第432話「見透かした役割」


 作戦が同意となれば、行動するのは早い方がいい。そんな意見が満場一致で決まりかけるも、今まで黙って成り行きを見守っていたアヴァンから、たった一言、されども一言が飛び出す。


「エティカも、いきなりここを離れるのは不安だろう。色々持って行けるものは持っていくべきだろうし、エヴァンに手紙でも残したらどうだ?」


 と、なんとも楽観的な考えが出てきたのだ。それも、アヴァンから。ヘレナではなく、ローナでもなく、この場面で唯一の男であるアヴァンから。それは、エティカのことをよく見ていたからの意見でもあったが、実際のところはエヴァンのことを思っての発言であった。


「……ふむ、では少しばかり猶予を与えるとするのです。向こうにはいくらか着るものはあるですが、今のエティカ様に合うようなものはないかもですし」


 アヴァンの言葉に同意を示すロイアであったが、彼女の見つめる先はただ一点。白銀の少女の胸元。たわわに実っている二つの果実に向けて、見れば見るほど恨めしいほど、睨みつける鬼の形相へと変貌していく。


「……ふん、わたしも大きくなるのです」


「……そんないいものじゃないと思うんだけど」


 エティカのその一言はまさに余計ではあった。それを聞いて、涙目になったロイアはなんと可哀想なことか。持つ者と持たざる者。双方が理解する領域は、果てしなく遠い。


「……いいから! さっさと準備してくるのです。その間、わたしは果実酒を見繕っておくのです」


 ロイアは捨て台詞のように吐き捨てると「紫ちゃん、早く果実酒を見せるのです」とそそくさと、先ほどローナが酒を取り出した秘密の戸棚目掛けて歩いていく。ちゃっかり、酒の置いてある場所を覚えていたのだから、恐ろしい『魔王』ではある。

 そんな彼女に、渋々ついて行くローナであったが、席を立ち、歩き出す直前、エティカへ顔を向ける。


「ちゃんと、手紙。残して置いた方がいいわよ。エヴァン、エティカちゃんがいなくなるのは知っていても、きっと落ち込むでしょうから、そんな気分をどうにかできるようなものを書いてあげて」


「どうにかって……」


「それは――」「おい! さっさと教えるのです! さもないとここにある酒全て持ち帰るのです!」


 ローナとエティカのやり取りを遮ってまで、ロイアは自分の欲求に忠実であり、そしてそんな彼女に取られたくないお気に入りの酒でもあるのか、紫髪の給仕は「あぁ、もう分かりました」と、急いで彼女のところまで走って行った。置いてけぼりになったエティカは、どんなことを手紙にしたためればいいか、なんと書き残せばいいか分からないものの、それでも時間がないのは確かで、ヘレナとアヴァンにぺこりと頭を下げると急いで自室へと向かって行った。



 ◆    ◆    ◆



 黙する鴉、厨房に面した場所の端っこの戸棚。そこがローナ・テルシウスの酒を置いてある秘蔵の場所であった。無論、アヴァンには許可を貰ってヘレナからは、ちょくちょくどんな酒がいいのか、何を仕入れたら利益が出るのかなどの有効活用されている場所であり、そんなところに魔人族の――それも『魔王』がいるなんて誰が想像できただろうか。


「……紫ちゃん。君、本当はエヴァン・レイに『魔王』討伐には行って欲しくないと思っているのですね」


「なにを仰いますやら」


「見ればわかるのです。わたしを呼びに来た時もそうです。怠惰の魔女に話を通した時もそうです。紫ちゃんは、本当はエヴァン・レイが危険な場所、危険な目にあって欲しくない。それを切実に願っているのは見ればわかるのです。だから、エティカ様に手紙を書かせに行かせたのです」


「……」


 無言と沈黙は正解の暗示。

 誰が言ったか、少なくともローナにとっては、あまり言いふらしたくないものではあった。ゆえに、黙って彼女が取り出す果実酒の一本を虚無に眺める。


「ロイアは残念ながら、手紙を残されたところで何も思わないのですが、それは単純に殺伐として殺風景な心境であったからこそ、何か思う余地がないというだけですが、エヴァン・レイは違うのです。彼は救いを求める者のためなら、なんでもできるような勘違いのチカラを持っている。だからこそ、少しでも彼の生存率を高めようと愛する者からの手紙を残すよう、エティカ様に伝えたのですよね?」


「……さぁ、どうでしょう」


「誰にも言うつもりはないのですが」


 今までどの果実酒が美味しそうで、色合いが鮮やかかを見ていた蒼眼がくるりとローナを捉える。なんでも見透かすような、感情の一切を失った瞳。今まで殺戮を繰り返してきたからこそ、何も感じないようにしてきた弊害が、瞳の奥にまで浸透している悲しい双眸は、紫髪の給仕を貫く。


「なんとも、損な役割を担っている――」

「――あ、そのお酒結構美味しくてオススメですよ」

「なに!?」


 言われたくないことを、あえて自分のお気に入りの酒で回避したローナ・テルシウス。やはり、『魔王』は見ている限りでも、たった数時間の関わりでもローナのことを把握できてしまうほど、恐ろしい人物だと実感するだけでなく、そこそこ高く人気の品で、次買えるかどうかも分からないお気に入りの酒を手放してしまい、本当に損な役割を担っていると痛感する結果となった。

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