第33話 最悪の再開


 なんで、ここにエリゼがいるのよ。

 あいつはもうギルドで活動していないって耳にしているし、この遺跡に来る理由も無いはずなのに。


 どうして……どうして。

 なんであんたはこんな危険な場所に一人で来てんのよ。


 座り込んだ血溜まりが、身に纏う衣服に染み付いていく。

 滲む感覚が肌に伝わって気持ち悪い。


 でも、そんなことはどうでもいい。


 大剣に目が行く。

 エリゼ、あんたは剣士だったのね。

 ここでもあたしは騙されてたってわけか。

 ずっとあんたのことを、支援専門の術師だと勘違いしていたみたい。


 けど、そんなことを考えている場合じゃない。



「血を……止めないと……」



 現在進行形でエリゼの体から大量に流れ出ている血液を止めないと、それが最優先事項だ。


 体の殆どが潰えてしまったエリゼを確認する。


 気持ちが、悪い。


 皮膚の下に隠されていた舞台下の醜い部分が露出している。

 内臓が、骨が、筋肉が、血管が。

 本来目に入れてはいけないそれらが、あたしの正気を削り取っていく。



「うっ……」



 吐きそうになるのを抑え込む。


 本当に助かるのか。

 この状態から完全復活なんて有り得るのか。


 それを信じたい心とは裏腹に、あたしの知識はそれを無理だと断言している。


 そもそも、今生きていること自体が……生きているのか?



「た、確かめないと」



 腰を抜かしている暇なんて無い。

 少しでも判断が遅れてしまえば、手遅れになる。

 エリゼを、殺してしまう。


 肉の塊にさせないために、あたしは瀕死の体に近づいた。


 顔を見る。

 幸薄そうな顔は未だにご存命だ。


 焦点が合っていない虚な瞳は、只々床を見つめるだけで反応は見受けられない。

 流れていた涙も枯れている。


 少女の口元に耳を近づけて呼吸の有無を確認した。

 こんな体で呼吸をしているはずもないんだけど、念の為それを調べる。


 吐息なんて、聞こえる訳が無かったんだ。

 それなのに。



「嘘、どうやって」



 微かに、風が起こっていた。

 それは確実にエリゼから出た生きるための動き。


 あの傷でどう肺が機能しているというの。

 体内から内臓がはみ出ているこの状態で、なんであんたの体は活動を続けているのよ。


 ……。


 そう、あんたはまだ生きることを諦めていないのね。

 だったら、あたしはエリゼ・グランデの救命に全力を注ぐ。


 怠惰で気に障る女。

 そして、今日という一日を以てあたしの評価を綺麗に裏返した少女。



「ここで命を救った程度じゃ返しきれない恩があんたにはあるんだから、絶対に死なせないわよ」



 背中の奥で蹲っている女の方へと歩く。


 結局、この状況であたしができることは特にない。

 何もできない。

 リューカ・ノインシェリアが扱う治癒術じゃ太刀打ちできない。

 今のあたしには魔力が残っていない。


 だけど、ここには聖教国クオリアが誇る聖女がいる。

 国家戦力に値する治癒術師が、あたしの後ろにいる。


 震えて頭を抱えているセレナ・アレイアユースの前に屈んだ。



「エリゼはまだ生きている。まだ生きようとしているわ」


「まだ生きてる。まだ生きてる。まだ生きてる。生きてる。生きてる。生きてる」



 歯をガタガタ言わせながら、あたしの言葉を繰り返している。

 さっきまでは、あんなに頼りになっていた聖女の姿はどこにもない。


 ああ、そういうことか。

 あんたはエリゼを人一倍思っているわけだ。

 誰よりも、誰よりも、エリゼへの想いが強いんでしょ。


 なら、こんな無様に震えていていいのかしら。



「落ち着きなさいセレナ、あんたの力だけが頼りなのよ。エリゼを救えるのはあんただけなんだから、さっさと立ちなさいよ!」


「無理っです、動揺が、震えが治らない。思考が、まとまらない」



 セレナは思った以上にパニックに陥っている。


 最悪だ。

 あたしが他人とのコミュニケーションを疎かにして来た弊害が、今になって牙を剥いて来ている。

 こういう時、どんな言葉をかければ良いのか、それが本当に分からない。


 それでも、何か言わないと。

 残された唯一の道を途絶えさせてはいけない。

 ここでセレナを立ち直せなければ、エリゼは死ぬ。



「セレナ、あんたがこれまで聖女として過ごして来た多忙な日々は、今この時のためなんじゃないの。ここでエリゼ救うことができないのなら、あんたのこれまでは何の意味も無い無価値の人生になるわよ……あんたがエリゼを殺すのよ」



 暴論だ。

 セレナがエリゼの死を背負う必要は無い。

 エリゼの負傷には何も関与していないのだから。


 だけど、聖女を再起させるためにはこうする以外の方法が無い。

 それ以外の方法を、馬鹿なあたしは思いつくことができなかった。



「けどっ!こんな大きな怪我、私は治せないっ……無理ですよ!!」



 セレナは泣きながら叫ぶ。

 震える肩を抱えて、必死に抑えようとしている。


 エリゼを治せない、そんなこと分かってるわよ。

 けどね、あんたがそれを言うのは許されない。



「聖女を名乗る女が人の命を諦めるなよ。生きることを諦めていない人間の前で、セレナ・アレイアユースが諦めて良い訳ないでしょ」


「……」



 こういうのは、本当に苦手だ。

 スキンシップだとか、コミュニケーションだとか、そんな俗に塗れた行為を自分からするのは本当に無理なんだ。


 抱擁は人を落ち着かせるんでしょ。

 知ってるわよ、それぐらいの精神作用なら。

 噛み締める奥歯に力が入る。


 もう時間が無い、だから覚悟を決めた。


 震える少女を抱きしめる。

 ハグ未経験のあたしは力加減なんて知ったこっちゃないけど、できるだけ優しく修道服の綺麗な女を包み込んだ。


 怯えるあなたは、涙を止めた。

 呆然と空を見つめている。


 なんだ、あんたってこんなに柔だったのね。

 こんなに幼かったのね。

 ごめんね、馬鹿なあたしのために穴を降りて来てくれて。

 ありがとう、馬鹿なあたしのために命をかけてくれて。


 ごめんね。

 もう一度あたしに力を貸してよ。

 エリゼ・グランデを助けてよ。


 少女の耳元で祈りを囁く。



「……大事なんでしょ?エリゼのこと」



 深呼吸が聞こえた。

 胸を膨らませる空気が、抱擁をしているあたしの胸元に伝わってくる。


 怯える少女は、聖女を呼び起こした。

 彼女の震えはもう治まっている。



「でも、どうやって」


「それはセレナが考えるのよ。あたしは全力でサポートする。魔法陣だろうが多人数詠唱だろうが、セレナの指示ならなんだって最適解を出してあげる。

 喜びなさい、あんたは最高峰の知識を自在に扱えるんだから」


「分かりました。では、私もエリゼさんの容態を確認します」



 抱擁を解くと、セレナはエリゼの元へ駆けていった。

 床一面に広がりつつある血溜まりの上を渡っていく。


 白い修道服に赤が飛び散っていることを気にもしないセレナは、エリゼの前に屈み込んだ。

 追うようにして、あたしはその後ろに続く。


 セレナは目を背けることなく観察する。

 傷口も、エリゼの中身も、飛散したエリゼだったものも。


 セレナは診察と同時進行で白い杖をエリゼに向け、止血や精神安定といった術式を発動させた。



「通常の治癒術では回復を見込めない。そもそも肉体を作り出す程の魔力を持ち合わせていない……今すぐエリゼさんの肉体になる代替品を用意しなければいけません」


「あたしやあんたの肉体を切り離して触媒にするとかは?」


「望み薄です。片足ずつを差し出しても足りないレベルの欠損。それに、私の肉体を削ってしまうと治癒魔術の質が乱れてしまいますし……」


「このまま一度傷を塞ぐってのは」


「無理です。内臓や血管の仕組みを作り変えれば何とかなるでしょうけど、そんな時間は残っていません」



 分かってる。

 分かってるわよ、そんなこと。


 あたしの脳内には、エリゼを救出せる知識が存在していない。

 こんな大怪我の対処法、本でも見たこと無ければ治癒術式専門の術師にも聞いたことがない。


 だから、あたし以上に詳しいセレナに頼ることしかできない。

 聖魔術と呼ばれる特殊な術式を扱える聖女様だけが頼りだ。


 提案することもできないあたしは、もう一度エリゼを隅々まで観察することにした。


 初めてエリゼを真剣に見ている気がする。

 あんなに近くにいたのに、あたしはずっとアランを見ていた。

 それ以外を見ていなかったんだ。


 エリゼ、あんたはこんなに綺麗な睫毛をしていたんだね。

 首も細くて、筋肉もしっかり付いていて、髪の手入れもきちんとしている。


 あたしは何も知らなかったんだ。

 この人のことを。


 抉り取られたような胸下の傷口を見る。

 止血されたことで、血は止まっている。

 だけど、それだけだった。


 絶望的な状態は続いている。


 奇跡的に残っている左腕に目を移す。

 傷になっている部分を気にし過ぎていて、綺麗なその腕は見ていなかったな。



「え、何……これ」



 流れ出ていた血液でドロドロになったその手には、綺麗な腕輪が握られていた。

 それは執念深く強く強く握り込まれている。


 腕輪からは尋常じゃ無い程の魔力が溢れ出ていた。

 その他の情報が多過ぎてそれに気づくことができていなかった、そんな言い訳を許さない程の魔力の塊が存在している。


 それが如何に危険な物かってのは流石に理解できた。

 造りからみて、おそらくは聖教会関連の物。

 少なくとも、エリゼが所持していて良いものでは無い。



「ねぇ、左手で握ってる腕輪。あれ、結構やばそうな代物な気がするんだけど」


「これは……『奇跡』と呼ばれる魔道具ですね。今は亡き騎士団副団長ナルルカさんが所持していたものです。だけど、どうしてこれをエリゼさんが」


「それで、どうなの。これを使ってみるって手は」



 セレナは思考を巡らせた。

 おそらく、脳内に溜め込んだあらゆる治癒術式にこの腕輪を組み込んでシミュレーションしているんだろう。


 曇っていた顔に光が宿る。

 その表情に希望が満ち始めていた。



「これさえあれば、エリゼさんの体は治せます!『奇跡』とはその名の通り奇跡を起こす魔道具。内包されている魔力と私の術式、そしてリューカさんの知識を使えば確実に治せます!!よく見つけて下さいました!」



 ま、まぁ、あたしの目にかかればこんなもんよ、と意気揚々な態度を見せる。

 むしろそれを見落としていた、っていうヘマをしでかしていたんだけど。


 さて、そうと決まればさっさと準備を始めないと。

 治療の手段を見出したは良いが、時間はもう残されていない。


 握り込まれた腕輪に、手を伸ばす。

 そして、魔力溢れるそれに触れた瞬間、背筋が凍った感覚がした。


 エリゼの瞳が、ぎょろりとこちらを覗いてきたんだ。

 虚だったその瞳に光が宿っていた。


 まだ意識があるという喜びよりも先に、視線の冷たさに恐怖を覚えた。

 決して触れるなとでも言わんばかりの目をしている。


 やめてよ、そんな目をしないで。

 何も言わないで。

 お願いだから、何も言わないで。



「ま……って……これ……だい……じな……ぁ……の」



 一滴も余分ではない血を吐きながら、瀕死の少女は何かを訴えて来た。

 久しぶりに聞いたその声は、とても……とっても嫌な声だった。


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