第34話 何度心が折れようとも、起こるべき奇跡を信じて進み続ける

 

「ま……って……これ……だい……じな……ぁ……の」


「エリゼさんっ!?な、なにか言いました!今何かっ!?リューカさん、エリゼさんが何か言いました!!」



 魔力のこもった腕輪を見つけたことで、少しだけ気が晴れているセレナは嬉々としてそれを報告して来た。


 エリゼが苦しみながら伝えたその言葉。

 あたしは何となく聞き取れてしまった。


 希望の光を閉ざす一言なんだと思う。

 だから、あたしは確かめられずにいられない。


 どうか、どうかあたしの聞き間違いでありますように。



「エリゼ、口にしなくて良いわ。あんたはただ思うだけで良いの。……これは治療に使っちゃダメなのね?」



 あたふたしている聖女様の手を強引に握り、心を通じ合わせる『伝心術式』を発動させる。

 聖魔力があたしの体を精神を蝕む。

 頭に割れるような痛みが走る。


 その鈍痛は、術式が展開されたことの証明。

 エリゼの意思を覗く。


 痛み、苦しみ、後悔、悲しみ。

 死にかけの少女の中は、気分が悪くなりそうな叫びで充満していた。


 その有象無象の中から、たった一つの肯定を示す意思があたしの脳内に流れ込んできた。

 はっきりと、『腕輪は使わないで欲しい』という言葉があたしの中で反響した。



「腕輪は駄目っぽいわね……」


「そう……ですか……」



 優秀な聖女様はあたしの言葉で全てを察してくれたらしい。

 こんな絶望的な状況でも、エリゼが喋った瞬間はあんなに嬉しそうにしていたのに、もう泣きそうな顔をしている。


 そんな顔、しないでよ。


 ……。


 知っていた。

 その腕輪を使ってはいけないことを知っていた。


 だって、あんなに大事そうに握り込んでいたんだから。

 手放そうだなんて考えもしてなかったでしょ、あんた。


 でも普通、生死の境目にも関わらず目の前にある唯一の希望を渋るかしら。

 そんな覚悟見せらつけられたら、もう使えないじゃない。


 もうエリゼを救えない。


 せっかく会えたのに。

 もっともっと聞きたいことあったのに。

 謝らなきゃいけなかったし、騙してたことも謝らせたかった。


 夢に向かって一人走り続けるあたしに、なぜ目をつけたのか。

 公共広場の隅で魔術の練習を積んでいた残念な女を見つけてくれたのはエリゼ何でしょ。


 それなのに、どうしてアランがあたしを迎えに来たの。

 どうしてエリゼは自分の手柄を他人に譲ったの。

 そういうこと、エリゼの口から全部明かして欲しかった。


 杖を抱きしめる。


 アランからエリゼの悪行を吹き込まれたその翌日から、完全に持たなくなってしまった漆黒の杖。


 その時の顔が忘れられない。

 悲しそうな素振りも見せずに、あんたはただ弱々しく笑うだけだった。


 杖を贈ってくれたあの日の顔が忘れられない。

 あんたは、「これぐらいしか力になれないけど」なんて言って申し訳なさそうに最高級の杖を無償でプレゼントしてくれた。


 吐きそうだ。

 自分が嫌だ。

 死ぬべきなのは、確実にあたしのはずなのに。

 それなのに、どうしてあんたが死にそうになってんのよ。


 この杖、大事に使うよ。

 すっごく大事にする。


 本当は全部言葉にしてここで想いを伝えたい。

 だけど、それだけは駄目だ。

 それをしてしまうと、エリゼの死を受け入れてしまいそうだから。

 諦めて今いそうだから。


 まだ別れの時では無いんだから。


 押し寄せる感情が涙になって溢れそうになる。

 だけど、あたしは加害者だ。

 エリゼを追い出した張本人。


 泣きじゃくることが許される人間ではない。


 何度心が折られたとしても、それでもあたしは進み続ける。

 暗闇に潜む光を探し続ける。


『伝心術式』を発動してからずっと握りっぱなしだった手に力を入れる。



「セレナ、落ち込んでる場合じゃ無いわよ。一つ目の案が消えただけ、まだ手段は残っているはずよ」


「……!そうですね、まだ終わっていません。リューカさんは『ゼタキュアル』の魔法陣を描いて下さい、エリゼさんを囲うようにして。えっと、血溜まりはこれで拭き取ってもらって良いですから」



 そう言うと、セレナは白い修道服を脱いであたしに強引に渡して来た。

 服の下には、全身を覆う黒のシングレットのようなインナーを着込んでいた。


 普段なら、その純白の修道服を雑巾代わりに使うなんて絶対に受け付けないことだけど、今はそんなことも言ってられない。


 躊躇せずに床に溢れた血溜まりを拭う。


 治癒術の最高峰『ゼタキュアル』。

 聖女にだけ使用が許されるその術式。

 完全に展開させるには、膨大な量の魔法陣と詠唱が必要となる。

 そして、多大なる魔力も。


 もちろん魔法陣を準備している時間もなければ、魔力も残っていない。

 だけど、今できることはもうそれだけなんだ。


 既に固まってしまったものを除いて、床を濡らしていた血液は拭き取った。

 腰のベルトに収納していた魔法陣用の大きなペンを抜き取る。


 エリゼの周囲に魔法陣を書き込んでいく。

 丁寧に迅速に。

 この術式よりももっと有用な魔術は無いのか、それを考えながら描き続ける。


 セレナは、治癒術を掛け続けて制限時間を伸ばしてくれている。

 彼女も同時進行で他の方法を探っているはずだ。


 ……。


 本当はもう、エリゼを救う方法は残っていない。

 腕輪の使用が禁じられた時点で、あたしもセレナもそれを理解したはずだ。

 それでも、それでも、もがき続ける。


 ……。


 あたし達は、必死にエリゼを生かすことだけを考えて全力を尽くした。

 だけど、結局何も成せていない。


 実用レベルまでには魔法陣を作り上げた治癒術式『ゼタキュアル』も、魔力が無ければ無価値だ。


 白い杖をエリゼに向けて治癒術式を掛け続けているセレナの瞳からは、もう数え切れないほどの涙が流れ出ている。


 この世界に神はいない。

 祈っていても救いは訪れない。


 ……どうすればいいのよ。


 遺跡の入口の方角から大きな音が響いた。


 それは通路を抜けてこの広間へと吹き抜ける。

 まるで、雷が落ちたような、そんな轟音。



「こんな時に、何なのよ……!」



 静電気が弾けるような音がここに向かって来ている。

 尋常じゃない速度で何かが近づいてくる。


 音の源は一個体。

 テンペストが戻って来たというわけでは無い。


 こんな危機的状況でさらに追い討ちってわけじゃないでしょうね。


 術式を唱え続けているセレナの手を再び取る。

 彼女は、こちらの様子に気づきつつもエリゼから目を離すことができない。

 近づいてくる者に怯えながらも、延命を施し続けている。


 音のなる方、この部屋の入り口へと体を向け漆黒の杖を構えた。



「失墜に集いし幾重の詩人よ。歌いて聞かせ、彼女の冠名を。称えて奪え、彼女の原罪を」



 あとは最後の一節、術式名を唱えるだけ。

 それだけで魔力の塊が対象を穿つ。


 セレナの手を握っているあたしの左手が大量の汗をかいている。

 それだけこの状況に緊張しているのだろう。


 音が近づいてくる。


 無人の鎧と対峙した時は無我夢中で何も思わなかった。

 だから、たった一人で戦うのはこれが初めてなんだ。


 音が近づいてくる。


 これまで前衛を張ってくれていたアランやラスカ、一緒に後衛を勤めていたメイリーはもういない。

 戦えるのはあたしだけ。


 音が近づいてくる。


 守るために立ち向かうのって、こんなに勇気が必要なのね。

 あんなに修練を積んでいた自信ある魔術も、こんな状況じゃ外してしまうかもしれないという不安の方が大きい。


 轟音は、この大きな空間の手前で消失した。


 それと同時に部屋の入口で蒼い雷が弾けて、何かが現れた。

 それは、ふらふらとよろめきながら近づいてくる。


 汗でぐしょぐしょ濡れた給仕服のメイドだった。

 体温調整のための発汗なのか、緊張による冷や汗なのかは分からない。


 構えていた杖は、力なく降ろされた。

 あたしの記憶が正しければ、この金髪女は聖騎士と呼ばれていた人間だ。


 けど、その彼女がどうしてここに。

 何をしにこの最悪の場所にやって来たんだ。


 それを横目で視界に入れたセレナが呟く。



「聖騎士ミュエル・ドットハグラ、どうしてここに」



 聖騎士と呼ぶには些かメイドすぎる彼女は、あたしを見て、セレナを見て、エリゼを見た。

 それから周囲を見渡す。

 肉の欠片、固まってしまった血液、それら飛散してしまったエリゼの中身を確認した。

 震える声が漏れる。



「嘘……だ。私の、せいで」



 もうたくさんだ。

 これ以上絶望する人間のが増えるのはうんざりなんだ。


 ミュエル・ドットハグラ、あなたがエリゼの何なのかは知らない。

 だけど、エリゼを大切に思う人間なのは理解した。


 だから先に謝っておくわよ。

 ごめんね。


 あたしは、あなたに病ませる隙を与えない。

 あたしは、疲弊しているあなたを気遣わない。

 あたしは、これからあなたを利用する。


 もしかしたら、あなたはこの膠着状態を覆す重要なピースなのかもしれないのだから。

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