最後の一日

ひなみ

終わったもの、始まるもの

「いつもその席なんですね」


 有線から流れるBGMが今日はやけにと聞こえる。

 気付くと騒がしかった店内には大将とおかみさんと僕。

 そして、隣の席にはスーツ姿の女の人が座っていた。


「僕を覚えているんですか?」

「うん」

 彼女は誰もいない客席をぐるっと見渡すと、

「だって、あれだけうるさい人達がいる中でずーっと静かにしてるんだもん。逆に気になっちゃうよ」

 再びこちらを見て微笑む。


「人の輪に入るのが苦手で……、いつもああなんです。でもあなたが。え……っと」

 名前すらも知らないこの人に、何と説明したらいいのかを僕は迷っていた。


「あ、とりあえず自己紹介でもしますか! じゃああなたからどうぞ!」

三橋みはしです。大学二年生です」

「あー、じゃあ私のほうがお姉さんか。御崎葵みさきあおい、社会人一年生であります!」

 彼女は子供のように無邪気に右腕を挙げて答えた。


「御崎さんが、その……なんて言うかですね」


 彼女は「ん~?」と顔を覗き込むとすぐに頷いた。


「もしかしてお酒足りてないんじゃない? すいませーん!」

 カウンターの向こうに元気よく声を響かせる。


「おう、葵ちゃん。何か焼くかい?」

「生ビール二つと……じゃあ、ねぎまとハツはタレで、ぼんじりは塩で二本ずつ!」

「あいよぉ!」

 いつもながらの威勢のいい、元気の出るような大将の声だ。


「はいお先、生ビールね」

 おかみさんがジョッキを両手にやってくる。


「じゃ、かんぱーい!」

 それを軽くカチンと合わせる。そういえば乾杯は新歓しんかん以来だなとそう振り返る。

 それをいつものようにゴクゴクと流し込んだ。


「おー、三橋君って結構いける人だね?」

「まあ、そこそこですけど……」

「で、さっきの話の続きだったね」


 話し始めろと言う事だろう、彼女は何も言わずにじっと見ていた。

 次第に心臓の音が速くなり痛い。

 それでも腹をくくろうと思い残りを一気に飲み干すと、少しだけ顔が熱くなるのを感じた。


「ここに来る時はだいたい御崎さんがいて。――会話の中心で笑っているあなたを見ていました」

「え、そうなの!? どうして?」

「僕にはそうなれないのがわかっているから。ずっとあなたにあこがれていたんだと思います。ごめんなさい。こんな男、気持ち悪いですよね……」


 直後間が空いた後、恐る恐る隣の席に顔を向ける。

 すると彼女はと美味しそうにねぎまを頬張っていた。そしてビールをぐいっとあおった。


「ぷはー。そんな事ないよ。君のその気持ちってすっごいわかるから」

「わかる……?」

「だって、私も昔は三橋君みたいだったから。だからわかるの」

 彼女はと人懐っこく笑って続ける。


「でもね。多少無理してでもいいから、その日だけは笑えたら。何かが変わるのかも知れないって思うようになってさ」

「それで変化が?」

「いつもと世界が違って見えたんだ。……なんてね、格好つけました。あはは!」

 言い終わると彼女はぐいぐいとまた飲み始め、ジョッキをカウンターに置く。


「でもね、それだけじゃやっぱり辛い日もあるから」

「あるから?」

「この店で大騒ぎしてなかった事にしてた。はあ、でもなぁ――」


 その彼女の声は途中から意識の外へと向かった。

 いつもと比べてもそこまで飲んだつもりはないのに、思考が過剰にぐるぐると巡って仕方がない。


「おーい聞いてる? 三橋君、ちょっとスマホ出して~?」

「え、はい」

「よし。おっけー! じゃあ私行くね!」


「二人とも、今までありがとうございました。楽しかったです!」

「こちらこそ、ありがとうね」

 御崎さんとおかみさんは握手を交わしていた。


「じゃあね!」

 その一言だけを僕に向ける。飲みすぎたのだろうか、頬をすっかり紅く染めた御崎さんはと笑いながらふらふらと店を出ていった。


「あなたが最後のお客さんになるのね。毎日のように来てくれてありがとう」

 おかみさんが御崎さんのいた席を片付けながら声を掛けた。


「僕を……覚えていたんですか?」

「私達ね、あなたを我が子のように見守っていたの。不思議よね。子供を授かる事ができなかったのもきっとあるのかしら?」

 彼女はこちらの空になった皿を下げながら、

「それでね、いつか一言でもいいから話ができたらって、ずっとあの人と話してたのよ」


 それが聞こえていたのか、腕組みをしていた大将はと顔を逸らした。

「ちょっと待っててね」冷蔵庫から何かを取り出したおかみさんは、こちらに駆け寄ると小声で告げる。


「これ、持っていって。あの人がどうしても残しておいてくれって聞かないものだから」


 丁寧に竹皮に包まれた焼き鳥が十本、いや、二十本はあるだろうそれを手渡された。


「いいんですかこんなに?」

「ええ。よく火を通して早いうちに食べてくれって。直接そう言えばいいのに。あの人、本当素直じゃないんだから」

「大将……」

 小さな声でそう呟いて僕は彼をずっと見ていた。それでも視線が合う事はなかった。


「あなたは後悔をしないように、思った事をちゃんと伝えるようにしてね。……あらやだ、いらないお節介。年寄りの戯言ざれごとだと思って?」


 マフラーを巻いた僕は、店を出てしばらく見つめていた。

 下げられた暖簾のれんに、貼られた閉店のお知らせ、段々と消えていく店の明かり。


 ――ありがとうございました。

 深々と一礼をすると、ずっしりとした手応えと共に帰路きろに着く。

 ふうっと上空に吐いた白い息は、舞い上がるとすぐに消えていった。

 ポケットからスマートフォンを取り出し、若干震える手でメッセージを入力する。



『御崎さん、よければまた明日飲みませんか? 今日言い忘れた事があります』

『仕事で遅くなっちゃうと思うけどいいよ! で、言い忘れた事って何かな?』

『それは明日になってのお楽しみです!』

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最後の一日 ひなみ @hinami_yut

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