第73話 この夏で最も最悪な日
リューカ視点
生誕祭の準備を終えてから一週間が経った。
祭典までは残り一週間。
その日は快晴と言うには雲の群れが空を泳ぎ過ぎていて、多分夜には雨が降り出すんじゃないかってあたしは予想している。
こんな日は部屋に引き篭もって最先端の魔術資料を読み耽るに限るわね。
って言っても、現在あたしが居座っているこの部屋は聖女様にあてがわれたものなんだけど。
つまり、リューカ・ノインシェリアは居候女なのであった。
そして部屋主の聖女様はと言うと、チークブラシ片手にあたしが寝転がっているソファの前で小型鏡と睨めっこしていた。
ちなみに、彼女が使っている鏡も化粧道具もそれらが置かれているローテーブルも全部あたしの所有物だ。
住まさせて貰っている手前、こういうことは言いたく無いんだけど……。
「あんた、メイク道具ぐらいは自分で買いなさいよ!」
「常々購入意欲はあるんですけど、お店の人が売ってくれないんですよね〜」
「はぁ? どういうこと?
こんな歩く広告みたいな有名人に商品売らないとか、マーケティング的にありえないわよ」
「それが、『聖女様はお可愛いのでそのままでも十分ですよ』と毎度言われて購入を拒否られるんですよ」
「急にムカついてきたわ。メイク失敗しろ」
あたしの言葉を適当に遇らうと、セレナは真剣な眼差しでほっぺたを染めていく。
それから数分後、メイクを終えたセレナは資料を読み解いているあたしの肩を叩いた。
「どうです? できてますか?」
「……あんた、本当にメイクしたわけ?
寝起きと何も変わってないわよ」
「濃くなるのが怖かったので、少しだけ薄めにしました」
いや、薄めというか薄過ぎよ。
結構な時間鏡に向かってた気がするけど、あの時間は何だったんだ。
顔に水でも塗りたくっていたのか。
それにしてもこの聖女……顔が良すぎて究極に薄いメイクでも全然可愛い。
めちゃくちゃ腹立つわね。
「はぁ……それで良いと思うわよ」
「本当ですか? 何だか自信がついてきました!」
聖女様は鏡を見つめながら上機嫌になった。
あんたはお世辞という言葉を知ったほうがいい。
それにしても、今日あたし達は教会の手伝いも無くて、誰からも依頼の無い所謂休日なわけなんだけど。
どうしてこの少女は身支度をしているんだ。
「セレナ、今日は何か予定あんの?」
「いいえ、無いので探しに行きます。
どこかに助けを求めている人がいるかもしれないので」
なんか、若干危険な匂いがする考え方よそれ。
あたし、聖女を夢みなくて良かった。
常人がこんな生き方してたら狂ってしまうわ。
「困っている人、いるといいわね」
「良いわけないでしょ!! 災難抱え込む人を望むなんて最低です!!」
「えぇ……いや、そうだけど、え〜……」
途方もないほど正論だから何も言い返せない。
「さ、リューカさん。馬鹿なこと言ってないで行きましょうか」
「え、あたし? なんで?」
「ついでに化粧道具を買いに行こうと思います。
リューカさんと一緒なら買える気がするので、ついてきてください」
どうしてこのタイミングで誘ってくるんだ。
せめて、鏡と睨めっこし始めた時には言っとけっての
「ったく、そういうのはもっと早く言いなさいよ。
準備するから待ってなさい」
「今思いついたので、今誘いました」
とんでもなく呑気な聖女様だな。
ま、たまにはこの少女の役に立ってあげるか。
何となく気分が乗ってきたあたしは、できるだけ早く身支度を終わらせた。
「じゃあ行きましょうか」
そう言うと、セレナは扉を開けて外へと踏み出した。
あたしもそれに続く。
退室する前に、なんとなく部屋を見渡してみた。
個人の部屋にしては案外広いこの部屋。
一週間前はこの部屋にエリゼとミュエルもいたんだ。
そう思うと少しだけ寂しいわね。
「行ってきます」
誰もいないその部屋に向けて挨拶をした。
部屋の戸締りをして寮を出る。
活動をし始める時間としては少しだけ遅いためか、修道女寮の辺りに人の気配は無い。
大きな曇り空とどこまでも続いていそうな石造りの歩道、その脇には花壇や植木などの緑が広がっている。
ここから教会の領地を出るまでには意外と時間が掛かるんだけど、大聖堂や騎士団本部といった綺麗な建物が並ぶおかげで景色には飽きない。
教会中でも隅に建てられている修道女寮付近は自然が多くて、散歩するにはもってこいの場所だったりする。
あたし達は、街までの道のりを歩き始めた。
だけど、そこからたったの二十歩程で足は止めた。
止めた、と説明するよりは止められたの方が正しいか。
「セレナ、あたしの後ろに来なさい、早く」
「え? あの、どうかしましたか?」
歩道の曲がり角、その奥から嫌な気配がする。
誰かがあたし達の方へ歩いてきている。
それが、修道服を纏った正真正銘の教会関係者ならどれだけ良かったか。
「……とにかく、あたしの背中から離れるんじゃないわよ」
不安そうにしながらもセレナはあたしの後ろにぴったり隠れてくれた。
それで良い。
絶対守ってあげるから。
……。
足音が近づく、気配が接近してくる。
そして。
曲がり角から見知った顔が現れた。
太陽よりも輝いているんじゃ無いかと錯覚するぐらいの美形。
生まれ持った容姿のためか、異常とも呼べるほど自信過剰なその女。
それなのに努力を惜しまず自分を磨き続けているその女。
非の打ち所が女たらしぐらいしか無い憎たらしい女。
その女の名前は、アラン。
その後ろに続く家名は知らない。
ただ、そんなことはどうでもいい。
問題なのは何故この女がここにやってきたのか、それだけだ。
「ごきげんよう、セレナにリューカ。久しぶりだね」
甘ったるくて胃もたれしそうな表情で爽やかに言葉を紡いだ。
その顔の裏で何を企んでいるのか、大体は予想がつく。
「アラン……今更何のつもり」
「君に用事は無いんだ。用があるのは後ろの子猫ちゃんさ」
アランは笑うことで細めていた瞼を薄く開けそう口にした。
やっぱりこいつ、セレナを狙ってる。
「残念だけどまた今度にしてくれるかしら。
あたしら、今からショッピングなのよ」
「……セレナ、僕のお願いを聞いてくれるかな?」
その言葉は反則だ。
それは、聖女にとって無視できない従属の言霊。
困っている人を助けてしまうセレナが持つ唯一の弱点。
「……久しぶりですね、アランさん。どうされましたか」
「セレナ、テンペストを手伝って欲しいんだ」
こいつは、性懲りも無くまたセレナを誘うのか。
あの夜、あたしが起こした行動は、忠告は無駄だったのか。
「アランっ! あたし、言ったはずよ。
セレナの夢を邪魔するなって。それでも聖女様を独占する気なの?」
本当はもっと罵倒や皮肉を吐き出したい。
なのに、理性がそれを制限している。
そんな幼稚な言動でどうにかできる相手じゃないことを知っているから。
だから説得できそうな言葉を選び抜いて口にした。
でも、そんなことに意味は無かった。
……この女は壊れていたのだから。
アランは光を宿していない瞳をあたしに向けた。
「リューカ、君が言ったんだよ? 好きな女は守りきれって。
だから僕はセレナを守る。そのためにセレナは僕の側にいてもらう。
ほら、とっても理にかなっているじゃないか」
覚えている、その言葉。
あたしがアランに叫んだセリフだ。
目の前の狂人はそれを都合良く解釈してしまったらしい。
もはや、対話でどうにかできる相手では無いのかもしれない。
「もう少しまともな人間だと思っていたんだけど、見当違いだったようね」
「僕はまともだよ。狂っているのは君の方じゃ無いか?
『疫病神』と呼ばれているエリゼと楽しく過ごしている君たちの方が、狂っている」
エリゼ……疫病神?
どうしてここであいつの名前が出てくるのよ。
もう訳が分からない。
辻褄が、因果が、点と点が結ばれない。
彼女は何を思ってここにいるんだ。
どうして今頃になってセレナを取り戻そうとするんだ。
すれ違う女を悉く振り向かせてきた女が保っていた距離を縮め始めた。
どうやら思考を巡らせている時間は無いらしい。
「それ以上近づくな。近づけば、あんたを潰す」
「物騒だね、リューカ。だけど、君に僕は倒せないよ。
エリゼから贈ってもらったあの杖を持っているならまだしも、素手の君に負けてあげる暇は僕にないんだ」
アランはあたしの忠告を無視して歩き始める。
それは戦闘へ進むことを良しとした行動。
あたしとやり合うという明確な意思表示。
ほんと、血気盛ん過ぎて引いちゃう。
剣を持っちゃうタイプの女ってのは。
「どうやら路地裏の出来事を忘れているようね。
あたしはあんたを打ち上げている経歴あるんだけど?
それに、ステゴロなのはあんたも同じでしょ」
魔獣討伐や危険な依頼を受ける際に携えている『斬帝』と名付けられた紅の剣は見受けられない。
アランは武器を何も持っていない。
「そうだね……だけど、違う。
今の僕は君に対して動揺もしていなければ、慢心もしていない。
リューカ、君は立派な魔術師だ。
だから、全力でいかせてもらうよ」
埒が明かない。
これ以上の対話は無駄か。
……エリゼと別れてから一週間。
魔力は例に漏れず減衰してきている。
いざとなれば、魔力を込めたピアスと指輪を使う。
体術に頼るしかないアランなら、これだけで何とか無力化できるはずだ。
ほんと、いつになったらあたしは本気を出せるのよ……。
「雷閃。フレアノヴァ。コールドスター。ネクロウィンド。魂濁(こんだく)」
複数の単語詠唱(コマンド)を並べて言の葉に魔力を乗せる。
刹那。
空間に雷が疾る。
灼熱の炎球が大地を照らす。
氷の星が顕現する。
死者すら殺す風が吹く。
魂を衰弱させる呪いが牙を剥く。
色鮮やかな魔術の群れが、一斉に目の前の美形に向かって解き放たれた。
これぐらいで死んでくれるなよ、アラン。
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