第435話「昇りて、落ちゆく」
「……じゃあ、このまま浮き続けているわけじゃないんだな」
【そうだね。俺が降りたくなれば降りられるし、能力を使っている間は自由に空を飛び回ることだってできる。それに、また地上に降りるなんて嫌でしょ?】
「……まぁそりゃ、何が起こるか分からないし」
感謝の魔女が癇癪を起こし、怒号を飛ばしている間は降りない方が賢明である。何が起こるか分からないだけでなく、「なぜ逃げた」と追い掛けてきそうな予感だってするのだ。こういう時の嫌な予感は、嫌というほど的中するのだから、従っていた方がいい。
「……あの、割り込んでしまって申し訳ないのですが」
そんなエヴァンと触手に、しずしずと入ってくるのは赤毛の獣人。赤いふわふわの耳は先ほどまで垂れ下がっていたのに、今ではピンと立っている。そんな彼女が手を挙げながら、ささやかな主張をしてきたのは珍しかった。
【なんでしょう? えっと、エミルさんでしたね】
「は、はい。エミル・ポセンドです」
【話はエヴァンの中で勝手に聞いていますので、だいたいのことは理解できていますが、恐らく俺が何者なのかというのが確認したい。そんな感じでしょうか?】
「……は、はい。すみません。察していただけるとは思っていなくて」
「普通は、そんなところまでは気が回らないから、気にしなくていいぞ。コイツ、暇だからそういうところだけは気づくだけの思考に余裕があるってだけだし」
エヴァンの訂正――もとい、エミルへのフォローを聞いた触手は【事実だし、実際暇なんだよ】と否定することも、そんな不名誉な称号を与えてくるなと憤慨することもなく、肯定したのだ。それこそ、余裕のある対応でもあり、相手の挑発を受け流すような姿勢は『勇者』らしいとも言えた。
【そこの木偶の坊が今まで言っていたと思うんだけど、俺は『勇者』でね。もっと詳しく言えば『勇者』の残り物、落し物、残滓、欠け落ちたもの、そういった言葉が相応しいくらいには、本体ではないものなんだよ】
「……そ、そうなんですね」
エヴァンは心の中で前言撤回する。この触手は相手の挑発を受け流すような者ではないのだ。馬鹿にされれば、阿呆だと言って。侮辱されれば、屈辱を味合わせるのが彼なのだから、エヴァンが小馬鹿にすればそれより倍返しするのは、当たり前のことだったのだ。
そして、エヴァンが冷ややかな目で触手を眺めるも、彼はそれを受け流す。
「でも、『勇者』様には変わりないんですよね?」
【体はとっくに朽ち果てているけどね】
「嘘つけ、火葬したんだから骨だけ埋まっている状態だろ」
【では、焼け果てている】
エヴァンの言葉を華麗に利用し、自分の手柄にし始める触手であったが、そんなことよりも気になることがあるのかエミルは僅かに眉を引き寄せ、なんとか言葉を捻り出す。
「え、ということは……。エヴァンさんの中に『勇者』様がいるということ」
「あぁ」
【そうだね】
「でも、エヴァンさんは『救世主』で、触手さんは『勇者』だと」
「あぁ」
【それぞれ、別だね】
「ということは、エヴァンさんの中には二つの魂ごとあるということなんですよね?」
「あぁ」
【俺の居場所は小さく狭苦しいけどね】
余計な一言を交える触手に対して、エミルはその質問を聞いて余計に、理解の範疇を超えた出来事が目の前で起こっていることに、頭を抱える。
なにせ、一つの体に一つの魂しかない。その言葉は間違いでもなく、それと能力は密接な関係にもあるのだ。能力は一人一つ。産声をあげると同時に獲得し、その者が死んでしまえば、能力は綺麗さっぱりなくなって、消失してしまうことから、そう言われているのだ。
それが、目の前にいる者には二つ収まっている。それだけでも規格外の出来事ではあるのだ。エミルの眉間もより深いものとなり、自分自身が今まで学んできた経験や知識、知恵では導き出せない現象に、頭痛が響く。
【ちなみに、『魔王』も同じ感じだよ。あの子も二つの魂を体に内包している】
エミルの頭脳は沸騰しそうであった。
それこそ、空に浮遊している中でも、そのまま空を突き抜けて飛んでいってしまいそうなほどに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます