第141話 絶望に堕ちた少女は灰色の空を見上げていた
リューカ視点
あたしとブティック店員は、街から東へ進んだ場所に位置する隕石跡地へと足を運んでいた。
そこには文字通り、隕石が衝突したかの様な大きな窪みがある。
まるで、逆さまにしたプリンを形取ったような衝突痕。
薄茶色の地肌が広範囲に渡って露出していた。
そんな荒地にも、所々緑が生え始めていて自然の力強さを痛感させられる。
跡地の周囲を囲むのは高く
それが余計に跡地の異常性を引き立たせていた。
そして、この荒地のどこかにエリゼがいる。
一帯を包み込む魔力の発生源であるこの場所に。
それにしても、とんでもない魔力量ね。
質量を持たないはずなのに重たさを感じてしまう。
「何これ……邪神も腰抜かすレベルの凶悪魔力なんですけど?」
「エリゼさんってば完堕ちしちゃってるみたいですね」
「ねぇ、手荒な真似せず正気に戻す方法ってあると思う?」
「んー……心に訴えかける的な甘い考えのことでしたら、それは避けた方が吉ですね。
エリゼさん、言葉より拳で理解しようとする人ですし」
「はぁ〜、やっぱそうよね。
あいつの容態次第だけど、できれば穏便に済ませたいな。
力で勝てるワケないんだし」
「大丈夫ですよ。きっとエリゼさん、手加減してくれますから」
「してくれないと困るわよ」
はっきり言ってエリゼは規格外だ。
ギルドでも最上位クラスの評価を受ける『テンペスト』と呼ばれるパーティ。
そのメンバー全員が全力で襲い掛かったとしても、無傷で捻り潰してしまう程の力を持っている。
そんな相手と真正面から争っていては瞬殺必至の負け試合。
説得する側のあたしは屈服させられてしまうだろう。
つまり、あたし達の勝利条件はエリゼを力でねじ伏せることじゃない。
今回の最優先事項は、街を包んでいる大量の魔力を再び押さえ込ませる、あるいは消費させること。
そもそもこの魔力はどこから湧いてきたのか、普段のエリゼからはこんな多大な量の力を感じ取ったことがないとか。
とにかく、そういう難しいことは後回し。
まずはできることから取り掛からないと。
「このまま正面突破しますか?」
「いや、無理でしょ……とりあえず外周を回るわ」
「え〜なんでそんな面倒なことするんですか?」
「魔術師の実力はどれだけ準備したかで決まるのよ。
面倒なら先に始めてもらってても構わないけど」
「私に死んで来いと?」
「そう言ったんだけど」
ブティックを営んでいるだけとは思えない女を連れ、窪みの淵に沿って外周を進み始めた。
地図によると、この跡地は半径三キロメートルの円形をしているらしい。
円周上を普通に歩いていたら何時間も掛かってしまうので、加速術式を展開させて走る。
歩幅を等間隔に保ち、その一歩一歩に魔力を込め術式を大地に打ちつけていく。
どうかこの魔術がエリゼに通用しますように。
「実際のところ、私達どれぐらい持ちそうです?
私の予想だと一時間ぐらいは粘れると思うんですけど」
「もって二十分ってとこね」
「……冗談ですよね? 私、これでも魔力測定の魔族内ランカーですよ?」
「劣等感育むランキングなんて悪趣味ね。
ランキング入りしてる奴全員殴り飛ばしたいわ。
……って、あんた魔族なの?」
「そうですけど。てっきり気付かれてると思ってました」
「なんか、予想通り過ぎてつまんないわ」
一ヶ月程前、初めて対面した瞬間に人じゃないと分かったその時点である程度予想はついていた。
とは言え、こうもあっさり白状されると反応のしようもない。
何かしら匂わせてから答え合わせをして欲しかったな。
「エリゼさんやメイドのお方には秘密にしておいてくださいね」
「二人ともそういうの気にしないタイプでしょ。
打ち明けてみてもいいんじゃない?」
「え、そ、そうですかね。ははは……ていうかこんな驚かれないことあります?
あの、私魔族なんですけど? 聞こえてます?」
「うるさいなぁ」
時間を掛けて円周上を回った後、あたし達はようやく窪みの中へと足を進めていた。
凹凸の岩肌が散りばめられた斜面を降り、地上から数メートル下の地面を進む。
改めて辺りを観察して分かったけど、どう考えても隕石が衝突した跡とは思えないな。
こんな大きな傷跡があるってのに、落下してきた星の欠片が見つかっていないなんて話有り得るはずがない。
……今考えることでもないか。
硬い地面を歩く。
寂しい景色の向こう側に、黒い人影が見え始めていた。
それが誰かなんてことは分かりきっている。
あたしと店員の間から会話は消えていた。
魔力に含まれている負の感情が濃くなるに連れ、緊張が襲ってくる。
この先に、探し続けてきたあの女がいる。
そう考えるだけで自然と体は強ばり始めていた。
寒気を帯びた風が吹き抜けて前髪を突き上げる。
セットの余裕すら無かった上に、こうも髪を乱されると不快感が極まってくるわね。
隕石跡地、円形のその窪みの中心部に近い地点。
黒いドレスを身に纏った幸薄そうな少女が立っていた。
ストレートに落ちる青みがかった黒髪は、哀愁漂う秋の風に煽られている。
露出した地肌と遠くに見える木々を背景にして、黒いドレスの少女は灰色の空を見上げていた。
その儚さはまるで芸術作品のよう。
あたしが画家なら今すぐデッサンを開始しているかもね。
見惚れるぐらいに綺麗なその光景を台無しにするようにあたしは告げる。
「どこの誰かと思えば、あたしが何日も探し続けてきた馬鹿女じゃない。
イメチェンかしら? にしては、あんまり似合ってないわね。
二つ結びに戻した方がいいわよ」
空を見上げていたエリゼは、だらんと首を垂らしあたしの方へ視線を向けた。
風で揺れるスカートを押さえながら少女は言う。
「何しに来たの、リューカちゃん。それと……店員さん……?」
言葉は通じるみたいね。
このまま説得して屋敷まで連れ帰られたらいいんだけど。
隣の魔族はニコニコと笑顔を振り撒きながら手を振っていた。
多分、こいつには人の心が分からないんだと思う。
深く息を吸う。
その空気が全身を巡って声になった時、感情を少しだけ乗せて目の前の少女に贈ってあげた。
「エリゼ、アンタを連れ戻しに来た」
あたしの声を耳にしたエリゼは俯く。
少女が地面を眺めている数秒間、世界は確かに止まっていた。
風も、雲も、あたしも、何もかもが静まり返っていた。
「わたし、もう帰らないよ……これから全部壊すんだ」
「はぁ……あんた、本当にあのエリゼ?
あんたに何が壊せるって言うのよ」
「全部だよ……わたしを不幸に陥れるこの世界を壊して、わたしも死ぬ」
これまでのエリゼの口からは絶対に出てこないであろう言葉だった。
ずっと押し込んでいた本音を解放したのか、シュガーテールの代償による洗脳なのかは分からない。
だけど、どちらにしろその選択は許せない。
少し先で待っている幸せに手を伸ばせなくなるその破壊を、許してはいけない。
安心して、エリゼ。
あたしがあんたを幸せにする手助けをしてあげる。
「だったら、あんたをぶっ飛ばすだけよ」
「……ねぇ、なんで?
なんでリューカちゃんはいつもいつもわたしに酷いこと言うの?
そんなにわたしって嫌われものなの?
嫌だ、嫌だよ……。
なんで……そんなこと言うの……。
わたしばっか……わたしばっか除け者にするなよ……」
今まで目にしたことのないエリゼの姿がそこにあった。
泣き出しそうな顔と、恨みや妬みを宿した鋭い瞳。
敵意を剥き出しにしてあたしを睨みつけている。
エリゼから受ける初めての憎悪は、あたしの胸を酷く刺していた。
やっぱり、痛いな。
大切な人から向けられる敵意って、こんなに苦しいんだ。
かつてのあたしはこの痛みをエリゼに与えていた。
救ってくれた恩人に対して、あたしは酷い仕打ちをかけてきた。
最悪だな、ほんと。
錯乱しているエリゼが今見えている景色は、きっと一年前のあたしだ。
テンペストに入ってから、ずっとエリゼを虐げてきたあたしの醜い姿。
あたしは変わることができたけど、過去のあたしは変われない。
過ちという傷は呪いよりも深く跡を残す不治の滅し。
あたしが気付かなかっただけで、エリゼの中には今でも昔のあたしがいる。
ありがとね、エリゼ。
許しきれていない馬鹿な女を受け入れようとしてくれて。
……。
「あんた、世界を壊すつもりなのにあたしの言葉で傷付いてるワケ?
あはははっ! 絶望が聞いて呆れるわ!
かまって欲しいだけなら最初からそう言いなさいよね」
「うっ、うるさいうるさいうるさい!!
リューカちゃんなんて一人じゃ何もできないくせに!!」
こいつ……理性で抑えてたあたしへの感情を素っ裸で放ってきてるわね。
心のどこかで思っていたけど口にすることは避けていたその言葉。
なんだか親近感が湧いてくるな。
ほんの少しだけ彼女を神聖視していた意識を引き戻してくれる。
ミュエルもあんたも所詮はただの人間、人を外れてなんかいなかったんだ。
繊細な癖にそれを蔑ろにして、終いには精神の自重で潰れてしまう。
二人とも生き方が心と合ってないのよ。
辛い時は人を頼る。
そんな簡単なことを教えてあげる。
「だからあたしは人を頼るんでしようがあああ!!」
本日二度目の怒声は前回を凌駕する声量で放たれた。
なんだかすっごく爽快だわ。
心配し続けてきた一週間分の疲れが全部弾け飛んだ。
「うううううっ!! もうっどっか行ってよ二人とも!!」
「嫌よ。世界の存亡が懸かってるみたいだし。
破壊神になりたいなら、まずはあたしらを倒してからにしなさい」
「ですって、エリゼさん。どうします?」
店員の問いに対してエリゼは頬を膨らませて対抗する。
年相応の少女どころか、これはもう幼女だ。
絶望に堕ちたと言うよりは、今まで抑え込んでいた本音が溢れ出ているだけなのかもしれない。
「もう知らないから! 二人ともころっ……ぼ、ボコボコにしてあげる!!」
そこで言葉に詰まってるようじゃ、悪役にはてんで向いてないわね。
本心を解き放っても善性が残ってるなんて、笑えちゃうぐらいに綺麗。
やっぱりあんたはどこまで行ってもエリゼ・グランデなのよ。
「私が撃ち合うので、リューカさんは遠距離攻撃お願いします」
「最初からそのつもりよ……殺されないでよ?」
ブティック店員は嘲笑う様におすまし顔を見せつけると、あたしの前へ進んでいく。
その後ろ姿はやけに頼もしかった。
ただのブティック店員じゃないことは明らか。
ほんと、なんなんだこの女は。
「おいでませ、
店員を名乗る魔族の両手に、ハサミを模した刀が召喚された。
黒く艶やかな刀身には青のグラデーションが若干掛けられていて、純粋に美しいという感想が出てくる。
そして、ドレスを纏った少女もそれに応じる。
「来て、シュガーテール。甘いお話を聞かせてよ」
呪いを統べる健気な器が召喚される。
ほんの一週間前まで謎だらけだったその大剣。
今となっては同情の念すら抱ける程に理解が深まっている。
自分を疎かにして他人を救おうとするエリゼにはお似合いの武器だわ。
シュガーテールにとっても、一番相性の良い主人なのかもね。
「一応言っとくけど、ちゃんと手加減してよね」
「……やだ」
髪を揺らしていた風は鳴り止んだ。
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