第440話「刑生」
「あ、ああ、あ、あ、ああ、あ、ああ」
その感謝の魔女の取り乱しようは、まさしく気が狂ったようであり、とても正常だとは思えないものであった。しかし、そんなことを思うエヴァンではあったが、むしろ正常な部分が少ない対の魔女に対して、今更気が狂ったとしても大した差は無い。それより、なぜ感謝の魔女は
「な、ななななななななななななななななななぜ、あなたが、あなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたがあなたが」
【ほら、言った通りだろう?】
自信満々に、無色透明な胸を張るように、触手は自慢げな声音で話しかける。それよりも、恐怖の感情に支配された感謝の魔女を目の前にしながら、自分が犯人だという証明をするのは辞めて欲しいと思うエヴァンは、白い目で触手のゆらめきを睨む。
「言った通りではあったけど、わざわざ、自分が提案しましたみたいな言い方してもいいのか?」
【気が狂った状態で、他人の話に耳を傾ける人間なら、人間を実験体になんかしないよ】
「……それもそうだが」
正論ではあった。しかし、残酷でもあった。
今まさに、エヴァン達の眼前で、体の至るところを掻きむしりながら「あなたがあなたがあなたがあなたがあなたが」と、うわ言を呟いているのだから。
「なんで、感謝の魔女は気が狂うんだよ」
【まぁまぁ、その話は後にしてあげよう。まずは、彼女が何も視界に入らない状態の内に、犠牲者を保護することにしよう】
「……」
重大な役目を、たった一言で完遂できたエミル・ポセンドは自身の体を傷つけることで、自分自身を失わないように必死な感謝の魔女を見つめては、酷く悲しい顔をする。
「エミル。エミル」
「……は、はい!」
「あんまこういうことを言う『救世主』もどうかと思うけども、気にするな。彼女達が気が狂ったとしても、彼女達によって犠牲になった人や、二度と帰ることはできない人だっている。因果応報か自業自得、罪が自身に返ってきているんだから、情けを掛けちゃいけない」
「…………」
エヴァンの一言は、エミルの心を揺さぶるものではあったが、同時に彼女が感じていた責任感と罪悪感を取り去れるものではなかった。どう頑張っても、エミルは自分のたった一言で、人間が狂ってしまう姿を見るのは耐えられない――もしくは、罪の意識を感じてしまうのだろう。それだけ優しいからこそ、厳しさを伴っていなければいけないのだ。
「ひとまず、エミル。ある程度、床で寝っ転がっている人達を一箇所に集めよう。そうすれば、後はコイツがなんとかしてくれるだろうし」
【人を物みたいな扱いをしないでもらいたいんだけども、まぁ、いいや。エミルさん】
「……は、はい」
【気にするな、罪悪感を背負ったまま一生を過ごしていけ、時に苦しみ永遠という永き闇に浸っていろ。なんて、俺は言うつもりはないし、無責任な言葉を掛けるわけじゃないから、君に俺が知る限りの真実を話してあげよう】
エヴァンは、唐突に自分の掛けた言葉が無責任だと一蹴されたことに、気分が悪くなるものの、それよりも触手が何を知っているのか疑問の方が勝っていた。
なにせ、彼はエヴァンの中にいたのだから、知っている情報というのも、彼が生前の話である。それも、恐らくバイス・レイから伝えられたものだとすれば、これから必要となる情報があるかもしれない。
【彼女――感謝の魔女はね。女性が嫌いなんだよ。嫌悪感だけじゃない、自分以外の同性は全て消えて欲しいと思っているんだ。自分だけでいいと思っているくらいにね】
「……それは、なんとなくは」
【そう、今までの口ぶりや俺が君に伝えた通りのことだけども、でもそれは自分の目の前にいる同性が嫌いだから、てわけじゃない。
彼女は全人類の中でも、異種族――人族以外の同性は全て滅びてしまっていい。滅ぼしたい。あわよくば、人族の同性も絶滅して欲しいと思っているんだよ】
「…………それは、なんでだ?」
ひとまず、エヴァンは近くで意識がありそうで虚ろな目の人を数人抱えている最中、気になって聞いてしまった。あんまり長引かせてしまうと、感謝の魔女が正気に戻ってしまうことを危惧したからである。
【簡単さ。自分を一番に求めてもらいたいんだよ。種として、女として。それに、同性という存在は邪魔なのさ。だから、俺達が降りてきて真っ先に感謝の魔女が考えたことは、
思わぬ一言に、エミルは声にならない悲鳴をあげる。喉の奥がキュッと締まって、か細い息が漏れ出るような、残虐な思考に脅されたように。
【だから、彼女に対して罪悪感を抱くのは、聖人なんて言い方はできない。ただの愚か者だよ。それでも、感謝の魔女に殺されたいのなら話は別だけどね】
そう気軽に言い放った『勇者』ではあるが、空気は激しく重苦しいものであった。なにより、エミルはショックを隠しきれないのか、はたまた、静かなる殺意に気づけなかったことを悔やんでいるのか。彼女が、犠牲者を運ぶ動きは非常に鈍いものであった。
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