きっかけは、焼き鳥だった

磯風

譲れないもの

彼女と、喧嘩をした。


大学三年の頃から付き合っていて、卒業しても続いている四年目の冬。

最近飲みに行ってないな、と言う話からビールには枝豆だとか、冷や奴だとか言い合っていた時にあいつが言ったのだ。


「私、焼き鳥は塩の方が好きなのよね」


いやいや、何を仰有る。

焼き鳥はタレだ。

誰がなんと言おうと、あのタレ味に敵うものなど有り得ないぞ。

そう言った俺の主張を、いつもなら受け流すはずの彼女が、珍しく食ってかかってきたのだ。


「いっつも思っていたんだけど、どうして『私が』好きだって言ってるものに文句言うわけ?」

「だって、絶対にタレの方が旨いんだって。その旨さを理解しない方がオカシイだろ」

「もういいわ。帰る」


あ、あの顔はマジ怒りだ。

ちょっと待てよ。

たかが焼き鳥の好みが合わなかっただけで、一週間ぶりのデートを打ち切って帰るって!

その日、その瞬間から、彼女は全く電話にでないしメールもメッセージアプリさえ開いていない。


音信不通のまま三日間、もしかしてこのまま別れるなんて話になるんじゃないだろうか?と不安になった俺は既に結婚している同僚に相談してみた。

…原因は…恥ずかしいのでぼかしている。

いい大人が焼き鳥の好みで絶交状態とか、言えないだろ。


「うーん…食の好みってのは生活の基本だからなぁ…合わない人とは付き合えないよな」

同僚にそう言われ、改めて考えてみたが結構好みは合っていたと思うんだ。

唯一、焼き鳥だけが…。


「本当に『唯一』?彼女がおまえに合わせてたんじゃないのか?おまえ、ちゃんと彼女の好み知ってるのか?」

…いつも『俺の好きな店』で『俺の好きなもの』ばかりでも、断られなかったから…彼女も好きなんだと思っていた。


「まずおまえは彼女に『好み』を聞く所から始めろよ。誰だって好きなものを否定されりゃムカついて当然だ」


俺は同僚に言われて、少しだけ考えた。

彼女が『好きだ』って言った事…多分沢山あったはずなのに、俺は何一つ覚えていなかった。

食べ物も、服も、店も。

いや、好きな色さえも覚えていない。


そう呟いた俺に、同僚は呆れ顔で言った。

「それ、本当に付き合ってんの?」


急に背筋が冷たくなった。

え?俺、勝手に思い込んでただけ?

俺が彼女を好きだから、彼女も断らなかったから…。

付き合っているつもりなんてない…なんて、今更言われたら立ち直れない。


胸のざわつきを抑えながら、俺は彼女の家の前まで走った。

まだ会社から戻っていないのだろうか、彼女の部屋は灯りが付いていない。

ここで待っていたらヤバイかな?

メッセだけでも入れておくか?

いや、もしそれで避けられたから……。


「何やってるのよ、こんな所で」

不意に後ろから声をかけられて、自分でも信じられないくらい驚いた。

心臓って、本当に飛び出しそうになるんだな。


「だ、だって…連絡取れねぇから…」

もじもじと呟く俺の耳に、彼女の溜息が聞こえる。

「そうね、連絡したくなかったんだもの。あたしが怒っている訳すら解らない人と喋りたくもなかったのよ」


訳…って、焼き鳥だろ?

「あなたって…まず私を否定するのよね。私が好きだって言うものを全部。そろそろそういうの、限界なの」

彼女は声を荒らげるわけでもなく、俺を罵るでもなく、淡々と語る。


「あなたは自分の好みを私に理解しろって言うくせに、私の好みを理解しようとはしないのよね」

「嫌なら…断ればいいじゃないか」

「私は『否定される』事が嫌だって言ってるだけで、あなたの好みのものが嫌な訳じゃないわ。でも、あなたが私に『全部自分に合わせろ』って言っているようにしか感じなくなったの。だから、暫く時間を置きましょう。それで駄目になるなら、そこまでだったって事だわ」


彼女はそう言うと踵を返し、振り向きもせずに家に入っていった。

俺はただ、呆然と彼女を見送り…これで多分終わってしまったんだ…と目の前が真っ白になった。




「へぇ、係長が焼き鳥食わないのって、そういう過去があったからなんですかぁ」

あれから六年、俺は未だに独身で彼女はいない。

部下と一緒にたまーに飲みに来る居酒屋で、珍しく酔っぱらって若き日の恥を話してしまった。

あの日から、焼き鳥は全く食べられなくなった。

タレも、もちろん、塩も。


「俺が塩の焼き鳥が好きだったら、別れなかったかもなぁ」

そう言うと部下はへらへらっと笑って、いやー絶対無理っしょ、などと言いやがる。

「係長、頭固いんすよね。別にどっち好きだって、好み違ってたって全然カンケー無いっすよ」

「食の好みは重要だろうが」

「えー?だって別に、いつもいつもどっちかの好きなものばっか食べなくたっていいじゃないっすか。どうしても譲れないなら、タレも塩も両方作りゃいいだけで、片方しか食えねぇって考える方が変っすよ」


両方?

そんなこと、面倒だって断られるに決まっている。

そう言うと部下は信じられないって顔をする。

「はぁ?相手が毎日全部料理をするっていう前提なんすか?そりゃ酷ぇっすよ、係長!家事は分担しなきゃ。今時のイイオトコは台所で輝く男っすよ」


驚きが隠せなかった。

俺は、自分が何もしない気でいた事を初めて自覚した。

そうだ。

結婚したら『手伝う』つもりはあった。

でも『自分の事として』やるつもりは、全く無かったのだ。


だから、俺の好みを知ってもらえば、それを彼女が好きになってくれれば『面倒じゃなくなるはず』と…気を遣っていたつもりだったのだ。

とんだ思い違いだ。


「俺は、彼女とは好みが違う方がいいっすねぇ。そしたら、俺の好きなものを俺が作って食べてもらって、彼女が好きなものは彼女が作って食べさせてもらえるから、いろんなものが食卓に並んで楽しそうっす」


にこにことビールを飲みながらそう言った部下に、俺は自分が恥ずかしくなった。

俺は基本が全く出来ていなかったんだ。

今度好きな人が出来たら、ちゃんと好きなものを聞こう。

そして、誰かの好きなものを否定しない人間になろう……。


それが出来たら、きっと俺はまた美味しく焼き鳥が食えるようになるに違いない。

勿論、タレの焼き鳥に決まっているけどな。


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きっかけは、焼き鳥だった 磯風 @nekonana51

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