第135話 その日、世界は暗雲に覆われていた
リューカ視点
秋も終盤に差し掛かった日の早朝。
連日エリゼ探しで披露しきっている肉体は、回復を求めて熟睡に身を委ねていた。
昼過ぎまでは絶対に目覚めない予定だったんだ。
だけどそんな甘い思いも虚しく、危機を悟った体は警笛を鳴らして意識を覚醒させた。
セレナに用意された修道女寮の一室。
その部屋のソファで寝ていたあたしは、体を跳ねさせた衝撃で床へ転がり落ち顔をぶつけて目を覚ました。
おかげで、寝ぼけることなく瞬時に状況を理解できた。
深い眠りについていたはずあたしは、惨い外的要因によって叩き起こされたのだと。
あたしだけじゃない。
同じ部屋で寝ていたセレナも、驚くようにして上体を起こしていた。
きっと、魔力を感じ取れる者はみんなこの重い気配に叩き起こされただろう。
窓に駆け寄り、音を立てないようゆっくりと開ける。
肌寒い風が部屋の中へ舞い込んで来たけど、そんなことは気にしてられない。
外はまだ薄暗く、憂鬱降り注ぐ曇り空。
ここからじゃ教会領の内側しか眺めることができないけど、そのどこもかしこが魔力で満ちている。
教会領を中心とした大きな街が凄まじい量の魔力に包まれていた。
黒く悲しい怨嗟の魔力に。
「……エリゼの魔力だ」
これは直感じゃない。
あたしがこの一週間程で掻き集めたエリゼの情報。
そして、あいつと過ごしてきた戯れの日々。
そういう積み重ねが答えを導き出していた。
触れるだけで気が狂いそうになるこの魔力は、エリゼがずっと体の中に隠していた絶望そのもの。
シュガーテールと契約を交わした代償で背負わされた耐え難い負の感情。
……エリゼ、あんたはこんなものをずっと抱え込んでいたのね。
気合を入れ込むように両頬を叩いた。
ずっと苦痛を抑え込んでいたエリゼの前で、一週間充実したエリゼ探しをしてきただけのあたしがへばっていいわけがない。
息を吸うことすら躊躇われるこの状況であたしが次に思ったことは、騎士団やギルドより早く動かないといけないということだった。
ドラゴンなんて比にならないレベルの魔力量が街を覆っている。
下手すればこの国を一日で終わらしてしまうかもしれない程だ。
魔力の発生源が突き止められて討伐対象にでもされれば、きっとギルドや騎士団が総出でエリゼを狩りに向かうだろう。
だから、あたしは誰よりも早くエリゼを探し出す必要がある。
ベッドの上で焦りを見せている聖女様も同じことを考えたようで、すぐさま純白を冠する修道服へと着替えていた。
そして、挙動を乱しながらあたしに寄ってくる。
「リューカさん……どうましょう……もしもエリゼさんが狙われるなんてことになったら……」
「まだ大丈夫よ。この段階で魔力の発生源を見つける術を騎士団は持っていないはずだから」
裏を返せば、時間さえ使えば必ず探し出せるってことだ。
聡明な聖女様はそれにも気付いているだろう。
「私、騎士団の様子を見てきます。既に動き始めているでしょうから」
「そうね。けど、すぐに戻ってきてよ。
あんたには術式展開用の魔力を流して貰わないといけないんだから」
こくりと頷くと、セレナは早足で部屋を出て行った。
あたしはこれから発動する魔術の準備を整えていく。
それは以前、エリゼが攫われた時に使用した捜索魔術。
念の為、ここ一週間は毎日試していてもはやルーティーンと化したそれだったんだけど、昨日までの時点では一度も引っ掛からなかった。
あたしの憶測では、エリゼが特殊な結界の中に閉じ込められていたんじゃないかと見ていた。
それがついさっき、状況を完全に覆してしまったわけだが。
街中にあいつの魔力が溢れている今、術式を展開すれば必ず見つけ出せるだろう。
ソファ前に置いてあるローテーブルの上には既に地図が広げられている。
捜索術式用の魔法陣が描かれた用紙もその下に敷かれている。
つまり昨日の再利用ね。
後はエリゼに関する物を用意するだけ。
そう思い立ったところで、部屋の外からテンポ良く奏でられる足音が近づいてきた。
そして、足音の主はこの部屋の扉を勢い良く開ける。
「りゅ、リューカさん! こ、これ、郵便入れに入ってました……」
慌てた様子で手に持っている物を報告するのは、先ほど出て行ったばかりのセレナ・アレイアユース。
動揺した様子で手にしていたそれをあたしへ差し出した。
何の変哲もない大きめの紙袋。
中を覗くと、そこには黒色の洋服があった。
若干ゴシック味を感じられる長袖のブラウスとロングスカート。
初めて目にする物だけど、あたしはこういう趣味を持っている少女を知っている。
中身を取り出すと、紙袋の底に巾着と一枚のメッセージカードが残っていた。
恐る恐る巾着を手に取り口を開ける。
中には、青みがかった毛先の髪が細い束になって放り込まれていた。
特徴的なその髪を持つ者をあたしは一人しか知らない。
そして、紙袋の底に敷かれたメッセージカードには……。
『恩を仇で返した愚者へ。今こそ罪の清算をする時』
誰かは分からないけど、この手紙を寄越した人間はこっちの事情を知っているらしい。
実は、あたしも同じことをずっと思っていた。
女神生誕祭で禊を行ったわけだけど、あの程度で許されるわけがないんだって。
許されていいはずがないんだって。
「この服とその髪の毛、エリゼさんのですよね……?」
「みたいね……一ヶ月の間に二回も誘拐されるなんて流石に笑えないわよ……」
ごく普通の家出であって欲しいと願っていたのに、結局一番最悪な地点に落ちてしまった。
「……多分これ、誘拐じゃないと思います。
色々とおかしくないですか?
まるで、誰かを誘き寄せるために仕組まれているような、そんな感じがします」
セレナの意見には概ね同意。
あからさま過ぎる程に目立っているこの状況が、エリゼを攫った人物にとって得なことだとは思えない。
メッセージカードに綴られた文章の意味。
そして、エリゼに与えられた願いを叶える力とその代償である永遠の絶望。
あたしが知っている情報を元に、脳の細胞が総動員してあらゆる想定を開始している。
ミュエルと喧嘩染みた別れをした為、代償に耐えきれなくなる程の傷を受けた。
第三者が意図的にエリゼの心を破壊した。
あるいは、それらが合わさって今の状況を作っているのか。
……考えるだけ無駄だな。
こんなところでじっとしているよりも動き出した方がいい。
「そうね、確実にエリゼと誰かを相対させようとしているわ」
誰かっていうか、エリゼと正面切って相手できる怪物なんて一人しかいないんだけど。
「とにかく、あたしらはできることをするだけ。
セレナ、術式の展開をお願いできるかしら?」
「分かりました」
紙袋に入ってた洋服と髪の毛を術式に組み込み、探知魔術をセレナに展開してもらった。
テーブルに敷かれた地図上へエリゼの居場所を示す赤い光柱が立ち上がる。
大通りや裏通りと呼ばれる街の圏内ではなく、東へ少し進んだ場所に存在する大きな空白地点に立っていた。
そこは半径三キロメートルの浅い窪み。
その中心を目指すようにエリゼは移動している。
「ここって、確か何年も前に隕石が落ちたとかで騒がれてた場所よね?」
「はい、隕石跡地と呼ばれている場所ですね。
結局その隕石は見当たらず終いで、実は何かの実験場じゃないかなんて噂も囁かれているみたいです。
でも、どうしてエリゼさんはそんな所にいるんでしょう?」
「さあね。まあ、街のど真ん中で魔力を垂れ流しにされるよりはマシでしょ」
古今東西右往左往宇宙の最果てまで手掛かりを探っていたあたしの努力は、とんだ無駄足に終わってしまったわね。
散々探し回った挙げ句どこにもいなかったのに、今度は自分から姿を現すのか。
上等だわ。
あたしは絶対にあんたをミュエルの元へ連れ戻してやる。
どこにでもいる普通の少女に見えるエリゼ・グランデ。
けど、その中には凶暴な獣と永遠の絶望が潜んでいる。
今まで抑え込んでいた絶望を曝け出したってことは、想像したくないけど一種の暴走状態であることを察せられる。
もしかすると、実力行使で止めるなんて展開もあり得そうね。
「あの、リューカさん……私は何か役に立てるでしょうか?」
セレナは袖の裾を握り締めながらそう言った。
聖女様はこれから起こることを予見し、自分は役に立てないことを理解してしまったんだろう。
それでも何かできないかと、ダメ元で尋ねてきたわけか。
どいつもこいつも、あたしの周りには善人しかいないのか。
「全部終わってからがあんたの出番かな」
最悪の場合、あたしは数時間後に大怪我を負ってる可能性だってあるんだ。
その時は存分に頼らせてもらうわよ。
「……分かりました。あの、エリゼさんをよろしくお願いします」
「はいはい……って、あんたはエリゼの何なのよ」
「えっと、お母さんとか?
あれ。なんか私、エリゼさんを産んだような気がしてきました」
「……馬鹿言ってないであんたも支度しなさいよ。
多分、この不快極まってる魔力を吸って体調崩してる奴が続出してるはずよ」
「そ、そうですね。リューカさんもどうか自分の体を最優先に動いてください」
そう言って、セレナは再びこの部屋から出て行った。
足音はすぐに聞こえなくなった。
「自分の体を最優先か……あんたが言うと全く説得力無いわね」
これ以上、あたしは選択を間違えてはいけない。
何が起ころうと恩人を救ってみせる。
いつかの日、エリゼから貰った大事な杖を抱えてあたしは駆け出した。
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