第79話 宵の下、怪物と剣士は深く交わる

 エリゼ視点



 一面を覆ってた雲に隙間が生まれ始めている。

 数多の星々から放たれる光を遮るその夜空に両手を掲げて優しく甘く囁く。


 大剣の名前を。



「来て、シュガーテール。甘いお話を聞かせてよ」



 滞空しているわたしの頭上に風が巻き起こる。


 矛盾を孕んだ黒い光が咲き乱れる。


 静寂と共に召喚が完了した。


 いつかの遺跡で手にしていた大剣をその手に。


 振り上げた両手に現れた紅蓮のそれは、わたしの身長を超える程の大きさを持つ大層な武器。


 どうしてわたしがこんな剣を手にしているのかなんて全く分からない。

 思い出せない。


 けれど、わたしはこの力を存分に振るわせてもらう。



「正気か、エリゼ。

 身投げなら一人で寂しく落ちてくれ、心中はごめんだよ……!」



 わたしのすぐ下で空を落ちているアランは淡々と口にした。



「こんな状況でもまだ冷静を装えるんだ。

 つまんない女になっちゃたね。

 ほら、今だけは二人きりなんだから……素直に全部吐いてよ!!」



 言葉を吐き終えたその瞬間に振り上げていた大剣を振り下ろす。


 全身全霊の斬撃をアランに向かって下す。


 対して、アランは空を蹴ってわたしの斬撃に剣を合わせた。


 紅蓮の大剣と紅の剣が刃を交わす。


 曇り空の下で金属音が響いた。



「素直に? これ以上何を言葉にすればいいのかな?」


「なんでこんな強引にセレナちゃんを拐ったのか、ちゃんと話してよ!!」


「だからっ、互いの合意の上でセレナを連れて来たって言ってるだろ」



 言葉のやりとりはただのおまけ。


 肉体言語を以ってわたし達は会話をする。


 何度も何度も空中の至る箇所で衝撃が起こる。


 わたしは宿の壁を走り、アランは足元の気体固めては蹴り飛ばす。


 いつまで経っても地面に着地することはなく、広大な空間で斬撃を放つ。


 神速の打ち合い。


 剣術における実力はアランの方が上だけど、わたしはちょっとだけ高い身体能力でその差を埋めることができる。


 どちらかが少しでも優勢になれば、それを追い越そうと必死に力を振り絞る。


 次第に感情は高まり、本性が露出し始める。


 わたしの下方で滞空しているアランは、紅の剣を構えながらこちらへと勢いよく跳んだ。


 移動の速度を乗せ斜め下から振り上げられた『斬帝』に対して、わたしは衝突するであろう『シュガーテール』を握る力を抜ききった。


 刃がぶつかり合う金属音と共に、わたしの手から得物がすっぽ抜ける。


 弾き飛ばされた大剣を横目にわたしは、勢い余って体勢を崩すアランの脇、その内側へと入り込む。



「歯、食いしばった方がいいよ」



 それだけ忠告して、肋骨目掛けて最速の拳を叩き込んだ。



「あがっ!?」



 声にならない声が喉から漏れる。


 本日二度目の打撃。

 そして、アランへ通すことの出来た二度目の攻撃。


 剣術で勝てないのなら、拳で、脚で、頭で、体で勝てばいい。


 これは決闘じゃない。


 喧嘩だから。


 宙に放り出された『シュガーテール』を捕まえる。


 そして、高く聳え立つ何階まであるのか分からない宿屋の壁に叩きつけられたアランへと告げた。



「ごめんね、アラン。わたし剣術より喧嘩の方が強いんだ」


「っ!? ……はぁ、本当に雑な戦い方をするね、君はぁっ!!」



 ひび割れた壁を蹴り、アランは再びわたしへと向かって跳ぶ。


 彼女が手にしている紅の剣が向かう先は、わたしの禍々しくも全てを魅了する大剣。


 ずっとそうだ。


 わたしの肉体は傷つけないように、急所は外すようにと無意識に躊躇している。


 ……もっと、本気で戦ってよ。



「凄いね、アランは正々堂々としてて……馬鹿みたい。

 馬鹿みたいに、剣に対してだけは真面目。

 その戦い方はわたしの好みじゃないけど、かっこいいと思うよ」



 皮肉に本心を混ぜてそう言った。


 ずっと剣術を学んできたあなたは、綺麗な太刀筋を残すことしか考えれない。


 嘘で塗り固められたその心を溶かすにはもっと熱がいる。


 怒りとか、悔しさとか、そんなどろどろした黒い感情が必要だった。


 だから、どこまでも相対するこの女を貶す。


 ほら、綺麗な顔が崩れた。


 どこまでも余裕を見せようと演じていた化けの皮が剥がれ始めた。


 やっぱり、あなたを暴けるのは暴力だけだ。


 言葉は何重にもロックされた心の扉を解放させる鍵に過ぎない。


 顔の造形が良い女は、剣を構えて怒りを吠える。



「仇なせ……斬帝」



 合言葉の直後、鋭い閃光が拡散した。


 名を呼ばれた紅の剣は、頬を染めるように刃を光らせる。


 魔力の集中によるその発光は、無類の切れ味を斬撃に宿す究極のおまじない。


 ドラゴンも、ダイヤモンドも、空間さえも斬り裂いてしまうだろう。


 もちろん、わたしの体も。


 やっと応えてくれた、わたしに。



「いいよ、アラン。全力で来てよ。

 わたしがその全力を壊してあげるから」



 今のアランの全力なんて、後ろに誰もいない一対一のあなたの攻撃なんて、わたしの敵じゃない。


 一瞬の戸惑いを見せながらもアランは勢い良く剣を放った。



「頑張ってね、シュガーテール。わたしも頑張るから」



 この剣なら、この子なら。

 きっと究極の斬撃だろうが、天使の息吹だろうが、悪魔の魔法だろうが、なんだって耐えられるよ。


 御伽噺は幸せに終わるのだから。


 真っ赤に光る『斬帝』は、わたしの腕を落としに走っている。


 わたしは向かってくる刃に、大剣を合わせるだけだ。


 衝突する。


 夜の静けさを殺す衝撃音が世界に奏でられた。


 空間が揺れる。


 視界が暴れる。


 腕が痺れる。


 わたしに重量を感じさせないその大剣でも、この威力は消しきれないか。


 だけど、『シュガーテール』は折れない、傷つかない、終わらない。


 究極の斬撃は、この時を以って冠を格落ちさせた。


 それはもう究極とは呼べない少し強いだけの技だ。


 鍔迫り合いを交わしているアランは驚きを隠せていない。



「斬帝をも弾くのか……その大剣。凄く鬱陶しいよ。それ、何なのかな」


「わたしが聞きたいよ。

 ……で、アランの最強を凌いで見せたんだけど、これってわたしの勝ちでいいのかな?」



 露骨に煽る。


 こんな性格の悪い言葉、みゅんみゅんにどうか届いていませんように。


 なんとなく、アランが嫌がりそうなことは知っていた。


 だって、彼女が初めてパーティに誘ったのがわたしだったから。


 ま、こんなプライドの塊みたいな女を怒らせる方法なんて誰でも思いつくかもね。



「そんな訳ないだろ。僕の技を一度防いだくらいで図に乗るなよ、エリゼ・グランデ。

 その気に食わない顔、耳障りな声、何もかも壊してあげるよ!!」



 憎悪が溢れ出す。


 一週間前、大聖堂で感じた視線と同じだ。


 あの時、あなたは教会に来ていたんだね。


 でも、どうしてわたしに憎悪を向けるの。


 わたし、何かしたのかな。


 ……ずっとそうだった。


 いつからか、わたしはアランに嫌われてしまった。


 パーティに誘ってくれたあの時は、そんなことはなかったのに。


 なんで、嫌われたんだろう、ずっとそればかりを考えていた。


 でも結局、その真意を知ることができないままわたしはパーティをクビにされてしまった。


 分かんないよ、言葉にしてくれなきゃ分かんないよ。


 わたしに憎しみを抱く理由も、セレナちゃんを拐った理由も、全部全部分かんないよ。


 ……だから、わたしはこの感情の衝突戦で何もかもを知ってやる。


 地面までは残りわずか。


 自由に落下しているだけなら五秒もしない内に着地するだろう。


 アランは再び『斬帝』に魂を吹き込んでわたしへと跳ぶ。


 何度も何度も、空中でぶつかり合う。


 刃を交わす度に感情が高まる。


 テンペストにいる時からずっと堪えていた感情が溢れ出しそうになる。


 セレナちゃんを困らせて、リューカちゃんに涙を流させた目の前の女に対して、わたしは怒りを抑えられそうにない。



「どうして、セレナちゃんの気持ちを考えてあげなかったの?

 アランはなんでそんなワガママになっちゃったの!!

 そこら中の落ち込んでる女を捕まえて笑顔を吹き込んでいたアランは、どこ行っちゃったんだよ!!」



 言葉はいらない、なんて思っていたのにわたしは口に出していた。


 ずっと、尊敬していた。


 アラン・アラモードは、弱っている少女を見つけては虜にしてしまって最後には笑顔にさせていた。


 みんなはその姿を見て、アランのことを他人の心に配慮できる英雄だと思っていた。


 けど、それは少しだけ間違い。


 アラン・アラモードという人間はただ好き勝手に生きているだけ。


 それに魅せられた少女達が勝手に救われているだけなんだ。


 それでも、そんなに不誠実でも彼女は人を幸せにして来た。


 そんなあなたを尊敬していた。


 でも、今のあなたは何もかもが違う醜い女。




 何度目かの斬撃を大剣で受けたわたしは、鍔迫り合うアランに全重量を押し付けて地面へと叩き落とした。




 空の旅は終わり


 宿の領地に建てられた庭園へと着地する。


 大地へ叩きつけられ土煙が立つその奥に、少女のシルエットが見える。


 威力を綺麗に体の外へ逃したであろうその少女は、剣先をこちらに構えて立っている。


 彼女は絞り出したような小さな声を出す。



「……変えたのは……だろ」


「……え?」


「僕をこんな風に変えたのは、エリゼだろう……?」



 煙が晴れる。


 顔もスタイルも全身が美しいその少女が姿を表す。


 憎悪を帯びたその微笑みはとても悲しそうで、今にも泣き出しそうで悔しそうで……。


 わたしは初めて、弱音を宿したアラン・アラモードの顔を目にしていた。



「わたしが変えたって、それは、どういう……こと?」



 記憶をいくら遡っても答えは出てこない。


 思い出せないっていうわけじゃない。


 だって、アランとの思い出は全部覚えているから。


 その上で、わたしは彼女が口にした言葉の意味が理解できなかった。



「もう……あんな苦しみを味わうのは嫌なんだよ……!!

 だから、僕の恋を邪魔しないでくれっ!!」



 強く弱い声が二人きりの庭園に響いた。


 曇っていたはずの夜空には輝かしい月が顔を出し始めている。


 出会ってから何度目かの彼女との喧嘩は、さらに深く落ちていく。


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