第72話 そう簡単には幸せになれない

 アラン視点




 三日月が世界を照らした翌日。

 パーティの皆にセレナに対する思いを綴った翌日。


 夏の日差しが眩しくて体を不快になるまで温めてくるその日。


 耳にした情報によると、セレナは現在女神ニーアの生誕祭の準備に勤しんでいるらしい。


 と言うわけで、早速国の中心部である教会領へと足を踏み入れていた。

 そこまでは良かった。


 そう、良かったのはそこまで……違うな、そのちょっと先までだった。


 修道服の奥ゆかしさが、神聖なその衣装を纏った女性が続々と僕の視界に現れる。


 愛したい。

 守りたい。

 甘えたい。


 ……いや、駄目だ駄目だ。


 流石に教会内での色恋沙汰は良くない。

 女神とやらに咎められてしまうだろうな。


 だったら、その女神すら堕としてしまえばいいだけなのだが。


 さて、目的を果たそうか。


 道ゆく修道女のうち、一人だけ目星を付ける。

 可愛らしく慎ましい背中声を掛ける。



「そこのお嬢さん、一つ尋ねても良いかな」


「はぇ? 私ですか?」



 修道女は振り返り、その顔を僕に向けた。


 おっとりした表情を宿した彼女はさながら天使。

 可憐でキュートで、そうだな……まさに僕の恋人に相応しい。


 いやいやいや、駄目だ駄目だ。

 自戒の直後だぞ、惚れやすさに拍車が掛かってないか、僕。


 今日はセレナと会いに来たんだ。

 だから真摯な気持ちで挑まないと。



「そう、君だよ。綺麗なお姉さん。

 聖女セレナがどこにいるか知っていたりするかな?」


「あら、セレナ様のお客様ですね。

 おそらく、大聖堂の中に居られると思いますよ。

 あの建物です」



 おっとりした修道女は奥の建造物を手で案内してくれた。


 愛らしいその手の先には、国の象徴としてしっかり役目を果たしている壮大な建物がある。

 高く聳え立ち、広く構えた神聖なる地。


 クオリア大聖堂か。


 女神が祀られたその城に、君はいるんだね。



「ありがとう、今度お茶に招待するよ」


「どういたしましてです。

 そうですね〜、お茶よりもりんごのジュースがいいなぁ」


「ふふふ、いいね。美味しいりんごジュースを用意しておくよ。

 じゃあね、可愛い子猫ちゃん」



 修道女は小さく手を振って僕を送ってくれた。

 今日という日で無ければ全力でアプローチしていただろうね。


 ただ、彼女は一筋縄ではいきそうにないな。

 ラスカやメイリーぐらい手強い気がする。


 暑苦しい日照りの中、退くは石造りの道を歩き始めた。


 聖堂に近づくにつれ人気は失せていく。


 そうか、お昼時だもんね。

 大勢が昼食を取っている中でもセレナは仕事をしているのかな。


 彼女らしいな。


 大聖堂までは残り二十歩程度。

 どう声を掛けようか、初めになんて言おうか、謝るべきかな、なんて普段では考えられない優柔不断が発生している。


 はぁ、久しぶりだな。

 こんな感覚は。


 ……。


 もし……もし断られたら潔く諦めよう。

 セレナのためにも、僕のためにも。


 考え事をしながら歩みを進めていると、いつの間にか大聖堂の入り口へ到着していた。

 大きな扉、もはや門とも呼べそうなそれは開放されている。


 風の行き来が発生していて屋内は涼しそうだ。


 意を決して、聖堂の中を覗き込む。

 この中に居るんだろう、セレナ・アレイアユースが。


 ……。


 結論から言うと、大聖堂の中、女神ニーア像付近の会衆席にセレナは座っていた。


 ただ、彼女に並んでいる者が居る。


 三人の少女が同じ席に並んで座っていた。


 話し声があった。

 それが堂内に反響して外にいる僕の鼓膜にまで届いてくる。



「ふふ、あははは、青春じゃないですか?」


「それだ! って、セレナちゃんがめちゃくちゃ笑ってる」



 セレナが笑っている。


 僕の前では一度も見せてくれなかった天使の様な笑顔を見せている。


 ……。


 ずっと気付いていた。

 出会ってからこれまでの間、セレナは本気で笑ってくれていない、楽しんでくれていなかったんだと。


 それでも良かった。

 僕にくれるそれが愛想笑いでも、いつかは本物に変わるんだと思っていた。


 僕の思いは届くものだと、信じ続けていた。


 ……。


 でも、どうして。


 どうして、よりによってエリゼなんだ。


 何故、セレナはエリゼにその笑顔を向けているんだ。


 それは僕が夢にまで見た最愛の宝石なのに……。



 憎い、恨ましい、妬ましい、羨ましい、憎い、嫌い、大嫌い、心底嫌い。



 僕だって……僕だってセレナが喜ぶアプローチを選択してきたじゃないか。


 ボランティアも、人助けも、割りに合わないと思いながら全力で取り組んできた。

 君が喜ぶのならそれで良い、そう思ってらしくないことをしてきた。


 ……エリゼは……そんなこと……してこなかったじゃないか。


 テンペストの活動は手を抜いていたし、空いた時間もただ呑気に過ごすだけだった。

 どうして、そんな女に笑いかけるんだ。


 エリゼは怠惰で無能で疫病神。


 ギルドで活動している人間は皆そう思っているのに。


 ……。


 ……。


 ……。





 エリゼがそんな人間じゃ無いこと、僕が一番知っているんじゃないかな?





 黙れ、黙れ、黙れ、黙れ。


 お前は黙っていろ。


 何も知らない。

 あんな女の事、僕は何も知らない。


 ただ、嫌いなだけだ。


 ただ、怠け癖があるということを知っているだけだ。


 ただ、無能な人間だと思っているだけだ。


 ただ、ギルドで活動している人間が口を揃えて彼女のことを『疫病神』と噂しているのを聞いたことがあるだけだ。


 だから僕はその女を退けた。


 テンペストの名前に泥が塗られないように。

 そして、エリゼの顔を見る都度不快な感情が湧き出ていたこの心を抑えるために。


 ……。


 エリゼはパーティを組んだ初めての女というだけだ。

 それ以外の何者でもない。


 ……。



「誰かに見られている」



 予想だにしていなかった言葉が聞こえた。

 それは、セレナと並んで座っている少女の内の一人から発された言葉。


 何故気付かれた、ヘマはしていないはずなのに。


 それよりも、あれは誰だ。


 あそこに座っているのは、セレナとエリゼ、そしてリューカだろう。


 なら、もう一人のあの女は誰だ。

 背が高くて、金色の髪を持っていて、給仕服を身に纏っているあの女は……誰だ。


 まさか、だけど、それ以外に考えられない。


 ……見間違いで無ければ、あれは聖騎士だ。


 聖騎士ミュエル・ドットハグラ。


 女の顔は間違えたことがない、そんな僕が覚えているんだ。

 間違いは無いだろう。


 だけど、どうして彼女達と並んでいるんだ。


 そして、その衣装は一体。



「あ、あ~……ミュエルさん? 多分気のせいだよ」



 エリゼの声が聞こえた。

 聖騎士の名前を呼ぶ声が。


 とても優しそうなその声色は、いつかの日に聞いたことがあるそれだった。



「……気のせいだった」



 そして、エリゼに応える声が聞こえた。

 エリゼの言葉の裏を完全に理解した声だった。


 ああ、そういうことか。


 ミュエル・ドットハグラは随分と前に騎士団を抜けている。


 馬鹿げた話ではあるが、その後はエリゼの召使いとして働いているんだろう。


 はは、笑える。


 ……。


 ……妬ましい。


 ……。


 ……。


 ……なんで、今、嫉妬が湧いてくるんだ。


 僕は今、何を妬んだんだ。


 ……きっとエリゼだ、そうだ、エリゼを妬んだ。


 セレナが笑いかける君を羨ましがっているんだ。


 ……。


 今日は帰ろう。


 気分が悪い。


 こんな光景見ていたくない。


 ……。





 ☆





 半ば放心状態で宿へ帰ってきた。


 いつもの団欒室へ入り、ゆったりしたソファに乱暴に身を投げる。


 本当は誰とも会いたくなかったが、生憎とこの部屋にはメイリーとヒカリが滞在していた。



「……アラン様、飲み物いる?」


「そうだね……頂こうかな。ありがとう、メイリー」


「うん、あ〜、ちょうど切らしてるから買ってくるね〜」



 そう言うと、メイリーは部屋を出ていった。


 こんな僕を気遣ってくれるなんて嬉しいよ、メイリー。

 ほんと、大切にしないといけないな。



「アラン様、お姉さんに何か出来ることない?」



 頼めること、か。


 いつもなら甘えさせて貰っているところだけど、今日に限ってはそうもいかない。


 それほどに、死んでいる。


 退室を願おうか……いや、待てよ。


 そうだ、ここで打ち拉がれているだけじゃ駄目だ。


 何か、行動を起こさないと。



「……ヒカリ、エリゼの様子を見てきてくれないか」


「エリゼ?」


「ああ、エリゼ・グランデという女を探って欲しい。

 今頃は大聖堂にいるはずだよ。

 実は今日、大聖堂へセレナを口説きに足を運んだんだけど、彼女に邪魔されてしまってね。

 ヒカリには一週間程度その女を尾行して欲しい」


「分かった、お姉さんができることなら何でもしてあげる」


「良い子だ」



 目の前の机に置いてあった紙に、エリゼの特徴やそのメイドの情報を記してヒカリへ手渡す。


 エリゼやミュエル・ドットハグラに視線を向けると察知される等の注意点を軽く口頭で説明した後、ヒカリは宿を出ていった。


 頼んだよ、ヒカリ。

 君の仕事次第で今後の方針が決まる。


 ……。


 エリゼは僕からセレナを奪った。


 だから、取り返さないといけない。


 僕がセレナを守らないと。


 そのまま、僕は倒れるように眠った。

 愛しの聖女様を夢見ながら。

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