第五章 戯言は別れを紡いで、真実は二人を結ぶ

第117話 太陽が落ちる日

 ミュエル視点



 『第五章 戯言は別れを紡いで、真実は二人を結ぶ』



 ご主人様を襲ったあの事件から一ヶ月程経過した秋と冬の境目。


 晴天にはうろこ雲が浮かび、屋敷と街を繋ぐ林道には赤と黄色の絨毯が出来上がっていた。


 庭の植木には金木犀が実り始め、芳醇な香りを漂わせている。


 ……。


 結局、一ヶ月前の騒動で私は何もできなかった。


 役立たず。

 それはメイドとしてもミュエルとしても恥ずべきで、棘となって心に突き刺さってしまった。


 今度こそ救ってみせるって誓ったのに、私は臆病者のままだ。


 ご主人様の姿を見れば動けると思っていた。

 でも、それは思い上がりと刹那的思考に過ぎず、実際は体が強ばって何もできないお荷物でしかなかった。


 私はもう戦えない。

 それを十分に思い知らされた。


 けど、落ち込んでいる暇は無い。


 私よりももっと傷ついている人がいるから。


 その大切な人の為に私は、今やるべきことをしなくては。


 あの日以降、ご主人様は笑うようになった。

 酷く下手くそな笑顔で。


 彼女は嘘が得意ではない。

 それは私がこの屋敷に訪れた初日から知っていること。


 ましてや私は嘘や悪意を見抜くことに長けている。


 だから、ご主人様が無理をしているのも気付いていた。


 ずっとずっと、誰にも心配させないように気丈に振る舞っているフリをしている。


 作り物の笑顔、ハリボテの明るさ。

 痛々しくて見ていられないそれらから、早く解放してあげたい。


 心の底から、もう一度笑って欲しいから。


 そんなとある日のお昼頃。


 私はご主人様を元気付ける為に料理をしていた。


 甘いパンケーキ。

 以前、リューカが教えてくれたカフェのそれには及ばずとも、それなりのものを作ってみせる。


 きっと、これでまた喜んでくれるはず。

 少しでも良いから、私の力で幸せを感じてくれると嬉しいな。


 フライパンで生地を焼き上げて、皿に乗せる。


 片手間に作っていた生クリームとシロップを盛り付けた。


 ミントは乗せなくてもいいか。


 後は、とっておきを飾るだけ。


 冷却魔道具の中に保存していた瓶を取り出して、硬い蓋を開ける。


 途端に周囲は果物の香りで溢れる、はずだっだのだがそうでもなかった。


 これは、この日の為に作っておいた苺ジャム。

 なのだけど、苺自体が旬じゃなかったのか思いの外香り立たなかった。


 今度は春から夏の間に作ってみようかな。


 瓶からパンケーキの隣へ、スプーンで移し変える。


 卵の焼けた色と生クリームの白に、苺の赤を彩りを与える。

 パンケーキの方はこれで良し。


 カップに紅茶を入れれば、完成だ。


 パンケーキと苺ジャム、それと紅茶。

 自分で言うのもなんだが、完璧だな。


 成長を感じる。

 卵を握りつぶしていたあの頃の私はもういないんだ。


 出来上がった料理と紅茶の入ったカップをトレーに乗せて、ご主人様が待つテーブルへと運んでいく。


 暖かな日差しが差し込むリビングで、彼女は庭を見つめていた。


 半ば放心状態であるご主人様の前に食器を並べる。



「ご主人様、ご賞味あれ」


「やった、パンケーキだ。

 美味しいそうな匂いもするし、見た目も良いしすっごく美味しそうだよ」



 ご主人様の対面に座り、私達は食事を始めた。


 パンケーキをナイフで一口サイズに切り分け、プレーンの状態で口にした。


 美味しい。


 お手製の生クリームとシロップのかかった部分を食べる。


 甘くて、ふわふわで、とても美味しい。


 そして、苺ジャムを乗せた生地を舌に乗せた。


 うん、おいし……あれ?



「……ん、ぶふっ!?」



 な、なんだこれ。


 辛い、塩辛い。


 パンケーキは最高の出来なのに、ジャムが最悪を極めている。


 咄嗟にカップを取り、紅茶を口に流し込む。


 ……砂糖と塩を……間違えた。


 苺のジャムというよりは、塩漬けに近いかもしれない。


 つまり、『失敗』だ。

 それも全生物が例外なく失敗と答える大失敗。


 銀河級の失敗だ。


 香りがおかしかったのは素材のせいじゃなかった。


 圧倒的に私のドジが悪い。


 すっかり工程から抜け落ちていたが、味見はするべきだった。


 体に悪影響なものをご主人様の口に入れさせてはいけない。



「ご、ご主人様」



 私は静止を促そうとしたんだ。

 でも間に合わなくて、それでご主人様はもう……ジャムと一緒にパンケーキを食べていた。


 遅かった……。


 私の失敗は、食べて欲しくなかったな。


 もう、私の醜い部分は見せたくないから……。


 だけど……なのに……それなのに……。


 ご主人様は、見せ掛けではない満面の笑みで口にした。





「今日のお料理もすっごく美味しいよ! ありがと、みゅんみゅん」





 ……。


 何、それ……。


 どういうこと。


 ……そんな、けど、それじゃあ……嘘……。


 これは、お世辞……?


 違う。


 ありえない。


 舌が拒絶する程の味なのに、喉が降りてくれない異物なのに。


 ……それでも、美味だと貫き通すのか。


 どうして?


 私を、傷つけたくないから?


 だったら、今までの料理も情けで美味だと言っていたのか?


 分からない。


 ……分かれない。



「ご主人様……本当に美味しいのか?」


「え、うん。美味しいよ?」


「どの辺りが?」



 駄目だ。

 その一言は余計だ。


 試すようなことを……しちゃいけない。



「焼き加減が完璧で生地ももっちりしてて好みだし。

 あとは、苺のジャムもとっても美味しい。

 紅茶もスッキリした味わいだし。

 日の打ちどころが無いってやつだね。

 ありがとう、みゅんみゅん。

 ジャムなんて作るの大変なのに」



 視界が遠のくのを感じた。


 これが現実でなければ良いと、本気で思う。



 私はあなたに、信じてもらえていなかったんだ。



 私が不甲斐無いからそう思われるのも当たり前なんだ。


 でも、それはミュエルとしてのことで、メイドとしてはまだ信用されていると思っていた。


 ちゃんと教えてくれると思っていた。


 ……堪えきれない。


 涙が溢れてくる。


 痛い。

 胸が痛い。


 なんだ、これ。


 なんでこんなに苦しいんだ。



「みゅんみゅん……どうしたの……?」


「……嘘だって言って。お願いだから、全部冗談だって……言って欲しい」



 隠せない程の鼻声で私は言った。


 俯いてみたけど、感情は隠せそうにない。



「え? あ……ぅぁ……それ、どういう……あっあぁ……」


「だって、私……料理失敗したから」



 嫌だ……。


 これ以上、口にするのは良くない。


 だって、それはご主人様の好意を否定するのと同じだから。



「……はっ……あっ……」



 金属音が響く。


 あなたの手にしていたフォークが床に落ちた音。



「言ってくれれば良かったのに……料理を教えてくれていた頃は、何でも言ってくれたのに。

 お世辞なんて必要ないのに。

 何でも言ってくれるって、信じてたのに」


「ひゅっ……あっ……ごめ……ふっ、あっ、なざいっ」


「私……なんでも言って欲しかった。

 なんでも言ってくれるって思ってた。

 ……あの日も、一人だけで行って欲しくなかった。

 何もできなかったけど、戦えなかったけど……それでも、頼って欲しかった」



 何もできないのに頼って……それは少し我儘すぎる。


 それを自覚しているのに、言葉と感情は収まらない。


 最悪だ。

 こんなの、私の思い描いていたメイドじゃない。


 理性で感情を抑え込めない子供と一緒。



「……なさい……ごめん……なさい」



 顔を上げると、ご主人様は口から鼻を両手で覆って私を見つめていた。


 そして、椅子から転げ落ちるように降りて、ふらふらと立ち上がる。



「嫌われる……捨てられる……ごめ……なざい……」



 ご主人様の顔は色白を通り越してもはや蒼白。


 過呼吸を起こしていて、明らかに普通ではない。


 目の焦点も合っておらず、ガタガタと体を震わせている。



「ご主人様……?」



 私が理性を取り戻した頃にはもう手遅れだった。



「がっ……ああ……はっうぅ……ごめんなさい。

 わたし、ずっと嘘ついてた。

 ごめんなさい、ごめんなさい」


「……」



 嘘。


 それは……私が作った料理の感想のことなのか……。


 全部、嘘だったんだ。


 私はずっと、喜んでくれていると勘違いしていただけなんだ。


 馬鹿みたいに喜んでいたのも全部間違いだった。


 言葉だけじゃなくて、ちゃんと心まで見つめるべきだった。


 ……。


 でも、砂糖と塩を間違えた料理を、お世辞にも美味しいなんて言えるのか。


 そんなことをご主人様が口にするとは思えない。


 ……そうだ、だって、あの笑顔は作られたものじゃない。

 近頃頻繁に見せていた悲しげな表情じゃなかった。


 ずっと昔から、何ヶ月も前からずっとあの笑顔で料理を……食べてくれて……いた……。


 ……。


 ……ずっと、同じ顔だ。


 いつもいつも、同じ顔だ。


 あれは真実じゃなかったのか。


 その笑顔は、初めから精巧に作られた偽物だったの……?


 ……それとも、味覚に問題がある……とか。


 少しだけ感じていた違和感をふと思い出した。


 焦げた焼き魚を美味しいと言ったり、やけに詳細な感想を口にする様になったり。

 ご主人様はいつの日からか、好みが変わって、食事に対して饒舌になっていた。


 嘘、そんな。

 ……これ、もっと早く気付くべきだったんじゃ。


 ご主人様に異変が起きてること、一番近くにいた私はもっと早く気付けなければいけなかったんじゃ。


 

「……こんな最低な女……みゅんみゅんも嫌いだよね……ごめんね……」



ご主人様は、後退りしながら喉を振り絞る。



「ち、ちがっ……」



 嫌いになんてなれるはずがない。


 ただ、信用されていなかったのが悲しくて、苦しくて、痛いだけ。



「……ごめんね、本当にごめんなさい。

 やっぱりわたし、みゅんみゅんの隣でいちゃいけないんだよ。

 ごめんね……」



 そう言うと、ご主人様は部屋から、屋敷から走り去っていった。


 私から離れるように走っていく。



「まっ、待って……まってよ……もう……行かないで……」



 世界から遠ざかるあなたの背中を、私は追えなかった。


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