第91話 次に会う時は、どうか出来た人間になっていますように

 エリゼ視点



 木漏れ日で溢れる林道をひたすらに歩き続ける。


 一心不乱に、頭の中をできるだけ空っぽにして進み続ける。


 汗が滝の様に流れているのもどうだっていい。


 今はあの二人からできるだけ離れたいから……。


 ああ、そっか、こういうことだったんだ。



 罰も受けていないのに、罪も贖っていないのに優しくされるのって、こんなに居心地が悪いんだ。



 リューカちゃんも、こんな気持ちを抱いていたのかな。


 木々に潜む虫の鳴き声が耳を支配している。


 普段は耳障りなそれだけど、今だけはその騒々しさに助けられていた。

 湧き出てきた最低な記憶と痛みを凌ぐには丁度良い。


 足元からは濃い影が伸びている。


 それはまるで、わたしの中にあるドロドロとした黒い何かのようで、視界に入るだけで心底不快だった。



『やめよっか……ギルド活動』



 随分昔にカトレアちゃんが口にしたその言葉が脳をよぎる。


 満身創痍の彼女が切り出した、願いとも取れるその一言。


 やだな……。


 あの日のあの瞬間、わたしだけが我儘を通してしまった。

 あれからからここに至るまで、ずっとずっと身勝手なことをしてきた。


 全部全部間違っていたんじゃないかって思えてくる。


 だけど、その葛藤に意味は無いということを知っている。


 あの時、わたしが大切な幼馴染から逃げていなければ今のわたしはいないから。


 みゅんみゅんとも、リューカちゃんやセレナちゃんとも出会えていないはずだから。


 ……これで良かったんだ。

 そう思いたいのに、どうしてもわたしの過去を肯定できそうにない。


 喉が渇いてきた。


 ちょっと汗を流しすぎたのかも。


 頭も痛い。


 目眩もする。


 あはは、驚くぐらい高い宿から落ちても平気だったのに、こんな暑さでバテちゃうんだ。


 ……はは、思っている以上にわたしは弱い人間なのかも。


 虫の鳴き声に混じって、足音が聞こえてきた。


 長い足を大股にして歩く彼女が鳴らすブーツの音。


 こんなに暑いのに、もうブーツなんて履いてるんだ。


 蒸れちゃうよ……。



「ご主人様」



 あなたは、わたしの背中に声をぶつけた。

 とっても心配そうな声を。


 胸が痛い。


 もう、心配なんてさせたくなかったのに。



「みゅんみゅん……ごめんね、置いてっちゃった」



 歩みを止めて振り返る。


 そこにはやっぱり、給仕服のあなたがいた。


 綺麗な金色の長髪。


 見上げるほどの長身。


 整った顔立ちはどの方向からみても芸術的で、わたしなんかには釣り合わない。


 そんなあなたは声色だけじゃなくて、表情までどこか寂しげだった。



「良かったのか、あの別れ方で」


「うん……いいんだ、今は。今日はもう十分喋ったよ。

 いつでも会えるから……だからまたいつか会いに行けばいい」



 いつか。

 そんな曖昧な表現は、わたしが二人から逃げていることを証明している様なもの。


 恥ずかしいな。

 こんな卑怯な格好、みゅんみゅんに見せたくなかったのに。



「ご主人様は二人のことが嫌いなのか?」


「そんなことないよ! わたしは今でも二人のことを大事に思ってる。

 カトレアちゃんとシャウラちゃんは……とっても良い人だよ。

 あんな体なのに、わたしのことをずっと心配してくれてた。

 だから、二人を嫌いになるなんて絶対にない」



 その大事な幼馴染との思い出に蓋をしていた人間が言えたことじゃないでしょ……。


 何が『大事に思ってる』なのかな。

 大事に思ってるなら、その責任を果たすべきだったのに。


 本当は、五体満足なわたしが二人と一緒に暮らさなきゃいけなかったんだ。

 それが責務で、贖罪で、正しさだから。


 でも、わたしは逃げてしまった。



「そうか、なら良かった。

 二人とも次に会えることを楽しみにしていたから、また会いに行こう」


「……いいのかな、こんな女が会いに行っても」


「ご主人様はもう二人に会いたくないのか?」


「どうなんだろ。自分でも分かんないんだ。

 わたしは、二人から逃げちゃったから」



 暑いな、とても。


 林が頭上を覆ってくれているおかげで日差しは当たっていない。


 それでも汗は全身を流れ続けた。

 服の中に着ているキャミが汗で張り付いて気持ち悪い。

 

 通り雨でも降ってきてくれれば良いのにな。

 それで、全部洗い流して欲しい。


 汗も、罪も。

 

 わたしの前に立っているあなたは、自分の胸に手を乗せる。

 何かを訴えかける様に、わたしの瞳を捉えていた。


 そして。



「私も、辛いことからは逃げてきた。

 今だって逃げ続けてる。

 戦うことから、国を守ることから。

 だから、似たもの同士だな、私達は」



 似ている、か。


 それは道理かも。

 わたしはずっとあなたを追いかけてきたんだから。


 聖騎士ミュエルに憧れて剣を手にしたわたしは、意図的にあなたに似せてきた。


 でも、あなたの逃げとわたしの逃げじゃ意味が変わってくるよ。


 みゅんみゅんと違って、わたしのこれは罪だから。



「似たもの同士……。

 でも、みゅんみゅんは逃げたことに向き合ってるから。

 だから、わたしよりも全然えらいよ。

 わたしは、友達を置いてけぼりにしちゃった……」


「私もまだ、少ししか向き合えてないよ。

 聖騎士という冠にも、ナルルカの死にも。

 少しでも向き合えたのは、ご主人様がいてくれたから。

 一人じゃなかったから私は今ここに立てているんだ。

 ……それに、カトレアにもシャウラがいるじゃないか」



 ……。


 違うんだよ。


 そうじゃ……ないんだよ。


 シャウラちゃんがカトレアちゃんを支えているんじゃないんだよ。


 二人は、互いに互いを支え合っている。



「カトレアちゃんだけじゃないんだよ……。

 シャウラちゃんも呪いを受けてるんだ。

 そんな風には見えなかったけど、すっごく重い呪いを背負ってる」


「……そうだったのか。すまない、無神経だった」


「だから、二人はギルドの活動を続けられなくなって……それで、わたしは逃げちゃった。

 夢を諦めたくなかったから」



 今日のわたしはベラベラとよく喋るな。


 最低だ。

 全部吐き出して、楽になろうとしている。


 それだけは駄目だ。

 自分勝手にみゅんみゅんを巻き込むのだけはよくない。


 罪の痛みからは逃げちゃ駄目だ。



「夢?」


「うん、夢。ずっと大切にしてきた夢。追い続けてきた……夢。

 けど、それはもういいんだ。叶わないって分かっちゃったから」



 形は違うけど、見方を変えれば叶えてると言ってもいいのかもね。


 憧れの人と並ぶ。


 そんなありきたりな夢。


 でも、本当の意味でこの夢が叶うことはもうないんだと思う。

 だから、わたしはそれを諦めた。



「……今日は、暑いな。そろそろ歩こうか」



 みゅんみゅんは、わたしが本当に言いたくないことを察して踏みとどまってくれる。


 嬉しいな、こんな女のことを少しだけ理解してくれていて。


 でも……良いんだよ?


 あなたなら、わたしのもっと深い所まで潜ってきてくれても。


 って、何思ってるんだろ。


 ……めんどくさいな、わたし。



「喉、乾いてきちゃった。帰ったら何か飲みたいかも」


「ライチがあったはずだから、それをジュースにしようか」


「いいね、それ。すっごく美味しそう」



 きっと、爽やかで、甘くて、最高の飲み物なんだろうな。


 ……。


 カトレアちゃんの体が瞼の裏に映る。


 どんな治癒術を使ったとしても、セレナちゃんが懸命に祈ったとしても解けない呪いに侵されているあの体。


 シャウラちゃんの『速度』を思い出す。


 常人が歩くそれよりも、ずっとずっと遅くしか移動できないあの呪い。

 世界に置いていかれる残酷な足枷。


 二人のそれを解く方法は、結局見つけられなかった。



 わたしの味覚は……戻ってくるのかな……。

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