第86話 この夏で最も最高な日

 リューカ視点



 奈落。


 舞台の裏側。


 夢の一歩手前。


 知られざる裏の顔。


 魔術師ではないあたし。


 大好きで堪らない憧れの人。


 狂ってしまいそうな緊張と熱。


 ……。


 女神ニーアの生誕祭当日、あたしはララにゃんや彼女のマネージャー、そして楽器隊のみんなと舞台の地下でいた。


 これから始まる。


 大司祭ララフィーエの舞台が。


 ララにゃんのライブが。


 漆黒の弦楽器『ナイトメアハレーション』を抱えて、あたしは床に靴底を密着させたまま停止している。


 大丈夫、これまで積み上げて来た技術をいつも通り披露すればいいだけ。


 ……いや、それじゃダメだ。


 いつも以上の力を発揮しないと、きっと誰も感動してくれない。


 エリゼの心は動かない。



「リューカちゃん、緊張してる?」



 あたしを心配してくれたのはセレナと同じ銀色の髪を持つ小柄な女性、ララフィーエ・ポラリスだった。


 大司祭という国のトップである役職に就きながら、今日みたいなファンサービスも欠かさない最高の女。



「い、いや……うん……緊張してるみたい……ララにゃんは緊張してないの?」


「うん、緊張しないよ。

 ララにゃんを待ってくれているみんなには可愛い姿で応えたいから」



 やっぱり凄いな、ララにゃん。


 常にファンのことを考えている。


 対してあたしは、失敗するのを恐れて立ちすくんでいる。



「つまりね、リューカちゃんの前でも良い格好をしなくちゃいけないってことだよ。

 ララにゃんの前で悲しい思いはさせない。

 例え失敗を起こしたとしても完璧にフォローしちゃうから、全力全開で暴れていいんだよ」



 大好きなアイドルの隣で楽器を演奏できるって時点で弾け飛びそうなのに、その上こんな励まし貰えたら惚れちゃいそうだわ。



「うん……頑張ってみる」



 そう答えた直後に、全身のあらゆるパーツが大きな女性に背中を軽く叩かれた。


 その女性は、ララにゃんのマネージャーをしているシルゼリアさんだった。



「シャキッとしてください、リューカ・ノインシェリア。

 貴女が奏でる歪みで全てが始まるんですから、固まっていられては困ります。

 それに、貴女にも偶像としての素質を感じています。

 なので、本日は精一杯煌めいてください」



 マネージャとして、大司祭補佐としてララにゃんを支える彼女はそう言ってくれた。


 みんな好き勝手言ってくれる。


 誰かが見ている前で楽器を弾くのが、どれだけ大変なことか分かっていないんだ。


 ……でも、それでもあたしは今日この舞台に上がって演奏する。


 それが、彼女への贖罪になるのだから。



「ったく、どうなっても知らないわよ」



 修道女兼スタッフから開始の合図が出された。


 間もなく、ライブは始まる。


 あたしや楽器隊のみんな、そしてララにゃんは昇降式の板の上に乗せられると、ゆっくりと持ち上げられ舞台へと上げられた。


 地下から直接外界に出たけど、眩しいのは一瞬だけだった。


 視界は良好。


 薄暗い大聖堂内を見渡すことができる。


 めまぐるしい数の人間がいた。


 あたし達……いや、ララにゃんの登場によって、観客は歓声をあげている。


 息が詰まりそうなほどに緊張があたしを襲う。


 視界の至る所に存在する彼女達全員が、ララにゃんのファンなんだ。


 今ここにいる連中は誰一人としてあたしを見ていない。


 なら、緊張する必要もないか。


 それに……少しだけムカつく。


 ……。


 あたしを見ろよ。


 今まで見向きもされてこなかったこの魔術師を見ろよ。


 狂わせてやる。


 あたしが誇る魔術で、全員惑わせてやる。


 腕を天目掛けて高らかに突き上げる。


 観客の歓声が消えると、あたしは指を鳴らした。



「響乱結界ノクターンディストーション……夢を現実にしてあげるわ」



 それは、楽器の音を増幅させ音色に彩りをもたらせる結界。


 今日の為に試行錯誤して作った音響魔術。


 あたしの『ナイトメアハレーション』は、この術式を以って最強になる。


 右手で摘んだピックで弦を弾くと、歪みが効いた音が大聖堂内に響き渡る。


 その和音が静寂を崩壊させた。


 号哭にも似た叫びが聞こえる。


 はは、これよ。


 この歓声が、この注目がずっと欲しかった。


 生まれたから今までずっと孤独を平気に思っていたけど、心のどこかであたしは人を求めていた。


 でも、誰もあたしを見てくれなかった。


 魔術に人生を注ぎ込んできたあたしを、通り過ぎる人々は嘲笑っていた。


 魔力を生成できないあたしに、その努力は無駄だと憐んでいた。


 でも、あたしは夢を信じ続けてきたおかげでここに立っている。


 そして、あたしの全霊を込めた魔術が観客を沸かしている。



「あたし、魔術師を諦めなくてよかった」



 誰の耳にも届かない声でそう囁いた。


 楽器隊が各々の音色を奏で始める。


 そして、それに合わせて歌姫は言の葉を紡ぎ出した。


 彼女はちらりとあたしを見ると、微笑みを浮かべてウインクを贈ってくれた。


 あっつい。

 こんな激アツなファンサービスを貰っていいのかしら。


 ララにゃんが歌う横で、あたしは誰かを驚かせるために始めた弦楽器を奏でている。


 魔術師ってこんなことやっていいんだ。


 戦わなくてもよくて、人を狂わせるために術式を使っても許されるんだ。


 汗を激らせながら、思いのまま弦を弾き続ける。


 客席の方を見た。


 エリゼにミュエル、それにセレナが居ないかを探すために。


 あたしを見てほしい。


 誰も見たことのないリューカ・ノインシェリアを見てほしい。


 けど、最初に目に入ったのは親しい友達じゃなくて、異彩漂うかの美形少女だった。



 来てくれたんだ、アラン。



 あたしが恋していたあの美形は、目を見開いて固まっていた。


 どういう感情かは分かんないけど……ざまあみなさい。


 あたしの初恋を弄んだお前は今、見向きもしなかった魔術師に興奮している。


 この際アランが何を思っているのかなんてどうでも良い。


 あたしが、あいつの感情を揺さぶってやった。


 その事実で十分ね。


 結局、舞台の上からエリゼ達を見つけることはできなかった。


 こんなことなら、どの辺りに立っているのか聞いておけばよかった。



 エリゼ、あんたにこの感情は伝わってるのかな。


 この熱も、この音も、この高まりも。


 全部伝わってると良いな。


 あたしを魔術師にしてくれたあんたに、どうかこの想いが伝わってますように。



 ミュエル……正直あんたがエリゼの側に居ることは気に食わない。


 あたしが成り代わってあげたいぐらいには妬ましい。


 それでも、感謝している。


 あんたには頻繁に救われているから。



 セレナ、ありがとう。


 あたしにこんな素敵な舞台を用意してくれて。


 あたしを導いてくれて。


 あたしを、信じてくれて。


 あたしを……救ってくれて。



 弦楽器をかき鳴らす。


 楽しいな。


 魔術の勉強をしている時とはまた違う興奮がある。


 人を熱狂させることが、こんなにも刺激的だったなんて。


 眩しい。


 客の声が心地いい。


 まるで、夢を見ているみたい。


 ううん、夢を叶えているのよ。


 あたしはまだ舞える。


 エリゼの願いを叶える力は必要だけど、ギルドに頼らなくてもいい魔術師になれる。


 あたしにとって、今日のこの舞台は人生を大きく変える思い出になった。



 リューカ・ノインシェリアは、もう不幸じゃない。


 今度は誰かを幸せにしていく番だ。


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