花とハチドリ

Aiinegruth

第1話 花とハチドリ

 鳥が燃えているのがみえる。そういって、いつもコリブリは私に泣きついた。コリブリは小学校エコールに入ってきたのも一○歳からで、遠くから聞こえるいじめっ子の言葉によれば、山火事で林業がダメになって、親戚のつてでボルドー辺りから越してきたらしかった。彼は大きく世間ずれしていて、それがこの気高い街の性悪たちの格好の餌食になった。持ち物を隠されたり、無視されたり。私が見ていられず声をかけるきっかけになったのは、前期中等過程コレージュに入る直前のことで、彼が抱えた小さな袋を面白半分に奪われそうになっていたときだった。ただぼんやりとしているはずのコリブリが、暴れた。いかにも病弱そうな彼の体躯で放った拳が、クラスメートのリーダー格に当たって、彼を囲った数人の怒りを買った。そこに、私が割り込んだ。

「熟れたトマトより不細工にしてやるぞ!」

 そういうと、男たちはとても不満そうな足取りで椅子へ戻っていった。というのも、私の父はパリ議会議員で、なかでも名の知れた一人だった。そのことを幼い私は深く思い至らず、多くの友達を持ち、影響力のあることを、自分の勇気と人望のためといつも胸を張っていた。

「じゃあ花を、見に行きたい。僕は、それをここに探しに来たから」

 私は同世代のなかではスタイルも良かったし、勉学にも優れていた。ディオールも、セリーヌも、何でも強くお願いすれば手に入った。コレージュに入って三度目の国民祭典。びっくりさせてやろうと思い、特別高級な身だしなみで人波を分け、パリを案内してあげるといったとき、コリブリが照れも困りもせずそんなことを返してきたのにはとてもショックだった。

 病弱そうな同い年の彼は、どうも珍しい花を探しているようだった。彼が必死そうに抱えていた袋の中身は種で、育てたものの、思っていたものとは違ったという。

「せっかく助けてあげたのに! この姿を見て何かないの!」

「あっ、ごめん……。ええと、そうだ、洋服に刷られているね! はー―」

「花はわたし!」

 もうこの唐変木の前で花弁の模様の服は着ないぞ! そう決意し、賑やかなコンコルド広場に力いっぱい地鳴りを起こしながら私は歩き出した。出会って二年経っても、コリブリはまだ燃える鳥を泣くことがあったし、私はどんな学校行事のなかでも彼の家族をみたことがなかった。視界の右、横合いに伸びたパレードは続く。夜の暗さを押しのけるくらい、祭りの明かりは眩しく、人々の歓声と喧騒はやまない。私はそれでも、彼の手を取り無粋に地面を踏みつけて進んだ。火事が何を奪って、彼が何に縋っているのか。頭のいい私にはもう分かっていた。

「たまには私に付き合ってよ」

 一週間後、私は彼を美術館に誘った。ゴッホも来ているらしいし、どんな花がいいのか絵で探した方が分かるかもしれない。といって誘い出したが、ありがたいことにルーブルには何でもある。私がコリブリの手を引っ張って向かったのは、ナスカの地上絵の写真展だった。本当は花でさえなければ何でも良かったが、私の趣味に合うものでありがたかった。エッフェル塔の三分の一くらいの大きさの巨大な鳥の砂模様について力説していると、どうも興味はあるらしく頷いて聞いてくれた。

「フルールは、それが好きなの」

「ええ! 力強くて、砂の中でさえ神々しさがある! 私は歴史のある昔のものを大切にしたいけど、なかでもこの鳥は特別!」

「そっか。そうだね、へへ」

 勢いよくまくしたてると、コリブリは出会ってはじめて照れたように笑った。それが悔しくもあり、嬉しくもあって、私はどうしていいか分からない顔で目線をさまよわせると、結局、もうっと叫んで、ひまわり展に彼を引っ張っていった。そこからは何があったか覚えていない。一緒に屋台で焼き鳥を食べて、映画を見に行って、それから――何もかもがほわほわする心地で終わったその日の夜、私は血相を変えたメイド長に迎えられた。

 父が政治汚職で取り調べを受けている。パリにはもういられないかもしれない。目が覚めても、実感が湧かなかった。夢を見ているようで、朝食のあいだ、ずっと昔に死んだ母親の顔が脳裏を過った。今日は学校に行かなくて良い。騒ぎになってはいけないから。私は登校時間を過ぎてもじっと部屋に飾ったハチドリのポスターを見て、何処へ行き場もない気持ちのまま、パジャマ姿で家を飛び出した。開いた扉から吹き込んだ冷たい風でカレンダーが揺れる。一四歳の誕生日は明後日だった。

 私は泣いてはいなかった。けれど、友達も、物も、幸せも、全てが消えてなくなってしまう鮮明な予感があった。何よりも深い不安から、私は逃げる以外のことができなかった。行くなと言われた学校の門の前に辿り着くと、そこに彼がいた。道脇に車を停め、ジラール氏の子女だぞ! と叫んだ記者たちよりずっと速く私の前に走り来たコリブリは、そのまま私の手を取って、飛ぶように駆けだす。

 あまりに簡単に振り切れたのが、不思議でたまらなかった。私たちは疲れを知らない足でどんどんと進み、やがてパリ郊外のヴァンセンヌの森のなかにはいった。白い肌の彼に先導されるまま、林冠が開き、草原になっている場所まで辿り着く。

「探していた花を、見つけたんだ。二○○○年後は、確かこの国の当たりに咲くはずだったから」 

 森厳とした静寂に浮かぶ、神性を帯びた笑み。コリブリが、私の知っている世間ずれした少年の姿が、いつの間にか帳を降ろしていた夜に翼を拡げる。一瞬、余りの眩さに目をつぶり、風圧に髪を乱されながらも、私は見る。燃える鳥。紅く炎を纏って光を上げる、全長九六メートルのハチドリが、大空に浮いてこちらを見下ろしているのを。

「僕たちはね。宇宙に散らばった、特別な花の蜜を探して旅をする種族なんだ。はじめて君たちのところにも芽吹いたのを見つけてから、いくつも星系を巡ってきた」

 だけど、今回は落ち方が悪くて、自分の絵をみるまで、自分のことを思い出せなかった。僕の父も母もここにはいないよ。心配させて、ごめんね。

 あまりに突飛なことを立て続けに言われて、思考が不安定にある。焼けたハチドリは、私の足元、草原の隙間に咲いた見たこともない色の花弁に鋭い口吻を伸ばす。吸う。時間は数秒。満足したように植物全ての影を引く煌々とした明るさのまま空を飛び回り、ともすれば宇宙に帰ってしまいそうな彼を、私は泣きそうな叫びで呼び止めた。

「私だって、フルールだよ」

 好きだ。私は、コリブリのことが好きだった。これからどうすればいいか分からない不安も、訳の分からないことになった怒りも含めて、喚き散らすように訴える。すると、その気さえあれば神聖さの圧力で全てを焼き払うばかりの鳥は、とんっと、人の姿に戻った。

「二○○○年に一度の?」

「そうだよ!」

「――そうか、分かった。僕も好きだ。ありがとうね」

 

 翌朝、自分のベッドで目を覚ましてメイド長に言われたのは、父の容疑はどうやら冤罪だったということだった。あれからどうやって帰ったのかは分からなかった。学校に行ってみるとそこにもうコリブリの席はなく、誰も彼のことを覚えていなかった。あの少年は消えてしまったらしい。自分がおかしいのかと思った。長い夢をみていたのか。幻覚か、病気の類か。しかし、日を過ごして、ベッドに沈んだときに零れるこの涙は何だろう。祭りの街を歩いたことも、美術館を巡ったことも、交わした言葉も、全部憶えているのに。全部私一人の幻だったのだろうか。

 三日経った夜、気の乗らないパーティーから抜け出すと。中庭の空気を吸う。遠く見える星々の明かり。あれの何処かにコリブリはいるのか、いないのか。想ってまた溜まった涙にうつむくと、頭上から大きな羽音がする。それに、何か熱い。

「化け物だぁああああ!」

 信じられないくらい驚く父の声に顔を上げると、エッフェル塔の三分の一の大きさのハチドリが、屋敷を覆うように浮いている。加えているのはエッフェル塔くらいの長さの巨大な植物の茎だ。

「お誕生日おめでとう、というんだろうフルール! 僕は勉強してきたよ! ほら、プレゼントにここから六四光年先で拾ってきた特別な茎だ。この星ではとても見れない強靭で貴重なやつだぞ! 伝説にもなっていて君の好きな歴史もある!」

 爆音。振り回される植物に三階の角部屋になっている父の書斎がぶち当たって粉々になるのが見える。幻か。幻だな。あ、破片でちょっと頬切った。幻じゃないわ。

「こんの焼き鳥! 加減を覚えろ! まず小さくなれ!」

「このくらい?」

「手乗りサイズになるなら茎ごとやれえええええええ!」

 ふざけた騒動が一段落して、降り注ぐ金剛の茎と屋敷の損傷と私の怪我を不思議な力で消滅させたコリブリは、少年の姿に戻って、何食わぬ顔で父に挨拶をしている。鳥と少年が同一人物だと気付いていない父は、混乱と酔いが回り過ぎたらしい。私がはじめて一人の男友達を家に招いたと勘違いして、そのまま何事かと駆けだしてきた政治経済界の重鎮や名のある芸術家たちに次々と泣きついている。

「二○○○年に一度の花のために帰ってきたよ、フルール」

 神秘的な笑顔に、そっと頷く。

 この日から、私たちのひどく派手で賑やかな恋が始まったのだった。

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