第8話 人生はまだ始まったばかりという不運と幸運

「……ん、うぅん」


 目が覚めると同時に体の節々に痛みが走る。

 どうやら自分は今うつ伏せの状態で寝ていたようだ。


「……力が入らねぇ」


 まるで全力で体を動かして、疲労で動けない状態に似ている。

 そう言えば僕は重たいバッグを背負って森の中を全力疾走していたなと思い出す。そんで邪神の攻撃を掻い潜り、無茶苦茶な方法で邪神のコアに辿り着いて、そして……。


「そうか……僕は落っこちたのか」


 そう自覚した瞬間、僕の脳裏に落下中の光景が浮かび上がる。

 念力を駆使して体の衝撃を和らげながらも、体のあちこちを邪神の残骸とぶつかって落ちていった記憶が僕の中にある。


「よく、生きてたな」


 自画自賛しても誰も咎めないだろう。

 もう今日だけでどれだけ視線を潜り抜けて来たのかあの女神に小一時間語りたい気分だ。


「力は、大分戻ったな……」


 それに伴って周囲の様子を感覚で把握できるようになった。

 どうやら力が戻るまで、嗅覚や聴覚などの感覚が麻痺していたようだ。流石に念力で落下の衝撃を和らげても、あの高さだと無事では済まなかったらしい。


 するとふと、異臭とピチャピチャと液体が滴る音が聞こえた。


 それもかなり近い。

 僕はうつ伏せの状態から腕に力を入れて立ち上がると、無意識の内にその水の滴る音の方向へと顔を向ける。

 すると分かった。あれは液体ではあるが水ではない。


「……え」


 あれは血だ。

 真っ赤な液体をトマトジュース以外に形容するならあれは血のように見える。人間の血液に似たその赤い液体は、上から下へと滴り落ちて赤い水溜りが出来ていた。


「……」


 緊張と恐怖で唾を飲み込み、ゆっくりとその液体の出所を探るよう上を向く。


「ひっ」


 そこには。


「う、おえええっ」


 一本の木によって背中から胴体を貫かれ、絶命したクレアがいた。

 その凄惨な光景に、僕は何度も何度も胃の中のものをぶち撒けていく。


 あぁ……僕は確かにクレアは死んだ方がいいと思っていた。

 実際に殺そうと思っていた。だが、実際に死ぬとは思っていなかった。覚悟のなさ故に、人の死というものを本当の意味で考えていなかったからだ。


 これは、僕のせいか?


 邪神のコアを破壊して、きっかけを作った僕のせいか?

 いや違う。違うだろう。

 あぁするしかなかった。コアの破壊は必要だった。相手の死を望んでコアを破壊したわけではないし、落下しても僕のように生き残る可能性もあったんだ。

 考えてみれば死ぬ可能性は高かったけど、それでもこの光景は僕のせいじゃない。


 敢えて言うなら、そう。


「……


 これは相手が不幸だった故に死んだだけの話。

 自業自得で、因果応報。

 悪行の末に報いを受け、破滅した。

 それがクレアという元凶の最期であり、今回の事件の結末でもあった。


「……」


 痛みと疲労で重たい体を引き摺りながら歩くこと数十分。

 朧げな記憶と直感で母がいる方向へ向かった僕は、そこで泣き叫んで男に懇願する母と武装した集団を見つけた。


「お願いします、お願いしますクラウス様!! ジョンを助けに行ってください!」

「待ってくれアセリア! ジョンはいったいどこに……」

「……何、これ」

『!?』

「っ!? ジョン!! 良かった……良かった!! 生きててくれて本当に……!!」


 僕の呟きに母を含めた武装集団が反応する。そして母は真っ先に走り寄ってくると、僕の無事に泣きながら抱き締めてきた。


「あぁ……うん……ただいま、お母さん」

「良かった……! 良かったよぅ……」


 そこに、先程まで母から懇願されていた男が困惑した表情で話し掛けて来た。


「……まさか、ジョンなのか?」

「え?」


 それも、記憶にある声と同じで。


「信じがたいだろうが私は……君の父だ」

「……あ、はい」


 そうして、戦いの疲労や衝撃の出会いで僕の頭がパンクしたのか、僕は母の温もりを感じながら意識を手放したのだった。




 ◇




「美味しい?」

「うん、美味しい!」


 気絶から目が覚めた僕は『父と思われる人物』が設置した臨時拠点で母の料理を食べていた。そこには僕の食事を微笑ましげに見守る母と『父と名乗った男』がいた。


「……」

「もぐもぐむしゃむしゃ」

「……」

「ごくごく……ふぅー!」

「……食べ終わったのか?」

「おかわり!」

「あっ……まだか……」


 僕と話したそうにしている『推定父』だが、僕の食事を優先しているせいで自分の用件を済ますことができないでいた。

 決して僕が『父親(仮)』と話したくない故に引き延ばししているわけではない。

 ないったらない。

 ところで三回お代わりしてお腹が痛くなって来たんだけどどうすればいい?


「……ごちそうさま」

「やっとか……」

「……」

「随分と嫌そうな顔をしてるな」


 その通りである。

 まぁ確かに『九割九分九厘多分僕の父』側には事情があったし、仕方がないのだが、個人的にはこの五年間一度だけでもいいから顔を見せて欲しかったというのが本音だ。

 そうすれば、母の陥っている事情も把握できたし、洗脳も早い段階から完全に取り除かれる可能性もあったはずだ。


(だけど)


 その不満は顔に出てしまっているものの、実際に口に出すことはしない。

 『父の可能性が高い父』の隣にいる母の顔は実に穏やかで、息子の僕から見ても『微粒子レベルで父の可能性がある父』に向ける感情は恋情そのものだ。


 何せ母はクレアのことを『この男』の部下だと信じていたこの五年間、いつも『恐らく父』の様子をクレア越しに聞いていたのだ。そして『多分父』が母に対して何も感情を抱いていないと騙されていた時は、かなり心を痛めていたぐらい母は『父99%』のことが好きだった。


「さっきから私のことを変な風に考えてないか?」

「チッ」


 ちくしょう、心の中まで読めるのかこのイケメンは。

 まぁ……いつまで引き延ばししても仕方がないか。


「……はぁ」

「ジョン?」

「話を、聞きましょう」


 観念した僕はため息を吐きながら『僕の父』へと顔を向ける。

 ……でもやっぱ何回見てもイケメンだな。

 

「取り敢えず一発殴ってもいい?」

「ジョン!?」

「あっごめん、つい本音が」


 険しい顔をした母に僕は必死に弁明をする。

 そんな僕達のやり取りを見た父は何がおかしいのか笑い始めた。


「はは……いやすまない。口調や態度から見てもただの五歳児とは違うが、君の姿はまるで父に母を取られまいと躍起になっている子供みたいだなと」

「……むー」


 父の予想外の発言に僕は顔を赤くする。

 顔が赤くなっているのは恐らく図星による羞恥だ。

 前世の記憶によって思考や人格に影響が出ているものの、根本的に『大人の記憶がある五歳児の子供』なのだ。


「本当に普通の子供に見える……だからこそ、君が邪神を討伐した事実がより驚異に思える」


 父の言葉に僕は父から目を逸らす。


「あの邪神が生まれた時、私たちはまだここに辿り着いていなかった。当然、私たちの誰もあの邪神に近付いてはいない。ジョン……君を除いてね」


 僕だけが、母に向かってあの邪神を倒すと宣言していた。

 そして父の部隊が母の元へ到着する少し前に邪神の動きが停止した。偶然ではなかったら可能性は一つしかない。

 僕が何かをしたという状況推測だけ。


「……それで、僕にどうしろって言うんですか」


 警戒を示す僕に父は少し悲しい目をしたように見えた。


「……いや、何も」

「……え?」

「アセリアから聞いたよ。ジョンが修羅の女神ネシアの眷属であると。それで邪神討伐の使命があるのだと」


「いや違うけど」


「え?」

「え?」


 どこか遠くで『おいいいいいい!!?』と女神の声が聞こえて来たが無視だ。

 僕は断固としてその事実を否定する!

 ん否定するぅ!!


「コホン、まぁともかく。私としてはジョンがどのような使命を持っているかは関係ない。そこに邪神を討伐した事実があろうとなかろうと、私は今後ジョンに邪神討伐を命じることはない」

「……本当に?」

「本当だとも。そもそも子供がそんな危険なことをする必要もない……ボロボロになる必要もないのだ」


 そう言って、僕はボロボロだった己の体を見る。水属性魔法の回復で痛みや傷はないものの、治療を施す前は全身擦り傷、打撲だらけだったという。


「ジョン、君は私の息子だ。私は自分の家族を守るためならなんだってする。例え王族だろうと君の意にそぐわないのなら私が両断しよう」


 父の目はとても真っ直ぐで、嘘には聞こえなかった。

 だから父の言葉は僕の心にすんなりと入ってくる。


「邪神を崇拝するエルフ族は全滅。邪神の欠片の反応も消滅し、クレアの死も確認した。残る残党も有象無象の集まり。つまり事実上の木星の邪神教の消滅だ」


 父は僕と同じ高さにまで腰を屈み、僕の目を見る。


「この事実を以って君に提案しよう……アセリアと共に私と一緒に暮らさないか?」

「僕と、お母さんが……?」

「この五年間、本当にすまなかった。守るためという理由は言い訳にしかならないし、ジョンたちが辛かった時に助けてやれなくて本当にすまない」


 そう言って頭を下げる父に僕は目を丸くした。

 まさかこんなに謝ってくれるとは思っていなかったから。ムキになっていた子供の心が父の言葉によって鎮静していくのが分かる。

 でもそれが気恥ずかしくて、僕はついっと父から目を逸らした。


「……それでどうかな」

「……むー」

「え、と……」

「ふふ、ジョンは恥ずかしいのですよ。いきなりクラウス様が真摯に謝ってくださるから、怒りのやり場がなくなったのです」

「ちょ」

「い、怒り?」

「なんで分かるのさ!?」

「ジョン?」

「お母さんも同じだからよ」

「ア、アセリア!?」


 くそぅ、母親に見透かされていることに恥ずかしいやら何やら。

 前世の大人の記憶だってあるのになんだこの状況は。


「と、とにかく……どうだい?」

「むー……」


 僕と母の心情を理解した父は気まずげに話を戻した。

 確かに今まではどうであれ、父の謝罪を聞いた僕と母は心情的に父を許している。母も本当は父と一緒に暮らしたいと僕でも分かる。

 ならばあとは僕の返事だけだ。


 逡巡して、逡巡して、僕はようやく父の顔を見た。


「……分かった」


 そうして絞り出した言葉は、酷くぶっきらぼうなもの。

 それでも僕の返事を聞いた父は、喜びに破顔した。


「……っ、そうか、ありがとうジョン!」

「だ、抱き付くのはなし!!」

「ち、近付けない……まさか念力なのか?」


 なんとか念力を突破して僕を抱き着こうとする父と抵抗する僕の攻防が暫く流れて、僕と父ははぁはぁと疲れで呼吸を乱す。


「はぁ……それじゃあ一緒に暮らすというのなら、先ず最初にジョンに言っておかなければならないね」

「……言っておくこと?」

「我が家はロイエンガル王国の公爵家、つまり貴族の一つだ」

「ロイエンガル王国……」

「あれ? そっちに興味を持つのかい?」


 こちとら転生した先のファンタジー国名を今初めて知った身やぞ、当然やろがい。


「貴族の中で王族に次ぐ権力を持った貴族だ。それもただの貴族じゃなく、国防を担う貴族家でもある。その国防の中には防諜や防衛は勿論、邪神誕生の阻止も含まれる」

「邪神誕生の阻止……!?」


 それって僕がその公爵家に入ると邪神関連に関わる可能性が……!?


「いや、それは私が関わらせない。国防の任は全て我が公爵家に任せられていて、逆に言えば国防に関わる全ての人事、情報は我が公爵家が握っているんだ」


 だから関わらせるも関わらせないのも自由。

 故に、木星の邪神教という明確な脅威がいない今、父の家が一番安全であると父が説明する。


「これからジョンは貴族の子供として生きる道を歩むが、この私が邪神に関わらせないと約束しよう。この――」


 父は胸元に飾っている貴族の紋章に手を当てながら宣言する。


「――マクレイン公爵の名に賭けて」

「マクレイン、公爵……」

「そうだ。これからジョンはこの家名を受け継ぐことになる」


 即ち、ジョン・マクレインとして。


「僕の名前がジョン・マクレインに……ん?」


 ジョン・マクレイン……ジョン・マクレーン?

 いや、それって!?




「世界一ツイてない主人公の名前と一文字違いやんけ!!?」

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