1章 ボーイ・ミーツ・ウルフガール(5)

5


 サラサラ、ジャポーン

 文字通り水を渇望していた三日月は水のせせらぎの音に惹かれ、水の音のする方へと歩みを進める。その開けた先、そこには産まれたままの姿の少女が居た。その白い肌は、降る雪のように神秘的で、その姿は人形さんのような美しさを醸し出していた。


 彼女の腕や長い髪で覆われている二つの小さき山々に目が向いてしまう。三日月にある「早く逃げろ」という理性を忘れてしまい、ただただ目を離さず立ち尽くしていた。しかし、そんな時間が長く続くことはなかった。少女が目線を感じ、三日月と目を合わせた瞬間、


「キャーーーーーーーーーーーーー!」


 という少女の黄色い悲鳴をあげた。その悲鳴により、はっと目を覚ました三日月は途端に恥ずかしくなり、目を覆い


「見、見てません!」


 という、どう考えても苦しい言い訳をしたのち、彼は彼自身でも「まだこれほど体力が残ってたのか」と思うほどのダッシュで、少女から逃げた。


 二十秒くらいダッシュしたあと、三日月は木に体を寄せてその場にしゃがんでしまう。疲れたのだ。そして、彼は思いを巡らす。


(なんで、あんな所にいたいけな少女が居たんだ……それに、あの白い肌、いや⁉︎何考えてるんだ!俺⁉︎)


 元名門の精霊使いエスプリットユーザーであっても、彼はただの十五歳の少年だ。少女の、しかもあんなに可愛い女の子の体を見て、何も考えない方が無理だった。


 その時、さきほどのオアシスの方から、あの少女の声が聞こえた。


「あ、あの お話、いいですか?」


 その声の先には、さっきの全裸の女の子が居た。大事な小さい山の二つのてっぺんは、右腕で隠し、もっと大事なところは左手の掌で隠していた。その姿を見た三日月は酷く赤面し、目線を逸らす。


「う、後ろ向いてください!」


 彼女は恥ずかしそうにそう叫んだ。それに対して三日月も恥ずかしそうに「ご、ごめん!」と言いながら後ろに向ける。


「あ、あの、お願いしますから、まず服を貸してください」


「わ、分かった」


 礼儀正しくそんなことを言う少女。三日月は着ているコートを脱いで、後ろに投げた。それを手にし、徐ろに羽織る少女。モゾモゾと衣擦れの音が聞こえる。


「も、もういいですよ」


 そう彼女は言ったので、三日月は前を向き、彼女と対面することを決意した。彼は百六十二cmと小柄な体型であったが、百四十cmほどの少女にはそのコートは大きめのドレスのような役割を果たしていた。それでも、華奢な素足から存在感を表す綺麗な白い肌色がそのまま見えていることもあってか、彼は暫く恥ずかしく彼女と話すのを躊躇っていたため、沈黙が流れたが、遂に重い口を上げることにした。目を合わせず、彼はこう言った。


「さっきは本当にごめん。あ、あの、なんというか、見ちゃって……」


 それを聞いた少女は「ふぇ!」という可愛らしい奇声をあげた。

そのまま、三日月は言葉を紡ぐ。


「えっと、本題なんだけど、なんで君のような女の子がこんな所に居るんですか?」


 彼のその言葉に、彼女は少し残念そうな顔をして、三日月に話した。


「私が誰なのかわからないの?」


 一瞬、三日月は戸惑った。そして、彼が彼女の大真面目な表情を見て、彼女が嘘を言っている訳では無いということを確認した上で、三日月は思いを巡らす。しかし、彼が、昔この少女と邂逅したことを思い出すことは出来ず、彼女に聞き返した。


「僕達どこかで、会いましたっけ?」


 そして、彼女はその残念そうな顔を崩さずこう言い放つ。


「私、実はさっき、貴方に助けられた狼、なの。だから、お礼を言いたくて!」


 三日月は鳩に豆鉄砲を喰らったような、はっとした顔をした。


(確かに、僕達は「狼男」と呼んでるけど、メスが居なかったら、繁殖なんて出来るわけないから、そりゃ居るんだろうけど)


「あ、あの、本当に、ごめんなさい」


 そして、彼はそれを聞いた途端、ここまで来た本来の理由を思い出した。そして、彼女にそう言い、頭を下げた。対して、彼女は身に覚えがないのか、ポカンとした顔をした。


「ち、ちょっと、頭上げてよ。急にどうしたの。謝らないといけないのは私なのに」


「ごめん、あのとき、背中に傷をつけちゃって……」


 それを聞いた途端、彼女は一瞬はっとした顔をし、それから酷く悲しそうな顔をした。それから、元気づけようとしたのか、無理矢理な笑顔を作り、


「あ、あの子ね! 元気そうで良かったよ。大丈夫大丈夫あの時のことなんて微塵も気にしてない。背中の傷も治ったし」


「で、でも、狼の姿の時に切り傷が残っていて……」


「あぁ、これね。毛はまだ生えてないんだけど、皮膚そのものは完治してるんだ」


 その声色は、僕を励まそうとしてるのと思った。


「優しいんだね。君は。そんな君を、僕は……ごめんなさい」


「そんなことないよ! というか、気にしてないし、傷痕ももう無いんだから、卑屈に思うことないって」


「本当は治ってないんだよな。本当にごめん」


「そんなことないって、気にしすぎ」


「じゃあ、背中見せてくれ」


 思わぬ質問に対し、狼女はまたもや「ふぇ」という、可愛らしい雄叫びをあげ、赤くなったあと、こう言った。


「な、なんで! 疑い過ぎるのは良くないよ!」


 「傷痕」を連呼する狼女(?)に疑問を持ち、ついこんな質問をしてしまった。その言葉の重大さに気づいた三日月は訂正する。


「ご、ごめん!つい、疑っちゃって」


「全く、人に対してやったら、セクハラだよ?」


 その言葉により、彼女が人ではなく、妖なのだと、再認識した。


(怖くない妖も居るんだな…)


「それよりさぁ」


「えっと……あの、ごめん。名前聞いてなかったな。名前なんて言うんだ?」


「もうない」


「え?」


「だから新しい名前つけて!」


「え?あ?ちょっと……」


 突然そんなことを言われて戸惑ってしまう。そもそも、この子に名前つけるのが僕なんかでいいのか?という罪悪感が湧いてくる。


「い、今まで名前無しで生きてきたの?」


 そう聞くと、ばつが悪そうに「昔、あったけど、その名は捨てたの」と言った。


「そんな急に言われても」


 三日月は考えを巡らす。(なんて名前をつければいいんだ。えーと、狼女だから略すと……これは良いんじゃないか?)


 そして、彼は自信ありげにこう言う。


「「おみな」とかどうだ?」


 空気が凍る。たった一秒ほどしか経っていない時間が、一時間ほどに感じられるほどの嫌な沈黙が流れる。


「ダサい。却下」


 三日月の考えた名前はあっけなく却下された。

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