傾国のソーイチロー

姫嶋ヤシコ

傾国のソーイチロー

 煌びやかな会場には、多くの貴族たちが集まっている。

 今夜は、この国の皇太子の婚約パーティーが開かれていた。

 しかし、めでたい席であるはずなのに、会場の空気は重く息苦しいものだった。

 多くの人々から向けられる視線。悪意、侮蔑、そして一抹の同情が入り混じったその視線の先には、くちびるを噛んで耐える一人の侯爵令嬢。

 名前はカテリーナ・ハイデベルク。

 彼女は、目の前にいる皇太子の婚約者である。

 けれどつい先程、皇太子によって婚約破棄を宣言されたところだ。

 皇太子の隣には、侯爵令嬢よりも幾分か身分の低い男爵令嬢デボラ・イベールが、口元に嘲笑を湛えていた。身に覚えのない罪をでっち上げ、多くの貴族から同情を買い、皇太子に取り入った悪女。けれど、誰一人としてデボラを疑う事なく話を鵜呑みにし、こうして現在に至っているのであった。


「さあ、カテリーナ・ハイデベルクよ。お前の罪を認め、婚約破棄を受け入れるのだ」

「わたくしは、責められるような罪は犯しておりませんし、貶められるような立場でもございません」

「この期に及んで悪あがきとは醜いぞ、カテリーナ……!」


 カテリーナは考えた。

 目の前にいる皇太子は、かつてカテリーナが愛していた男と同一人物なのだろうかと。

 こんなにも話を聞かず、一方的に責めるような愚かな男だっただろうかと。

 反論する余地も与えられないまま、カテリーナは一方的に侮辱され続けていた。

 周囲に止める者もおらず、今すぐにでもこの場から逃げ出したいと、カテリーナが両耳を塞いだその直後だ。

 大きな音を立ててパーティー会場の扉が開かれ、一人の男が立っていた。

 パーティには似つかわしくない、シンプルなスーツ姿の男。

 一見してただの老爺に見えなくもないが、漂う威厳はただ者ではない事を主張している。顏に刻まれた皺が、男の人生を物語っているようだった。


「誰だお前は! お前のような者を招待した覚えはないぞ!」


 突然の老爺の登場に皇太子が叫ぶと、すぐに護衛の騎士達が老爺を取り囲む。

 けれど老爺はそれに驚く事も動揺する事もなく、鋭い視線を騎士達へ向けると、堂々と口を開いた。


「どうしても取材したい人が一人、いましてね。……そこにいらっしゃる、皇太子ですよ」


 老爺は固まる騎士を後目に、しっかりとした足取りで歩いて来る。

 それからカテリーナの横に立つと、皇太子を真っすぐ見つめて言葉を続けた。


「あなた、どうして突然婚約破棄なんかを?」

「そこにいるカテリーナは、このデボラを貶めた。陰で誰にも気づかれないように巧妙な手口を使ってな! そうだろう、デボラ」

「殿下! わたくしはそんな事は……っ、」

「ええ、そうです! 私は長い間、カテリーナ様から陰湿な嫌がらせをされていました! 果ては脅迫まで……!」


 カテリーナが皇太子に反論する前にデボラがさめざめと泣き真似をして見せれば、周囲で様子を窺っている貴族達がヒソヒソしはじめる。

 きっと、憶測に過ぎないことを本当であるかのように話しているのだろう。

 もう反論することさえも馬鹿らしくなってしまったカテリーナは、ただ俯いた。


「デボラさん、あなたも脅迫されただの嫌がらせをされただの言ってるけど、覚悟があって皇太子の隣にいるんじゃないのか? 一国の主の隣に立つっていうのは、生半可な覚悟じゃ出来ないもんなんだ。命を狙われることも、家族を人質にされることもあるかも知れない。好きだからとか、そんな軽い気持ちじゃ務まらないんだよ」

「もっ……、もちろん、覚悟ならあるわ! それに、殿下だって私を守って下さると約束してくださいました! そうでしょう、殿下!」

「ああ、愛する者を守るのは当然のことだからな!」


 皇太子とデボラの寒いやり取りを見た老爺は、呆れたように嗤って溜息を吐き出した。


「皇太子……、ゆくゆくは皇帝となる男が、相手をよく調べもせずに惑わされるとは……、嘆かわしい」

「なんだと!」

使と言ったね。それなら、どうしてデボラさんはそれをカテリーナさんがやったと言えたのか」


 老爺の言葉に周囲の貴族がざわつき始め、デボラの表情にも焦りが見える。

 もちろん、カテリーナは嫌がらせも脅迫もしていない。デボラの訴えは、ただのでっち上げなのだから。


「と……、とある人からの情報からです! その人が、カテリーナ様がやったと教えて下さったんです!」

「デボラさん。ウソや隠し事をして今を取り繕っても、つじつまが合わなくなって後で自分が困ることになるんだよ。僕はね、あなたのことも、皇太子のことも、とことん調べてからここに来ているんだ。この意味がわかるね? 今ここで、正直に言った方が身の為だ。これが最後のチャンスだと思って、本音で話し合おうじゃないか」

「わ、私は嘘なんてついていません! 私はカテリーナ・ハイデベルク侯爵令嬢の被害者ですっ!」

「そ、そうだっ……、デボラは被害者なんだっ!」


 老爺の言葉に明らかに動揺している二人だが、一向に主張を譲らない。

 いつから皇太子はこんなにも愚かになってしまったのだろう。

 それを止められなかった自分にも、非があったのかも知れない。

 そう思い至ったカテリーナは、これ以上の議論は無駄だと、老爺の前に立って皇太子へお辞儀する。


「……わたくし、破棄を受け入れますわ。もう、殿下はわたくしを必要とされていないのですから。この場にいる皆さまが証人です。よろしいですね?」


 誰一人として声を発さず、重苦しい空気だけが流れた。


「無言は肯定と受け取りますわ。後日、婚約破棄の書類をお送り致します。どうか、お幸せに」


 カテリーナは顔をあげると笑顔を浮かべ、その場を立ち去った。

 この場で味方になってくれなかった者たちへの、精いっぱいの強がりだった。


「僕が会った数少ない優れた国の主は、人の話をよく聞くタイプだった。それに比べて、あなたはどうだ。一方の話を鵜呑みにし、もう一方の話を聞こうともしない上に大勢の前で断罪するとは……、まさに愚の骨頂。……数年後のこの国の行く末が、楽しみだ」


 老爺もそう言い残すと、カテリーナの後を追うように会場から出て行った。

 静かな廊下には二人分の足音が響いている。カテリーナと老爺のものだ。

 会場から随分と離れた庭園でカテリーナが立ち止まると、老爺もまた同じように立ち止まる。


「あなたのおかげで、目が覚めましたわ。あんな愚かな男なんて、こっちから願い下げですわ」


 老爺の方を振り返って言い放ったカテリーナは、ふと、彼が誰であるのかを知らないことに気がつき名前を訊ねた。後日、助けてくれたお礼をしなくてはと、ほんの軽い気持ちで。


「私は、ソーイチロー。ソーイチロー・タハラです」

「ソーイチロー……、っ、ソーイチロー・タハラ!? まさか、あのソーイチロー!?」


 ソーイチロー・タハラ……。

 その昔、異世界から来たと言う伝説の救世主ジャーナリスト

 彼は数々の国をまたぎ、理不尽な婚約破棄をして行く皇族や王族に特攻取材し、ついでに濡れ衣をかけられた多くの令嬢を救ったと言われている。そのことから、彼は救世主と呼ばれていた。

 話だけは耳にしていたが、まさか目の前の老爺がそのソーイチロー・タハラだったとは……。


「まさか、あなたに助けられる日が来るなんて、夢にも思いませんでしたわ」


 カテリーナはこれも何かのめぐり合わせなのだろうと、空を見上げた。

 視界がぼやけているのは、美しくあった思い出との別れを惜しんでいるからだ。

 決して皇太子やデボラのせいではない。

 ぽろりと涙が零れると同時に、横からハンカチが差し出された。


「お使い下さい」

「ありがとう……」

「知っていますか、カテリーナさん。……世界を変えるエネルギーは、無茶苦茶なところから生まれるんです。だから、あなたも縛られずに、自分の世界を無茶苦茶に生きてみればいい」

「そう、ですわね……。ええ、そうしてみますわ。今後も、わたくしの悪い噂は絶えないでしょうが、言いたい人には言わせておきますわ。後で絶対に後悔させてやります」

「そう言う人は、出世するんだ。僕のこの目で、見て来たからね」

「ソーイチロー……、ありがとう。あなたの信念にも感銘を受けましたわ。まさか、相手のことをしっかり調べてから来てるなんて思いもしなかったから」

「フフッ……、僕には信念なんてものはない。僕にあるのは、好奇心だけだ」


 ハンカチで涙を拭い去ったカテリーナは、ソーイチローの言葉に思わず笑ってしまった。好奇心だけで物怖じもせず、堂々と皇太子の前に立ったソーイチローが、カテリーナの瞳に眩しく映る。もう、皇太子にもこの国にも未練はなかった。


「この国は、そう長くないでしょう。おそらくこの出来事を機に、信頼出来る人達も離れて行くでしょう」


 ソーイチローは、皇太子が皇帝になった未来と、嘘を重ねて皇太子とその妻の座を勝ち取ったデボラのことを言っているのだろう。

 しかし、今となってはカテリーナにはどうでも良い事だった。


「では、僕は次の取材へ向かいます。あなたの英断と旅立ちの先に、明るい未来があらんことを!」

「わたくし、無茶苦茶に生きて絶対に幸せになって見せますわ、ソーイチロー! あなたも、お身体に気をつけて!」


 カテリーナの声に、ソーイチローは振り返らないまま右手をあげて見せたのだった。



 §§§§§§



「……そんな懐かしい出来事もありましたわね」


 優雅にお茶を楽しみながら昔話を語る彼女は、某国の皇后である。

 当時、幸運にも出会えたソーイチロー・タハラのお陰で、彼女は自分の道を切り開き隣国の皇后となったのだ。


「無茶苦茶に生きることに抵抗はありましたけれど、それも、悪くなかったですわ」


 苦労はあったが、それも今となっては良い経験だと笑って言えるようになった。

 それもこれも、あの婚約破棄があったからだ。

 小さく笑った皇后は、ティーカップを静かに置くと視線を低い位置へ定める。

 そこには、ボロボロの姿で囚われた男女が膝をついて震えていた。

 彼らはつい先日敗戦した国の元皇帝と元皇后である。

 年月を重ね、久しぶりに会った彼らの無様な姿に、皇后は冷ややかな視線を送った。

 そして、


「わたくしが婚約破棄を受け入れ無茶苦茶に生きた結果、あなたの国は見事に滅びましたけれど、今のお気持ちはいかがですか?」


 そう言い放ったと同時に、皇后カテリーナは思い出す。

 ソーイチロー・タハラの現れた国の末路を。

 ソーイチロー・タハラの、もう一つの二つ名を。

 その名は―――――、

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