちが陣形を維持し、押し寄せる魔物たちを駆除している。
「二つほど手は打っていますが、どちらも時間を稼がないとどうにもなりません」
「持久戦前提か。どういう手なの?」
世間話をするように気負いなく、彼らは戦場へと復帰していった。
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