第74話 あたしがセレナを守らないと
リューカ視点
無数の魔術を前にして、美形の女は微笑む。
動じず、勝利を疑わず、あたしを嘲笑う。
「ははっ、見惚れるぐらいに術式展開が速いね。
やっぱり君は怪物だよ……だけど、それだけさ。
───僕には勝てない」
アランは重心を下げると、その場から姿を消した。
違う、消えたんじゃない。
アランは走ったんだ。
あたしの目が、彼女の速度を捉えきれないだけだ。
凝らせ、凝らせ、目を凝らせ。
追え、見ろ、探れ……その瞳に写らないのなら、彼女が移動する先を予測しろ。
アランはあたしの放った魔術を避けよう後退するはず。
……でも、この女なら強引に正面突破もやってのけるだろう。
判断材料が揃っていない。
選択をミスれば、あたしは負ける。
その時、集中力を限界まで注いだ視覚が薄い残像を写した。
あはは……この女、一体どれだけの速度で移動しているんだ。
あたしを怪物呼ばわりしておきながら、あんたはあんたでしっかり人外じゃないの。
微かに残る影を辿った結果、嘘の様な現実が浮かび上がった。
どうやらアランは、周囲を囲むように放たれた魔術の間を縫うように移動しているらしい。
「嘘でしょ……?」
驚きで声が漏れる。
逃げ道の隙は与えてないはずなんですけど……。
このままじゃあっという間に距離を縮められる。
アランの接近はあたしの敗北と同義。
体術に持ち込まれれば、かよわい乙女なあたしなど瞬殺されてしまう。
展開し続けろ、魔力の温存なんて気にしている場合じゃ無い。
一瞬で決着は決まる。
その瞬きの間に持てる全てを叩き込めば、なんとかなる……はず。
考えている暇は無い、アランはこの間にもあたしに向かって移動してきている。
降り注ぐ魔術の隙間を潜って遠回りをしているが、ここに辿り着くのも時間の問題ね。
「駄目だよ、リューカ。
歩道、花、建物を傷付けないように手を抜いているね。
それじゃあ余計に僕は倒せないよ」
魔術を巧みに避けながらアランは言葉を投げかけてきた。
鬱陶しいほどに余裕ね。
「あんたが一つ残らずその身で受けてくれるって約束してくれれば、術式の調整しなくて済むんだけどな」
「面白い冗談だ。さて、そろそろ終わりにしようか」
アランは、追跡してくる魔術を背にあたしの方へと走り出す。
あたしには反応のできないその速度。
だけど、それだけだ。
知識と策略で対抗すればいい。
「マジカルギロチン!」
あたしの人一人分前の上空に、魔力で構成された断頭の刃が出現する。
真下を通過する標的の首を神速で落とす忠実な術式、『マジカルギロチン』。
これはただの脅しだ。
あんたが大好きな真正面からじゃ、あたしに届かない。
「無駄な足掻きだね」
聡明で賢明で勘の鋭いアランは、『マジカルギロチン』の下を通らずに迂回を選んだ。
あたしの狙い通りに。
流石にあんたの速度には焦らされたわ。
けど、移動の道筋さえ限定させてしまえばいくらでも対応できる。
行動を予測して、詠唱付きの魔術を叩き込める。
「際限なく降り頻る涙よ、その息吹を大いなる空へと還元せよ。
……八連フレイムアンカー」
炎の槍が八本、美形の女を囲むようにして発生した。
そのどれもが高速で回転を繰り返す高威力の術式。
これでお終いにしよう。
「爆ぜろ」
その小さな一言で八本の槍は一斉に掃射される。
中心のアラン目掛けて。
着弾と共に騒音が鳴り響いて術式が爆発した。
爆風が周囲を駆け巡る。
黒煙が立ち上がる。
すると、その光景を見ていたセレナが慌ててあたしの背中をこつんと叩いた。
背中の方へ振り返ると、あわあわしている聖女様がいる。
「りゅっ、リューカさん、これはやりすぎですよ!!」
「大丈夫よ。道が傷つかないように威力は調整してあるから」
「それはありがとうございます!!
けど今はアランさんの心配をしているんですよ!!」
お人好しだな、ほんと。
どこまでも聖女だよ、セレナは。
「だから、見た目に反して威力は弱いからアランも気絶程度で済んでるわよ」
爆音も爆風も爆煙も発生したけど、多分アランに深い傷は与えられていないはず。
魔術も加護も受けずにあの速度で走れる人間なんだから、この程度で死なれては困るしね。
どう弁明しようか後頭部の髪の毛を軽く掻きながら思考を巡らせていると、あたしの耳元で心地のいい声が囁かれた。
「だから、その程度じゃ気絶すらできないんだって」
反射反応で体がビクッと跳ねた。
声が発された直後、あたしの全身を何かが這いずり回った。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
だけど、不快なそれはやがて快楽へと変貌を遂げ、あたしを蝕む。
息が詰まり、鼓動が加速する。
体が熱い。
思考が乱れる。
あたしは、何をされたんだ。
恐れながらも声の方向を向く。
そこに現れたのは、視界に映るだけで恋に落ちてしまいそうな美しい顔面だった。
あの状況をどう抜けたんだ。
何故この女はあたしに近づけているんだ。
なにも、わからない。
「はっ、あっ、あぁ……? なに、これ、あっ、くぅ……んはっ」
「僕から君に贈る最初の快楽だよ。
初心な魔術師ちゃんには到底耐えられないだろうね。
思う存分愉しんでくれよ」
視界が弾ける。
力が抜ける。
何も考えられない。
発情を促す魔術か、それともあの甘い声か、あるいは認識できない速度で体を弄られたのか。
そんなことよりも、今あたしが無力化されるのは大問題だ。
耐えないと。
ここで力尽きれば、セレナが奪われる。
「ぐっ、つぅ……あっ」
無理だ。
根性とか信念で耐えられる類のものじゃない、これ。
耐えたい気持ちとは裏腹に、あたしはそのまま跪き、膝を抱えるようにうつ伏せに倒れた。
アランは無様なあたしを通り過ぎてセレナの前へ進む。
「さて、セレナ。僕のお願いを叶えてくれるかな?
テンペストを手伝って欲しい、そして僕の側でいて欲しい」
「悪人の願いを叶えることはできません。
そこをどいてください、リューカさんの治療がこの場における最優先事項です」
「あははは、笑わせないでくれるかな。
何もしていない手ぶらの女に対して、魔術を行使してきたリューカ。
セレナに会うために教会へ足を運んできただけの僕。
どちらが悪人かな?」
「どちらも、です。
そもそもあなたはリューカさんを囮にした罪が残っています。
何もしていないとは甚だ言い難い」
セレナ……それは、その返答は駄目だ。
だって、それは自分の行いを否定してしまう答えだから。
「そうか、君は悪人であるリューカは助けてあげるのに、僕のことは助けてくれないんだね」
アランはそれを狙って誘導していたんだ。
この女は言葉に長けている。
欲しい言葉を自由自在に相手の口から引き出すことができる程に、アランの話術は高水準に達している。
だから、最初からセレナは間違ってしまっている。
この討論に似た対話において、あんたが取るべき最適解は逃げることだったんだ。
「それは……そうですが……リューカさんの場合は悪人であることを自覚していなくて、だから私が導いているんです」
「セレナ、僕をもう一度善なる道へと導いてくれないか」
その言葉は嘘偽りではなく、本音だった。
虚言を正確に判断できる聖女にとって、心からの懺悔は……卑怯だ。
止めないと、あたしがここで止めないといけない。
セレナは頼みを断れないから。
このままだと、セレナは……。
……。
右腕を覆っていた服の袖をめくり上げ、露出した素肌をザラついた石の歩道へと密着させる。
恐怖を捨てる。
これから起こる醜悪な未来を覚悟する。
地面と密着させた腕に体重を乗せて勢いよく前方へ動かした。
「ぐぅ……っああああああ!!」
やすりとなった歩道によって皮膚はすり下ろされて血が滲み出る。
痛い。
とても痛い。
だけど、快楽からは逃れられる。
肘をついて体を起こす。
あたしの絶叫に驚いたアランとセレナがこちらを向いている。
「これは驚いた。まさか痛みを以って快楽を制すとは」
片膝を地面について、アランを見上げる。
ここで止めないと、ここであたしが止めないと。
あたしがセレナを、守らないと。
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