第139話 亡き親友が大好きなあなたに贈る最後のアドバイス
ミュエル視点
私の背後には、亡くなったはずのナルルカ・シュプレヒコールが立っていた。
もう二度と会えないと思っていた友人を目にして喜ばなければいけない場面だといのに、純粋無垢にそれを表すことはできない。
なぜなら、私の友人はご主人様の普段着を身に付けていたから。
嬉しさよりも、怒りや驚きが湧いてくる。
それに、これはアレだ。
噂に聞いていた怪異的なアレ。
「お、お化けだ……」
「せいかーい! アタシってば超が付くほどに幽霊少女。
ミステリアスってカンジでテンション絶上がり!」
ナルルカらしき者は瞳の前でピースサインを翳してそう言った。
何度目を擦っても彼女はそこに居る。
精神に異常をきたした私が作り上げた幻影なのか、それともこの現実世界に実在しているのか。
呆気に取られて何が何だか分からなくなった私は、ほとんど脈絡の無い問いを口にしていた。
「……銀色に染めたのか?」
私の知っているナルルカは桃色の髪をしていたはずだが、今目の前にいるナルルカはどこからどう見ても銀色の髪を
セレナや大司祭であるララフィーエと同じ銀色を。
髪色が変わるだけで雰囲気が一変するんだと思考の隅の方で感じていた。
今の彼女は少しだけ知的に見える。
「いや、逆!!
今までずっとピンクに染めてたんだって!
さすがに気付けよ〜」
「お前……ほんとに何なんだ……?」
本物のナルルカにしか見えない。
私が作り出した幻影にしては
言葉の選び方や口調に加えて、体の動かし方までもが本人そのものだった。
それともこれは夢なのか。
痛覚が搭載された革新的な夢なのか。
情報量が多すぎて脳みそが焼き切れそう。
突如としてやってきた混乱を諭す様に、ナルルカは私の目の前へ近づいてきた。
「アタシは魔術によって再現されたアタシ。
ほら、文通魔術の転用だよ。
紙類に術式を組み込んだ時点のアタシが、術式展開後に魔力体として再現されるアレね。
それをエリゼの日記に仕込んどいたんだ。
ミュエルちゃんが手に取れば発動するようにって」
簡単に整理すると、ご主人様の中にナルルカの魔力が残っていて、それを元に魔術を日記へ組み込んだ。
私が触れたことで術式が展開され、ナルルカが発生したというころらしい
つまり、今目の前にいるのはナルルカを再現した思念体ということか。
例え再現された存在だとしても、二度と会えないと思っていた友人と再び相まみえた事実を喜ばしく感じる。
ただ、一つだけ聞き逃せない説明があった。
釣り針を直接喉に差し込まれたような気分だ。
「私がこの日記を盗み見ること、それを予見していたのか?」
私自身、ご主人様の部屋へ入ろうだなんて今まで一度も考えたことがなかった。
その覚悟ができたのはつい数分前のこと。
それをこいつは見越していたと言うのか。
当のナルルカは嬉しそうに頷く。
「ミュエルちゃんのことなら何でも知ってるからね、アタシ。
恋をするとしたらきっと大胆になっちゃうってことも。
だから、この鉄壁城塞のエリゼルームにも侵入してくれるって信じてたよ」
最悪な信頼のされ方だった。
それに、改めてこう事実を並べられると最低なことをしているんだと実感させられる。
ご主人様には後で謝らないとな……。
「こんな回りくどいことしなくても、直接口にしてくれれば良かったのに」
「残念だけど、それは無理っぽい。
なんてったってアタシはただの魔力だからね。
日記に術式を組み込めたのも、エリゼハートの助けがあったおかげだし」
確証は無いけど、エリゼハートが表に出てくる条件はご主人様が『死』を選ぼうとした時。
考えたくはないが、ご主人様はこの部屋で少なくとも一度は自ら命を絶とうとしたことがあるということになる。
それが巡り巡って私とナルルカが再び言葉を交わせられた訳だけど、すごく複雑な気持ちだな。
「念の為聞いておきたいんだが、ご主人様の服を着ているのは故意じゃないんだよな?」
ナルルカは自分の体を見下ろすと、肩を跳ねさせて驚いた。
そのまままじまじと衣装を観察する。
服の裾を摘んでみたり腰を捻って背中の方を確認すると、苦笑いで私を見つめてきた。
「おぉ……マジか……すっごいパツパツなんですケド。
……んー、今のアタシってば実質エリゼの一部みたいなものだから、その影響かなぁ。
ちょっと恥ずかしいな……ははは……」
ナルルカの趣味とは程遠い衣装を強制的に着せられてしまったらしく、赤面を晒していた。
「そういうことか。ナルルカが照れるなんて珍しいな」
「流石にこれは恥ずいっしょ。
ちなみに、今のアタシってほぼ映像だから触れられないんだよねー。
ごめんね、抱きしめてあげられなくて」
分かりやすく話題を変えてきたが、その内容も割と辛めだ。
「残念だな……」
忘れられず最大の心残りであった親友の死。
そんな彼女が今目の前にいると言うのに、触れることができないのは酷く悲しい。
「あはは! そーゆー素直なとこ超大好き!
あ、そうだ……初めに言っておくけどさ、泣くなよ相棒」
「善処するけど、約束はできない」
混乱している状況故に感傷が襲ってきていないだけ。
会話を続けていく中で、後悔や悲しみは徐々に蘇ってきている。
色々な要素が集まって私の心が掻き乱されていなければ、落涙は避けられなかっただろうな。
「死んじゃってゴメン的なカンジで色々謝らないといけないことはあるんだけど、そういう湿っぽいのはナシね」
「湿っぽいというか、ナルルカが謝りたくないだけじゃ……?」
「せいかーい!
だってアタシ、未だに感謝される側だって思ってるからね?」
「ああ、そうだな……ありがとう。私を生かしてくれて、本当にありがとう」
目の前で笑う彼女は魔術によって再現された存在。
いくら感謝を述べても本当のナルルカには届かない。
でも、それでも伝えて良かった。
これが擬似的な再会で本物には程遠い事象だとしても、二度と口にする機会が回ってこないと思っていた感謝を伝えることができて本当に良かった。
「それで良し! アタシの分まで楽しく生きろよ!」
ナルルカは満面の笑みでそう答えた。
こっちまで綻びてしまいそうなその笑顔は、底抜けに明るく私の心を晴らしていく。
「……さ、ミュエルちゃん。少しお話しようか」
友人はおちゃらけた表情をゆっくりと消し去り、真剣な眼差しで私を見つめる。
ここから先こそが本題であると、和やかな空気は一変して冷気を漂わせ始めた。
ナルルカがわざわざ術式を仕掛けてまで姿を現したのは、私と雑談をする為ではない。
これは何か重要なことを報せる為の顕現。
例えば、私が知り得ないご主人様に関する情報とか。
「アタシがここに現れたのは、『奇跡』っていう魔道具について伝えなきゃいけないことがあるからなんだ。
時間もないからパパッと説明しちゃうね」
『奇跡』とは、
ナルルカの形見でもあった腕輪のこと。
「知っての通り、『奇跡』は膨大な魔力を際限なく集める魔道具だよ。
で、こっからがミュエルちゃんの知らない情報。
『奇跡』は使用された対象に乗り移るんだ」
「今のご主人様は『奇跡』そのものだと?」
「うん、そーゆーこと。
今この街を包んでるこの魔力も半分程は『奇跡』が集めたものだと思う」
ご主人様は『奇跡』の特性を受け継ぎ魔力を溜め込んでいたということか。
なら、考えを改める必要がある。
単なる魔道具だと思っていたそれは、呪いの器に類される物。
ヴァニラアビスが保有していた、契約の対価として代償を背負わせる道具となんら変わりはない。
「けど、問題はそこじゃないんだ。
ミュエルちゃん、覚悟して聞いてね。
この最悪な魔道具は奇跡級の魔術を起こす代わりに、使用者にとって一番の幸せを奪っちゃうんだ」
「え……?」
「『奇跡』はさ、エリゼが一番大事にしていた幸せを奪ったんだよ」
「それって……まさか……」
「ミュエルちゃんが作ってくれる料理。
それがエリゼの幸せだったんだ。
だから、『奇跡』は代償として味覚を奪った」
嬉しさと悲しさがごちゃ混ぜになって込み上げてくる。
日記に目を通し始めた時からずっとこうだ。
あらゆる感情が体の中で蠢いている。
私の料理を至高の幸福だと思われていたのはすごく嬉しい。
だけど、その幸せは私が奪ったも同然だ。
私があの遺跡に腕輪を落とさなければ、ご主人様は『奇跡』を使わなくてもいい未来が待っていたはず。
……。
「でも、それが呪いと呼ばれる代償なら、シュガーテールが負の感情へ変換しているはずなんだ」
「え、あの大剣そんな力あるんだ。
んー……だったら、あの時実際に『奇跡』を使ったのはミュエルちゃんっだったりするんじゃないかな。
だから、代償としてミュエルちゃんの幸せを奪ったとか」
「そんな……」
『奇跡』を使用して幸せを奪われたのが私。
『奇跡』を受ける対象となり、次世代の『奇跡』へと変えられてしまったのがご主人様。
これなら全ての辻褄が合う。
私の幸せはご主人様そのものだ。
この屋敷に来てから数週間でそこまで彼女に想いを
『奇跡』は、ご主人様を不幸にすることで私の幸せを奪ったと言うのか。
私が恋をしなければ、ご主人様は幸せを奪われずに過ごせていたのだろうか。
そもそも、私がご主人様と出会わなければ……。
「私のせいだ…」
「そうだよ。
だから、ミュエルちゃんはエリゼを救わなければいけない義務がある。責任がある。
落ち込んでる暇なんてないんだよ。
それに、きっとエリゼもミュエルちゃんに救われたがってるはずだし」
「ご主人様の愛は聖騎士に向けられたものだ……今の私じゃない」
日記を読み込んでそれを理解した。
最悪の想像が現実になってしまったんだ。
ご主人様が恋をしていたのは、聖騎士の私だってことを。
今の私に向けているのは、現実と理想がかけ離れていたことに対する落胆。
「聖騎士ミュエルはミュエルちゃんじゃないってこと?
赤の他人だってこと?」
「聖騎士ミュエルは過去の私だ。今の私とはもう別人なんだよ。
もう、あの頃の私は残っていないんだ……」
そう言って俯いた直後、私の視線と床の間に頭が突っ込まれた。
銀髪の少女は、私を見上げながら不快感を全開にした顔を見せつける。
「はぁ……ミュエルちゃん自分から不幸に飛び込んでない?
アタシ、そういうのめっちゃ嫌い。
過去の手柄も自分のもんでしょ?
図々しく生きてこーぜ相棒」
「でも……」
腹の底から勝手に出てくる言い訳を遮る様にナルルカは言葉を被せてきた。
「ミュエルちゃんはエリゼの本音を全部見たワケだ。
エリゼがミュエルちゃんのことをどう思っていたか、今はどう思っているのか。
エリゼが何を抱えていたか、何に悩んでいたのか。
その全貌を目にして、ミュエルちゃんはどう思ったの?
失望した?
嫌いになっちゃった?
エリゼと出会わなければよかったって後悔した?
……アタシに全部曝け出してよ」
……。
……。
……ご主人様と出会わなければよかった……そんな残酷な世界、絶対許せない。
日記に綴られたご主人様の内側を目にして私が思ったこと。
失望もしていなければ、嫌いにもなれない。
直接言葉にしてくれなかった私への感情を目にして、悲観に染まれるはずがない。
胃もたれするほどの好意と、私に対する諦めの悪さ。
考えるだけで温かくなる。
汗ばむ程に熱くなる。
氷土の様に冷えきっていた私の心に、世界を変えてしまう何かが芽生え始めていた。
今、私の中を満たしている感情。
それは今まで感じたことのない強大な何か。
比喩ではなく、その何かは精神を作り変えていっている。
ナルルカが命を落としたあの日に壊れてしまった心。
それを再び破壊し尽くしていく。
私は今、何を思っているのか。
ナルルカへその問いの解を伝える。
「私は、ご主人様が大好きだ」
親友は満面の笑みを浮かべた。
私の足元から腰を上げると、豪快にピースサインを突き出す。
「その意気だぜ、メイド!」
喜びを乗せた声援が耳の奥に響いていく。
私は、素敵な友人に囲まれていたんだな。
「今は私の一方通行かもしれないけど、それでも私はこの想いを伝えたい」
ご主人様は今、私に対して恋を抱いていない。
だとしても、そんなことはもう関係無い。
私はこの熱を存分にぶつけたい。
会いたくて仕方がない。
触れたくて伝えたくて堪らない。
「ね、ミュエルちゃん。
経験豊富っぽいアタシが一つアドバイスをしてあげるよ」
「豊富っぽい……?」
雰囲気と容姿だけ見れば恋愛博士を名乗れそうな女だが、そのイメージとは真逆で色恋沙汰に対して全く興味を示していなかった気がする。
経験豊富っぽいナルルカは自慢げに語る。
「恋って、普通は片思いから始まるんだよ。
最初から両思いの恋が欲しいなんて、ちょっとワガママすぎるんじゃない?」
「え……? そうか……言われてみればそうだな。ふふっ、ほんとだ。
片想いだからって悲しむ必要はなかったんだな」
ダイヤモンドの様に硬くなっていた脳みそが、綿菓子の様に柔くなっていくのを感じた。
ご主人様が私を想っていないからって、全てを諦めて打ちひしがれるのはあまりにも早計。
それに、結局私は諦められなかった。
私の一方的な感情でも、それは確かに恋なんだ。
ご主人様が私のことを思っていなかろうと、この恋は止まることを知らずに突き進んでいく。
恋は諦められない。
「ね、ミュエルちゃん。そろそろ狂気が満ちてくる頃じゃないかな?」
「狂気?」
「自分を変えてしまうほどの熱のこと。本物の恋ってヤツだよ」
ああ、そうか。
私に芽生え始めていたのは、恋心か。
熱く燃える魂が叫んでいる。
頭も心もご主人様のことで満杯だ。
「ナルルカのおかげで、前に進めそうだ。
本当にありが……とう……?」
ナルルカに目を向けたことで、私は言葉に詰まってしまった。
彼女の体が透過し始めていたから。
体を構成していた魔力が薄れていっている。
消失の兆しが発生していた。
なのに、ナルルカはいつもと変わらない緩い表情で私に笑いかける。
悲しみもせず、苦しみもしない。
君が後ろを向かないのなら、私もそれに応えたい。
けど……やっぱり難しいかも……。
「んー、すっごく名残惜しいけど、そろそろお別れかな」
「また……会えるのか……?」
これは、ごく僅かな可能性が積み上がって成された再会だ。
ナルルカが表に出てくる方法がこの術式だとしたら、もう一度会える可能性は限りなく零に近い。
……。
「こらこら、今考えないといけないのは大好きな女の子のことでしょ。
死人のアタシを考えるなんて人生の無駄遣いだって。
ほら、ミュエルちゃん。
扉へ向かって進んで、エリゼへ向かって走るんだ」
「……うん、分かった」
「あ、おめかしはちゃんとしていきなよ?」
「うん、うん……ナルルカ、ありがとう。さようなら」
生まれて初めてできた友人に背を向けて歩き出す。
かつて交わすことのできなかった別れと感謝を告げて進み始める。
私はもう、挫けない。
木製の扉に手を掛け押し開く。
おめかし、か。
メイドの私が大好きなご主人様へ想いを伝えるために、まずはその支度から始めないといけないな。
「じゃあね、アタシの親友。
愛するあの子を抱きしめにいっちゃえ」
誰もいなくなってしまったご主人様の部屋から、朧げな親友の声が聞こえてきた。
ご主人様の部屋と廊下を繋ぐ扉をゆっくりと閉じる。
光が差し込む窓から見える空には、青い隙間が出現していた。
いつの間にか、一面を占めていたはずの雲は消え始めている。
私の奥底で胡座をかいていた後ろ向きの心も、今はもう
ありがとう、ナルルカ。
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