第134話 太陽は沈んだ

 前半エリゼ視点

 後半シトラス視点



 占い屋『ぱにがーれ』。


 そのお店の奥にある住居スペースで、わたしはここ何日かを過ごしていた。


 家を出てからどれぐらい経ったのかは分からない。

 今が朝なのか夜なのかも分からない。


 何も考えたくない、何も考えられない。

 

 少し大きめのワンルーム。

 明け透けのキッチンと寝室、それとちょっとした工房が一緒くたになってる四角いその部屋。


 わたしはベッドで寝転がっている。

 他人の家で、他人のベッドを借りてじっとしている。


 厚顔無恥だってことは自覚している。

 

 何もやる気が起きない。

 家に帰らなくちゃいけないのに、体が思うように動いてくれない。


 あれ、帰らなくてもよくなったんだっけ。

 シトラスさんがわたしを受け入れてくれたから、まだあの屋敷に戻らなくても大丈夫なんだよね……。


 わたしはそんな風に甘い方へ逃げていた。

 戻らなくてもいい理由なんて、どこを探しても見るかるはずがないのに。



「具合はどうかな?

 温かい物作ってみたんだけど、食べる?」



 そう言って枕元にやってきたのは、この家の主であるシトラスさんだった。

 白い髪を揺らす彼女が手に持っていたのは、コンソメスープの入れられた器。


 わたしは体を起こして応じる。



「すっごく美味しそう……いただくね」



 胸が痛む。

 激しい後悔が押し寄せてくる。


 ガラスの破片が心に突き刺さったまま抜け落ちてくれない。


 嘘だ。

 わたしはまた嘘を吐いた。


 もう、お料理なんかには微塵も興味が湧いてこない。


 素直に褒める点があるなら、液体であることぐらい。

 今のわたしにとって食事とはその程度の認識なんだ。


 手渡しされた暖かいスープをゆっくりと飲んでいく。


 水ですら味はあったんだなと、液体を飲む度に思い知らされる。



「エリゼさん、何度も言うけどありがとう。私の大切な人を救ってくれて」


「……うん……お安い御用だよ」



 あれ、わたし何かしてあげたんだっけ。


 なんだか、もうよく分からない。


 世界が暗い。


 お腹が悲しい。


 満たされている、満たされている。

 黒い何かで、体が満たされている。


 眠い。

 起きているのが辛い。


 会話が疲れる。


 スープを飲み干して器をシトラスさんに渡した。


 彼女は台所へ移動して蛇口を捻る。


 部屋にはざあざあと水流の音が鳴り響いている。


 食器を洗うシトラスさんの後ろ姿。

 それを目にしたからなのか、考えないようにしていたことが次々と演算され始めた。


 ミュエルさん……どうしてるのかな……。

 逃げ出したわたしのこと、嫌いになっちゃったかな。


 それとも、探してくれてたりするのかな。


 ……あはは、何期待してんだよ。

 本当に面倒な女だな、わたしは。


 ……。


 ……ごめんなさい。

 ごめんなさい、ごめんなさい。


 言葉にしなければ無価値なそれを、心の中で何度も叫んだ。


 うずくまるようにして、わたしは布団にくるまる。


 すると、足元の方から誰かが布団の中へ入ってきた。


 小さくて暖かい何かが這い上がってくる。

 その何かは、ひょこっとわたしの胸元から顔を出した。



「デュースちゃん……?」



 その女の子はこの家に住むもう一人の住人。

 半人半魔のデュースちゃん。


 龍の血を継いでいるらしい。

 彼女の可愛らしい頭からは二本の角が生えているんだけど、それが魔族である証。


 とても優しい子なのに、生まれてこの方強力な呪いで体を蝕まれていたみたい。

 歩くのがやっとで、普段はこの家の中に引きこもっているんだって。


 

「エリゼは呪いを背負ってくれた。

 だから、抱き枕代わりになってもいい」



 ……そっか、わたし……彼女の呪いを解いてあげたんだ。


 でも、どうやって。

 わたしにそんな力あったかな。


 ああ、何も考えられない。


 思考が塗りつぶされていく。

 わたしの人生で対極にあったはずの感情が次々と押し寄せてくる。


 悲しみだとか、嫉妬だとか、不愉快だとか。

 そんな嫌な感情が込み上げてくる。



「ありがとうデュースちゃん。すこしだけ、あまえさせてもらうね」


「ん、どうぞ」



 小さな体をぎゅっと抱きしめる。


 こうしていると『えるにゃ』を思い出しちゃうな。


 小さな猫のぬいぐるみ。

 そのお友達を抱きしめて眠りつく時の感覚に似ている。


 重くなった瞼を自由にさせてみた。

 このまま眠りに落ちて夢の世界が始まれば良いのに。


 世界が黒に染まる。


 ……。


 ……。


 なんで……なんで……わたしばっかりこんな目に……。

 せっかくミュエルさんと出会えたのに、あれからずっと嫌なことが続いている。


 辛い……辛いよ……。


 でも、わたしだけじゃない。


 もっと辛い人だっているんだ。


 デュースちゃんだってずっと苦しんでいた。


 ミュエルさんも大切な人を目の前で亡くしている。


 シャウラちゃんとカトレアちゃんだって、呪いを受けて苦しんでいる。


 わたしだけじゃない……不幸なのはわたしだけじゃない……。


 でも……苦しいよ。

 逃げたいよ。


 痛みから、恐怖から、絶望から逃げ出したい。


 ……。


 わたしのこれまで、何一つ良いことなんて無かったな。

 してきたこと、全部裏目に出て大切な人を不幸にしてきた。


 そんなわたしは、きっと悪人なんだ。


 人を思いやることに、疲れちゃった。


 善人であることをやめて、そっち側に堕ちていけば我慢しなくて済むのかな。


 ……。


 ……そっか。

 全部受け入れちゃえばいいんだ。


 抗うから疲れちゃうんだよ。

 人を外れたくないから苦しんじゃう。


 だったら、全部受け入れてしまえばいいんだ。


 延々と降り注ぐこの雨に打たれてみてもいいかな。


 それからギュッとお腹に力を込めて息を吸って、空へ届くように溜まっていたものを吐いた。


 全部、やめてみようかな。


 そう思う頃にはもう、体が軽くなっていた。


 既に限界を迎えていた心は砂の城のように崩れていく。

 黒い波が砂浜を覆う。


 沈んでいく、堕ちていく、溺れていく。

 もがけばまた苦しくなるから、わたしは全てを受け入れた。


 負の心に向き合いもせず、流されるがまま大海に沈む。


 もう、何も我慢しなくてもいい。

 最初からこうしていれば良かった。


 ……。


 ……眠りにつく前、わたしは最愛の人を思い浮かべていた。


 会いたいな……会いに来て欲しかったな……。





 ☆





 シトラス視点。



 エリゼさんがやって来たあの日から一週間という時間が経過していた。


 エリゼハートと会話を交わして、エリゼさんの意識が回復した直後。

 『シュガーテール』と呼ばれる大剣を召喚してもらい、デュースに掛かっていた呪い『竜殺し』を背負ってもらった。


 私の大切な人は苦痛から解放された。

 

 だけど、呪いを肩代わりしたエリゼさんは現在進行形で苦しみ続けている。

 常人には想像し難い痛みに侵されている。


 ……これで、良かったのかな。


 占い師は自分を占えない。

 その制約のせいで、私が今歩んでいるこの道が正しいのかどうかだけは定かでない。


 でも、これで良いはずなんだ。

 デュースが救われて、その後の未来も良い方向へ転がる。


 だから、気に病む必要は無い。

 

 ……そんな風に考えられる鉄の人間だったらどれほど良かったことか。


 結果を重視するタイプの人間だと思っていたんだけどな。

 身近な人が苦しむのはやっぱり苦手だ。


 私がその苦痛を与える原因の一つであることが余計に罪の意識を加速させている。


 時間は朝日が登り始める頃合い。

 大通りに立ち並ぶ店は徐々に活気を帯びていき、客を呼ぶ構えを整えていくだろう。


 残念ながら、私のこのお店は臨時休業になりそうだ。


 エリゼさんはどうなったかな。

 占い通りなら彼女の限界は昨日の朝なんだけど、既に丸一日が経過している。


 はっきり言って、エリゼさんは異常だ。


 完璧である私の占い術式を凌駕してしまう程に鍛え上げられた精神。

 かつては愛と恋で溢れかえっていたその心は今、永遠に降り続ける絶望で満ち足りている。


 とは言っても、昨日の彼女はかなり朦朧とした意識だったらしく、私との会話を成立させようと必死だった。


 睡魔や感情に抗っているのを悟られたくないんだろうが、誰が見てももう君は普通じゃなくなっている。


 堕ちるとするなら昨日の夜からこの朝の間だと私は予想している。


 占いを行う店舗の中、私は一人椅子に座っている。


 目の前に置いてある机、それに乗せられた特別な水晶玉。

 適当にそれを弄り、ありとあらゆる運命を占っていた。


 デュースのこれから、エリゼさんの運勢、本日の天気。

 そんなこんなで時間を潰していると、住居スペースに続く扉がゆっくりと開けられた。


 扉が軋む音と軽い足音。

 そして、衣が擦れる心地の良い音。


 それを奏でていたのは、黒いドレスを着た幸薄い少女だった。


 彼女が纏うそれは私が用意した特別な衣装。

 一応、ハンガーに掛けていたそのドレスに『本日の着替え』というメモを目立つように貼っておいたんだけど、律儀に着替えてくれるとは思っていなかった。


 普段は二つ結びにしている髪の毛は解放されている。

 ストレートに落ちる毛先は肩甲骨に差し掛かっていた。


 大きく雰囲気が変わったのは外見だけじゃないらしい。


 どうやら、少女の中身も限界を迎えてしまったみたいだ。

 彼女の尋常じゃない感情の器からは闇が溢れ出ている。


 虚な目には、一切の光が存在していない。


 白い肌には、燃えたぎるような熱がこもっていない。


 健気だった心には、想いが宿っていない。


 エリゼ・グランデは……絶望の権化へ至っていた。



「どうかなそのドレス、私の好みなんだけど」



 黒を身に纏う少女は無表情のまま私の対面へ移動する。

 ゆっくりと椅子に腰を掛けると、私の目をこれでもかと睨んだ。


 元々そういう目つきなので、ただ目を合わせているという可能性もあるけど。



「……色だけは好き。でも、しっくりはこないかな」



 黒色。

 君には似合わない色だと思っていたけど、案外そうでもないみたいだ。


 思い返してみれば、初めて会った日も、手相を占ってあげた日も、いつも君は黒い洋服を着ていた。


 誰かの影響なのか、シュガーテールの呪いに引っ張られているのかは分からないけど、色んなものを吸収するその黒を好んでいるのは一目で分かる。


 心を闇に堕とした記念にプレゼントした衣装なんだけど、普段着とあまり変わらないかな。



「体の調子はどう?」


「最悪だよ。昨日までと同じ最悪の気分」



 凍てつくような声でそう答えた。


 少なくとも、昨日のエリゼさんの容態を思わせないほどには元気に見えるけどね。

 ふらつきも無くなって、呂律も回っている。


 すると、君は朧げな瞳で上目遣いを披露した。



「ねぇ、シトラスさん……わたしのこと受け入れてくれるって言ったよね。

 なら、このドロドロとした冷たい何かも受け入れてよ。

 でないとわたし、色々壊しちゃいそうなんだ」



 耐えることをやめたのだから、好きにすればいいのに。

 この大通りを破壊し尽くしたとしても、きっと誰かが君を庇ってくれるんだから。


 つまるところ、エリゼさんは絶望に身を委ねたとしても、腹の底で胡座をかいている本質は変えられないらしい。

 絶望に呑まれてもなお、その硬い精神には理性が芽吹いている。


 どこまで行ってもエリゼ・グランデは善人だ。


 正直、呪いへ身を堕とした瞬間にこの国を破壊し尽くしてしまうんじゃいかと身構えて、最上級の結界をこの店に張っていたんだけど……その必要も無かったかな。


 だとしても、私は無傷って訳にはいかないみたいだ。

 今、エリゼさんが口にした言葉を要約すると、「わたしのストレス発散に付き合って」ということだろう。

 

 君の片割れから一発もらってるんだけど、それで許してくれないかな。



「いいよ、私で良ければ質の高いサンドバッグになってあげよう。

 そのかわりに、一つ聞いて貰っても良いかな?」


「何? 歌ってくれるの?」



 えー……この子絶望に堕ちたんだよね?

 茶化しなのか天然なのかは分からないけど、どう反応するのが正解なんだそれ。



「えーっと、今日は街の東にある隕石跡地へ行ってみるといいよ」


「……どうして?」


「それを聞くのは無粋ってやつじゃないかな?

 私が占い師だから、理由はそれで十分でしょ」



 今日のあなたの運勢はお友達次第。

 何もかもを吐き出して、まっさらな世界を作り上げられるかも。


 ラッキーアイテムは言の葉。


 幾つも降り注ぐ星には要注意、お出かけの際は傘を忘れずに。


 待ち人は秩序と狂気の狭間にて。


 ……。


 頭から尻尾までよく分からない事象が羅列されているこれが、今日のエリゼさんを巡る占い結果。

 どうか良い一日が送れますように。


 そんな私の思惑を意に介さず、迷える健気な乙女は粛々と鋭利な牙を研いでいた。


 できることなら、擦り傷程度で済まして欲しいな。

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