第116話 思い出したのに、思い出せない


 エリゼ視点



 目が覚めると、白い天井が見えた。



「またこの部屋か……」



 見覚えのある白い病室。


 特に寝心地も良くない背中の感触。

 質素なベッドに寝かされているみたい。


 窓から見える景色は暗く、どうやら時間は夜の様。


 下半身が重い。

 倦怠感とか鈍痛とかそういう病的なやつじゃなくて、物理的に重い。


 上体起こして足元を見てみると、毛布の上からわたしの太ももに突っ伏している女の人がいた。


 涙をずっと流していたのか、布団が湿っている。

 彼女の目元も赤く腫れていた。



「泣き虫だね、みゅんみゅんは」



 髪の毛が傷まなように優しく頭を撫でる。


 一瞬だけ心臓が跳ねた気がしたけど、すぐに治まっちゃった。


 綺麗な横顔、長いまつ毛、いつかは食べてみたい唇、垂れた前髪。

 どこを切り取っても素敵で可愛くて美しい。


 ……。


 わたし、居ていいのかな。

 あなたの側に。


 こんな穢れた人間が、あなたみたいな綺麗な人の隣で生きていていいのかな。



「うぐっ……なんで……なんで……わたし、もっと綺麗でいたかったよ……」



 みゅんみゅんがわたしを離れてしまう想像をして、涙が出てきた。


 こんな悲観的なこと考えなきゃよかった。


 離れて欲しくないのに、離れたがっている。


 どこまでも自分勝手な矛盾。


 破綻している。


 ……。


 目を閉じた。


 もう、夢から覚めなければいいのに。





 ☆





 お昼頃、聴き慣れたみゅんみゅんの声が聞こえて目が覚めた。


 薄らと瞼を開けて声の方を向く。


 窓際に置かれた小さな机を挟んで、簡素な椅子に座ったメイドと騎士が会話をしている姿が見えた。


 みゅんみゅんと、もう一人は……。


 桃色と金色で半々に染められた髪の毛。


 そんな髪色を持つ女はこの世に一人だけ。


 フルーリエ・ミササギだ。



「ということで、犯罪組織『スルト』は事実上の壊滅。

 関係者や法を犯していた者はほぼほぼ捕縛しました。

 現在は残党を狩っている段階です」


「……褐色の女はどうなったんだ」


「組織の長メートゥナですね。

 一時行方を眩ませていた彼女も、しっかり牢屋にぶち込んでいるのでご安心してください。

 お陰で牢獄は満室状態ですけどねぇ」



 どうやら、メートゥナちゃんは捕まったらしい。

 きっと、アヤイロちゃんやネイハちゃんも……。


 『クラウン』に所属していたあの頃は、騎士団に頼むなんて発想出てこなかったな。


 あの時、わたしがちゃんと抗っていたら何かが変わっていたのかもしれない。


 ……。


 そして、わたしの知らない間に事件は解決していた。


 知らないというよりは、その間の記憶が欠け落ちているって言った方が正しいかも。


 焦って動いた結果捕まって、それでいつの間にか救われて。


 何やってんだろ、わたし……。



「先輩、どうやら主人が盗み聞きしているようですよ。卑しいですねぇ」


「盗み聞きも何も、ここはご主人様の病室だろう」



 めちゃくちゃバレていた。


 二人はわたしの薄目としっかり視線を合わせてくる。


 視線に気づいているのなら、初めに指摘してくれてもいいのに。


 苦笑いを見せながら起き上がる。



「あはは……起きるタイミング分かんなくて」


「おはよう……ご主人様」


「うん、おはよう」



 久しぶりな気がする。

 彼女とこうして言葉を交わすのが。



「目障り耳障り口障りなのでこれ以上粘着癒着密着は避けてもらっても?」


「ご、ごめん」


「あれ? 張り合いなくなりましたぁ?

 ま、私としてはそっちの方がやりやすいんですけど」


「あの、フルーリエ……さん。その、ありがとうございます。

 わたしのために戦ってくれたみたいで」



 薬を打たれてからの記憶は全く無かったけど、一つだけ覚えていることがある。


 アヤイロちゃんから離れることができた瞬間、その一瞬だけは脳に焼き付いていた。


 不安と恐怖から解き放たれて、わたしは彼女の顔を見た。


 現騎士団長、フルーリエ・ミササギの顔を。


 みゅんみゅんに向かって罵詈雑言を吐くから嫌いなんだけど、それでもわたしは感謝を伝えたかった。



「……ひあ!? な、何!? 誰お前!! は、はぁ!? 気持ち悪っ!!

 ああああっ!? 背中ゾワゾワなるわぁ!!」



 フルーリエは体を震わせながら頭を掻きむしる。

 綺麗な髪がボサボサになるまで続いた。


 とんでもない拒絶反応だ。



「え……もしかしてわたし、とんでもない悪口言っちゃってた……?」



 そんなはずはないんだけど。


 ただ感謝を伝えただけ……だよね。


 みゅんみゅんに助けを求める視線を送ってみたが、彼女も戸惑い状況を理解していない様子だった。


 ぷんすこしながらフルーリエはわたしに、ある報告をし始める。



「えー、こほん。

 そういえばお前に伝えないといけないことがあるんですよ。

 今回検挙した罪人共の一人に、お前と面会を望んでいる者がいます。

 なんでも、謝罪をしたいそうですよ」



 ……。



「誰……?」


「ネイハという名の者です。

 勝手に調べさせてもらいましたが、お前の元パーティメンバーのようですね。

 どうされますか? 嫌なら嫌と、正直に仰ってくださいよ」



 ネイハちゃんが、謝りたい?


 ……なんで。


 痛い。


 胸が痛い。


 嫌な記憶がフラッシュバックしてくる。


 謝りたいって……なんで今さら……。


 それって……罪の意識から解放されたいだけなんじゃ……?


 ……。


 ううん、違う、違うよ。


 きっとそれだけ反省してくれているんだ。


 あの子が自らそう言ってくるなんて、嬉しいことだよ。


 何を疑っているんだ、わたしは。


 また友達としてやり直すチャンスだよ。


 でも……。



「ちょっと考えさせて……」


「健気なことで。

 では、私はそろそろ出ますね。

 弱者と馴れ合っていると、全身にカビが生えてきそうで不安なんですよ」



 フルーリエはなかなか酷い暴言を吐いて退室していった。


 改めて思うけど、めちゃくちゃな人間だったな。


 それに、あの子を見ていると無性に腹が立ってくる。


 みゅんみゅんの夢であるメイドを侮辱したこと、まだ根に持ってるからな。


 当のメイドはというと、机に置いてあった器を手に取ってわたしの方へ歩いてきた。


 目の前までやって来たみゅんみゅんは、器の中身を見せてくれる。


 艶めいた果物が色々入っていた。



「これはフルーリエからのお見舞い品だ。

 言動は最悪だが意外とちゃんとしているだろう?」



 うっ、嫌だ。

 他人の先輩ムーブをしないで欲しい。


 嫉妬で狂いそうになるから。



「ご主人様食べたいものを選んでくれ」


「食べたいもの……」



 駄目だ選べない。


 体が本気でどうでもいいと思っているから……選べない。


 だって、わたしにとって食事はただの栄養俸給でしかないから。

 大好きだったご飯は、いつの間にか作業へ成り下がってしまった。


 ずっと頑張って来たけど、いつまで経っても味覚は戻ってこない。


 だから諦めてしまった。


 悩んでいてもしょうがないので、わたしはリンゴに指を置く。



「りんごだな。遠目でうさぎに見える程度にならカットできるから、少し待っててくれ」


「楽しみにしてるね」



 みゅんみゅんはわたしを元気付けようと頑張ってくれている。


 なのに、わたしはそれに答えてあげられない。





 ☆





 再び夜がやってくる。


 みゅんみゅんは心労で参っているらしく、彼女には些か小さすぎるソファの上でくるまり眠っていた。



 ごめんね、心配ばっかりかけさせちゃって。


 本当のわたしはもっと明るかったはずなんだけど、もう、戻れそうにない。



 フルーリエが帰った後、リューカちゃんやセレナちゃん、それにラスカちゃんがお見舞いに来てくれた。


 みんなからは、わたしが気を失っている間の話を聞いた。


 みゅんみゅんは必死にわたしを助けようとしてくれていたらしい。


 嬉しい。


 嬉しいはずなのに、わたしはそれを実感できなかった。


 あの時と同じだ。

 アヤイロちゃん達からわたしを救い出しに来てくれたあの瞬間。


 わたしは心を大きく揺さぶられていたはずなのに、次の瞬間にはその熱が冷めていた。


 今までわたしは見ないふりをしてきた。


 胸の内を渦巻く嫌な感情を。

 いつからか、心に住み着いていた闇を。


 みゅんみゅんがメイドとして屋敷に来たあの日から、わたしの中の感情は徐々に欠落していったんだ。


 最初の頃はずっと興奮しっぱなしだった。


 それなのに、最近は何も感じられなくなって来ている。


 その証拠に、わたしは今平常心を保っている。

 すぐ側に大好きなあの人が無防備に眠っていると言うのに。


 嬉しいとか、楽しいとか、そういうのが綺麗に無くなっちゃった。


 でも、悲しみや妬み、そんな負の感情だけは絶え間なく心を刺してくる。


 ずっと、ずっと。


 あなたとご飯を食べている時も、みんなで楽しく会話をしている時も、ずっとずっと胸を刺していた痛みがあるんだ。


 最近はそれが顕著になってきて、起きている間も眠っている時も辛いことしか考えられない。


 そして、昨日。

 アヤイロちゃん達に追い討ちをかけられた。


 ずっと忘れていた絶望が、どこかに隠していた憎悪が、心の中を満たし始めている。


 わたしは知っている。


 それが何なのかを。



「ねぇ、みゅんみゅん……わたし全部思い出しちゃった。

 最初から最後まで、全部全部思い出した」



 眠っているメイドに言葉を綴った。


 これは『呪い』だ。


 カトレアちゃんとシャウラちゃんだけじゃなくて、わたしもちゃんと呪われていたんだ。


 絶え難い永遠の呪いを宿している。


 あの遺跡で『シュガーテール』を手にした時、わたしの恋は奪われてしまったんだ。


 ……。


 辛くて仕方のない感情や、逃避という友達への過ち。


 そういうのを全部思い出した。



「でも……好きが思い出せないよ」



 大好きなのに、ずっとずっと大好きだったのに……それを思い出せない。



 空っぽのわたしから涙が一つ、世界に落ちた。




『第四章 救いも奇跡も、かつての私は知らなかった 終わり』



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