第80話 アラン・アラモードという女

  アラン視点



 僕はアラモードの家名を背負う令嬢として生まれ育った。


 両親が二人、兄が一人、姉が一人。

 五人家族の裕福な家庭で何不自由なく育てられる予定……だったんだろうね。


 親は、兄は、姉は、僕を立派な令嬢に育て上げて、どこぞのお偉い様へ嫁がせるつもりだったらしい。


 よくある話だ。


 政略結婚なんていうロマンスの可能性が欠片ほどしか存在していない自由の対義語を、僕は生まれながらにして強いられていたわけだね。


 母親からは令嬢としての作法や男に媚びる技を叩き込まれた。


 礼儀正しいお茶会に社交会の立ち振る舞い、そんな下らない教育を淡々と受けていた。


 母親は己が至れなかった理想を僕に押し付けていた。

 そこに愛情は無い、そこに親心は無い。


 無様を晒せば鞭が飛び、僕の背中を剥いだ。


 泣き喚けば、傷が増えるだけ。


 それを知っていたから僕は芽生え始めていた心を封じた。


 加えて、アラモード家は由緒正しい剣士の一族。


 幼い頃からそっちの方も躾けられた。


 剣士令嬢という冠は希少価値が付くから、という理由で父親と兄に剣術を教えられた。


 教えられた、とは名ばかりだけどね。


 訓練用の剣で何度も何度も体を傷つけられた、というのが実態。


 母親の鞭の件も含めて、これから商品として売り出す生娘にする仕打ちかって思うけど、仕方のないことだったのかもしれない。


 だって、父親や兄よりモテてしまっていたから。


 美形揃いの家族内でも僕は飛び抜けて容姿端麗だった。


 父親が手に掛けていた使用人も、兄が恋慕を向けていた少女も、みんな僕に夢中だったからその腹いせに毎日暴行を受けていたってことだね。


 僕はただ、耐え続けた。

 その技を一滴残らず吸収し終えるその時まで、孤独に我を殺していた。


 ま、結果的に今の僕があるのはこの経験のおかげでもあるから感謝はしているよ、少しだけね。


 ということで、幼少期のアラン・アラモードは令嬢と剣士に生きる操り人形だった。



 ……。



 それから数年後、僕は裕福な家庭の人間が通うことのできる女学園に姉と共に通っていた。


 姉は病弱体質で儚い少女だった。


 そして、家族の中で唯一僕に対して優しさを与えてくれた存在でもあった。


 そんな姉と共に過ごせるこの学園での生活は天国のような時間で、永遠に続いて欲しいと思っていた。


 だけど……。


 僕が学園に入ってから一年後、姉は人生を終えた。



『アラン……あなたは自由に生きていいんだよ』



 それが、姉の最後の言葉だった。


 安らかに眠っている姉の遺体を目にした者共の言葉を僕は忘れられない。


 父親は言った。



『あいつに費やした金を返して欲しいものだ。

 全く、こんな弱い女早期に切り捨てるべきだったんだ』



 母親は言った。



『この程度の人生しか送れないなんて、私の子としてありえない』



 兄は言った。



『恋人の一人もできずに死ぬなんて、何のために生きてたんだか』



 姉の消失と共に、両親の操り人形だった僕は幕を閉じた。


 彼女の遺言通りに僕は自由に生きることにする。


 そして、容姿の淡麗さを自覚してそれを存分に利用する僕が生まれた。


 無限の愛を従え恋に生きる煩悩の女。

 最後まで慕ってくれた姉に対して不誠実な程色恋に狂っているけど、それが今まで抑えて来た本当の僕だった。


 理由は無い、僕は生まれながらにして色欲に塗れていた、ただそれだけだ。


 弱い女が好きだ。


 だから、僕は強くあり続けた。

 自分より弱い女を増やせば、恋愛対象の幅も広がるから。


 甘えたくなるような女が好きだ。


 愛情に飢えているから。


 何より、落ち込んでいる女が好きだった。


 暗い顔を笑顔に変えてあげるのが何よりも大きな快楽だったから。


 愛情をもたらしてくれる姉はもういない。


 愛に飢えた僕は学園中の気に入った生徒と教師を貪り尽くした。


 関係を持った女の子達とは例外なく恋人になり、その繋がりは今でも続いている。

 僕の愛を以って、彼女らの普遍的な価値観倫理観を狂わせた。



 ……。



 学園の卒業と同時に、僕はアラモードの家を壊した。


 人生のどこかで挫折し、理想を子供に押し付けて来た母親を喰った。


 僕を妬んでいた父親と兄は力でねじ伏せた。


 真剣勝負、一対一、ルールに則って、卑怯な手を使わず、完膚なきまでに叩きのめした。


 僕を貶した者には真っ向勝負で勝つ。


 そうすれば、相手の心を粉々にできるから。


 これで、復讐は終わり。


 ずっと受けてきた虐待の憂さ晴らしは終わった。


 でも、姉へ対する侮辱は永遠に許さない。


 だから僕はアラモードの名を捨てて家を出た。

 こんな人達と同じ一族だと思われたくはないから。


 どこで働くかは決めていた。


 魔獣の討伐や国民からの依頼を仲介しているギルドという機関。


 ここなら……この実力主義の世界なら僕はいつまでも輝いていられる。


 生憎、恋人の中に戦える子は一人もいなかった。


 一人で活動しても良かったんだけど、僕は女の子を守る時に本領を発揮できる愚かな女。


 仕方無くギルドの施設内でパーティメンバーを探し始めたところ、最初に目に写った運命的な女が君だった。



 お下げで根暗で人との関わりを避けていた傷心少女。




 『エリゼ・グランデ』




 初めは全く誘いに乗ってくれなかった辛辣なその少女も、何度か会話を交わす内に心を開いてくれて、やがて『テンペスト』というパーティを組むことになる。


 君との生活は楽しかった。


 愛欲と快楽の介入する余地がない斬新な日常を送れたから。


 普通の恋をしてみるのも悪くないかなって、そう思えた。


 僕はエリゼを連れ回した。


 これまで愛して来た恋人達と同じように、アプローチをし続けた。


 そしていつもの通り、いずれは僕に堕ちてくれると信じていた。




 だけど違った。




 君は……エリゼは弱い少女では無かった。


 僕と生活をしていく中で、君は強さを取り戻して行った。

 


 剣士という役割を担って前線を張れる強い人。


 その背中をみて確信した。


 エリゼ・グランデは、僕と同じ魅せる側の女だった。


 誰かを守り、誰かを救い、誰かを恋に堕とす。


 無意識でそんなことをやってのける女だった。


 だから、僕はエリゼを剣士ではなく支援魔術役を任命した。


 形だけでも弱くあって欲しかったから、君に不向きな役割を課した。


 そして、いつかの日君が口にした一言で。




 僕は初めて恋を失った……。




 僕をこんな風に変えたのは、エリゼだろ……。


 もう、あんな苦しみを味わうのは嫌なんだ。


 誰もこぼしたくないんだ。


 だから僕は、どんな手を使ってでもセレナを堕とす。





 ☆





 地上250メートルを落下した先、宿が誇る広大な庭園で僕達は対峙していた。



「もう……あんな苦しみを味わうのは嫌なんだよ……!!

 だから、僕の恋を邪魔しないでくれっ!!」



 右手で構えている『斬帝』を握りしめ、走り出す。


 呆気にとられているエリゼに対して、怒りとどうしようも無さを込めた斬撃を繰り出す。


 でも、それは彼女の体に届くことはない。


 禍々しい大剣によって弾かれてしまうから。


 僕はまだ、この戦いの中で一度もエリゼにダメージを負わしていない。


 苛立ちが増す。


 剣術の技巧さは確実に僕の方が上なのに、どうして勝てないんだ。



「わたしがアランを変えたって、どういうことなの……?」


「気付いていないんだ、君は。それもそうか。

 だって、エリゼは僕を見てくれていなかったんだから!!」



 その場で跳躍してエリゼへと突き進む。

 斬撃を弾かれては、再び大地を蹴って攻撃を織りなす。


 エリゼを中心にして円を描くように跳ねては弾かれるを何度も繰り返す。


 それでも彼女に傷を与えることはできなかった。



「ちゃんと言葉にしてくれないと分かんないよ!!

 わたしもいつの間にかアランに嫌われてて、だから何かしちゃったのかもって振り返ってみたけど結局なにも分かんなくて!!」



 二つ結びの少女は身の丈に合っていないであろう大剣を大振りする。


 それは斬撃を放つ意図の行動ではない。


 振り下ろした遠心力や勢いを利用して、エリゼは僕の方へ飛んできた。


 咄嗟に回避を取ったにも関わらず、高速の蹴りが僕の頬を掠めた。


 ほんと、馬鹿げた戦い方だ。


 剣に体術を組み合わせた何でもありな攻撃。


 エリゼが剣術だけでなく、拳や脚も使ってくるのなら僕もそれに応えるだけだ。


 飛び蹴りで頭の横を通過するエリゼのお腹辺りを右手で触れる。


 これで十分。


 僕は、たったこれだけで相手の体に快楽を呼び起こすことができる。


 数多の恋人と関わって来た結果、いつの間にか最小限の動きで最高級の悦びを与えられるようになっていた。


 昼間のリューカのように、君もじきに動けなくなる。



「……残念だけど、わたしにそれは効かないよ」



 酷く淡白な声色でそう口にした。


 まるで、エリゼじゃないような、何か別の意思が宿っているような、そんな声だった。


 それにしても……この技も通用しないのか、この怪物は。


 これ以上の快楽に慣れているのか、それともまた別の要因か。


 言葉と同時に、エリゼは大剣振りかざした。


 禍々しい大剣が頭上に来たすんでのところで、反射的に飛び出した左手で受け流す。


 その一瞬、刃に手が触れたのは一秒にも満たない時間だった。


 感情が、絶望が僕の心に流れ込んできた。





 妬ましい、苦しい、嫌い、死にたい、暗い、眩しい、弱い、欲しい、震える、嫌わないで、嫌だ、奪わないで、殺して、どうして、何故、疲れた、どうでもいい、怠惰、期待しないで、無駄、気持ち悪い、汚い、破滅、欲情、不幸、憎い、愛して、愛さないで、何も無い、愚か、触れたい、孤独、嘘、生きたくない、死にたくもない、奇跡なんて無い、憐れむな、見ないで、恥ずかしい、吐きそう、穢したくない……。


 愛して。


 受け入れて。


 ……。


 ……。



「……うっ、かはっ、おぇえ、はぁ、はぁ」



 なんだ、今の。


 手が震えている。


 違う。

 全身が震えているんだ。


 なんだ、これ。


 今の地獄は、なんだ。


 まさか、あの大剣が見せて聞かせたのか。

 負の感情を。


 そして、絶望を。


 ……落ち着け……落ち着け。


 鼓動を整えるんだ。


 おそらく、持ち主以外の者が触れれば発動する類の力。


 精神を蝕む厄介な特性持ちの大剣だろう。


 迂闊に触れるのはまずいな。


 体力も精神力もごっそり削られる。


 ……。


 そう思い込んでおけば良かったのに、僕は最悪な仮説を巡らせてしまった。


 もし、そんな都合の良い話では無いとしたら。


 もし、あの大剣が触れた者へ無差別に絶望を与えているとしたら。


 もし、この瞬間もエリゼが絶望を受け続けていたとしたら。


 ……いや、考えすぎか。


 エリゼは華麗に動き回っている。


 こんな絶望に侵されているはずもない。


 そう、こんな絶望に……。


 こんな不安と、悲しみに襲われていれば立っていることすら難しい。


 ……。


 落ち着け、大丈夫……じゃない。


 怖い、尋常じゃない恐怖が脳を支配している。


 だというのに、エリゼは容赦無く大剣を向けてくる。



「アランっ!! わたしのことはもう嫌いでもいいよ!!

 けど、それはセレナちゃんを無理矢理従わせる理由にはならないよ!!」



 エリゼの声がとても遠くに聞こえる。


 音がこもっている。


 どうして……どうしてエリゼは僕に嫌われてもいいって言えるの。


 僕のことをどうでもいいと思っているから、それとも


 エリゼの一閃に『斬帝』を被せて軌道をずらす。


 そんな撃ち合いの最中、僕は遠い過去の幻影を見た。


 二つ結びの少女が笑いかけてくれる記憶が映し出される。



『アラン、今日の依頼頑張ろうね』


『ありがと、ほんとにアランって頼りになるよ』


『ここの宿、ベッドがめちゃくちゃ大きいね。

 嬉しいな、こんな良い場所に泊まれるなんて』


『見てアラン、このお花。きっとアランに似合うよ』



 これは、まだ二人きりだったころのテンペストの記憶。


 懐かしくて、辛い記憶。


 やめろ、とまれ、とまって、これ以上は、だめだ。



『大丈夫だよ、アラン。わたしが守ってあげるから』



 ずっと昔の魔獣討伐の記憶。


 凶暴な魔獣に襲われた時。

 どこかの鍛冶屋で購入したであろう劣悪な剣を構えて、彼女は背中越しにそう言っていた。


 守るな、僕を。


 僕が守るから、君はただ後ろでいてくれれば良かったんだ。


 思い出させるな。


 損なわれた恋を思い出させないで。




『アランのおかげで、大好きな人に顔向けできるぐらい元気になれたよ。

 ありがと、わたしを誘ってくれて……わたしに笑顔を贈ってくれて」




 なんで、僕じゃ駄目だったんだ。


 君に笑顔を取り戻させたのは僕だったじゃないか。


 どうして、ミュエル・ドットハグラを選ぶんだよ……やだよ、そんなの。


 僕はこんなに君を思っているのに……どうして……。


 好きなのに……大好きなのに……。














 違う、これはもう終わった恋だ。


 未練は遠い昔に捨てて来た。


 この幻は、この記憶は、あの禍々しい大剣『シュガーテール』が呼び起こした負の感情。


 騙されるな、エリゼに向ける恋心はもう存在していないんだ。


 そして何十回目かの刃の打ち合い後、僕達は互いに距離を取った。


 息も絶え絶えの少女がここに二人いる。



「最悪……もう、めんどくさいよ」



 嫌な記憶を思い出してしまった。


 ムカつく、すごくムカつく。


 僕が側にいたにも関わらず、聖騎士に思いを馳せていたのが腹立たしい。


 そもそも僕の思いが伝わっていかったのも不快だし。


 めんどくさい。


 御託を並べるのも、こうやって刃を交えるのも、疲れてきた。


 言ってあげるよ、もう全部聞かせてやる



「僕はセレナ・アレイアユースに恋してるんだ!

 好きな女の子をアプローチして何が悪いんだよ!!

 大好きな女の子と結ばれたいだけなのに、なんで邪魔するんだよっ!!」



 もう、全部どうでもいいよ。


 セレナを手に入れるために入念に考えて来た策も全部捨ててやる。


 聖女の特性だとか、聖女がどうあるべきだとか、そんなのも全部どうでもいい。


 ただ本気で目の前の女とぶつかることだけを考える。


 エリゼ・グランデに恋を奪われないように、それだけを考えるんだ。

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