第4話 メイドミーツニート

 パーティ脱退に関する手続きを行うためギルドに赴いたあの日から、既に半月程の時間が経過していた。

 あの五人と過ごした日々がもはや懐かしく感じる程度に時間。


 そして今、わたしはかなり広めの豪邸に住んでいる。

 物件内見の後、即決で購入を決定させていただいた。


 今まで抑えてきた物欲を人生最大級の買い物へとぶつけた結果、経験したことのない感情が胸の内でざわめいていた。

 それはきっと喜びの類なんだろう。


 大金を支払ったあの日からこの瞬間まで止まることを知らない感動が続いている気がする。

 とはいえ、そろそろ慣れてきたんだけど。


 勢いとノリだけで高額な不動産を購入してしまったことへの後悔がついに追いついて来た頃合いでもある。



「屋敷って一人で住むもんじゃないかも」



 考えるまでもないことだった。

 掃除も大変だし、お話する人もいないし、移動も大変だし、あと掃除が大変すぎる。


 一人でも平気だと思っていたのに、実はわたしも周りと同じ寂しがりでした。

 なんて笑えないな。


 ただ、庭にやってくる鳥達は癒しだったりする。


 そんな考え事をしていると、聞き覚えのない音が耳を揺らした。


 それは棟門に備え付けられているチャイムが作動した証明。

 付随して、鐘のなる音が屋敷内に鳴り響く。


 実はこれが初チャイムだったりする。


 それにしても、この時をどれほど待ち侘びたことか。


 何を隠そうこのエリゼちゃん、サボタージュで解雇宣告されるぐらいにはめんどぐさがり屋さん。

 だったら雇っちゃうよねメイドってなわけで、先日重い腰を無理矢理持ち上げメイド派遣業者へと仕事を依頼しに行ってきた次第。


 ただ残念なことに、わたしの財産は屋敷にほとんど持っていかれてしまっていてこれ以上の贅沢は身を滅ぼしかねない。

 なので、その業者で最も低賃金で雇えるメイドを雇うことにした。


 どうせメイドの価値なんて顔面で決められているに違いない。

 わたしは容姿なんて少ししか気にしない主義なので、家事を代行してくれればそれだけで十分。

 そんな風ににして、やましいイベントを期待している自分に強く言い聞かせた。


 次第に上がり続ける口角を右手で強引に戻し、最高にクールな顔面を作り上げる。

 鏡で確認する時間がないのは惜しいけど、おそらく全ての女を堕とせるレベルのキメ顔になっているはずだ。

 この顔面に実績など存在しないが、今回はいける気がする。


 もはやどこかに消えてしまっているポジティブ魂を演じながら、玄関までの道のりを最短ルートで走る。

 こんな期待と欲望に満ち溢れた器を持ったのはいつぶりだろうか。


 自堕落人間の夢である愛しのメイドがすぐそこまで迫っている。


 そうして玄関に着いたわたしは、強かに厳かに軽やかに扉を開けた。



「失礼する。貴殿より依頼を承った合法御奉仕集団メイドメインより派遣された者だ。

 本日付で貴殿の世話をさせて頂く」



 金色の長い髪の毛を風に靡かせながら、メイド服を纏った女がそう口にした。


 そこまではあらかじめ妄想していたシミュレーション通りだったんだ。

 でも、そこまでだった。

 二歩目を踏み出すともう知らない景色が広がっている、そんな無茶苦茶な夢を見ているかのよう。


 つまり、玄関の扉を開けた先にいる女は、世間一般のメイド像と大幅にズレていた。


 身長が成人女性の平均を超えている点に関しては特に問題ない。

 メイドが小柄なんてのは、大多数が勝手に作り上げる都合の良い妄想なんだ。

 ていうか、長身メイドはメジャー。


 次に、彼女は体のシルエットを徹底して排除している厚い生地のワンピース型制服を纏っているはずなんだけど、その上からでも筋肉質な四肢を持っていることが分かるぐらいには剛という文字が似合っていた。


 考えてみると、力仕事をする可能性が高いこの職業を生業とするならば、筋肉も必要になってくるだろう。

 筋肉メイドが存在したとしても、なんらおかしなことはないよね。


 問題なのは、わたしがこのメイド服の女の正体を知っているということ。

 いや、きっとわたしだけじゃないだろう。


 こんな有名人を知らない人間がいるとするならば、それはもう重度の引きこもりか世界に興味がないニヒリストぐらい。


 なんて言ったって彼女は聖教国クオリア屈指の実力を持つ女性騎士『ミュエル・ドットハグラ』その人なのだから。


 聖教会直属の騎士団長を務める最強の騎士で、通称「聖騎士」の肩書きで知られている。

 今はもう騎士団長を務めていた、と過去形にする方が正しい。


 随分前に、彼女は騎士団から自分の意思で退いている。

 退団の理由は本人以外に知る由がなかった為、あることないこと噂されていたけど、まさか清楚なメイド服を装着し両手でカバンを提げているとは誰が想像できたか。


 いや待てよ、目の前にいる彼女は本当にミュエル・ドットハグラなのか。

 他人の空似の可能性も十分ある。

 確証を得てもいないのに憶測で物事を進めるのはやめよう。

 彼女が誰か、確かめないと。



「きょ、今日からよろしくお願いします……あの、お名前は?」


「私の名は、すいーとふらわーみゅんみゅん。みゅんみゅんと呼んでくれ」


「みゅんみゅん!?」



 とんでもない芸名で動揺を隠せないのだがだがだが。

 とは言え彼女は聖騎士本人で間違いない。

 もはや断言できる。


 なにせわたしは聖騎士ミュエルの大ファンであり、彼女が表に顔を出す際には必ずその姿を一目見ようと群がりを作っていた内の一人だ。


 つまり、キモいオタクのわたしはミュエルさんの声であるかどうかを確実に聞き分けることができる。

 さらに言えば、この顔でこの体格の人間がミュエル・ドットハグラじゃないわけがない。

 なんなら目に入れた瞬間から彼女本人であると魂が理解していた。


 それほどまでにわたしは彼女を溺愛していたのだから。


 ただ、脳みそが疑心暗鬼になっていただけ。

 だって、聖騎士がメイドになってると思わないじゃん。



「やはり、変だろうか?」


「良すぎて、最高以外の感想が出てこないです」



 剣士を目指した者ならば全員が憧れるであろう聖騎士が、わたしの目の前でメイド服を装着している。


 こんなわたしでも幸せになってもいいんだ。

 世界はなんて甘いんだろうか。


 出会って早々、絶対に他の有象無象には渡したくないという邪極まりない感情が胸の内を暴れ倒している。

 この機会を手放すことはできない。



「早速だが、何から取り掛かればいいか教えてくれ」


「えー……じゃあ、ご飯が食べたいです」


「了解した」



 メイドなあなたは表情を変えず、クールで冷静で最愛な立ち振る舞いで屋敷の中へと足を踏み入れた。

 これまで歩んできた人生の中で、最高の時間が始まろうとしている。





 ☆





 最悪な時間がようやく終わった。

 既に陽は落ち始め、ノスタルジックなオレンジ色の空が世界を見下ろしている。


 結論から言うと、みゅんみゅんは使用人としての能力が究極に欠如していた。


 最低料金のメイドを依頼してしまったのは紛れもなくこのエリゼさんである手前、なんとも言えないんだけどまさかここまでの人が来るとは思っていなかった。


 料理を頼んでみたものの、みゅんみゅんは焦げたスクランブルエッグと原子レベルで刻んだレタスに塩を大量にまぶしたものを出してくれた。


 掃除を頼めば、水入りのバケツを蹴り飛ばし壁に穴を作り、洗濯を頼めばわたしの服が消滅した。どういうこと?


 主人の早死にを目論む遺産目当て使用人かな。


 どうやら聖騎士と呼ばれていた最高のお姉さんには、家事が大苦手という側面があったということらしい。

 どうしてメイドなんて仕事に転職したんだ、と問いただしたいところだがそういう訳にもいかない。


 屋敷の客室にて、みゅんみゅんは床に座り込み今にも泣き出してしまいそうな程悲壮感という空気に呑まれているのだから。


 わたしが知っている剣士としての彼女とギャップがありすぎて、腹の底がきゅんと締め付けられている。

 まるで、大きな犬が粗相をしでかして落ち込んでいるのを見ている気分だった。

 可愛いメーターが天井突き破って惑星外までぶち上がっている。


 ただ、そのドジっ子萌えを差し引いても、服が1着無くなったのと食欲が満たせていないのは少し辛い。



「……すまない」


「いえ、ちょっとしか気にしてませんから……」



 可愛さで悶えている場合じゃないな、なんとかフォローしないと彼女は今にも消えてしまいそうだ。



「研修のときはちゃんと出来てたんですか?」


「私は研修を受けていないんだ。コネでこの企業に入社したから」


「天下りってメイドにもなれるんだ……」



 もう余計に頭がこんがらがってしまった。

 騎士団を辞めてまでこの仕事に就きたかったのだろうか。



「しょうがないなぁ。

 明日からはわたしが教えるんで、なんとか覚えてください」


「それはありがたい……だが、無駄に終わるかもしれない」


「どうしてそんなこと言うんですか?

 ちょっとずつできることを増やしていきましょうよ」



 小さな目標を立てて達成する。

 そしてまた目標を立てる。


 これを何度も繰り返して、こつこつと力を積み重ねていけばいい。

 そうすればきっと、みゅんみゅんも一流のメイドになれるんだから。


 だけど、メイドはえらく愛想を振り撒くような苦笑いをしながら言った。



「私は戦闘に関するもの以外のことを覚えられないんだ」


「と、特殊すぎるでしょ!!」



 2人きりの屋敷に、わたしの大きな声が響いた。

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