1章 ボーイ・ミーツ・ウルフガール(11)

11


 そして、8時過ぎ、そろそろ授業が始まろうとしているところだったが、生徒たちは今日の朝起きたある生徒の奇行の話でもちきりだった。ある者は彼を「学院の裏切り者」と猛烈に非難し、ある者はかつての彼の栄光からは似ても似つかないほどまで堕ちてしまった状態を悲しみ、そして、ある者は「もっと彼に何かしてあげられなかったのか」と悔やむ者もいた。


「さあ、授業を始めるぞ」


 学院の講師・嵐山鞭撻の一声で授業が始まろうとしたその時


「すいませぇーん。遅れましたーー!」


 教室のドアから、榎戀が勢いよく飛び出した。彼女のハアハアとした息遣いから察するにかなりの距離を走ったのだろう。席に戻ると彼女は珍しくぐったりとしていた。


「珍しいな。お前が遅れて来るなんて」


 嵐山先生は少し驚いたような顔をした。榎戀は東学院の中でも屈指の優等生であり、無断欠席や遅刻などはしたことがつぐほとんどない。


「ご、ごめんなさい。先生」


 東学院は国内に二つしかない精霊使いエスプリットユーザー育成機関であり、かなりの素養・知識が必要とされる名門校ではあるが、いくらなんでもただ一回の遅刻では、叱られることはない。


「ああ、別にいいぞ。今から始めるとこだったからな。それでは教科書の一三五ページを開け」


 嵐山先生の授業は化学だった、精霊使いエスプリットユーザー育成機関であるが、やはり一般の学院でも行うような科目の授業も行う。というより、現在彼らが使っている霊術や魔族の仕組みや発生などは生物、化学知識無くては理解不可能なものであるため、必修科目の一つですらある。


 榎戀に変わって、様子がおかしい生徒がもう一人居る。三日月がまともに板書を取っているのだ。彼は国の文明史などには興味を示すが、生物や化学などの所謂理系科目は苦手であった。(精霊使いエスプリットユーザーでそれは致命的過ぎるが)中等部の頃はなんとか喰らいつこうと、必死に勉強していたが、あの事件から、彼は無気力な人となってしまい、授業中は退屈そうに、窓から外を眺めるばかりであった。そんな彼が真面目に受けるようになったのは、例のあやかしの事件が殆ど解決して、肩の荷が降りたからだろうか、それとも退学への焦燥感が彼の勉強のやる気を駆り立たせたのかは分からないが、不良の問題児が真面目に授業を受けるようになるということは喜ばしいことだ。


 そんなこんなで、授業が終わり、皆が帰ろうとしていたとき、三日月は榎戀を呼び留めた。榎戀が三日月を呼び留めることは多かれど、その逆は珍しく、榎戀は少々びっくりした。


「あの、リンっていう女の子、どこに預けました?」


 榎戀はこれもまた驚いた。彼の元精霊・ユグドラシルを失って以降、そのように他人に興味を指し示すような人ではなくなってしまったからだ。しかし、榎戀は彼のそういった変化を素直に喜べなかった。


「なんでアンタがそんなあの子のことを気にするのよ。そんなに小さい女の子が好きなロリコンだったのね」


 予想外の返答に三日月は少し驚き、慌てて弁解を述べる。


「そ、そういうことじゃないって」


「じゃあどういうことなのよ」


 榎戀は少し怒った様子で、三日月に問いかけた。すると、三日月はしどろもどろではあるが、言い訳を続けた。


「そ、そりゃ、だって、あの、、久しぶりに、ひ、ヒトを助けたわけですし、だ、だからその子のこと気になっちゃって……」


「セクハラ変態魔の言い訳なんか聞きたくないわ」


 じゃあなんで聞いたのかと三日月は問い返したくなったが、ぐっと我慢した。


「でも、まあ、あの子、私に凄く懐いてるからね。アンタが近づいても引かれるだけだと思うよ。私、今日少し遅れちゃったけど、それもあの子の……所為って言ったら酷いけど、あの子が孤児院に入りたくないってずっと言っててね。泣きながらよ?どんだけ私に惹かれちゃったのか、だからまた私、あの子のところに行かなくちゃならないんだよね」


 それは、榎戀に懐いたからではなく、周囲の人間にバレることを恐れているだけであるが、そんなこと分かるはずがなかった。


 「それ、僕も行ってもいいですか?」と聞きたかった三日月だが、榎戀は三日月とリンを近づかせたくないようだったため、その発言は自重した。

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