第136話 その胸の奥底に出鱈目な焔が在るのなら、もう一度有り余るほどの夢を宿せるはず
リューカ視点
魔力で満たされている大通りを走っていた。
魔力自体に色が付いているわけじゃないから視覚を狂わせたりはしないんだけど、第六感を通じてこれを感じ取ってしまうと体の調子を崩したりするだろうな。
空を見上げると、未だに宵と変わらぬ真っ暗な明け方前。
曇り空が広がり朝なのか夜なのか区別がつかない。
暗い世界の中、あたしは走り続ける。
白を帯びた吐息とは対照に、あたしの体は火照り始めていた。
熱い。
後悔で心が焼き切れそう。
エリゼをこんな状態にしてしまったのは、絶対あたしにも責任があるんだ。
だからこそ、あたし達はエリゼの手を取って引き上げなければいけない。
そして、大通りを少し外れた筋にあるお店へとやって来た。
ファッションブランド『アゲハアガペー』のブティック。
ここに来るのは二回目ね。
扉に備え付けられた小窓からは明かりが漏れているが、ショーウィンドウにはシャッターが降ろされていて、どこからどう見ても閉店中。
もはやそんなことを気にしている場合ではない。
あたしは鐘付きの扉を開けて店内に押し入る。
お目当ての女は、レジカウンターの中で心地良さそうな椅子に座っていた。
不法侵入者であるあたしに気付くと、ギョッと目を見開いて怪訝な顔を披露する。
そんな不快感を体現させている女に向かって、あたしは約束の言葉を口にした。
「どうしようもなくなったから呼びにきたわ」
「……今何時だと思ってるんですか?」
「夏だったら明るい時間帯でしょ」
「いや、もう冬なんですけど。人生初言い訳だったりします?
……まぁ、私の方もメイドのお方へ贈る服が完成したので丁度良かったです」
そう言いながら、女店員はカウンター奥の壁に立てかけてある漆黒の大きな箱を指さした。
まさか、長身のミュエルよりも一回り程度大きなそれの中に仕立て上げた服が入っていると言うのか。
「え、もしかしてそれがアレ?」
「抽象的過ぎるでしょ……メイドのお方へ贈る服ですよ」
「なんか、想像してた三倍でかいわね」
「それ、私も完成した時思いました。
そもそもあのお方が見栄えのある人ですからね。
サイズも少しばかり大きくなっちゃうんですよ」
いくらミュエル用と言っても大き過ぎる。
その箱の中には一体何が眠っているのか、それを聞くのは野暮かな。
そういえば、ミュエルに対するあたしの第一印象もとにかく大きい女だった気がする。
加えて、スタイルも抜群でそういうモデルとしても生きていけそうな程に美形。
あたしみたいな平凡娘からすると、天はあの女に対して長所を与えすぎって感じだ。
欠落だらけのあたしは彼女が羨ましくて仕方がない。
女店員は文句を垂れつつも身支度を始めていく。
レジの施錠や書類を整理し終えてカウンター奥にあった部屋へ入ったかと思うと、エプロン姿から動きやすそうな服装で戻って来た。
その上に冬物であるアウターを羽織ると、あたしに向かって親指を立てる。
準備完了ってことでいいのかしら。
「あ、そうだ。
エリゼさんの元へ向かう前に、メイドのお方へ寄ってもらってもいいでしょうか?」
「ええ、元からそのつもりよ。
ミュエルがいなくちゃ何も始まらないし」
エリゼを救う為に必要なのは、あたしでもこのアンニュイなブティック店員でもない。
あいつが今一番会いたがってるのはミュエル・ドットハグラただ一人。
彼女を連れて行くのは必須事項だ。
女店員は壁に立て掛けられていた巨大な箱を背負い込む。
その荷物が自身の背丈を余裕で超えているせいか、見事にアンバランスなシルエットが出来上がってしまった。
タンスかと錯覚してしまう程に大きい箱を担いだ彼女はあたしの隣へやってくる。
「では行きましょうか」
「一人で大丈夫?」
「大丈夫です。重くはないので」
その後、ブティックの入り口で箱が突っかかったり、出入り口の扉に臨時休業の紙を貼り付けたりして、あたし達は明るくなり始めた通りを歩き出した。
この状況を不気味がっているのか、大通りには人が全く存在していなかった。
道を歩くのはあたし達二人と呑気な不良集団、そして朝早くから魔導学院へ向かう融通の効かない学生。
こんな異常事態でも学業を優先してしまうお偉い勤勉学生ちゃん本当可哀想。
あたしが魔導学院に進学できない欠陥少女で良かった。
魔力の試験でこのあたしを振り落とした低脳学院なんてむしろこっちから願い下げよ。
ため息を吐きながら自己を甘やかし続けていると、いつの間にか住宅街まで足を運んでいた。
屋敷に続く林道へ差し掛かったところで、女店員はあたしに問い掛ける。
「聞いておきたいんですけど、この後はどういう予定なんですか?」
「屋敷に行った後は、エリゼがいるであろう隕石跡地へ向かうわ。
その道中で色々と準備しなきゃいけないし、到着してからもエリゼの状況次第では色々仕掛けておかなくちゃいけないかな」
「準備っていうと?」
「とりあえず、あたしとあんたの間に魔力を共有するパスを繋ぎたいかな。
これはもう今の内に済ませちゃおうか」
魔力共有。
セレナとは何度もしてきたその行為。
体を密着させて互いに魔力を循環させる裏技なんだけど、あたしの場合は一方的に相手の魔力を奪ってるだけね。
魔力共有というよりかは、魔力強奪ね。
そしてこの裏技、実は体をくっつけなくても魔力の循環を維持できる派生術式があったりする。
って言っても、最近あたしが開発した試験的魔術なんだけど。
この術式の難点は、普通の人間には使えないこと。
なんせあたしは魔力無し女。
真空に大気が押し寄せるが如く、相手の魔力を一気に引き込んでしまう。
常人は魔力の欠乏を起こして体に害を及ぼすだろう。
その点この女は人ではない何かだ。
あたしの見立てだけど、彼女の体内には大量の魔力が眠っているに違いない。
だから多分大丈夫……だと思う。
「え!? 嫌ですよ気持ち悪い。
なんで私があなたとちゅーしなくちゃいけないんですか!!」
「んなことしなくていいわよ!? 握手するだけで十分なんだから!!」
「え〜、トイレの後とかちゃんと手ぇ洗いました?」
「……ほら、手出して」
「え? 洗ってるってことでいいんですよね?」
戸惑っている右手を強気に引っ張って握りしめた。
「……まあ急いでたし……ね?」
「ひゅっ!?」
店員は全身の毛を逆立たせて、目を見開いた。
ちゃんと手は洗っていたけど、面白いから言わないでおこうかな。
ちなみに魔力共有のパスは繋げられた。
できれば、この行為が念の為で終わりますように。
☆
木々に囲まれた広大な土地。
そのど真ん中に建てられた綺麗なお屋敷。
家主が現在失踪中であることを除けば最高のロケーションを味わえるその地に、あたしは再び訪れていた。
丁寧に塗装された玄関扉をゆっくりと開ける。
中を覗くとすぐにミュエルを見つけることができた。
扉から直線上にある二階へ続く階段。
その中断で倒れ込むようにしてメイドが横たわっている。
数日前、ヴァニラアビスから帰還して彼女を屋敷に放り込んだんだけど。
そこから全くと言っていいほど移動が行われていない気がする。
生理現象の類はどうなっているのかが不思議だが、元聖騎士ともなるとそういうのを無視できる加護があったりするのかもしれない。
やつれ気味のメイドは、白黒の給仕服を階段に垂らしながら現実逃避中。
あたしはそんな怠け者に歩み寄る。
「ねぇ、起きてる?
エリゼの居場所が判明したから伝えるわよ。
街の東側にある隕石跡地。
あたし、今からあいつを迎えにいくんだけど着いて来てくれるかしら?」
「……私は……行かなくていい」
階段の底を見つめながらそう言った。
生気は微塵も感じ取れず、まるで傀儡が喋っているかのよう。
「……何それ。何なのよその態度。
あんたの主人が見つかったって言ってんのよ?
何とも思わないワケ?」
どうして落ち込めるの。
どうして喜ばないの。
どうして走り出さないの。
嫌いな感情が溢れてくる。
あんたはエリゼのこと、大切じゃないの?
「私はもうご主人様の隣でいられない」
「なんでそうなんのよ。
エリゼの隣にいなくちゃいけないのはミュエルでしょ?」
「私はご主人様のこと何も知らなかった。
それなのに、自分勝手なことを口にして彼女を苦しめてしまったんだ。
こんな女が隣にいて良い訳がない」
「何も知らないのは、あんたが知る努力を怠って来たからでしょ。
知らなかったのならこれからいくらでも聞けばいい。
その為に、あんたは今ここで雲を断ち切らなければいけないのよ」
「無理だよ……私はご主人様の望むことをしてあげられない……。
私が行っても役立たずで終わって悲しませてしまうだけだ……」
「エリゼはミュエルを想ってるはずよ。それでもあんたは動いてくれないの?」
「……それは、違う。
ずっと一緒にいたから分かるんだ。
ご主人様はもう……私を想ってくれていない……。
一ヶ月前……何もできなかった私を見て、彼女の中にあった熱は完全に消えてしまった。
だから……もう……」
ミュエルは強く胸を押さえながら、強烈な苦悶を宿していた。
涙を溜めた瞳は煌めきを放っている。
自分でも気付いていないんだろうな。
メイド、その言葉は心臓を握りつぶすよりも遥かに辛い自傷よ。
「あんたはエリゼのこと……好きじゃないの……?」
「……私の感情なんてどうでもいいだろ。
あの人が必要としてくれていないのなら、もうどうだっていい。
これ以上ご主人様を傷付けたくないんだ」
……ああ。
……鬱陶しい。
「だったら!! あたしがエリゼをもらうわよ!!」
怒声が屋敷中に響き渡った。
こんなに大きな声を出すなんていつぶりだろう。
そして、真剣に怒るのはこれが生まれて初めて。
駄目な金髪長身メイドは肩を跳ねさせていた。
そしてほんの一瞬、目の前の女はか弱いメイドをやめて乙女を現した。
奥歯が砕けるほどに顎に力を入れて感情を露わにする。
葉に滴る水が落下し地面で弾ける程の刹那、その間だけミュエルはあたしを嫌悪していた。
あたしに剥き出しの敵意を向けている。
殺してやると言わんばかりに本能を解き放つ。
それも束の間、ミュエルは再び意気消沈自暴自棄馬鹿阿呆間抜け状態に戻ってしまった。
分かりやすく落ち込んでいる。
あたしに牙を向けたことへの悔恨か、動き出さない自分に対する不服かは分からない。
でも、良かった。
僅かな起伏だったけど、あんたの中にもそういう黒い感情が存在していて。
嫉妬。
最も気持ち悪くて、最も綺麗な感情。
恋において重要な一因。
持論だけど、それの存在しない恋愛をあたしは恋だと認めていない。
ミュエルはあたしに対してそのドロドロとした重たい感情を向けていた。
だからそれは、確然たる恋なのよ。
「『手段を選ばない恋愛教科書』によると、精神的に弱ってる女が狙い時らしいわ。
きっと今のエリゼなんて、あたしが挨拶しただけで惚れるほど柔い少女よ。
ほんとミラクル楽しみだわ。
じゃああたし行くから!!」
捲し立てるよう煽りを並べ終わると、あたしはミュエルに背を向けた。
これ以上話す言の葉は残っていない。
これでも駄目ならば、最初からエリゼは絶望に身を委ねて滅びる運命だっただけのこと。
でも、そうはならないでしょ。
信じてるからね、ミュエル。
来た道を戻り、屋敷の出入り口でじっとこちらを見ていた女を横切る。
そして、あたしと入れ替わりで彼女はメイドへ言葉を掛けた。
「メイドのお方。これ、プレゼントです」
そう言って、ブティック店員は棺にも似た漆黒の箱を床に置いた。
ドシンという物音でミュエルは視線をこちらに移す。
彼女は驚いた様子で頭上に疑問符を浮かばせていた。
「似合うと思いますので、是非袖を通してみてください。
では、私も行きますね」
女店員はその中に何が入っているのかを説明もせず、半ば押し付けるように配達を完了させる。
ミュエルを見るその顔には似合わない微笑みを見せていた。
当のメイドは頷きもせず、じっと固まっていた。
落ちきってしまった女を背に、あたし達は屋敷を出る。
結局、一番重要な人物を連れ出すことはできなかった。
それでもあたしはエリゼの元に向かう。
きっと曇り空は晴れてくれるはずだから。
少し歩いたところで、あたしの体に怒涛の倦怠感が襲う。
さっきの一瞬で尋常じゃないほどの精神力が削られたな。
ミュエルにありったけの敵意を向けられた時、心臓がビッグクランチ起こしたと錯覚してしまうぐらいには緊張の極みだった。
流石は『最強』を冠する女。
睨みで人を怯えさせるとは。
深呼吸をして気合を入れ直す。
朝を迎え始めた時間帯だけど、空は一面の曇天。
林道に溜まった落ち葉を踏みながら歩く。
「もうちょっと優しくしてあげても良かったんじゃないですか?」
「怒ってあげるのって実は優しいことなんでしょ?
この前見た雑誌にそう書いてあったわ」
「あの、言うか迷ってたんですけど……リューカさん書籍でコミュニケーション覚えてる感じですか……?」
「え……?」
「え、いや、そういう本買う人って本当にいるんだなって思っただけです」
エリゼが滞在している隕石跡地へ到着する前に、あたしの精神は摩耗しきってしまいそう。
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