帰れないソロキャンプ

芦田朴

帰れないソロキャンプ

 坂上アキラは地図にも乗っていないような、この小さな無人島にやって来た。地元の人にモーターボートを借りて、この島に辿り着いた。アキラは去年からキャンプブームに乗っかって、ソロキャンプにハマってしまっていた。人とのつながりなんて煩わしいだけだ、と感じていた。


 このビーチも海も空もすべて自分のものだ。何をしたって自由だ。アキラはビーチで伸びをして、沈みゆく真っ赤な夕陽を眺め、解放感に浸っていた。

 

 アキラはテントを組み立て、缶ビール片手に火を起こした。この日のために奮発して買ってきた最高級和牛のヒレ肉と宮崎地鶏を鉄板で焼いた。牛肉と焼き鳥のなんとも言えないいい匂いがアキラの鼻をくすぐった。あまり焼きすぎると、美味しさが逃げてしまう。少し表面が焼けたくらいの時に早々に裏返して、鉄板の上でナイフで切った。


その時だった。

背後に気配を感じて振り向いた。

一人の老人が立っていた。


「兄ちゃん、美味そうな肉だなぁ」


その老人は150センチほどの身長で、背が低く、髪は腰のあたりまで伸びていて、口元は真っ白な髭で覆われていた。アキラはその老人の佇まいに寒気がした。そのいでたちからして、昨日今日キャンプに来たのとは違う、ここにずっと住んでいるようだった。


「兄ちゃん、俺にも少し分けてくれんかな」


アキラは気持ち悪さを感じてはいたものの、断る事が出来ず、切り分けた肉の3分の1をその老人に差し出した。

老人はその肉を受け取るとすかさず口に放り込み「美味いなあ」と言って、顔じゅうに皺を寄せた。


「これにビールでもあれば最高だろうね」


アキラは仕方なく、クーラーボックスに冷やしていた缶ビールを差し出した。

老人は「いいの?」と言うや否や、すぐに缶ビールを開け、ゴクゴクと一気に喉に流し込んだ。


      ♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


すっかり陽は落ちて空には満天の星空があった。この老人がいなければ最高だったのに、アキラはそう思った。その老人はアキラの缶ビールをいくつも開けた。老人は満足し切った顔でこう言った。


「おかげさまで、生き返ったよ。あんな美味い肉とビール、久しぶりだったなぁ、ありがとうありがとう」


焚き火の木がバチバチ燃える音がした。


「あの、ここに住んでるんですか?」


「ああ、俺か?住んでるというか、帰れなくなったというか」


「あの、ここにどのくらいいるんですか?」


「わからん。ここには時計もないからな。今は平成何年だ?」


「令和ですよ」


「レイワ?なんだそりゃ?」


「元号が変わったんです。今は令和4年」


「俺がここに来たのは平成15年だったからなぁ」


「えっ?じゃあ20年近くここにいるって事ですか?」


「そんなになるのか……。俺も最初はキャンプに来ただけだったんだがな」


「帰れなくなったんですか?」


「そう。船が流されちまってな。ここはケータイも繋がらないしな……兄ちゃんもキャンプに来たのか?」


アキラは自分が乗ってきたボートが流されてないか、立ち上がって確認した。流されてないのを確認して、座った。


「ええ、そうです。ソロキャンプっていうのが今流行ってて」


「なんだそりゃ?ソロってひとりって意味か?ひとりでキャンプに来て何が楽しいんだよ」


そこでアキラに変な胸騒ぎがした。


「あ、あの、お爺さんは……ひとりで来たんじゃないんですか?」


「友達3人と来たんだよ」


「えっ……?」


「あとの二人は死んだ」


アキラはその老人の一言に、心が凍りつく思いだった。自然死なのか、自殺なのか、それとも……。

この老人といたらヤバい。死因はわからないけど、殺されるかもしれない……!できるだけ早く逃げなきゃ!明日の朝、あたりが明るくなったらすぐに逃げよう!

 老人は2時間ほど、いろいろ語った後「そろそろ寝るか」と言って去って行った。

 去って行ったのを見計らい、アキラは陽が明けたらすぐに帰れるように、荷物をまとめてから横になった。寝るつもりはなかったが、身体が疲れていたせいでいつの間にか、寝落ちしていた。


       ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


 明け方目を覚ますと、アキラは自分が眠ってしまっていた事に気づいて飛び起きた。テントをたたみ、荷物をまとめてモーターボートが止めてあるところに向かった。その途中、異変に気づいた。

アキラは荷物を投げ出し駆け出した。

 

 ボートがない!


 確かにここに停めていたのに!波に流されてしまったのか?落ち着け、落ち着け!パニックになりながらあたりを見渡した。


 モーターボートをくくりつけていた紐が落ちていた。紐が切られた跡があった。ズボンのポケットに入れていたはずの鍵もなかった。


 あの爺さん、やりやがったな!


アキラは思わず、空に向かって雄叫びのような、大きな叫び声を上げた。 


     ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


坂上アキラがこの島に取り残されてから、1か月が経過した。アキラはこれまでのキャンプ経験を生かし、飲み水を確保し、魚や草を食べ、なんとか生き延びていた。髪も髭も伸び放題になったが、見た目を気にする余裕などなかった。一刻も早くここから出たいと考えていた。


 日々の食物確保と並行して木を切り、脱出するためのイカダをコツコツと作っていた。そんな時、遠くからモーターボートがこっちに向かって来るのが、見えた。


 ーやった!帰れる!


ボートがビーチに着くや否や、坂上アキラは駆け寄って言った。


「すみません!僕をこれに乗せて本土に連れて行ってくれませんか?僕、遭難してしまってこの島に1か月いるんです!」


ボートに乗っていたのは20代の若い二人組の男だった。男は黒いサングラスをかけ、半袖のシャツからはタトゥーが見えていた。少し怖く感じたが、アキラは必死だった。そのボートに乗るしか、帰る方法がなかったからだ。二人組の男の1人が言った。


「は?ナニ訳わかんねー事言ってんだ」


「僕、家に帰りたいんです!でも帰る手段がなくて」


「俺たちは今着いたとこだろうが!なんでお前の為に戻らなきゃなんねーんだよ」


「お願いします」


坂上アキラは砂浜で土下座した。


「コイツ、臭っ!キタネー奴だな、あっち行け」


「お願いします、帰ったら何でもお礼しますから」


「うるせーな、痛い目に遭いたくなけりゃ、俺らの前に二度と顔見せるな!このボートに指一本でも触れてみろ、海の魚の餌にしてやるからな」


二人組はそのまま坂上アキラをおいて、ビーチにテントを立て始めた。アキラは砂浜に顔をつけたまま、悔しさのあまり泣いた。


      ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


夜になった。男たち二人組はテントの前に焚き火をして宴会をしていた。坂上アキラは彼らが眠りに落ちた後、こっそりボートを拝借しようと考え、岩場の陰からその時を伺っていた。


 夜中2時を過ぎた頃、ビーチは静かになった。二人組はどうやら眠りについたようだ。そこからさらに1時間待ち、二人組が完全に眠ったのを確認し、アキラは彼らのテントに向かった。ボートの鍵を手に入れなくてはならない。アキラは足を忍ばせてテントに近づいたが、二人組は完全に眠っており、起きる気配はなかった。おそらく貴重品と一緒に鍵を入れているはずだ。彼らは無防備にもテントの中にサイドバックを投げ出していた。アキラはテントの中にそっと入り、バックのチャックを開けた。


 -あった!鍵だ!


アキラは鍵だけを抜き出し、テントから抜け出した。テントから出ると彼らがボートが停めていた場所に向かって全速力で駆け出した。


 -やった!やった!これで帰れる!


アキラは彼らがボートを停めていた場所に着いた。あたりを見回すが、ボートが見当たらなかった。


ずっと岩場の陰から彼らの行動を監視していたから、ボートの場所を移動させてはいないはずだ。


ではなぜ……?

波に流されてしまったのか……?


その時だった。

数メートル先に人影が見えた。


「ソロキャンプとやらを楽しんでるかな?」


それは坂上アキラのボートを盗んだ老人だった。


「えっ?なんで……?」


「キミが乗ろうと考えていた二人組のボートだけど、紐を切って波に流しといたよ。キミが乗って来たボートも同じようにしたんだよ」


-この爺さん、帰ってなかったのか、ずっとこの島にいたのか!なんのために、そんな!


「理由なんかどうでもいい、覚悟しろ」


坂上アキラの怒りは頂点に達し、爺さんを追いかけた。しかし爺さんの逃げ足は早く、暗闇ではすぐにその姿を見失ってしまった。


     ♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢


 坂上アキラは荷物をまとめて夜が明ける前に、すみかを移動した。夜が明けたら二人組の男はボートやボートの鍵がない事に気づき、自分を探すだろう。彼らはそのいでたちから、あっち側の人たちに違いない。彼らに見つかったら最後、命はないだろう。

 いくつもの岩場を乗り越え、できるだけ遠くに向かった。2、3時間ほど歩いた頃、地平線から陽が登るのが見えた。


その時だった。

リュックの中からケータイのメールの着信音が鳴った。


えっ?ここ、ケータイつながるのか…!


慌ててリュックからケータイを取り出した。

ケータイの画面を見ると、アンテナが一つだけ立っている。ケータイは充電器に繋いでいて、かろうじて電池がギリギリ残っていた。


『今、どこ?』


『みんな心配してるよ』


100件近い着信と数十件のメッセージが来ていた。


-やった!やった!電池が切れてしまう前に、助けを呼ばなくちゃ!


坂上アキラは震える手で、電話した。


ーもう独りはコリゴリだ。みんなに会いたい!


ケータイ電話の上にボタボタと涙がこぼれた。


 地平線の上の太陽は坂上アキラに助けの手を差し伸べるように、まっすぐ海の上に光の帯を作っていた。








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