幕間 ある公爵の執念

 私の名前はクラウス・マクレイン。

 ロイエンガル王国の国防を担うマクレイン公爵家の現当主。


 そして、妻を守れなかったただの無能だ。




 ◇




『大至急! 大至急! ガルマドラの森にて邪神の発生を確認! 邪神の根が世界各地に浸食中!! この国にも後一時間で根が到達する見込みです!!』


 コントロールセンターに待機していた部下が念話で邪神の発生を報せる。マクレイン公爵の屋敷内に響いたその念話に、部下がてんやわんやと動き出す。

 そんな中、私は念話で部下に指示を出す。


「魔法省に護虹結界ごこうけっかいの発動申請をしろ! 三十分以内でだ! それと城壁の外に待機している人々を全員強引にでも中に入れろ! 時間ギリギリまで国内まで避難させるんだ!」


 次々と邪神発生対策マニュアルの通りに命令を下す。

 それと同時に私の胸には焦りがあった。

 ガルマドラの森。それは妻であるアセリアと息子のジョンが住む森の名前だ。

 五年前、木星の邪神教の報復からアセリアとお腹の中にいるジョンを守るためにガルマドラの森に移していたのだ。


 その森から邪神が発生した。


 二人の身が危ないと想像するのは当然のことだった。だがガルマドラの森に対する監視に抜かりはなかったはずだ。邪神誕生の儀も常に魔法で探知している。それなのに発生を阻止することができなかった。よりにもよって二人がいる森の中でだ。


「考えられることは一つ……我が家に間者がいるということか……!!」


 木星の邪神教の最大の脅威はその影響力の範囲にある。

 ただの邪神教とは違い、こいつらは国の中枢にまで信者が侵食していた。その事実に気付くまでいったいどれほどの犠牲と争いが起きたのか分からない。

 前の妻であるミネルヴァの犠牲を経て、ようやく掃討を終わらせたのに奴らの残党は我がマクレイン公爵家にまで潜んでいた。


 十中八九、そいつらによって報告が歪められていた。その結果私たちは、こうして後手に回り、邪神が誕生してしまう事態になってしまったのだ。


「間者の摘発は後だ……先ずはアセリアたちの安否を確認しなくては! ガーロンド!!」


 父の代からこの家の筆頭執事を務めていた男の名前を呼ぶと、扉から一人の男が現れた。


「ここに」

「屋敷内の指示はお前に任せる」

「旦那様はどちらへ? ……まさか」

「ガルマドラの森へ行く」


 そう言った瞬間、ガーロンドから強烈な気迫が生まれ、私の足を止まらせた。


「いけません旦那様。外には邪神の根が迫ってきております。今このタイミングで外に出れば命の保証はありません」

「そこを退けガーロンド」

「退きません」


 確固たる信念と強固な忠誠がガーロンドの目から見て取れる。

 そんな彼の目を見て、私はそれでこそ私の右腕で、先代から我が家を支えてきた男だと称賛したくなる。

 だがそれは、今じゃない。


「そこを、退くんだ」


 確かに私はマクレイン公爵の当主にして、国防を担う最高責任者。

 そんな私が有事の際、国を放って妻子を救いに行くために身を危険に晒そうとする。そのような愚行は止めて然るべきだろう。

 それに何より他者から見てもアセリアとジョンの命の優先度は低いのだ。

 公爵家の妻ではあるが平民の後妻と、家督を継がなくていい

 妻の身分と息子の低い継承権が彼らの優先度を下げていた。


 言い換えれば替えが利く存在なのだ。

 だからこそ、今は彼らを助けるべきじゃない。

 貴族的で立場的な常識で言えば見捨ててもいい存在だからこそ、わざわざ私が身を呈して助けに行く必要はない。


 ――だが。


「そのような常識はクソくらえだ」

「旦那様……!」

「ミネルヴァの件で私は誓った。もう二度と私は家族を失わせはしないと」


 腰に掛けてある剣を抜刀する。

 向かう矛先は我が右腕へ。

 殺気を目に乗せて真っ直ぐ敵へ。


「邪魔するならガーロンドであっても許さない。私は私の家族を救う。救って見せる!」

「私は……!」


 私の殺気を受けたガーロンドは狼狽え、目を逸らす。

 彼は拳を握りしめ、どこか逡巡した後、ガーロンドは悲しそうな目で私を見つめてきた。そんな彼の眼差しを初めて見てハッとする。


「……私も、家族ではないのですか?」

「……それ、は」


 その言葉に私の熱くなった頭が、冷や水を浴びせられたかのような衝撃を受ける。

 そうだ、アセリアはガーロンドの娘で、言うなれば私の義父ではないか。身内も身内だが、私は急な事態に正常な思考ができていなかった。


「いや、すまない……熱くなってしまった」

「旦那様……」

「だがすまない。それでも私は行かなくてはならないのだ」

「……っ」


 そう、これだけは譲れない。

 もう二度と家族を失いたくないのだ。

 知らぬ間に家族が失うのはもう懲り懲りなのだ。


「これだけ言っても止まらないのですね……」

「……」

「分かりました。ですが旦那様一人に向かわせるつもりはありません。我が家の騎士数名と是非バンテンガイン家の者をご同行させてください」

「あの傭兵集団か」


 獣人族を中心とした武闘派傭兵集団、バンテンガイン家。

 ガーロンドの言う通り、彼らなら邪神の脅威にも抵抗できるかもしれない。ここは素直にガーロンドの忠告を聞くとしよう。


「分かった。では私が直接彼らに依頼しよう」

「……本当は臣下である我らがやるべきでしょうが」

「時間がないのだ。それに私の右腕であるお前なら私がいなくともこの国を守れるだろう」

「そう言う問題ではないでしょうが、分かりました。旦那様がご不在の間はこのガーロンドがこの国を守りましょう」

「頼んだぞ」


 そう言って、私はこの部屋から飛び出した。




 ◇




 


「しっかしお貴族様にもこんな根性があるとはねぇ。流石はマクレイン家と言ったところかい」

「家族のピンチなんだ。必死になるのは当然だろう」

「それを自分で動くのはアンタぐらいだぜ」


 共に馬を駆けながら並走するバンテンガイン家の長にして、特殊な獣人族と言われる白狼族の一人、ライガ・ルガ・バンテンガインが私に話しかける。

 まさか依頼をしにバンテンガイン家の拠点へ向かったら傭兵集団の長が直接引き受けてくれるとは思わなかった。噂では彼一人で国を落とせる程の武勇を誇る実力者だ。彼が同行してくれるとは頼もしい限りである。


 彼の好奇に満ちた目が私に向けられていなければ話だが。


「どうして俺様直々に同行したのか疑問に思っているようだな」

「……話してくれるなら聞くが」

「じゃあ話すが、先ず大前提としてロイエンガル王国は邪神の脅威に晒されている。そんな中アンタは国をほっぽって家族を優先ときたもんだ」

「理由は話しただろう。家族の――」

「――そう家族のピンチだ。だがアンタのそれは常軌を逸している」

「……何?」


 その言葉に私は彼の方へと見た。

 そして気付く。

 確かに彼の目には私に対する好奇心が宿っている。だがそれは貴族が身を挺して家族を助けに行くという珍しい行為などではなく……寧ろ。


「アンタさ……?」

「っ……」

「俺様だって邪神を召喚しようとした輩と対峙したことはある。どいつもこいつも自分の欲に呑まれた目をしやがった……アンタと同じような目がな」

「貴様……いったい何を言って」

「近い将来魅入られるんじゃねぇかなって思ってんだよ」


 何に。とは考えない。

 答えは決まっている。


 邪神だ。


「……」

「家族のためか……俺様も一人娘がいるんだけどよ」


 ――娘のためなら邪神の力にも縋るかもなぁ。


「……っ」


 この私が近い将来邪神の力に縋るだと?

 だが、いや。私はライガの言葉を否定できる自信がない。そのことに気付いてしまう。気付いてしまった。そして私がそこまで堕ちかけているのかと思った。


 この決意や誓いのためなら、私は。

 邪神討伐を掲げるマクレイン家を裏切り、人類種を裏切り、妻の命を奪った輩と同じように憎き邪神に手を伸ばすというのか。


 今の私は、それが分からなくなっていた。

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