第5話 始まりにはいつも綺麗なあなたがいる
メイドを雇い始めて二日目の朝。
昨日の暴れっぷりを見て、わたしは駄メイドみゅんみゅんの体に家事を叩き込まなければと意気込んでいた。
このままでは家事代行ではなく破壊業者を頼んでしまったことになっちゃうから。
本来なら即座にチェンジを要請するところだけど、今回に限ってはわたしも運が良かった。
何を隠そう彼女こそが聖騎士ミュエル。
騎士団に入団してから退団するまでの間、わたしがずっと追っかけをしていた対象である。
騎士としての生き様を目にしたわたしが勝手に活力を貰っていたわけだけど、そんな一方通行の恩を返せる上に彼女との関係性を深めるチャンスが巡ってきた。
こんな奇跡を見逃すわたしではない。
あわよくば友達になって、いずれはその先の最果てにある座標まで距離を縮めてやる。
気色の悪い妄想に更けていると、昨日と同じように鐘のなる音が屋敷内に鳴り響いた。
自室を後にしエントランスまで足を運ぶと、まもなくして屋敷の扉が開かれる。
「失礼、すいーとふらわーみゅんみゅんだ。
……その、また呼んで貰えるとは思っていなくて驚いた」
ああ、夢じゃないんだ。
メイド姿のミュエル・ドットハグラがそこにいる。
雇い始めてたった2日じゃ感動は薄まってくれないみたい。
多分、これから毎日この衝撃を味わうことになる。
「安心してください。
昨日言った通り、わたしはみゅんみゅんを一流メイドにするまで一緒にいますから」
「よろしく頼む。
でも、成長が見込めないと判断したらすぐに教えてくれ。
その時は代わりのメイドを呼ぼう」
「戦闘に関すること以外覚えられないって思い込んでるみたいですけど、そんな考えわたしが即座に変えてあげますから。
もしみゅんみゅんの言ってることが本当でも、代わりを頼むなんて絶対しないから。
これはもう決定事項で約束で契約で永遠だから!」
昨日、ミュエルさんが帰り際に話してくれたこと。
戦闘に関することなら無尽蔵に会得することができるが、それ以外は何をどうしてもてんで駄目だと言う。
彼女自身、何度か家事に挑戦したことあったらしいけど、結局一度も成功しなかったらしい。
悲観的なことを口にするのはそういう体験が原因だと思う。
「じゃあついてきて、早速エリゼちゃんの家事教室始めていくよ!」
「了解した」
とは言え、こんな赤ちゃんに何をどう教えていけばいいのか全く分からない。
うちで代行してもらう家事と言えば、植物の手入れ、料理、掃除、洗濯、入浴の準備。
大きく分けるとこれぐらいかな。
塵ほどの仕事量な気もするけど、屋敷の広さを考慮すれば植物の手入れと掃除が苦行だ。
苦行なんて考えてしまった手前、それらを強いるのは心苦しいけど、まずは植物の手入れと掃除から覚えてもらおう。
作業の工程としては簡単なものでもあるし。
料理はお昼時に手本を見せるとして、洗濯はもうわたしが終わらせているから明日以降かな。
「じゃあまずはお花に水をあげよっか。
これならジョウロに水を入れて花壇に注ぐだけだから、絶対みゅんみゅんもできるよ!」
「だといいんだけど」
とんでもなく不安そうな顔でメイドはそう言った。
流石に失敗しないと思うよ、みゅんみゅん。
☆
屋敷の側に造られたちょっとした花園。
様々な種類の植木と花壇の群れが造園として可憐な世界を象っている。
屋敷の購入当はどうしてこんな綺麗な場所を売りに出されていたたんだろうなんて考えていたけど、住み始めて3日もすれば先代の気持ちを痛いほど理解することができた。
綺麗を保つには手入れが必要なんだってこと。
わたし達は手頃な大きさの花壇の前で並んでいた。
植えられているのは誰もが目にしたことがあるチューリープ。
カラフルなそれらは春を感じさせるには十分な存在。
入居早々、町で手頃な価格で購入できたからたくさん植えちゃった。
今日からは二人で育てられそうだから、もっと種類を増やしてもいいかな。
「じゃあ説明していくよ」
「はい」
綺麗な声で返事をしたミュエルさんは、腰のベルトにぶら下げていたポーチから手帳とペンを取り出してこちらを食い入るように覗き込む。
そんな真剣な眼差しでわたしを見ないでほしいな。
貴女のその美しく凛々しい瞳を向けられると子を孕んでもおかしくないのだから。
「え、えーっと……まずは花壇の水やりからだね。
本当は早朝に水をあげるのが良いんだけど、みゅんみゅんがうちに来る時間からでも大丈夫だよ。
地面に直接植えてある花畑の方や植木に水をあげるのは、わたしが指示した時だけね。
地に根を構えている植物に水をあげるタイミングは少し難しいんだよ」
みゅんみゅんは、わたしの説明を一文字一句漏らさない勢いで手帳に書き込んでいる。
そこまで根詰める話じゃない気がするけど、彼女にとってはそれでも足りないぐらいなんだろうな。
「そんなに気張らなくてもいいよ。
わたしはみゅんみゅんができるようになるまで何回でも教えてあげるから」
「ありがとう、私も全霊を持って応えよう」
「じゃあ、お手本見せるね」
あらかじめ水を汲んできてたジョウロを手に持って、花壇に咲いてる色鮮やかな花へ水を注いで見せた。
直接花々に当たらないよう気をつけながら丁寧に。
「こんな感だね、って言ってもジョウロを傾けただけなんだけど。
じゃあ、みゅんみゅんもやってみよっか」
ああ、と返事をする彼女に、半分ほど水が残っているジョウロを手渡す。
すると、両手で受け取られたジョウロの給水口から水面が大きく揺れているのが見えた。
緊張しているのが伝わる。
昨日の惨劇で分かっていたつもりだっだけど、ミュエルさんが戦闘以外できないという問題はかなり深刻なのかもしれない。
震えるほど気が萎んでいる彼女をわたしはどうやって支えればいいんだろう。
思い上がりも甚だしいけど、今あなたの側にいられるのはわたしだけなんだから、わたしが力になってあげないと。
「大丈夫だよ、みゅんみゅん。失敗を恐れないで、わたしはずっと隣にいるから」
ジョウロを構えているミュエルの両腕へ、そっと両手を差し伸べる。
一人でできないのなら、わたしとミュエル二人でこなせばいい。
触れた瞬間、彼女の肩が反射的に上がったけどそれ以降震えは治っていた。
ゆっくりとミュエルの腕を傾けさせて、ジョウロから水を注がせる。
「花には直接当てず根元へ、土が乾燥してるからたっぷりと水をあげようね」
騎士をしていたミュエルさんなら、きっとこう言う風に実践を設けて体で覚える方法が一番合っているはず。
それから10秒もしない内に水やりは終わった。
それからミュエルさんは少しだけ呼吸を乱していた。
「あ、あの、体を密着させるのはよしてくれないか。集中できない」
「っ!? ご、ごめん!!
緊張和らぐかなと思ったけどめちゃくちゃ真逆のことしちゃってたかも」
何をやってるんだわたしは。
意識してなかったとは言え、恋愛小説の主人公並のムーブをかましてしまうとは。
恥ずかしすぎる、こんな女たらしみたいな行動人生で初めてしてしまった。
しかも、憧れの人に。
爆発したい。
「……それで、私は上手く花に水をあげることができたのだろうか?」
わたしは心配性のメイドにピースサインを向けて言ってやった。
「完璧にね!」
わたしの返事を聞いたみゅんみゅんは小さくガッツポーズをしていた。
可愛い。
☆
一通り花の手入れが終わった後、そのまま屋敷の外周から屋内へと掃除して周った。
わたしには有り余るほどの時間があるとは言え、ゆっくりと清掃のレクチャーをしていたからか、料理をするためにキッチンへ辿り着いた頃にはもう夕方に差し掛かっていた。
それでも箒で地面を抉ったり雑巾をビー玉サイズにしちゃったりと、ミュエルさんの伸び代はまだまだ埋まらなそうだった。
わたし達は今、ステンレスと水を弾く木材で造られたキッチンの前に立っている。
昼食と夕食の二回で料理の練習をしようと思っていたんだけど、今日は一回分の時間しかないかな。
そんなに急ぐ必要もないし、焦らずにいこう。
何もできなかったメイドが、この一日で色々覚え始めているんだ。
それだけで十分だよ。
さて、どのレシピを披露しようか。
メイドならあの卵料理がぴったりだけど、流石にミュエルさんには早すぎるかも。
料理は水やりや掃除とは難易度が段違い。
もっと簡単なメニューにしなければ。
そうとなればあれにしよう。
ミュエルさんが纏うメイド服の上から調理用のエプロンを掛けてあげると、わたしは本日のメニューを口にした。
「その姿まるで乙女を誘うサキュバスの様、本日作るメニューはそんな愛されマスコットのパンケーキでーす!」
おおー、と拍手をしながらみゅんみゅんは反応してくれている。
ノリが良くて助かる。
ていうか、サキュバスじゃなくて妖精に例えれば良かった。
食のテーマで性を連想させるワードを出すのはどうかと思うよ、わたし。
「みゅんみゅんパンケーキって知ってる?」
「心外、パンケーキなら私の大好物だ」
実は知ってるんですけどね。
彼女が聖騎士時代に、かなりの頻度でパンケーキを愛食していたのを目にしている。
わたしぐらいのファンになればそういう機密情報も手に入れることができるんだ。
ストーカーじゃないよ。
「それなら尚よし。
好きな料理を自分の手で作れるとなると嬉しさ半端ないからね。
みゅんみゅんが作れるように誠心誠意込めさせていただきます!」
「私も作れるようになりたい」
この人、食欲旺盛ガールだったりする。
聖騎士の追っかけ連中内では常識なんだけど、彼女は食事をしている時一番いい笑顔をしているんだ。
そんなグルメイドには是非料理を習得してもらいたい。
頑張らないとね。
「魔術を使うとだいぶ家事も楽になるんですけど、それは基礎ができてからにしようか。
今のみゅんみゅんじゃ失敗して家消滅しそうだし」
「あり得るな」
あやうく笑いそうになった。
それとも、笑っても良かったのかな。
杞憂をかましつつボウルやフライパン、卵や牛乳などを取り出して、机とコンロの上に並べていく。
その間に少し気になっていたことでも聞いておこうかな。
「そう言えばみゅんみゅんって全然ご主人様って言ってくれないね」
ミュエルさんはメイドに就いていながらも一度もご主人様と呼んでくれていない。
さらに言うと、わたしのことを呼んでくれたのはファーストコンタクトのあの一回。
貴殿と呼んでくれただけだ。
もうちょっとわたしのことを呼びなさいよ、と叫んでやりたいところだけど我慢しておこう。
「やはりそう呼んだ方がいいのか?」
その反応と表情で察することができる。
この件、無理強いはよくない。
「言って欲しいけどみゅんみゅん嫌そうだからいいよ」
「嫌と言えば嫌だが、単に恥ずかしいというだけだ。
これまで騎士の長として振る舞ってきたばかりに、未だに奉仕する側としての自覚が芽生えていないのかもしれない」
奉仕する側って言い方は少しえっちだな。
そして、自分のことなのに『かもしれない』と説明するのは少しだけ怪しいような気がする。
もしかすると、わたしをまだご主人様と認めていないのかもしれない。
本当に心を開いてくれたとき、彼女はわたしを呼んでくれるだろうか。
……今更だけど、尊敬する聖騎士がメイドに転職してうちで働いてるって最高のシチュエーションだ。
「そっか。わたしは雇用主として極力敬語を消してるわけだけど、みゅんみゅんは別に今のままでいいからね。
さ、料理始めよっか。
まずは卵を割ろう!」
「了解した」
そう言うと、わたしの専属ドジっ子メイドは卵を手に取り握り潰した。
☆
皿に乗っていた焦げ付いたパンケーキと呼称できるものを食べ終えると、ちょうどミュエルさんの終業時刻となっていた。
かくいうメイドは自分で作った料理をにこにこしながら平らげていた。
「嬉しい……」
わたしからすると、今回作ったパンケーキを失敗作と捉えてしまうけど、彼女にとっては最高傑作なのだろう。
このままスコアを高め続けれますように。
食事を終えたミュエルさんは帰宅の支度をして、玄関へと向かう。
わたしは少しでも彼女と過ごしていたいので、敷地から出る辺りまでは送って行こうと思う。
玄関口で靴を履き替える彼女を見ながら、わたしは今日の感想を尋ねてみることにした。
「みゅんみゅん、今日はどうだった?
昨日より成長してる実感はあるかな」
メイドはブーツを履き終えるとこちらへ体を向ける。
「あ、ああ、多分だけどできることは少し増えた気がする。
……その、客観的に見て私は昨日よりできるようになったのだろうか?」
もじもじしながらわたしに評価を問うその姿が愛らしくてたまらない。
天使だとか女神だとか、わたしにとってミュエルさんはそれ以上の存在だ。
「もちろん! 料理も掃除もお花も、少しずつだけど上手になってるよ」
誉れを込めてそう言うと、メイドは俯いてしまった。
噛み締めるほど嬉しいのだろうか、
わたしの方まで嬉しくなってしまう。
憧れの人が幸せなのはわたしにとっても幸福だと思うから。
……いや待て、お世辞だと思って気分を悪くしてる可能性もある。
ミュエルさん、多分そういうの嫌な性格だと思う。
幸せのための嘘よりも、辛い真実を聞かされた方が腑に落ちる人。
恐れながら、ミュエルさんが今どんな表情をしているかを確かめるため、わたしはそっと膝を折り曲げ顔の位置を下げた。
そうして伺えたミュエルさんの白い頬には、透明の液体が流れていた。
予想が正しいのなら、それはきっと涙だ。
え。
「ど、ど、ど、どうしたのミュエルさん!?
えっ、あれ……わたし何か最悪なこと口走っちゃいました?
ごめんなさい! もうここでくたばります!
寿命終わらして心臓閉業します!」
思い返せわたし、何をしでかしてしまったんだ。
どこで間違いを犯してしまったんだ。
水やりの時に体を寄せ過ぎたのがいけなかったか、それともわたしがミュエルさんの追っかけをしていたのが仇となったか。
いずれにしろ、わたしはもう生きていく自信がない。
「違う、違うんだ。
そうじゃないんだ……。
ずっと諦めてきたことが、ずっと失敗していたことが、少しづつだけどできるようになってきた。
それが嬉しくて仕方がないんだ」
メイドは涙を散らしながら顔を上げると、さらに独白を続けた。
その必死の様がこちらの涙腺まで刺激してくる。
「私には戦うことしかできない、騎士として生きる道しかない、ずっとそう思い続けてきた。
だって、それ以外本当に何もできなかったから。
戦術や魔術以外の学問は意味を理解できず、遊びの輪にすら入れてもらえなかった!
何を試しても駄目で、誰に教えて貰っても身に付かなかった……」
怒号にも悲鳴にも似た口調で感情を露わにしている。
わたしの中の完璧な聖騎士としての彼女は崩れ去り、わたしより少しだけ年上のお姉さんだけがそこに残っていた。
それなのに、エリゼ・グランデからミュエル・ドットハグラへ向けられる矢印の大きさは萎縮することなく質量が増えていた。
そう思う。
ミュエルさん、あなたはそこまで苦しんでいたんだね。
どうやらわたしはあなたの表面しか見ていなかったらしい。
「せっかく夢だったメイドにもなれたのに、一切として業務をこなすことができなかった。
もうメイドを辞めようと思っていたあの日。
メイドになってからたった二度目の指名が入ったあの日。
最後にもう一度だけ夢に浸ってみようと依頼を断らなくて本当に良かった」
わたしは声も出せずに頷くことしかできない。
そっかミュエルさん、本当はメイドになりたかったんだ。
そんなメルヘン少女の前に存在していたのは、聖騎士になるしかないという一本道。
やっぱり、この世界に神などという便利な存在はいないらしい。
そして皮肉にも、彼女に押し付けられた聖騎士に魅せられて夢を持った人間がこのわたし。
エリゼ・グランデは彼女を目指して剣を取ったんだ。
「正直、私は昨日でメイド納めだと思っていた。
失敗に失敗を重ねて、長年の夢も最悪な形で終わりを迎えたんだと覚悟していた」
だけど、と前置きをすると。
メイド服を着ている高身長の少女は鞄を床へ落とし、こちらへ詰め寄ってきた。
そして、肩にかかったお下げを弄るわたしの手を両手でそっと掴む。
女性的な柔らかさと騎士としての強さを併せ持つその手は、わたしの右手を胸の前へと誘導してそっと包み込んだ。
その流れで、あなたはその凛々しい顔をわたしの目の前へ移動させる。
大好きな顔面が突然至近距離に来たことで、心臓が飛び跳ねた。
空を写す湖のような瞳がわたしを捉えている。
目を逸らしたい衝動に駆られたけど、それすらも覆してしまう程の眼力がそこにあった。
「ありがとう、私の夢を叶えてくれて。
ありがとう、私の夢を続けさせてくれて」
わたしは、空いている方の左手で目の前にいる少女の顎に滴る涙を拭う。
「どういたしまして」
わたしは、彼女の力になれていたらしい。
もらい泣きを我慢しきれなかったわたしは、涙流れる笑顔でそう囁いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます