第92話 食欲の秋、食べ盛りのメイド、そして
ミュエル視点
幼馴染の二人と再会してから二週間。
あの日の炎天下はもはや記憶の中で、思い出すことも難しい。
朝晩は冷え込むようになり、木々は次第に赤を帯び始めている。
季節はすっかり秋へ様変わりしてしまった。
食欲そそるこの季節。
野菜に魚に果物、ありとあらゆる食材が旬を迎える最高の時期。
この時期になると毎年恒例のイベントが開催される。
街中に飲食の屋台が溢れる秋の収穫祭。
ついこの間、女神の生誕祭で大通りがお祭り状態になっていた訳だが、あれは前座のようなものだ。
料理を生業にしている者達が猛威を振るうのはこの収穫祭。
目の前に美味な料理が出されれば、大抵の人は抗うことができずに手を付けてしまうだろう。
食欲を解き放っても問題ない舞台を用意されれば、旺盛な私は……じゃなくて人々は言い訳を捨てて街中を練り歩くだろう。
つまり、私とご主人様は街へ出掛けて絶賛お祭り堪能中だった。
いつも以上に賑わう大通り。
食物を模した煌びやかな装飾があちこちに施されている。
道の脇には至る所に料理を提供する屋台が並んでいた。
「カボチャパイ買ってきた」
「うわぁ! すっごく美味しそう!
そっか、かぼちゃも今が旬なんだ」
「手を出してくれ」
テイクアウト用の袋に入れられたかぼちゃのパイをご主人様に手渡す。
手のひらの中心に収まるパイ生地のそれを、私達はおやつ感覚で口に含んだ。
甘くて、どこか懐かしさを感じさせる味が舌に広がる。
美味しい。
思わず笑みが溢れるぐらいには美味しかった。
「甘くて……美味しいね」
「ああ、とても美味しい」
「もう一個もらおうかなぁ」
「遠慮せずに食べてくれ。あと八個あるから」
「やった! どんどん食べちゃうね!
……え、八個? あはは、結構買ったんだね」
ご主人様は明るく振る舞ってくれていた。
でも、心なしか顔色は優れていない様に見える。
きっとまだ本調子に戻っていないんだと思う。
幼馴染との再会は、ご主人様の心に靄をかけてしまったようだ。
彼女達三人の間に何が起こったのかは分からない。
知っているのは、カトレアとシャウラの二人は大きな呪いを背負っているということだけ。
本当は根掘り葉掘り聞き出してやりたいけど……私はそこに踏み込めない。
ご主人様は過去を話してくれない。
多分、私に触れてほしくないから、知ってほしくないから。
だから私はそれを尊重する。
それに私はメイドだ。
ただの使用人が主人の懐に入ってお節介を焼くことはできない。
幼馴染三人の問題に手を出せるのはもっと先の話。
もっと、もっと仲を深めてようやく彼女の傷に触れることが許される。
……それは、いつの話になるんだろう。
いや、きっとすぐだ。
すぐに私達は……その、良い感じの仲になるはずだ。
だって、一緒に寝たりするし。
だから、今は私のやり方で彼女を励ませば良い。
私は初めの一歩としてこの収穫祭を選んだ。
ご主人様と出会って最初に知った彼女の幸せ。
それが『食べること』だったから。
今日を通して、彼女の心が少しでも安らげば良いな。
かぼちゃのパイを食べ終えた私達は、次に焼き魚を買っていた。
大通りを歩きながら、串に刺された魚を食べていく。
調理されて硬くなった肌に歯を立てる。
カリッという良い音を鳴らしながら
中身が詰まった白身魚。
絶妙なバランスに調整された塩加減に感動しそうだ。
「この焼き魚……! とても美味しい!」
普段魚なんて口にしなかったけど、案外悪くないな。
このレベルの料理を振る舞える腕になったら家でも挑戦してみようかな。
「そうだね〜。焼き加減も丁度良いし、生臭さも飛んでるし。
あ、でも、骨だけは注意しないといけないかも」
もしゃもしゃと焼き魚に齧り付いているご主人様だったが、その焼き魚はどう考えても焼かれすぎ魚だった。
私の目から見ても焦げていると分かってしまう程に焦げている。
焦げすぎだ。
「焦げてる気がするけど……」
私がもっと早く気付いていれば、取り替えてあげられたのに。
今からでも遅くない、そんな失敗作を食べさせる訳にはいかない。
「あ、え? いやいや、この苦味が癖になるんだよね〜」
「うそぉ……」
信じ難いけど、ご主人様は顔色ひとつ変えずに焼かれすぎ魚を完食した。
苦い料理が好きなのか……覚えておこう。
その後も、焼いた林檎やぶどうの果汁ジュース、芋の揚げ物に焼きにんじんと、立ち並ぶ屋台を制覇する勢いで料理を食べ尽くした。
こんなに美味しい料理が食べられるなんて最高だな、秋という季節は。
次は何を食べようかな、なんて考えていると。
「うあ〜、お腹いっぱいだよぉ……ちょっと休憩したいかも」
お腹を膨らませたご主人様がギブアップを訴えていた。
私はまだまだ食べられるけど……多分私がおかしいんだ。
「ベンチでも探して休もうか」
そう口にしたところで、私の底知らずのお腹は大きく鳴ってしまった。
狙ったとしか思えない最悪のタイミングだった。
呆れるほどに食欲旺盛だな、私。
「みゅんみゅん、我慢は禁物だよ。ほら、そこのお店に入ろっか」
「すまない……」
「ううん、むしろみゅんみゅんが美味しくご飯を食べるところを眺めてられるから嬉しいぐらいだよ」
「なんだか少し恥ずかしいな」
「そんなことないよ。じゃあ行こっか」
私は、ご主人様に連れられて目に入ったお店へと足を踏み入れた。
大通りから少し外れた大人な通り。
古着屋や質屋、あとはよく分からない店が立ち並んでいる。
店の中に入って気付いたけど、私達が休憩がてらに進んだ先は『酒場』だった。
店内は客の声が騒がしく、活気に溢れている。
肉が焼かれ、酒が振る舞われ、人が酔いつぶれている。
扉を潜った先には店員が待ち構えていた。
その店員、おちゃらけた女性は私達を見るやいなや、楽しそうに話しかけてくる。
「お、運が良いですねお二人! 丁度あなた達で満席なんですよ!!
では席に案内しますね!! ついてきてください!!
いや、ほんとラッキーだわ〜空いてる席も外を一望できる窓際の席ですから!」
そう言いながら案内されたのは、私達が歩いてきた通りの反対側に位置する座席だった。
テーブルの側面には大きな窓が壁の一面を支配していて、その先には大きな庭園が見える。
確かに特等席だ。
「綺麗……」
ご主人様はその景色に感心している様だった。
席についた私は、早速この酒場のおすすめメニュー『キャッスルオブステーキ』なるものを頼んだ。
満腹状態のご主人様はフルーツ牛乳を注文していた。
こんな酒場でも牛乳は提供されているんだな。
と、改めて牛乳の凄さを実感するなどして暇を潰す。
「みゅんみゅん、お酒頼んでも良かったんだよ?」
「流石にそれはできない。それに、私は飲酒をしたことがないから。
だから、初めてをここで捧げるわけにはいかない」
「え、そうなんだ。じゃあいつか、良いお酒を買ってあげるね」
「それは嬉しいな。その日が来るのを楽しみにしている」
人生で初めて酔う時は、ご主人様の隣が良い。
二人きりで同時に酔えればな。
……いや、そもそも私はアルコールに呑まれないんじゃないか。
それに、ご主人様はまだ飲酒していい年ではないし。
私達を案内してくれたおちゃらけた店員が、注文したメニューを運んできてくれた。
「いやー! 最高ですよお客さん!
まさかこの『キャッスルオブステーキ』を頼むなんて!
食べ切ることができればアイスがついてくるのでお得なんですよこれ!
あ、全然残してもらっても良いですよ? アタシらの賄いになるんで!!
はいこれ、フルーツ牛乳っ!! かわいいね、君!」
「えへへ、ありがとうございます」
私の目の前でご主人様を口説いた店員は笑顔のまま厨房の方へ帰っていった。
テーブルの上に持ってこられたのは、お酒を入れるべきジョッキに注がれたフルーツ牛乳。
そして、ご主人様の胸から頭程の大きさを誇るステーキだった。
こんな大きなお肉初めて見た。
……切り分けるの、めんどくさそう。
あと、客の残飯を賄いにするのは衛生的にも精神的にも良くないと思う。
「……いや、でかすぎない?」
「うん、ちょっとでかいかも」
「ちょっと……?」
私はその大きな肉塊とも呼べる料理を食べ進める。
対面に座っているご主人様は、お酒用の巨大なジョッキに満杯注がれたフルーツ牛乳を飲んでいる。
こういう時って、相手の隣に座った方が距離を縮められるんだったかな。
流石にもう移動することはできないか……。
失敗した。
「すごいね、もう半分ぐらい食べ終わってるよ」
「柔らかくて美味しい。ご主人様も食べる?」
「うーん……今食べたら吐くかも」
ご主人様の背中側から大きな音が鳴り響いた。
酒場の入り口に設けられた扉が勢いよく開かれたからだ。
連動して扉に備え付けられた鐘がガランと音色を奏でる。
入ってきたのは女が三人。
いかにも柄が悪そうな連中だった。
その不良少女達は店員の案内を無視して、満席の店内をズカズカと歩き回っている。
「ハンバーグの肉汁って、喉も潤うのかな?」
「え……? 考えたことなかったな、そんなこと。
でも、肉汁で喉を潤わしたくはないな」
「あははっ、そうだよね。多分胸焼けすると思うし」
不良少女は数々の客を睨みつけながら移動し続けている。
次第に私達が座るこの席へと近づいてきた。
「フルーツ牛乳に限らずだけど、牛乳に何かを加えた飲み物って想像してる味と実際の味が一致しないよね」
「言われてみれば、そうかも。
ココアも、クッキーを牛乳に浸したお菓子も、少しだけ違和感感じるな」
不良少女達は、標的を捉える。
三人の内、クリーム色の髪の毛をツインテールに結んだ少女が驚いた顔をして近づいてきた。
ご主人様はそれに気付いていない。
「でも、なんだかんだ言ってどれも美味しいんだ。このフルーツ牛乳もおかわりしたいな」
「あれぇ……もしかしてエリゼちゃん?」
ツインテールの少女は、私達の間に割って入りるとご主人様の顔を覗き込んだ。
「……あ……ぁ……え……?」
ご主人様は呆然としながら手に持っていたジョッキをテーブルに落とした。
まだ半分ほど中身が入っているその器は、幸運にも綺麗に底面から着地し割れることはなかった。
「ほらぁ! やっぱりエリゼちゃんだっ!」
少女ははしゃいでいる。
そして、そのままご主人様の隣へと強引に座り込んだ。
「あの、ご主人様。知り合いか?」
「……うん」
嘘だろ……?
また、増えるのか。
私以外の女が、彼女の周りに。
「いやぁ、ほんとに久しぶりだね。てっきり死んだと思ってたよ」
「……」
ご主人様は黙り込んでいる。
なんだ、この胸騒ぎ。
なんだ、この女。
「んで、あなた誰? エリゼちゃんのメイド?」
「そうだけど、あなたは?」
「んー、アヤイロ・エレジーショート。よろしくねっ、メイドさん。
そんなことよりエリゼちゃん、ちょっとこの席一緒に使わせてよ。
わたし達座る場所がなくて困ってるんだ」
「……ぁ……はい……どうぞ……大丈夫です……」
先ほどまで会話をしていたご主人様とは思えないほど弱りきっている。
なんだ、これ。
どうしたんだ、ご主人様。
もしかして、二週間前の幼馴染みたいにまた一悶着ある間柄の女なのか、こいつは。
ただ、この間と決定的に違うことがある。
ご主人様の表情と生気が完全に失せていることだ。
幼馴染の二人と出会ったあの日、彼女は罪の意識に苛まれていた。
呪いを受け、体を失った幼馴染から逃げたことに対する後悔。
それを負い目に感じて苦しんでいた。
でも、そんなのは比じゃない。
今のご主人様は、二週間前と比べ物にならない程に悲観と自棄で満たされている。
まるで……今から命を絶とうとしている者のよう。
絶望。
今のご主人様を表すとするなら、その言葉だった。
アヤイロと名乗った女は……それを追う様にやってきた残りの二人は、ニタニタと笑っている。
こいつら……ご主人様の敵だ。
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