第三章 出会い

その次の日も、出島めい子さんは、製鉄所にやってきた。なんだか、製鉄所に来るのがとても楽しみらしい。それは嬉しいことではあるけれど、なんだか彼女が一人ぼっちであることが、よくわかるので、ちょっと可哀想なところがあった。

いつもどおり、杉ちゃんが水穂さんの世話をしながら、製鉄所の縁側で、せっせと作り帯を縫っていると、

「あの、この間の、作り帯ですよね?」

と、出島めい子さんが、杉ちゃんに聞いた。

「結局、お太鼓でしたっけ、あの結び方はできなくて、他の結び方にしようと、言ってましたよね。」

「おう。袋帯でお太鼓はできないからな。」

と、杉ちゃんは言った。

「どんな結び方にするんでしたっけ?」

めい子さんが、聞くと、

「文庫結び。」

と、杉ちゃんは言った。

「それはどのような、結び方なのでしょう?教えていただけますか?」

めい子さんがそういうと、杉ちゃんは、

「ちょっと見学してみな。」

と、にこやかに笑った。めい子さんは、ありがとうございますといって、杉ちゃんの隣に座った。杉ちゃんはとにかく縫うのが速い。帯もあっという間に形に、なってしまう。めい子さんは、その結んだ形が、蝶結びに近いような感じだなと思った。

「リボン結びのようなむすびかたを、文庫というのですか?」

「まあ、むかしは、本を開いたように見えるから文庫結びといったらしい。日本にはリボン結びという言葉はなかったからね。」

杉ちゃんはすぐにこたえた。

「そうですか。どうやってつけるんですか?」

「付け方は簡単だよ。胴にまく部分を体に巻いて、文庫についている金具を巻いた帯に差し込んで、紐で結ぶんだ。」

杉ちゃんは、縫い付けてある金具を見せた。

「金具は、要らなくなった洗濯ハンガーを、ラジオペンチで切って、それを手で曲げて作るんだ。べつに、市販されているものを買わなくても、こうして家にあるものを、使ってできちまうぜ。」

「そうなんですね。身近なものでできるんですね。着物というと、特殊な世界なのかなと思いましたが、案外そうでもないのかな?」

「全然気にしなくていい。家にある余った布や、ハンカチなんかでいい。それを、半襟にしたりとか、昔のひとは、わざわざ買ってくることもなかったんだ。着付けの部品だって、紐二本さえあれば着られるよ。変な道具はいらない。」

杉ちゃんにそう言われて、めい子さんは、驚いたかおをした。

「そうなんですか!それは驚きですね。着物って難しそうなイメージあるけど、そうでもないんだ。私も、着物を着てみたいな。」

「ほんなら買いに行けばいいじゃないか。ネット通販なんかには、数百円で、訪問着が買えるところも、あるらしいぜ。ためしに、リサイクル着物かなんかで、検索してみろ。スゴいやすいのがあるみたいだよ。」

杉ちゃんにそう言われて、めい子さんは、スマートフォンを出してそのとおりにした。リサイクル着物と、検索すると、出るわ出るわ。千円とか、そのくらいの値段で、立派ながらの訪問着などが売られている。

「どれを買ったらいいの?やっぱり種類とか、TPOがあるんでしょ?」

めい子さんが聞くと、

「はい、そうだねえ、着物なら初めて着るのであれば訪問着かな。あれなら、食事会や展示会とか、いろんな場所に、着ていけるよ。」

杉ちゃんは即答した。めい子さんは、検索欄に訪問着と入れてみた。

「スゴい。きれいな着物だわ。でもこれ、本当に、千円でいいのかしら?」

「いいんだよ。大事なことは、ちゃんと着てあげることだぜ。」

杉ちゃんに言われてめい子さんは勇気を出したらしい。青色に、江戸友禅でボタンを入れた訪問着を見つけて、

「これがいいわ。」

といった。

「そうか。あと、帯は袋帯がいちばんオールマイティにつかえるよ。必要があれば、僕が、作り帯にしてやる。そのかわり、希望する結び方をちゃんと言ってね。」

袋帯も、数百円で買えるのだった。杉ちゃんの指示通り長襦袢や、腰紐なども購入したが、全部買っても五千円ちょっと。一万円もしないのだった。

「すごいわねえ着物って。」

全部オーダーしてしまうと、めい子さんは、嬉しそうに言った。

「こんなふうにすぐ買えちゃうなんて、夢見たい。」

「まあ、自分を変えるのは非常に難しい時代たが、道具はいろんなところに転がっている時代でもあるわな。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「多分、3日くらいで届くと思うよ。最近は、発送も早いから。」

それと同時に、製鉄所内の柱時計が、11回鳴った。

「ああ、もうそんな時間か。水穂さんにお昼を作らなくちゃ。」

杉ちゃんは、帯を縫うのをやめて、直ぐに食堂へいこうとしたが、

「いえ、私やりますよ。こう見えても、お料理は得意なんです。私、料理番組がすごく好きで、よくそこでやっている料理を再現するのが好きだったんです。」

と、めい子さんが言った。

「いや、水穂さん、そばとパスタしか食べれないから。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そういうことなら、余計に私に任せてください。パスタもそばも、私、得意中の得意です。」

と、彼女は言った。

「じゃあ、任せるが、水穂さんには、肉さかな一切食べさせちゃだめだぞ。野菜ばっかりになっちゃうと思うけど、それをうまく使って、うまいパスタを作ってくれ。」

「わかりました!」

彼女は役目をもらって、とてもうれしそうだった。急いで、食堂に向かってあるいていく彼女が、なんだか実生活でもそういう顔をしてほしいなと思われる顔だった。

一時間ほどたって、杉ちゃんの作っていた帯も完成に近づいてきた。それと同時に、公共放送で、12時の鐘がなった。

「さあ水穂さんできましたよ。今日は、杉ちゃんではなくて、私、出島めい子の自信作よ。」

と、出島めい子さんが、パスタを大量に乗せたお皿を持ってきた。杉ちゃんが、なんのパスタを作ったの?と聞くと、

「小松菜と高菜漬けのパスタです。野菜がたっぷりはいって美味しいですよ。」

と、めい子さんは、にこやかに笑って、四畳半に入ってしまった。水穂さんは、サイドテーブルの前に布団から起きて座った。その上に、野菜がたっぷりはいったパスタが置かれた。

「こんな大量に食べられますかね。」

という水穂さんは、

「いや、そのくらい食べないと、お前さんもあの世行になっちまうぞ。」

と、杉ちゃんに言われて、静かに食べた。

「どうですか、お味はいかがですかね。」

と、めい子さんに聞かれて、水穂さんは、

「ええ、杉ちゃんの料理に比べると、ちょっと味が濃いですけど、でも美味しいですよ。」

と、にこやかに笑っていった。

「あ、ありがとうございます。こういう家事なら私、得意なんです。それしか、できることもないかなあ。普通に会社勤めはできないですけど、ご飯を作るとか、掃除をするとか、洗濯物をたたむとか、そういうことは、得意なんです。それを仕事としてやることは、できないですけど。」

めい子さんは、にこやかに笑って言うが、返事の代わりに返ってきたのは咳。それも、なにかが喉に引っかかったとか、そういう単純な理由ではない咳である。

「どうしたの。水穂さん。」

と、めい子さんは言うが、水穂さんは、返答しようとして、更に激しく咳き込み、宛がった指が真っ赤に染まってしまった。杉ちゃんが急いで彼に濡れ布巾を渡すが、それを受け取ることはできず、布団に倒れ込んでしまう。

「おい、お前さんまさかさあ、燃料にごま油を使わなかったか?」

と、杉ちゃんは、めい子さんに答えた。めい子さんは、答えられないようだ。

「答えろよ!」

杉ちゃんが言うと、

「使いました。近くにあったから。」

と、めい子さんは答える。

「馬鹿!それじゃだめだ!水穂さんにとってごま油は凶器だよ!」

杉ちゃんは水穂さんに薬を飲ませようとするが、水穂さんは咳き込んだままだった。

めい子さんは、なにか責任のような物を、感じたようで、

「わかりました!私、病院につれていきます!」

と、でかい声で言った。

「無理だよ!病院に連れて行ったら、同和地区から来たやつは見ないって、追い出されるのが落ちだ!」

と、杉ちゃんも怒鳴り返すが、

「いえ、私が連れていきます。責任は私にあるわけですから、ちゃんと果たさないと。」

と、めい子さんは水穂さんを背中に背負った。女性でも軽々持ち上げられほど、水穂さんは体重がなかった。

「病院ってどこに連れて行くんだ!」

杉ちゃんの質問にも、めい子さんは答えず、水穂さんを背中に背負って、鉄砲玉みたいに走って行ってしまった。おい待て!と杉ちゃんが言っても反応しなかった。鶯張りの廊下の音が以前よりまして、けたたましいものであった。

「あーあ、これで、水穂さんが吐いたものが詰まって、どうにかなっちまわないといいんだがなあ。」

杉ちゃんは、悔しそうに頭を叩いた。こういうとき、車椅子であるのは、不利だった。

「あーあ。」

杉ちゃんはもう一度言った。

「僕も走れたら、どんなにいいだろう。」

一方、めい子さんのほうは、成松医院の玄関前に到着していたが、水穂さんを背負っていて、財布を持ってきたのはいいものの、靴を履いてくるのを忘れてきたことに気がついた。めい子さんは、裸足で走ってきてしまったことに初めて気がついた。でも、彼女は、何も悪びれずに、病院に飛び込んだ。

「あの!すみません!この人を見てやってくれますか!大変なんです。お昼ご飯を食べた直後から急に苦しみだして。」

受付係はそういう、めい子さんを冷たい目で眺めた。水穂さんは、茶色に、紗綾形文様をグレーで大きく入れた、銘仙の着物を着ている。

「そうですか。あいにく、うちの病院は、もう患者さんでいっぱいなんです。見てもらうなら、他の病院を当たってください。」

と受付係は言うが、彼女は、最大の武器を使うことにした。これは、緊急を要する場合でなければ使わないけど、こういう言い方をすれば、周りの人が動いてくれるのは知っている。

「私の母は、代議士をしております。母に話せば、この病院は患者を野ざらしにしていると訴えることだってできます!」

めい子さんがきっぱりというと、受付係はたじろいだような様子で、

「こちらにいらしてください。」

と、めい子さんたちを通してくれた。とりあえず、水穂さんを処置室のベッドへ寝かせて、医者がまた、措置を施してくれたおかげで、水穂さんは持ちこたえたが、周りにいた、看護師たちが、めい子さんにこういい始めた。

「あなた、お母様が代議士と言っていたけれど、もしかして、伊達さつきさん?」

めい子さんは、黙って頷いた。

「そうですか。それでは、いい暮らしができているようなものね。あたしたちが、こうやって、医療現場で、一生懸命やっているのに、あなたは、のうのうと生活しているんですか。」

看護師は白衣の天使ともいうが、そういうことは名ばかりだ。実際は、汚い危険きついの三本揃いで、ぐちを漏らすとなると、結構きついことを言う。それが、看護師というものなのである。ときにはそれが患者さんを傷つけることもある。

めい子さんは、何も言えずに黙っていた。

「この男性は、あなたの恋人?」

と、看護師はまた聞いた。めい子さんが違いますと言うと、

「そう、代議士の娘が、こんな汚らしい着物を着ているのを、誰か新聞記者でも見つけたら、すごいスクープになりそうね。でも、心配しないで。あたしは誰にも言わないから。それは、大丈夫だからね。」

と、意地悪な看護師は、そういったのだった。めい子さんは、思わず泣きたい気持ちをぐっとこらえた。どうして医療従事者というのは、そうやって、鼻が高くなるのだろう。確かに感謝されることの多い職業だが、それを、自分のおかげだととんでもない勘違いをしてしまう、医療従事者が多すぎる。

「まあ、目が覚めたらすぐにお帰りになってね。ベッドも消毒しなくちゃいけませんからね。」

看護師は、冷たく言った。気にしない人だったら、平気でいられるのだろうが、めい子さんはそういうタイプではなかった。彼女は、涙をこぼして、泣き出してしまったのである。もし、自分の母だったら、堂々としていられるのに、自分にはどうしてできないんだろう。いつも、自分は母と比べられる。母が偉いことで、なにかと母のことを引き合いに出されるが、それは嬉しいことでもあり、同時に、悲しいことでもあった。

「まあ、せいぜい、汚い人と、お気の済むまで、恋愛を楽しむといいわ。あなた、本当は、出島めい子ではなくて、伊達めい子でしょう。そうですよね。伊達めい子さん。」

看護師は、また悪口を言った。

「お母様は、本当にすごい人なのに、娘さんがこんな泣き虫で、お母様も、がっかりされるしょうね。伊達めい子さん。」

誰も、その看護師を止めるものもいなかったので、めい子さんは、水穂さんが目覚めるまで、ずっと、看護師の悪口を聞いていた。誰かの歌で、右から左へ受け流すという歌が、はやったことがあったが、それができたら、どんなに楽だろう。多分きっとあの歌が流行ったのは、それができない人が、多いからだと思われる。

「看護師さんちょっと聞きたいことがあるんですが。」

他の患者さんが、そう言ってくれたおかげで、その看護師はやっと、めい子さんの前から消えてくれた。それまでの辛い時間は、本当に、辛かった。もし、今までのめい子さんだったら、泣いてしまうかもしれないし、立ち直るのに人手がいるかも知れなかった。でも、めい子さんは、黙って、涙をこぼして泣いていた。やがて、点滴の薬が切れて、水穂さんが目を覚ました。めい子さんは、水穂さんをまた背負った。タクシーを呼ぼうと思ったが、看護師からなにか言われるのではないかと思ってやめた。水穂さんを背負って、処置室を出て、とりあえず、受付に呼ばれるのを待った。

「あの、すみません。」

と、一人の若い男性が、めい子さんに声をかけた。

「なんでしょう。」

めい子さんは、水穂さんを背負ったまま、そういった。

「あなた、代議士の伊達さつきさんのお嬢さんでいらっしゃいますよね。確か名前は、伊達めい子さん。ちょっと、お話を聞かせていただけませんか?」

そう言って男性は、メモ用紙とペンを出した。

「あなた、何者ですか?」

めい子さんがそうきくと、

「名前を名乗るほどでもありませんが、衣笠と申します。衣笠正。」

そう言って、彼は名刺を渡そうとしたが、めい子さんは水穂さんを背負っていて、名刺を受け取れなかった。

「それで、伊達さつきさんのお嬢さん。どうしてこんなところにいるんです?どこか悪いところでもお有りになるのかと思ったんですが。」

「私は、何もありません!この人を背負っているところを見ればおわかりでしょう!」

めい子さんは思わず言った。

「ああ、わかりますよ。この男性は、一体どこの誰なんですかね?その着物の柄から見ると、特殊な地域から来たということでしょうね。そんな男性と、あなたお付き合いしているのですか?」

まるで、看護師が予測していたことが、現実になってしまったような、そんな光景だった。周りに、患者さんがいないことが、彼女の救いだったかもしれない。

「どうして、水穂さんの着物の柄が、こういう柄だからと言って、皆さんそうやって、馬鹿にするような目つきで見るんですか!私が、母の娘だからですか?そんなこと、関係ないでしょう?」

めい子さんはそう言うが、

「一体、この男性、どこが悪くて、こっちに来たんですかね。」

と、衣笠は、水穂さんのことを確認する様に見た。と同時に、水穂さんが二三度咳をしたので、衣笠は思わず笑いだしてしまった。

「はああ、おかしな人ですね!明治時代だったら、こういう人はいっぱいいたかもしれないが、それが、100年以上たった現代でもまだいたのか。そうなると、この人は、相当貧しかったということになりますな。こんな簡単な、現代ではすぐ治せる病気も重症になるくらいだから!」

「水穂さんは、何もおかしな人ではありません!あなた方のような人が、水穂さんたちを、不自由な目にあわせているんです!それをもっと自覚してください!」

と、めい子さんは、これ以上出せないほどの力を振り絞って、そういうことを言った。馬鹿力とは、こういうときに発揮されるものだ。人間は、馬鹿力を出すと、通常の五倍くらいの力が出せるという。でも、それもほんの一瞬しか発揮できないものであるけれど。

「あの!すみません、そんな可哀想な事言わないでもらえますか!」

彼女は、半泣きになりながら、そういった。

「わかりましたよ。まあ、今回はここまでにしますけど、これは一大事件ですからね。絶対書かせていただきますから。それは、お覚悟してくださいよ。伊達めい子さん。」

衣笠は、手帳をしまいながら、そういうことを言った。それと同時に受付が、水穂さんの名前を呼んだけけれど、めい子さんはもう力がなくなってしまって、返答できなかった。

「おい、呼ばれているよ。伊達さん。」

と、衣笠はそう言うけれど彼女は答えない。仕方ないので、衣笠は、代理で伺うと言って、代わりに受付へ行って、クレジットカードで、水穂さんの治療費を払った。領収書を受け取って、戻ってきても、彼女は、水穂さんを背負ったまま、まだ泣いていた。

「伊達さん、送ってこうか。どこに住んでいるのか、教えてもらえないかな。」

と、衣笠は言った。

「僕の車、ワゴン車だから、それに乗ってくれれば、病人さんも、大丈夫だ。」

衣笠に無理やり立たされて、めい子さんは立ち上がった。もう無の状態というような顔で、病院を出て、病院の近くにある、駐車場へ行った。確かに、衣笠の車はワゴン車であった。とりあえず、水穂さんを後部座席に座らせて、そして、めい子さんを助手席に乗せる。

「えーとどちらまで行きましょう。」

と、衣笠が言うと、めい子さんは小さい小さい声で、

「大渕。」

と答えた。衣笠は、めい子さんの言葉通り、大渕へ向けてワゴン車を走らせた。




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