第21話 諦めないことが取り柄の愚かな女

 

 深淵の遺跡、地下一階層。

 遺跡に入って二体目の守護者が存在する大きな空間にて。


 背中から地面に打ち付けられたあたしは、瓦礫の隙間で横になったまま天井を見つめていた。


 落ちていく最中に聞こえてしまったあの言葉。



『みんな出口へ走れ!チャンスはこの一度きりだけ、撤退するよ』



 あたしの頭上を通り過ぎた後、アラン様はその命令を下していた。


 それが正解なんだと思う。


 撤退のチャンスはこの一度きり。

 自立人形ゴーレムがまともに動くことのできないこの一瞬だけ。


 そして、奴を倒せたタイミングもこの一度きり。


 複数の足音が遠くなっていくのを聞いた。

 暫くして、上の階層から音は消失した。


 みんなは落ちてしまったあたしを置いて、撤退してしまったらしい。


 良かった、しっかり逃げることができたんだ。


 大丈夫、あたしは何の心配もしなくていい。


 今できることをして、アラン様が助けに来てくれるのを待とう。

 きっと今日中には増援を引き連れて迎えに来てくれる筈だから。


 あたしは一つ上の階層を目指して道を辿ればいい。

 通路にさえ身を潜めていれば、敵に襲われることはないんだから


 ……。


 本当に?


 本当に、彼は助けに来てくれるのだろうか。


 ……。


 あははははははは!冗談でしょ?リューカ•ノインシェリア。

 聞こえてたじゃない。犠牲になってくれって。


 違う、違う、違う!


 だって、あたしはアラン様が直々に迎え入れてくれたんだから、そんな容易く切り捨てられる訳がない!


 それに……アラン様が人を見捨てる訳ないじゃない……。


 胸が痛い。とてもとても痛い。

 大好きな人に置いていかれるって、結構しんどいのね。



「……ここから出ないと」



 擦過傷塗れの体に力を入れる。

 自重を支えようと床についた手のひらが痛い。


 響く鈍痛に顔を歪ませていると、音が聞こえてきた。


 コツ、コツ、という足音が空間に響いている。


 朦朧とする意識の中で、その恐ろしく冷たい足音があたしの方へと近づいてきているのだけは理解できた。


 寝転がっていた半身を起こし音の先に目をやると、少し離れた場所にそいつがいた。


 瓦礫の隙間越しに見えるそれは、全身を銀の鎧で着飾っている3メートル程の巨人

 その手には一際大きな剣、クレイモアを携えてこちらへと向かってきている、


 資料に書いてあった情報を思い出す。


 地下一階層を護っているのは、ひとりでに動く無人の鎧。


 今でこそ自立人形ゴーレムは凶暴化してしまってあの強さを持っているが、本来はノロマで硬いだけの雑魚なんだ。


 そして、その次の層を守っているこいつの実力も別に大したは事ない。


 こいつは魔術師リューカ・ノインシェリアの相手じゃない。


 だけど、今のあたしはどうだ。


 魔力はとっくの前にすっからかん。

 用意していたアクセサリーと魔力瓶も使い切ってしまった。


 もうお得意の魔術は使えない。

 体術も優れていない、アラン様のような特別な力も持っていない。


 果たして、武器を持つ鎧相手に対抗することはできるのだろうか。


 考えが尽きたところで、あたしは握りかけた杖をその場に置いた。


 ……。


 あーあ、あたし死んじゃうんだ。


 せっかく努力も報われて人生楽しくなってきたとこだったのに。


 エリゼを追い出したから、あいつに呪われちゃったのかな。


 あの噂、呪いの噂。

 ガセだと思ってたんだけどそうじゃなかったみたいね。


 また昔みたいに魔術も使えなくなっちゃった。

 奇跡のような時間もここでお終いか。


 最悪。本当に最悪。


 死ぬの、痛くなかったら良いのにな。


 起き上がるのが面倒になったあたしは、階層の守護者を無視して天井を見上げた。


 アラン様、本当に帰っちゃったんだ。


 まもなく、あたしは終わる。

 一思いに殺してよね、人ならざる鎧の者よ。


 目を瞑って来世に期待しよう。

 そんでもう今世のことは全部忘れちゃおう。


 もうどうだっていいや。なんだっていいや。


 こんな時でもあたしの瞳から涙は溢れない。


 あの日以来、アラン様に見つけてもらったあの日以来、あたしは泣いていない。


 悲劇では泣かない。

 諦めないということが、いつか光に結ばれることを知ってしまったから。


 絶望を思い出せない。

 救われることを知っているから。


 その救ってくれた人間に捨てられたかもしれないというのに、心の底ではまだ諦めることができていなかった。


 死んでもいいと考えているはずなのに、あたしはまだどこかで生きようとしている。


 気持ち悪い。


 心底負の感情世界に堕ちていたいと願っているのに、完全に堕ちきれない。

 あたしは死の間際でも半端な人間なんだ。


 本当に気持ち悪い。


 魔導図書館にあった大編小説を読んだ時のことを思い出す。

 死に直面した登場人物は、どこにいるかも分からない神に祈っていたような気がするな。


 祈るべきなんだろうけど、生憎あたしに信じる神はいない。


 いつだって信じていたのは自分自身。

 努力を神の手柄にされるのは御免だから。


 消えかけた光をもう一度その瞳に灯す。



「あたし、根性あり過ぎでしょ」



 もう何もできない少女(あたし)は、最後の力を振り絞り瓦礫の山の頂上で力強く立ち上がった。


 横腹とか背中とか足の裏とか、もう全身が際限なく痛い。

 きっと落下の衝撃で骨が折れているんだ。


 再び手に取った杖を見てみると、半分ほどのところでぽっきりと折れていた。

 不幸に続く不幸を受けてため息が出る。



「流石に根性で倒せるほどの相手じゃないわよね……」



 無人の鎧は、そこら中に散らばった大きな天井の残骸を避けながらこちらとの距離を縮めてきている。


 大部屋の出口、安全地帯まで移動する気力も残っていなければ、そんな猶予をこいつが与えてくれるとは思わない。


 ここでどれだけもがいても、殺されるのがオチなんだろうな。


 本能では死を悟っているのに、理性がそれを拒んでいる。なんだか変な気分だ。


 その時、視界が強い光に覆われた。


 本能と理性が葛藤という名の喧嘩を起こしている真っ最中、突如として光の柱が落ちてきたんだ。


 それはあたしが落下してきた穴から差し込まれた光の柱。

 無人の鎧に目掛けて放たれた魔術の光だった。


 あたしの知識が正しければ、これは対象者を閉じ込める結界魔術だ。だ

 けどこんな術式、一体誰が。


 あたしが立っている瓦礫の山の隣へ、どすん、と鈍い音を鳴らして何かが床に降り立った。


 埃や土が宙を舞い、その姿をシルエットに隠す。



「アラン……さま?」



 ああ、諦めないで良かった。

 あたしはまだ生きていていいんだ。

 まだ夢の続きを見てもいいんだ。



「あんな煩悩の語源みたいな人と間違わないで欲しいですね。天誅下しますよ?」



 違う、明らかにアラン様ではない。

 誰なんだ、この口の悪い人間は。


 土煙からその姿を表す。


 あたしは、この人間を知っている。

 だからこそ驚きを隠せない。



「な、なんで逃げてないのよ!?馬鹿じゃないの!?」



 純白の修道服を纏った銀髪の少女。


 その手には純白に塗られた聖なる杖を構えられ、包帯に巻かれた何かを脇で抱えている。


 その少女は、這いつくばっているあたしを見下ろしながら言葉を浴びせた。



「ほら、祈る素振りぐらい見せたらどうですか?痛々しい嫌われ女」



 あたしが知らない聖女セレナ・アレイアユースだった。

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