第8話 星空よりも大きな愛を込めて
屋敷の二階。
いくつもの個室が横並べにされた階層に設けられたバルコニー。
夜の春風が心地よいその場所でわたしは星を眺めていた。
別に星を見るのが好きと言うわけでもない。
ただ、こうして世界の広大さを感じていると自分を忘れることができる。
悲観に陥る思考と好ましくない記憶の群れを。
これまで生きてきた中でそれなりに楽しい出来事にも遭遇しているはずなのに、容易に思い出せるのは嫌な思い出ばかり。
ほんと人の脳みそっていうのは単純で嫌になっちゃうな。
直近の出来事ということもあって、最近はアランとリューカちゃんに詰められたあの夜が頻繁に脳内を走っている。
できるだけ考えないようにしてはいたけど、夜になると不安と一緒に瞼の裏へ蘇ってくる。
そういう記憶から逃げるために星空を見ている。
空の向こうに浮かぶ君達に、この世界はどう見えているのだろうか。
解の存在しない問いを巡らせて思考を停止させる。
そうして何も考えずに空を見上げるわたしが出来上がる。
怠惰で責任を背負いたくない哀れなエリゼ・グランデが。
何もしないことでより不安が増して睡眠が削れてしまう事が多々あったけど、今日という日以降はそれも薄まっていくんじゃないかな。
この家には二つの魂が存在しているのだから。
なんて調子に乗った哲学をキメていると、背後から階段を登る足音が聞こえてきた。
入浴を終えた彼女が下の階から移動してきたのだろう。
両手で顔全体を優しく揉んで、固くなってしまった表情に暖かさを取り戻させる。
冷え切った顔を彼女に見せる日が来ないように、そう念を込めて頬を軽く叩いた。
「ここにいたのか。暖かくなって来たとは言え、夜は少し冷えるんじゃないか?」
バルコニーの出入り口からわたしの背中に向かって心配の声が掛けられた。
なんだ、顔を揉む必要なんてなかったんだ。
あなたの声をもらうだけで、わたしの顔はこうも簡単に蕩けてしまう。
「なんだか空が明るかったから見入っちゃってたよ」
わたしは声の主の方向へくるりと振り返る。
そこにはナイトウェアの裾を摘みながら、膝を内に向けて腿同士をすり合わせて恥ずかしそうにしているミュエルさんが立っていた。
お風呂上がりの艶やかな髪の毛が月光を浴びて煌めいている。
本当は騎士なんかじゃなくて、守られる側のお姫様の方が似合ってるんじゃないかと思っちゃうほど美しかった。
「こういう服は、少し恥ずかしいな」
照れている彼女が指で摘んでいるその裾の位置は腰まで上がっており、もはやワンピース型と言うには相応しく無いレベルになっている。
そういうデザインの上着と言っても過言ではない。
くるぶしまで掛かるはずのズボンも膝下までずり上がっていて、脹脛が顕になっている。
明らかにサイズの合ってない衣装なために、ボディーラインもくっきりと浮かび上がっていた。
はっきり言ってフェチが過ぎる。
選んだのはわたしなんですけど。
女性的な柔らかさというよりは、筋肉質ムチムチとゴツゴツの中間地点、あるいはその両方を併せ持っているように見える。
「サイズ以外は似合ってるよ!
すっごく綺麗で可憐で、もうなんか天使そのものだよ!」
「っ!? て、照れるからそれぐらいにしてくれないか。その、ありがとう」
焦りながらも感謝してくれるあたり、本当に素直な人なんだと気付かされる。
「だけど、その格好も今日で見納めだね。明日は服を買いに街へ行こうか」
いくら自分好みな格好をしていたとしても、これから毎晩その服で過ごせと言うのも酷だろう。
それぐらいの常識は持ち合わせているので、明日の内にみゅんみゅんの普段着を新調しなくてはいけない。
そもそも、わたしだってオーバーサイズの服を持ってさえいれば素直にそれを明け渡していた。
やむを得ずの現状なわけで、決して純粋な下心で仕向けた衣服ではない。
とにかく、今の内にその姿を目に焼き付けておかなくては。
「……ま、まぁ、私は別にずっとこのままでもいいが」
彼女の口から溢れた言葉は、わたしの意に反したものだった。
流石にぴちぴち姿のままでわたしと同じ屋根の下で暮らすというのは破茶滅茶に先鋭的だ。
わたしは大いに結構だけど、彼女の体に悪影響を及ぼしかねない。
「よくないよくない!
サイズの合ってない服はスタイルに影響しかねないんだから。
綺麗な体が崩れちゃうかもなんだよ?」
「そうだな……じゃあ明日、服を新調しに出かけようか」
ミュエルさんはどこか寂しげにそう言った。
その顔を見た刹那、わたしの低スペック脳みそは極限まで回転速度を上げた。
彼女にあんな悲しげ誘う顔をさせちゃいけない。
その表情がどういう経路を辿って表れたものなのかを推測しなければ。
多分、答えは既にミュエルさんの口から出ているんだ。
そう、言っていたじゃないか。
ずっとこの服のままでもいい、と。
そうだ、そうだよ。
ミュエルさんは服装に照れてはいたものの、心底嫌がっていたということではない。
思い返せば彼女はメイドを夢見た乙女だ。
つまり、わたしの隠れ好んでいるファッションを気に入ったとしてもおかしくない。
ここから導き出せるもの。
わたしが今、彼女に掛けるべき言葉はこれだ。
「みゅんみゅん、こういう服好きなの?
良かったら明日はそういうブランドを取り扱ってるブティックに行ってみようと思うんだけど」
あなたはその端麗な顔をお茶目に輝かせてみせた。
これはもう返事を聞くまでもないかな。
「好き、めちゃくちゃ好きだ!
服はそこで買おう!」
好きものを好きと言えるところ、大好き。
わたしも見習わなくちゃいけないな。
「みゅんみゅんが好きなことを教えてくれるの、嬉しい」
それは、何も考えずに自然と口から溢れてしまった究極の本心。
この距離からでもあなたの顔が赤くなっているのがはっきりと見える。
「少しだけ恥ずかしい。
趣味趣向を曝け出せるのはここだけ……二人きりの時だけ」
息が止まってしまった。
あまりにも最高の口説き文句をぶつけられてしまったから。
そっか、聖騎士の時代からここだけは変わっていない。
無自覚ロマンチストは根っからの性なんだろう。
彼女は生まれながらにして人を魅せる星の下に生まれた存在なんだ。
呼吸を整えて返事を返す。
興奮させられた分、かましてやろう。
「じゃあこれからもっともっと教えてよ、みゅんみゅんのこと」
数えきれないぐらいの星に照らされている美少女は、七分丈になってしまった袖からすらりと伸びている手で口元を隠した。
ほんの数秒だけ視線を右下に逸らすと、再びこちらを向く。
緊張を紛らわすためなのか、そのまま深く息を吸った。
口元にかざしている手をそのまま下へと移動させて胸を撫で下ろす。
「これからよろしく頼む。ご主人様」
紡がれた言葉を聞きつけた聴覚がわたしの全身に電撃を流した。
感情が狂う。
無理強いをせず期待もしていなかったけど、心のどこかではずっと待ち続けていたその言葉。
初めてそう呼んでくれた彼女の顔は耳まで赤く染まり、今にも溶けてしまいそうだった。
もちろん、わたしも。
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