第142話 昔、怠惰で馬鹿だと思っていた少女は、遥か遠い空から彼方を見上げる孤独の剣士だった
リューカ視点
誰よりも早く動いたのは二刀を構える魔族だった。
始まりの合図は彼女の滑走。
瞬時に姿勢を落とし、人間の可動域では再現できない動きでエリゼに詰め寄る。
勢いを秘めた速度を以って二振りの刃で連撃を仕掛けていく。
縦横無尽に振われる斬撃は、魔術で強化した眼球をもってしても追いきれなかった。
継続的に金属音が鳴り響く。
それは、手数の多い二刀流の攻撃を全て受けきっていることの証明。
エリゼは自分の身長よりも大きな剣を軽く操作して、魔族が振るう数多の刃を対処している。
重力を思わせない身のこなしと大剣の扱いは、足りない技術をパワーで補っているように見えた。
力任せであったとしても、ここまで強ければ質なんてものは関係ないんだろうな。
続く様にあたしも漆黒の杖を構える。
そして、杖の先端へと魔力を流し込み始めた時だった。
あたしのすぐ右側を何かが突っ切った。
背中の方から轟音と砂埃が立ち上がる。
遅れてやってきた暴風に煽られながら振り返ると、地面に頭から突っこんでいる魔族の女がいた。
どうやらエリゼに吹き飛ばされたらしい。
「全然撃ち合えてないじゃないの!?」
盛り上がった砂の山から頭を抜き、体勢を立て直す魔族の滑稽な姿が見える。
ついさっきまで「一時間ぐらい粘れますけど」的な大口を叩いていたのに、数秒足らずでダウンさせられるなんて悲しすぎる。
流石にこの状況でそれは笑い話にもならないわ。
「いてて……今の間に二千回は撃ち合いましたよ。
一応報告しときますけど、エリゼさんってば手加減極薄の非情娘状態です」
……最悪ね。
少しぐらい甘くしてくれてもいいのに。
ま、勝算なんて甘い指標は初めから作っていないし、端から負け試合であることは覚悟している。
それでもあたしは、エリゼをメイドの元へ帰すために戦うんだ。
「あんた、エリゼの動きを予測するとかできないの?」
「無理ですよ!
エリゼさんの戦い方
「接近戦に持ち込まれたらあたしは即死なんだから、あんたが踏ん張ってくれないと困るわよ」
嫌味を口にした瞬間、後方で立ち上がりつつあった魔族は視認できない速度であたしの目の前へ接近していた。
やたらと綺麗な顔が近付いてきたことで、若干たじろいいでしまう。
「リューカさん、よそ見は禁物ですよ」
そのまま肩を上から潰すように押されて、背面を地面に叩きつけられる。
あたしの視界は女の顔から曇り空へと切り替わっていた。
「いだっ!」
痛みによる反射で情けない声を出した直後、目と鼻の先を斬撃が通過した。
禍々しい残像を残すそれはシュガーテールによるもの。
強引に押し潰されていなければ、今頃あたしの体は真っ二つだ。
「これで理解してくれた?
わたしが二人を躊躇なく倒せるって。
引き返すなら今のうちだよ」
仰向けになったあたしの頭上で魔族と刃を交えながら、エリゼは冷ややかにそう言った。
……違うわね。
あんたはあたしに剣が直撃しないことを確信していた。
だからこそ、思う存分振るうことができたんだ。
希望的観測が過ぎるけど、あたしはエリゼを信じている。
あんたにあたしは殺せない。
「リューカさん邪魔!」
二刀流の魔族はそう言うとあたしを蹴り飛ばした。
精密な脚使いだった為か、痛みを感じずに体は空を舞っている。
本来ならブチギレ確実だけど、今回だけは大目に見てあげるわ。
宙を横断しながら、中断していた杖への魔力流入を再開させる。
狙うはエリゼの後頭部。
杖の照準をぐっと合わせて詠唱を始める。
「深い海の底、月影を抱いて私は眠る。アタラクシアベール!」
展開したのは視界を奪う無形の魔術。
不可視の術式は、エリゼの後頭部目掛けて一直線に進む。
流石のエリゼも光を失えば弱体化は免れないはず……。
そんな思惑を阻むように、透明色の魔術が着弾する直前、ガラスの割れる様な音が荒地に鳴り響いた。
「嘘でしょ……」
ブティック店員との対峙に変化はなく、エリゼは劣ることなく刃をいなし続けている。
結果として、あたしの魔術は不発に終わっていた。
鳴り響いたあの音はおそらく。『魔力障壁』と呼ばれる術式が破壊されたことで発生したもの。
大気中に存在するエリゼの魔力自体が、主人である少女を自発的に守っているらしい。
いわば『自動魔力障壁』。
厄介極まりないけど、それで魔力を消費させられるのならいくらでもやりようがある。
人外の蹴りで吹き飛んだ体はようやく大地へと足を着ける。
それでも完全に消えていない勢いを靴底で受け止め、摩擦で速度を殺していく。
大事なブーツがゴリゴリ削れて泣きそう。
……障壁による魔術の相殺か。
だったら、エリゼ以外の部分を狙えばいい。
例えば……あんたの重さを支えている場所とかね。
「理、それは変幻自在の空想。大罪を英雄に、曖昧な夢を現実に。
狂わせて、
詠唱したその魔術は、いつかの日に起きた
物質の形状や構造を書き換える魔術。
饅頭や液体を鉄のように硬くさせられる優れもの。
もちろん、その逆も然り。
エリゼが二本の足で立っている地面を、スライムのように柔らかくさせた。
大剣を誇る少女は、液状化した地面に吸い込まれるように落ちていく。
「きゅっ!?」
太ももまで埋まってしまったエリゼは、突然の出来事に驚き可愛い声で鳴く。
そのまま体勢を大きく崩したが、あんたの実力なら華麗に抜け出せるだろう。
けど、それはあたしみたいな凡人が相手の場合に限る。
今、あんたの目の前にいるのは正真正銘の魔族。
名前も種族も知らなければ素性も知らない謎の女だけど、暴力と商売魂だけはピカイチよ。
「エリゼさん、そんな蹴りやすい位置に頭を持ってきちゃいけませんよ?」
そう言って彼女が膝蹴りは繰り出し、無慈悲にもエリゼの顔面を貫いた。
魔族の体重がどれほどなのかは知らないけど、強烈な一撃であるはずだ。
究極の一打を受けて、少女は斜め上方向へと打ち上げられる。
上体と顎を仰け反らせながら落下していく。
完璧なコンビネーションだった気がする。
認識できない速度を店員が、彼女の刃が届かないエリゼの隙をあたしが狙う。
そうやって互いを補うことで、エリゼによる一方的な状況を作らせないって寸法。
「私達、結構相性良いですね」
「これが終わったらパーティでも組んじゃう?」
「その前に貸した魔力は倍で返してくださいよ」
「来世払いで頼むわ」
「しっかり来世まで取り立てますからね」
無駄口を叩いている間に、受け身も取れずに地面へ叩きつけられたエリゼが起き上がり始めていた。
少女はこちらを睨んでいる。
「……顔はやめて欲しいな」
エリゼは、ドレスに付着した砂を払いながら静かにそう呟いた。
「なんかエリゼ、無傷っぽいんだけど」
「ですね……鼻を折った感触はあったんですけど……」
「多分、魔力を治癒力に充てがっているのかも」
さっきの『自動魔力障壁』といいこの埒外の治癒力いい、エリゼが保有している魔力は異常だ。
魔力そのものが意思を持っているかのよう。
「ってことは……いくら斬っても大丈夫な訳ですね」
徐々に魔族らしい部分が露呈しきているな、この女。
普通、大切な人の顔面に膝蹴り喰らわせるなんて抵抗があるはずなのに、その上エリゼの体を切り刻もうと意気込んでいる。
危ない女だな。
「えー……いやだな、痛いのは」
「お店のクーポンプレゼントさせて頂くので、それで許してくれませんか?」
「もう……必要ないよ……」
二刀を携える女は再び走り出す。
螺旋を描くように乱舞する魔族に対して、エリゼは滅茶苦茶な動きで応じる。
片手で大剣を振り、空いたもう一つの手でブティック店員の手首を掴んで連撃を阻む。
そこから横腹へと蹴りを差し込み、魔族の強靭な体を弾いていた。
柔軟で乱暴な戦い方は誰かの影響かしら。
大剣と刀を激しく撃ち合う彼女らは、あたしから徐々に遠ざかっていく。
きっと、あの店員からあたしに贈られた気遣いね。
魔術師が最も戦いやすい距離を保持してくれている。
力の差に圧倒されてやや怯んでしまっていた体へ血を流すよう頬を叩く。
「しっかりしろ、あたし」
漆黒の杖に組み込んだ術式へ魔力を流し込む。
魔力は、持ち柄に刻まれた擬似的な魔法陣を巡り発光する。
光は杖の先端部分へ集い球状となる。
脳内で「射て」と念じると、魔力の弾丸が勢いよく放たれた。
赤黒く光る魔力の弾丸はエリゼに向かって突き進む。
これは、『自動魔力障壁』によって防がれることを前提としたコスパ最高率魔術。
杖に魔力を流すだけで発動できる詠唱要らずの術式。
その代わり威力は軽い擦過傷を作れる程度。
防御の必要が無いそんな柔い魔術も、エリゼの『自動魔力障壁』は完璧に対処してくれるだろう。
軽い術式を何度も放ち、弾幕を展開する。
無数の魔弾がエリゼを襲った。
「鬱陶しいなぁ……」
あたしが放った魔力の塊がエリゼ自身に着弾することはなく、周囲に溢れる魔力によって妨害されている。
それでいい。
ほんの少しづつだけど、確実にエリゼの魔力を削っている。
「私には当てないでくださいね」
「分かってるわよ、あんたはとにかくエリゼを押さえつけといて」
何度も何度も魔弾を撃ち続ける。
その都度魔力障壁の割れる音が響き、戦況を混沌へと誘う。
この弾幕はブラフの意味も併せ持っている。
平坦な攻撃で油断したところに特大の魔術をぶちこんであげる。
弾幕と二刀流に対応するエリゼが漏らした隙らしき瞬間を捉えて行動を開始する。
荒地を力一杯走り抜けて幅跳びを行う。
大地から跳び上がり、滞空状態で数種の術式を展開させる。
体を空中で止める為の魔法陣を放ち、エリゼから貰ったバカでかい杖を彼女へ向けた。
恩を仇で倍返しか。
この杖、絶対エリゼへ向けちゃいけないのにな。
感情を殺して叫ぶ。
「極密無制限魔力流動砲零式っ!」
それは、圧縮した魔力を熱量に変えて撃ち放つだけの単純な術式。
術式の名を叫ぶと、杖の先端から赤黒い光線が放出された。
空間を絶え間なく揺らす魔力の波動は進み続ける。
反動で体が軋む。
骨の髄まで痛みが走る。
そんな苦しみも今だけは無視する。
借りている魔力を豪快に浪費することになるけど、出し惜しみはしてられない。
その分、エリゼが体内から溢れさせている膨大な魔力も消費させられるはず。
あたしが放つ柱のような魔力は店員ごとエリゼを包み込む。
店員ごととは言え、術式の源である魔力を保有している彼女が傷付かないよう調整はしあるので問題は無い。
けど、あたしの想定通りにことは進まなかった。
いち早くあたしの魔術を察知したエリゼは、相対する女のこめかみに回転蹴りを喰らわせ吹き飛ばす。
そして、大剣を両手で構えて呪文を唱える。
「時折」
御伽大剣を力一杯振るうと同時に、空間に見えない壁が現れた。
魔力を大量に含んだ波動は壁によって断絶されてしまう。
……いや、違う。壁なんかじゃない。
これはまるで、次元ごと削られているような……そんな違和感を覚える斬撃だ。
こうして、あたしが撃ち続ける魔力砲はいとも容易く攻略されてしまった。
魔力の流入を中断し大地へ降りたあたしの頭は、好奇心と驚愕に支配されている。
「何今の……」
「エリゼさんのオリジナル魔術ですね。
斬撃に術式を乗せて空間を無に帰す技です」
あたしの側まで跳ねてきた魔族は、側頭部を押さえながらそう言った。
「オリジナル魔術!?
嘘……あれって思春期の馬鹿が皆通る道だと思ってたけど、あたし以外にマジで現実にしちゃうやついるんだ……」
「自分のこと棚にあげてます?」
「ちょっとだけね」
実際のところ、新たな魔術を作る難易度は結構高い。
作成に成功したとしても、大抵の場合は燃費最悪の出来に仕上がるため実戦で使われるなんてことはまず有り得ない。
それをこの女は、膨大な魔力を蓄えているのをいいことに燃費を気にせず繰り出してきた。
進む道の果てが遠のくのを感じる。
「もう十分だよね。これ以上戦っても無駄だよ……」
「確かに無駄ね。さっさとあんたが折れてくれると嬉しいんだけど」
「リューカちゃんだって……こんな世界嫌でしょ……?」
「まあね、ずっと嫌だったわ」
生まれつき魔力を生成できなかったこの体が嫌い。
それなのに魔術師を夢見てしまったこの心が好き。
あたしを入学させなかった魔導学院が嫌い。
あたしを受け入れてくれたあんた達が好き。
うん、そう。
だから大好きなんだ。
「けど、今はこの世界が大好きよ。
エリゼ、あんたは何かを、誰かを好きだって思わないの?」
エリゼは心底つまらなそうな顔をする。
そして、唾を吐き捨てるように言う。
「無いよ、そんなの。
……全部……消えちゃったから。
……もう疲れちゃった……終わらせちゃうね」
黒のドレスを捲るように風が起こる。
終焉を漂わせる冷たい空気がより寂しく吹き抜ける。
曇天は歌う、大地は唸る。
光は逃避を始めて闇が集う。
少女は忌み名を口にする。
「聖なる罰が降る時、罪人どもは其れに気付いて逝けるのだろうか……メープルアーク。
──十三本一斉解放」
エリゼの周囲に蒼銀の槍が現れた。
浮遊する槍の群れは宣言通りに十三本。
本来なら、十三本目を召喚した時点で星の外へ追放される呪いの器。
彼女がその場に留まることができているのは、シュガーテールが槍の呪いを絶望と負の感情に変換させているから。
蒼銀の槍に囲まれた黒いドレスの少女は浮遊する。
十三本目の召喚を成功させたことで、エリゼは何らかの祝福を得たんだと思う。
おそらくは、空間を自由に移動できる力辺りかな。
ヴァニラアビスですら知り得なかったその力を以て、黒いドレスの少女は空へ浮かんでいく。
人々の手が届かない空の下でエリゼは世界を見下ろす。
続け様に囁いた。
「最果ての岬で巡り会う過去と未来。
探してはいけない、信じてはいけない。
真実と夢を委ねて……パルフェランデヴー」
空を歩く少女の左手に、機械的な見た目を持つ大きな杖が召喚された。
命じればその言葉通りの魔術を再現してくれる魔法の杖が。
数年前にエリゼが契約したそれらの器からは、綺麗に呪いが取り除かれている。
今のエリゼに代償は伴わない。
呪いの器は祝福を誇る武装へと昇華していた。
特異を授ける槍と杖を持つ聖騎士一歩手前の少女。
そんな怪物が相手だとしても、あたしは一歩も引いてあげない。
どんなに強力な武器を召喚しようが、大切な女から貰ったこの漆黒の杖には敵わないんだから。
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