1章 ボーイ・ミーツ・ウルフガール(10)

10


 榎戀と自らをリンと名乗る狼女とは、仲良く風呂に入っていた。東学院の学生寮にある榎戀の部屋の風呂で、森に入って汚れてしまった体を洗っている。幸い、現在はまだ六時半と授業が始まる八時二十分まで時間がある。湯船にお湯を貯めるほどの時間はなかったため、シャワーを浴びていた。


「どう、リンちゃん、気持ち良い?」


 シャワーが出ているお湯はリンの頭上へと降り注ぎ、榎戀はリンの後ろに座った。彼女の頭を、泡立てたシャンプーを使って洗いながらそう話しかけた。


「うん、すっごく気持ちいい」


「痒いところはある?」


「ううん、無い」


「肌、綺麗だね〜 こんなに綺麗な肌見たことないよ」


 その一言は榎戀にとっては褒め言葉であったが、リンにはむしろ恐怖を抱いた。


「ところで、背中に大きな傷があるんだけど、なんで出来ちゃったか、分かる?」


 そう聞くと、リンは一瞬、とても悲しそうな顔をして、「分からない」と言った。榎戀は自らした質問が不躾ぶしつけなことだったと気がついた。仮にも榎戀は、リンというあやかしが、普通のいたいけな一少女だと信じ込んでいる。


「ご、ごめんね。いきなり変なことを聞いて」


「全然、大丈夫です」


「記憶……戻るといいね」


「そ、そうですね」


 リンは榎戀からの質問に対しては名前と年齢以外は「分からない」や「覚えてない」と言ってはぐらかしている。暫く沈黙が流れた後、リンは心の底から「気持ち良かった……」と静かに叫んだ。


「そう!?良かった」


 嬉しそうに言う榎戀


「こうした所で、温かいお湯を浴びれるなんて、いつぶりか分からない」


「ごめんね、もっと時間あったら湯船にお湯を貯めれたんだけど」


「全然大丈夫です」


 そして、リンは後ろを振り向いた瞬間、現実を思い知らされ悲しくなった。彼女の大きな胸を見て。そんな悲しげな表情を読み取った榎戀は「どうかしたの?」と話しかける。


「い、いえ、なんでもないです」と、口では言うものの、目線は正直なのか、榎戀の胸の方に向いていた。そのことを読み取った榎戀は彼女の胸が自らより小さいことに悩んでるだろうと分かった。実際、榎戀はDぐらいの大きさだが、リンはBほどしか無かった。


「さては、胸の大きさで悩んでるなぁ?」


 自らが思っていることを途端に当てられてしまい、リンはぞっとした。


「な、なんで、分かるんですか」


 怖がるリンとは対照的に、榎戀は明るい言葉で、リンに問いかけた。


「リンちゃんは、まだ十四歳だっけ? それぐらいの年齢なら全然気にしないで大丈夫よ。これからグングン大きくなるよ。きっと」


「そ、そうですよね」


 だが、この榎戀の指摘はズレている。なぜなら、リンは自らの胸が榎戀に比べて小さく、劣等感のようなものを抱いてるからではなく、人間と狼男(リンは狼女だが)の差がはっきり出て、自分と榎戀は違う種なのだと思い知らされたからだ。狼男は一部の狼が人を真似る技術を得て、妖となった特異的な妖なのだが、人を真似たとはいえど、完全にコピー出来た訳ではない。例えば、狼男は月の光を浴び、巨大化して、全身の体毛を外に出すことによってただのヒトのような存在から狼へと変わる。そのため、人間とは違って、全身には髪以外には毛が全く生えていないのだ。勿論、人間はファッションとして毛を剃ることは多いためそこまで不自然にも思えない。胸の大きさもそうだ。人間の雌は哺乳類の中で唯一胸の部分が成長する。しかし、狼男(この場合は何が何でも狼女だが)は胸の所は生涯成長しない。

 リンは激しく恐れていた。このような狼女がヒトというものに完全になりきれなかった綻びが積み重なって、榎戀に正体がバレてしまうことを。もし、このまま胸がいつまで経っても成長しなかったら、怪しまれるんじゃないだろうかという一抹の不安があった。実際には、個人差があり、胸が膨れあがってない人もたくさんいるのだが、人間社会の経験が浅いリンにはそのようなことは分からず、ただただ恐怖に晒されていた。そんな暗い表情を浮かべていたリンに対して榎戀は「どうしたの?」と問い掛けた。


「いや、あ、あの、え、えっと……」


 怪しまれたのではないかと思い、しどろもどろになってしまう。そんな何かに怯えてるような、リンの姿を見て榎戀は「大丈夫よ」と言って彼女を抱き寄せる。


「怖いんだよね。いきなりこんなところに連れて来られて」


「う、うん」


 リンは反射的にそう頷いてしまった。


「けど、大丈夫。仮令たとえ、どんな過去があっても、私は貴方を元気づけてあげる」


「ど、どんな過去でも……?」


 榎戀の助言はリンが怖がっている本質を全く付いておらず、的外れなものだったが、リンは非常に榎戀を信頼した。そして、リンは念を推すようにこう言った。


「も、もしもだけど、私を殺そうとするような人が大勢現れても、私を守ってくれる?」


 リンの問い掛けに対して、榎戀は不敵な笑みを浮かべてこう言った。


「勿論。決まってるでしょ。君みたいな少女に暴力振るうような人なんて、最低の人間だからね。こう見えても私、強いんだよ?」


「も、もし、いきなり私の前から急に居なくなっちゃったり、しない?」


 明るい声で再び言う。


「そんなことある訳ないでしょ」


「や、約束だよ」


「そうだね。約束」


 そして、リンは「えっと、えっと」と言いながら、手を動かした。疑問に思った榎戀は「どうしたの?」と問う。


「や、約束の仕方、どうやってやるんだっけ?」


 彼女の言った「約束の仕方」とは何なのか、一瞬悩んだが、榎戀はやがて一つの答えに辿たどりつく。


「ゆびきりのこと?」


「それです!それ!」


 リンは急に明るい表情になってそう言った。そして、二人の小指を絡めた。


「絶対、私から離れないでね」


「分かったよ」


「約束、だよ?」

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